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ペップとバルサの真のストーリーを紡ぎだす556ページの超大作。

在籍した4シーズンで14個のタイトルを獲得したペップ・グアルディオラ率いるバルセロナ。サッカー史上最強クラブとの呼び声も高く、また同時に「クラブ以上の存在」というクラブの理念は世界中から賞賛されている。

バルサが他のクラブと一線を画すのは、大別して2つの理由によるものだと考えられる。

1つ目は、内容と結果を両方追い求めるということをチャンピオンズリーグのような世界トップレベルの舞台においても体現したことである。

バルセロナのサッカーについては、本書においてビクトル・バルデスが的確な表現をしている。

まずは自分たちがボールを持たなければならない。そうすれば相手はダメージを受けるし、こちらはすべてをコントロールすることができる。次に大事なのは、中途半端なポジション取りをして、ボールを失わないようにすること。そういう展開になると、危険な状況が生まれるからね。それでもボールが奪われたとしたら、それは相手に力があるからであって、自分たちのミスじゃない。3つ目は敵陣でプレッシャーをかけること。僕たちは激しくボールに食らいつかなければならない。この方法はライカールトの時もやっていたけど、ペップはもっと重視した。(P.189から引用)

一般的にサッカーの得点は、カウンターによる数本のパスから生まれるもの、セットプレー、相手のミス、で8割くらいになると言われている。逆に言えば、キレイにパスをつないで結果生まれるのは2割程度しかない。バルセロナは2割しかない「キレイにつないで崩して得点する」サッカーを体現しながら脅威の勝率(4シーズン通算で7割以上)をマークした点で特異といえる。


2つ目は、価値観の共有という観点で究極までクラブに対するエンゲージメントを高めていることである。

拙ブログからの引用だが、エンゲージメントには「交換」と「統合」の2種類が存在する。

エンゲージメントは人材開発や組織開発においてもトレンドなのでこれからサッカー界でも重要視されるキーワードである。 サッカー選手も労働者である以上、働きたい場所の選択は本来自由のはずである。それをルールで阻止するのは間違っており、チームに留めたいのであれば違う方法を考えるしかない。このやり方には「交換」と「統合」の2種類しかないことが経営学的な通説となっている。「交換」とはチームへの忠誠(エンゲージメント)を金銭や福利厚生など何らかの報酬と交換する方法であり、「統合」とはチームとしての理念や方向性、哲学を労働者(選手)と文字通り統合し、ベクトルをあわせることで金銭を超えたエンゲージメントを共有する方法である。([書評] サッカー選手の正しい売り方から引用)

バルセロナは先にも述べたプレーモデルで世界観を作り出し、カンテラからの生え抜き選手を筆頭にその哲学に共感できる選手で構成されているクラブである。これを実現できているクラブは少なく、ここでも稀有な存在であるといえる。


以上2点の特異性は、ペップという1人の名将に属するものではなく、バルサというクラブが包含しているものである。クライフが青写真が持ち込み、ファン・ハールがメソッドとシステムを進化させたものとも言える。

ではペップはバルサというクラブに何をもたらしたのか。

ペップがもたらしたもの、それはバルサの哲学の完成形を示したことである。

内容の充実と結果を同時に実現し、選手やソシオはもちろん、世界中の人々から賞賛されるクラブ。誰もが憧れるユートピアに限りなく近づいたといって差し支えないだろう。


ペップはいかにしてバルサというクラブを完成形に近づけたのか。そして誰もが気になっている退任の理由とは何か。幼少期から選手時代を経てバルサの監督に、そして退任からバイエルンとの邂逅。それらの一連のストーリーについて、ペップという1人の人間の実像を捉えながら余すところなく語り尽くしているのが本書である。

以下に、いくつか印象に残ったストーリーを紹介する。

バルセロナBの監督就任から始まった成功への下準備

ペップが監督に就任した際に、それまでスター扱いされていたロナウジーニョとデコを放出したことは有名な話である。クラブの方針に従わない選手はスターであれ例外措置は取らないという強烈なメッセージであると同時に、ペップの考え方を周囲に示すのに有効な一手であった。

