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関係は物質よりも本質的である。

本書は、著者である村松尚登氏が12年間に渡るスペインでの指導者経験で体感した「スペインサッカーの強さの秘密」を綴ったものである。論理的にスペインサッカーの強さの秘密を探ろうとするがなかなか探しものにめぐりあえない村松氏の苦悩や葛藤もあわせて描かれており、冒険譚のように読むこともできる。

村松氏の語る「スペインサッカー強さの秘密」およびスペインと日本の差異は非常にロジカルで納得的な内容であり、サッカーを科学的に語りたいと思っている方は必読の良書。

まず直面した日本とスペインの環境の違い

村松氏が直面した目をそらすことのできない事実として、日本とスペインの育成年代における環境の違いがある。その最たる違いが、リーグ戦文化である。

多くのスペイン人が小学校低学年より長期リーグ戦でプレーし始め、それ以降現役を引退するまでの数年間、あるいは数十年間「負けても次がある」という長期リーグ戦を毎週戦い続け、試合経験値を積み上げ続けていきます。そしてその過程において、必然的にサッカー人口全体の"サッカーを見る眼"を肥えさせているのではないでしょうか。(P.58-59から引用)

このリーグ戦文化により、2つの点で大きなメリットが生まれているという。

1つ目が、練習の質の向上である。村松氏は次のように語っている。

"週間サイクル"でスケジュールが進むがゆえに常に目前に具体的な目標設定があるため、毎回の練習にも必然的に集中しやすくなり、練習課題の設定も明確になりますから、自ずと練習の質も高まります。たとえるならば、1年後の受験に備えて勉強することと、1週間後のテストに備えて勉強することの違いです。明らかに後者のほうが、モチベーションの維持や勉強の課題設定は簡単だと思います。(P.88-89から引用)

そして2つ目のメリットが、駆け引きや賢さの向上である。

最近では日本でも駆け引きや賢さ、つまり判断力の向上を目的として育成が行われている。サッカーはプレーが連続的で試合中に監督の指示をいちいち聞いていられないため、選手が自主的に局面におけるプレーを判断しなければならない。局面はパターン化することができるが、机上で簡単に学ぶことができるものではなくピッチの上で体感的に会得する必要がある。そのために必要なことは、試合を多くこなすことである。村松氏の言葉を借りれば、こういうことになる。

「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」(P.109から引用)

リーグ戦文化で毎週緊迫した公式戦を戦っているスペインの育成年代では、「サッカー」をする機会が必然的に増え、それが駆け引きや賢さの向上に寄与しているのである。

しかしここで村松氏は思い悩むことになる。確かにリーグ戦文化はスペインサッカーの強さの根源的なものであろう。ただ、それが強さの秘密でした、となると、それはすなわち日本は追いつくことが非常に難しいです、と言っているようなものである。また、サッカーが強くて文化的に根付いているからリーグ戦が普及したのか、リーグ戦が普及したから強くなったのか、鶏が先か卵が先かが定かでない。

もっと奥深いヒントのようなものはないのか。

そんな折、すでにスペイン在住が10年を超えていた村松氏がついに出会ったのが、戦術的ピリオダイゼーション理論である。

戦術的ピリオダイゼーション理論とはなにか

戦術的ピリオダイゼーション理論は、ポルトガル人のヴィトル・フラーデ教授が約30年前に発案したサッカー専用のトレーニング理論である。

フラーデ教授は「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」と定義付けている。そのため、この理論はまずサッカーを複雑系と捉えるところから始まる。本書では、機械論ではなく生命論的なパラダイムでサッカーを捉える、という言い方をしている。

この考え方については、『リーダーシップとニューサイエンス』が詳しい。ニュートン主義を機械論、ニューサイエンスを生命論と置き換えていただいて構わない。

ニュートン科学は、唯物論の立場でもある。人の身体的感覚で感知できるものを重視して世界を理解しようとするのだ。実在するものは、目に見え、明確な物質的形状を持つとされる。物理学の歴史では、そして今もってそうだが、科学者たちは、物質の基本的な「構成要素」、万物のもととなる物質的形状をこぞって探しつづけてきた。
ニューサイエンスとニュートン主義の決定的な違いの一つは、ニューサイエンスが部分よりも全体論を重視していることだ。システムは、システム全体として理解し、ネットワーク内の関係に注目する。(P.23-24から引用)
量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

