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タグ「サッカー批評」の一覧


切っても切り離せない成績とお金の関係。

サッカー批評ISSUE67はマネー・フットボール最前線と銘打ってクラブにまつわるお金の話題を特集している。

ただ、特集タイトルと現実は相容れない。
基本的に

  • お金がある=強い
  • お金がない=強くはない

という相関があることは各所で証明されている。

しかし、「お金がない=夢がない」ということではない。お金がなくても愛されているクラブは多数存在する。本誌においても、お金と成績の関係に関するコラムの他に、お金がないクラブの振る舞い方が特集されている。

本エントリーではまずお金と成績の関係について本誌コラムからさらに踏み込んで考察し、次にお金のないクラブについて、最後にその他の特集について順番に取り上げていきたい。

単回帰分析でも明らかに相関のある人件費と勝ち点

本誌P.26-29の「プレミアリーグコストパフォーマンス分析」ではお金と成績の関係が紹介されている。この中で「勝ち点1を取るのに人件費がいくら必要か」という分析がなされているが、これだけでは「なんとなく傾向がわかった」という域を出ない。文責の鈴木英寿氏も「本来であれば前述の放映権と順位の関係も、相関分析という数学的手法を用いて、2変数間の関係を数値で記述するのが、王道である。(P.27から引用)」と断りを入れているように、「なんとなくの傾向理解」以上の分析を試みるためには統計的な手法を用いる必要がある。

そこで、筆者がP.27に掲載されている表2「2011-12シーズン勝ち点1あたりのコストパフォーマンスが高いチームランキング(*)」を使用して、選手人件費と勝ち点の単回帰分析を実施してみた。その結果が下のグラフである。サンプル数は少ないが0.1%水準で有意な結果が出ている。
(*) 本誌では円の小数点位置が一桁ずれている

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この分析によると、やはり成績と選手人件費は明確な相関(この相関が誤りである可能性は0.1%以下)が出ている。これを用いればシーズンの成績を予想するのは簡単である。

勝ち点 = 29.1 + 0.172 × 選手人件費(億円)

つまり、勝ち点80ほしければ人件費が295億円必要ということである。身も蓋もない話であるが、これが現実ということだろう。

P.30-33の田邊雅之氏による「金を上手に使いこなすクラブ、金に使われてしまうクラブ」にもウェストブロムウィッチ(WBA)会長のこのような言及がある。

プレミアリーグでは、各クラブの資金力がそのまま最終成績に反映される傾向が強まってきている。(P.33から引用)

一方で、同会長はこのように続けている。

我々が目指しているのは、(資金力から自動的に割り出される)順位を超えることだ。デロイテが11年と12年に出したランキングに従えば、WBAは資金力のランキングを5番手も上回る成績を収め続けてきた計算になる。我々は全力で、この状態を維持していかなければならない(P.33から引用)

まったくおっしゃるとおり。先のグラフによれば、マンチェスターU、トッテナム、ニューカッスルなどは「資金力から自動的に割り出される」予想勝ち点を大幅に上回っている。逆にチェルシーやアストンビラは非常に燃費が悪い。

必要なのは勝ち点1あたりのコストパフォーマンス分析よりも、自分のクラブと同程度の資金力のクラブの中で、より勝ち点をあげているクラブにターゲットを絞ってその強さの秘密を紐解くことであろう。

お金のないクラブの地域密着

エンゲージメント(長期的な関係維持)を高める方法を大別すれば「交換」か「統合」しか存在しない。クラブとサポーターやファンの関係も同じである。両者の関係における「交換」とは、勝利、かっこいい選手の存在、優勝トロフィーなどが挙げられる。「統合」とは、まさに地域密着に代表されるような理念とサポーターの意識のベクトル合わせである。

お金のあるクラブは「交換」も「統合」も利用できるのに対し、お金のないクラブは主に「統合」しか利用できない。よって、いかに「統合」するかがお金のないクラブの肝であると言える。では「統合」はどのように行うのか。本誌にもそのヒントが書かれている。