実はこの放出には伏線がある。

ペップはバルサの監督就任の前年、バルセロナBの監督に就任している。そこで、自身のセオリーの正しさを1年かけて現場で確認しているのである。

グアルディオラは、自分自身と自分の考えを下のカテゴリーで試してみたいという気持ちを持っていた。目的の一つは、自分のセオリーの正しさを確認すること。
(中略)
トップチームを率いることになった場合に直面するであろう問題の解決方法を、試行錯誤して見つけていく。ペップにとってBチームは、そのための格好の機会を提供していた。しかも、スポットライトやメディアの注目を浴びずに様々な方法論を試すことができた。(P.143から引用)

その中でも特に重要であった経験は、リーダー的な存在である問題児の取り扱いについてクライフからのアドバイスをもとに「切った」ことである。

「チームの中に2人、僕がコントロールできる自信のない選手がいるんです。僕の言うことを聞かないし、そのせいで他の選手も同じような態度を取るようになってしまう。問題は、この2人がリーダー的な存在であり、実力的にもトップクラスだということです。彼らがいなければ、きっと試合には負けてしまいます」
クライフの返事は簡潔だった。「2人を外せば良い。1試合か2試合は負けるかもしれないが、いずれチームは勝ち始める。その頃には、2人のろくでなしをチームから追い出せるさ」
ペップはクライフの指示に従って2人を外し、選手たちに監督としての威厳を見せつけた。この決断は他の選手たちへの警鐘でもあった。事実、チームの動きはよくなり、やがて試合でも勝ち始めるようになった。(P.145から引用)

この考え方はペップの基準となり、ロナウジーニョやデコだけでなく、エトー、イブラヒモビッチらの放出にも大きな影響を与えることとなる。

ペップに切り離された選手たち

エトーはペップが監督に就任した際、ロナウジーニョらとともに放出の候補であった。しかしエトーが改心したような素振りを見せたため、一転残留することとなる。シーズン当初はペップのやり方に従おうとしていたが、エトーはやはりセンターフォワードではなくワイドなポジションで使用されることに我慢がならなかった。この点に関してペップは自分のやり方を貫き通している。

グアルディオラの中にはオンとオフのスイッチがある。自分と同じ波長を持つ選手はとことん大事にするが、相手が心のスイッチをオフにし、人間関係の魔法が消えた時には、非常に冷徹な人間としての一面が顔を出す。自分の意見に賛成できないのなら、君はここにいるべきではないとも告げる。エトオに対するペップの気持ちは切れた。同じことは、やがて他の何人かの選手に起きることになる。(P.320から引用)

この「他の何人かの選手」の筆頭がズラタン・イブラヒモビッチである。イブラヒモビッチはエトーとの交換トレードの形でバルサに加入した。しかし、ロナウジーニョやエトーがバルサに合わないのであれば、どう考えてもイブラヒモビッチはバルサという枠に収まる選手ではないだろう。

イブラヒモビッチに関するエピソードは、『I AM ZLATAN』(筆者のレビュー)と併せて読むと非常に興味深い。

イブラヒモビッチは自伝の中で「意見は聞くが、俺流も貫き通す」という哲学を披露しており、この哲学はとてもではないがバルサやペップと相容れるものではない。イブラヒモビッチが悪でペップが善というわけではないが、両者は完全に対照的な存在であり、1シーズンでバルサを離れたのはむしろ賢明であったといえる。


ペップはこのような自身の哲学による世界観の中でバルサという怪物チームを率いていく。

そしてこの哲学こそがバルサ最強の秘密であると同時に、ペップがバルサを去っていく要因にもなっていくのである。

エントロピーの増大がもたらした精神の限界

世界観の構築はバルサの強力な生態系の構築でもある。生態系は世界が閉じているからこそ成り立つものであり、何らかの理由で世界が閉じられなくなったとき、崩壊が始まる。

ペップがバルセロナに就任した当初、その後に中心選手となって活躍していくカンテラ出身の選手たちはまだ「前途有望な若手」という位置づけであった。しかし4シーズンに渡り無類の強さで多くのタイトルを獲得したことで、かつての若手は世界トップレベルの選手として崇められる存在になっていく。