本書にも登場する「全体は、部分の総和以上の何かである」という考え方である。

また、人間の「顔つき」という身近な例を用いて『非線形科学 (集英社新書 408G)』では以下のように説明している。

ある人の顔を構成する目、口、鼻などの各部分についてどれほど詳しい情報をもっていても、その人固有の「顔つき」はわかりません。顔つきはこれらの要素の布置から生まれる新しい性質であり、要素自体についての知識には含まれないサムシングだからです。(P.19から引用)

つまり、サッカーは生命論パラダイムに則ったスポーツであり、サッカーの中身を体力やテクニック、戦術眼などの要素に分けて個別にトレーニングをしても「全体」であるサッカーそのものはうまくならないということである。

この理論はまさしく「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」という考えが結びついている。村松氏が飛びつくのも納得である。

戦術的ピリオダイゼーション理論を活用するために

本書では以降の流れとして、戦術的ピリオダイゼーション理論を活用したトレーニングメニューをいくつか紹介している。実例をもって紹介しているので分かりやすいが、村松氏も言うように「これが戦術的ピリオダイゼーション理論のトレーニングである」という決まりは存在しない。チームコンセプトを体現できるようになるためのトレーニングが重要であり、チームコンセプトは各チームごとに異なるのだからトレーニングは各チームごとに異なるのが当たり前、という前提に立っているためである。

サッカーはフラクタル(自己相似系)であるという前提を思い出し、どうしたら試合におけるチームコンセプトの発揮場面をトレーニングで再現できるかを考えることが重要であり、指導者の力量が試されるシーンでもある。

サッカーと複雑系についての私見

サッカーに複雑系を適用する考え方は広がりを見せ、『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)ではバルセロナのサッカーを複雑系理論と絡めて解説している。

また、論文『サッカーゲームにはハブがある』(筆者のレビューはこちら)ではサッカーの試合でネットワーク理論が成り立つことをデータから明らかにしている。

個人的には、フラーデ教授が提唱した「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」という定義は正しいけれど若干古い気もしている。

20世紀は機械論の世紀と言われていたが、科学者が生命論に気付いていなかったわけではなくその存在を実証的に証明できなかっただけである。計算に信じられないくらい時間がかかるため、コンピューターなしでは計算が不可能だったのである。ただ、村松氏も言うように、現在では複雑系理論は数学的に証明できている。その中心にあるのが「ベキ法則(べき乗則)」である。

ベキ法則とは80:20の法則やロングテールといったほうが一般的には通りがよいかもしれない。べき法則は『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』が詳しい。

現実のネットワークのほとんどは、わずかなリンクしかもたない大多数のノードと、莫大なリンクをもつ一握りのハブが共存しているという特徴をもっている。これを数式で表したのがベキ法則なのだ。(P.103から引用)
ベキ法則は、カオス、フラクタル、相転移など、二十世紀後半に成し遂げられた概念上の大躍進の中核にある法則なのである。ネットワークにもベキ法則が見出されたということは、ネットワークと他の自然現象とのあいだに予期せぬつながりが存在する徴にほかならない。(P.106から引用)

カオス、フラクタルにべき法則が発見され、そして自然界や社会的なネットワーク、インターネットにもべき法則が発見されている。すべてはつながっており、自然界の様々な現象もサッカーゲームも例外ではない。

これらを包括的に扱っている理論がネットワーク理論である。

フラーデ教授がサッカーの定義を提唱したときにはまだネットワーク理論は確立されていなかった。そんな時代にサッカーをカオスやフラクタルで斬った先見の明はすばらしい。そして教授の言葉を受けて、科学の進んだ現代ではこのように定義したほうが「サッカーの試合」という意味ではしっくりくる気がする。