トップレベルになれば、何もかもチームの方針に従うことに無理が生じ始める。そうして、秩序だっていた世界観は、やがて無秩序の度合いが増していくこととなる。

これは物理の世界における法則でもあり、閉じた系においてはエントロピー(無秩序の度合い)は必ず増大するのである。

特に諸刃の剣であったのがメッシである。バルサの攻撃の象徴であり、偽の9番の成功のキーマンである唯一無二の存在。メッシの発言は日に日にクラブにおける重要な位置づけを占めるようになり、やがてクラブはネイマールの獲得においてもメッシにお伺いを立てたほどになっていく。

閉じた系では押さえ込めるエネルギー量に限界があり、ペップはここに頭を悩ませていた。辞任会見で述べた「監督を続けていたら互いに傷つけ合ってしまうことになる」という発言は、メッシを指していると著者のグイレム氏は言う。

こうして、クラブの哲学を徹底的に追求することで実現したペップのストーリーは、哲学の完璧さ故にエントロピーを放出できず、ストーリーの終わりを迎えることとなる。

他にも注目のエピソードが満載

ペップの世界観を外部から破壊しようとしたのがモウリーニョである。モウリーニョとの戦いは多くのページを割かれ描かれている。

モウリーニョは、傑出した選手が独自のサッカー観を体現するバルセロナを打ち破るべく、秘策をすでに練っていた。目標は相手を根幹から揺るがし、特権的な立場から引きずり下ろすこと。(P.384から引用)

また、バルサがペップではなくモウリーニョを監督に据えようとしていたエピソードも興味深い。結果的にペップを監督にしてバルサは成功したが、あそこでモウリーニョが監督になっていたら時代はどうなっていたか。2人の名将のストーリーは現在もバイエルンとチェルシーの監督として続いていて、今後も見逃せない。

他にもカンテラ出身選手との師弟関係、ファーガソンとのやり取り、充電期間を経てバイエルンへの監督就任の流れなど、読者が知りたいと思っている一連のエピソードがすべて盛り込まれている。そして、やがてペップはバルセロナの要職についていくだろうという匂いも感じ取れて、それだけでまたワクワクするではないか。


ここまで内容が濃密な伝記も珍しい。556ページと非常に分厚いが、冗長と感じられる箇所はなく、惹きこまれるように読める。バルサファンならずとも、ぜひとも手に取ってほしい一冊。



tags イブラヒモビッチ, エンゲージメント, エントロピー, カンテラ, クライフ, グアルディオラ, バルサ, バルセロナ, ペップ, メッシ, モウリーニョ, ロナウジーニョ


純粋な心をもった悪童イブラヒモビッチのメモワール。

のっぴきならない言動で世間の注目を集めるイブラヒモビッチ。最近でこそ話題をバロテッリに持っていかれているが、実績や実力含めまだまだイブラヒモビッチの方が1枚も2枚も上である。所属したクラブではほとんど優勝し、セリエAで2回、リーグ・アンで1回得点王に輝いている。

そんなイブラヒモビッチが、素の自分について、そしてこれまでの経歴について表も裏も包み隠さず語り尽くしたのが本書である。300ページ超の大作であるが、文体も「悪童的口語」で書かれており、非常に読みやすく読後感も良い。

惹き込まれるイブラヒモビッチ節

本書はいきなりグアルディオラとの確執の場面から始まる。読者にとってもっとも興味が惹かれるシーンである。

イブラヒモビッチはリーガでも16得点と悪くない成績だったが、世間的には「バルサにイブラヒモビッチは合わない」という評価に落ち着いている。それは、あまりにバルサというチームが高尚であるがゆえにバルサが正であり、バルサにあわなかった選手の方が悪であるという構図にも見える。勝者こそ正義、それも一理あるだろう。

しかし本書を読めばイブラヒモビッチの言い分も痛いほど伝わってくる。

あいつ(筆者注:グアルディオラのこと)は、強烈な個性をもつ選手を指導できないのだろう。品行方正な小学生だけを相手にしたいんだ。そんな自分自身の問題から、あいつは逃げてやがる。その事実から目をそらしている。それでひどいことになっちまったんだ。(P.18から引用)

前後も読めば、なるほどイブラヒモビッチの肩を持ちたくなる気もしてくる。グアルディオラ側の意見を聞かずに片方だけの言い分で判断するのはよくないけれど。

それは本書全体を通じても言えることで、どうにも憎めないイブラヒモビッチの素の部分がよく表現されている。反体制主義者の先鋒のような存在で、「聞くが、聞かない」、つまりは「意見は聞くが、俺流も貫き通す」というイブラヒモビッチの正義にぐいぐい惹き込まれていく。