「サッカーは、ネットワーク理論に支配されている」、と。

戦術的ピリオダイゼーション理論にも触れつつ、このあたりは別エントリーでまとめてみたいと思う。



tags べき乗則, べき法則, カオス, テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人, ネットワーク理論, フラクタル, 戦術的ピリオダイゼーション理論, 村松尚登, 複雑系

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ネットワーク理論がサッカーの戦術に影響をもたらす日はくるか。

2011年末に「サッカーゲームにはハブがある」という論文が発表された(原題 Common and Unique Network Dynamics in Football Games)。山本裕二・名古屋大学総合保健体育科学センター 教授と横山慶子・日本学術振興会 特別研究員によるもの。詳細はリンク先のPDFファイルを。

原文(英語)
Common and Unique Network Dynamics in Football Games

要約(日本語、PDF)
サッカーゲームにはハブがある

めんどくさがりの人向けに、論文の要約はこんな感じ

  • サッカーの試合においてはボールに多く触れる選手とあまり触れない選手がいて、その分布は正規分布ではなくべき乗則に従う
  • ボールに多く触れる選手(ハブ)は試合の中で切り替わる
  • ハブとなる選手を中心にして三角形を作り出した回数が多いほど、シュートまで結びつけた攻撃の回数が多くなる

べき乗則というのは、80:20の法則といった方が分かりやすいかもしれない。分布全体の多くの要素を2割の人が握っており、残りを8割の人が分け合っているということである。世の中のお金もべき乗則で分布(一部の金持ちがほとんどのお金を握っている)し、商品の販売個数も同じ(一部のヒット商品が総販売個数の大部分を占めている)である。

ネットワーク理論はサッカーに適用できる

たくさんボールを触る選手がいることや三角形を作ればチャンスが多いのは当たり前というのが我々プレイヤーの総意だが、それが定量的に成立することを示したことに上述の論文の価値がある。これは、ネットワーク理論がサッカーにも適用できることを示している。

ネットワーク理論とはざっくり言えばノード(点)とつながり(点と点を結ぶ線)からネットワークの有益性や隣接性を考察する理論である。自然界や社会におけるネットワークには「スモールワールド」「スケールフリー」「べき乗則に従う」などの同様の特徴が見られることが確認されている。

ネットワーク理論についてはバラバシの『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』が詳しい。
例えばハブに関してバラバシは以下のように述べている。

ハブが注目を受けるのは当然である。ハブは特別な存在なのだから。ハブは、それが存在するネットワークの構造を支配し、そのネットワークを「小さな世界」にする。実際、ずば抜けて多数のノードにリンクされたハブは、システム内の任意の二つのノードを短い距離でつないでいる。その結果、地球上でランダムに選ばれた二人の人物の隔たりは平均すると六だが、コネクターと任意の人物との隔たりは一か二でしかないことが多い。同様に、ウェブ上の任意の二つのページは十九クリック離れているが、巨大なハブであるYahoo.comは、ほとんどのウェブページから二ないし三クリックの距離にある。ハブの目で見れば、世界は実に狭いのだ。(P.94から引用)

ネットワーク理論をもとにサッカーの戦術を考察する

サッカーにネットワーク理論が適用できそうだということが分かれば、以下に挙げることが科学性を持って正しいといえる。ちなみにサッカーにおいてはノードは選手、つながりは選手間の距離を指し、ネットワークとはそれら全体をピッチの上から俯瞰的に見た地図と見立てることができる。

1.コンパクトに保つためにはハブの存在が必要

ハブの存在は隔たりを小さくし、スモールワールドを作り出す。DFからFWの距離は直接的には遠いが、ハブを介せば両者ともに一次の隔たりである。サッカーでは「コンパクトにする」という言葉がよく使われるが、ネットワーク理論に則ればその肝としてハブの存在があり、ハブがいなければコンパクトに保ってポゼッションをすることは難しくなる。

2.ハブを入れ替える工夫の必要

ネットワーク理論におけるハブは意図的な攻撃に弱く、ネットワーク全体を脆弱にする危険性を秘めている。ハブ空港が閉鎖された場合の飛行機の空路の確保の難しさや、渋谷のスクランブル交差点が閉鎖された場合の行き交う人々の不便さを思い起こせば想像に難くない。

SPOF(Single Point of Failure)を作ってはならず、そのためにはあるハブが機能不全に陥った場合に異なるハブが台頭する仕組みが必要である。前述の論文では時間帯ごとに異なる選手がハブの役割を果たしていると示しているので、高度なチームでは既にそのような機能を備えている。現在の日本代表では遠藤がハブの筆頭に挙げられるだろうが、遠藤を封じられた時には別の選手がハブにならなくてはならない。

3.攻撃と守備の切り替え(その逆も)には一定の自己組織化を図ることが必要

生体の分子もネットワーク理論のように振る舞うことが分かっているが、ここからもサッカーに適用できるかもしれない発想が思い浮かぶ。

サッカーでは守備の際には「守備ブロック」「堅い守備」といった氷のような固体を連想させる言葉を用いる。一方で攻撃の際には「流動的」「流れるようなパスワーク」といった水のような液体を連想させる言葉を用いる。すなわち、攻撃から守備の切り替え(トランジション)は水から氷へ、守備から攻撃への切り替えでは氷から水に変わるプロセスであると考えることができる。

物理の世界には相転移という言葉がある。相転移とは、固体から液体、液体から気体のように性質がまったく異なる状態に変遷するプロセスのことである。固体には固体、液体には液体の分子の秩序がそれぞれ存在しているわけだが、相転移における臨界点(まさに氷が水に変わろうとしている瞬間)では秩序と無秩序が混在する。このタイミングでは分子同士の距離(相関長)はべき乗則に従っていることが分かっている。つまり、同時的に秩序を変更するのではなく、8割程度は短い相関長であるのに対し、2割程度は長い相関長の状態が生まれる。その相転移を経て、氷が完全に水になればまた水としての秩序を手に入れるわけである。

つまり、相転移にも一定の自己組織化された「秩序」があるわけである。

これに則れば、サッカーにおけるトランジションのタイミングでは一部(2割)の選手間の距離を長く保ち、大多数(8割)の選手間の距離は短いままに保つことが自然科学に則った強固な策であることが分かる。攻撃へのトランジションでは2割程度が素早くカウンターに走り出すといったイメージで、守備へのトランジションでは2割程度がリトリートしつつ8割はコンパクトに保って守備網にかけるようにプレッシャーをかけるといったイメージだろうか。トランジションのタイミングが終われば、攻撃時には水のような秩序、守備時には氷のような秩序に戻すのである。

4.システム論はハブとなる選手との接続数や接続距離によって考察されることが必要

サッカーにおけるシステム論は尽きないが、この考え方にネットワーク理論におけるトポロジーを適用することができる。トポロジーとは位置や構成に関する研究である。ネットワークにおけるノードは、ハブと多く接続できる箇所から埋まっていく。その方がそのノードにとってメリットがあるからである。また、ハブとなり得るノードが増えたほうがハブに対する攻撃への対抗策にもなる。

サッカーでは相手があるため「トポロジー対トポロジー」となり、影響が相互作用となるので一概にネットワーク理論に則ることは得策ではないかもしれないが、位置や構成に関する研究であるトポロジーの考え方を捨て去ることはもったいない話である。


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こういったサッカーとは関係のない世界からのメタファーや研究をサッカーの世界に適用していくことが僕は結局好きなのだな。「サッカーゲームにはハブがある」という論文タイトルを初めて発見したときの興奮は今思い出してもアドレナリン出るわけです。他にも気になる研究とか発見したら引用して私見を書くと決めた。



tags べき乗則, サッカーゲームにはハブがある, トランジション, ネットワーク理論, 相転移, 自己組織化

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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