グアルディオラの話題以降は、生い立ちからミラン時代まで、時系列に描かれていく構成となっている。移籍の裏事情も赤裸々に綴られており、ジャーナリストが描く移籍のノンフィクションよりもずっとリアルである。

誰を信用して、誰を信用していないのか

現役としてまだ活躍している選手とは思えないほどに、誰を信用して誰を信用していないのか、はっきりと書かれている点も驚きである。

まず、もっとも信用していないのが、グアルディオラとマルメFF(スウェーデンでイブラヒモビッチが初めてプロ契約したクラブ)のスポーツディレクターのハッセ・ボリである。まだ接する機会があるかもしれないのに、まさに怖いもの知らず。この2人には辛辣な言葉を浴びせかけている。グアルディオラとのやりとりに関しては「この玉なし野郎!」など、翻訳者グッジョブと言わざるを得ない表現も見受けられる。また、本書内では名前を明記していないが、リュングベリのことも相当嫌っているようだ。

そして信用しているのがカペッロとモウリーニョだ。どんな難問に対しても自分なりの哲学で正面から対処していくタイプが好みのようである。他にも選手としては、同じスウェーデン代表として活躍したラーション、それからブラジル代表のロナウドには心酔していることが分かる。

筆者の常識では理解不能なイブラヒモビッチのプレー

見ていてすごいプレイヤーは山ほどいる。メッシのドリブル、クリスティアーノ・ロナウドのスピードやブレ球のフリーキック、ファン・ペルシーのトラップやミートの旨さ。しかし、イブラヒモビッチのすごさは筆者の常識からは逸脱しすぎていて、理解不能である。

もっともすごいと感じたのが、ユーロ2008のギリシア戦のミドルシュート。あの角度の助走、あの角度の脚の振り方であの軌道とスピードのシュートってありえるんですかね、人間として。2分14秒あたりから。

明らかな悪業を働いているにも関わらず、言動、プレー、すべてが何か惹きつけるものを持っている。不思議な魅力の漢である。

本書でイブラヒモビッチが伝えたかったこと

少年期などの部分を読めば分かるが、言動が決して褒められるようなものではなかったり生まれ育った地域の関係で、差別を受けたりもしたようだ。イブラヒモビッチ自身は不屈のメンタリティと実力で周囲を黙らせることに成功したが、同じような目に少年少女があわないように、そして周囲の大人もいぶかしげな目で差別しないように、メッセージを送っている。少々長いが、そのメッセージを引用して終わりにしたい。

俺は自分の人生をゆっくり振り返ってみた。そして気がついたよ。俺は決して、"最高に立派な男"ってわけじゃなかった。ひでえヤツだな。俺の言動がいつも正しいわけではまるでなかった。責任はすべて俺にある。他人のせいではない。

だが、世の中には、俺のような人間もたくさんいるだろう。他人とはちょっと変わった性格の人たちだ。そのせいで、周囲から厳しく責め立てられている少年、少女が、大勢いると思うんだ。規律が大事だということは俺もわかっている。だが、規律ばかりを押し付けるやり方は気に入らない。「こうすべきだ」と自分の主義ばかり押し付け、別の道を封じてしまうやり方は間違っている。それではあまりに心が狭すぎる。愚かなやり方だ。俺は、自分の弱点を改善する努力もしないまま、そのやり方で押し通そうとする人間たちが許せなかった。

世の中には何千もの道がある。中には曲がりくねった道や、通り抜けにくい道もあるだろう。しかし、そんな道が、最高の道であることもある。"普通"とは違う人間をつぶそうとする行為を俺は憎む。もし俺が"変わった人間"じゃなかったら、今の俺はここにいないだろう。もちろん、俺みたいなやり方はお勧めしないぜ。ズラタンのマネをしろとは言ってない。ただ、「我が道を進め」と俺は言いたい。それがどんな道であってもだ。少し変わった子どもだからといって、署名運動で排除するなんてことはあってはならない。(P.382-383から引用)



tags イブラヒモビッチ, ズラタン

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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