P.62-67の宇都宮徹壱氏による「お金がなくても愛される松本山雅FC」の冒頭に、同クラブ代表取締役社長、大月弘士氏の発言が紹介されている。

「ウチはこれまで『いついつまでにJ1昇格』ということは明確に掲げていません。われわれのプロジェクトの目標は、あくまでもアルウィンを満員にすることなんです。ホームゲームで、常に1万5000人のお客さんが入ったら、選手も頑張るし、入場料収入も増えて強化費により多くのお金を回すこともできる。健全な経営を続けながら、ファンの皆さまに熱い試合を見せていくことが、結果的にJ1への早道だと思っています」(P.64から引用)

アルウィンを満員にするために、いかに地域密着を打ち出してベクトルを統合していくか。これがプロビンチャ(地方の中小クラブ)が生き残るための全てである。

このような考え方の背景には、川崎フロンターレプロモーション部の天野春果氏も著書の『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』(筆者のレビュー)で言うように、クラブの事業と強化を分離して考えることから始まる。強化だけに頼るのは前述の「交換」の手法であり、これに頼りすぎると勝てなくなったときにサポーターがついてきてくれなくなる。「強化」が思うようにいかないときでも「事業」がクラブを支える仕組みを作ることが肝要である。

地域密着のためにサッカーに限らない総合スポーツクラブを設立する動きも広がっている。湘南ベルマーレ、アルビレックス新潟、セレッソ大阪などはその筆頭であろう。クラブの事業をNPO法人として切り出す動きも広がっており、クラブの事業モデル策定に詳しい谷塚哲氏はこれをハイブリッド型と呼んでいる。これからのJクラブの経営モデル 〜ハイブリッド型スポーツクラブの可能性〜に詳しく書かれているので参考にしてほしい。

総合型地域スポーツクラブを標榜し生き残りを探っている湘南ベルマーレの挑戦は『崖っぷち社長の挑戦 湘南ベルマーレに懸ける夢』(筆者のレビュー)に詳しく書かれている。前半はJリーグの移籍制度や行政への注文が多い内容だが、後半はNPO化など参考になることが多く書かれている。

ネットワーク理論とサッカー

本誌の第2特集は「サッカーの新常識」。新しい発想や見方でサッカーを見つめる人たちの声に耳を傾けるというものである。

P.73-77の浅川敏文氏による「チームの勝敗を左右するのは2割のハブ=司令塔」が書かれているが、これは筆者のエントリー[書評] サッカーゲームにはハブがあると同じことを言っている。

こういった学術的な観点からのアプローチが増えてくるのは大歓迎。サッカーからネットワーク理論という言葉を知るのも良いが、ネットワーク理論に通じている人がサッカーにその考え方を適用するなど、そういった識者のコラムなど期待したい。



tags エンゲージメント, クラブ経営, サッカーゲームにはハブがある, サッカー批評, ネットワーク理論, プレミアリーグコストパフォーマンス分析, マネー・フットボール, 地域密着


湧いては鎮まり、そしてまた湧くサポーター論。

良くも悪くも日本で注目されるサッカーは日本代表のサッカー。ザッケローニの監督指揮のもと、史上最強と言っても過言ではない快進撃を続けているので日本代表人気も右肩上がりな今日このごろである。さいたまスタジアムで行われるW杯アジア最終予選はチケット争奪戦となり、ヤフオクでチケットが10倍以上の値段で取引されたりしている。

そうなるとサッカー好きな人以外にもメディアを通じて活躍が伝わり、「私も試合観に行ってみようかしら」「ウッチーかっこいい!」といった「サッカー(や選手など)を新しく好きになった人」が出現する。新規のお客様というわけである。

いつの時代も古残のコアメンバーは新規との温度差や文化の違いに戸惑い、ときに反発するもの。反発は反発しか生み出さないので不毛な議論が生まれる。新規のお客様はとても大切なはずなのに、大切に扱えていない雰囲気があるのも事実。

といった流れが一定サイクルで現れ、今がまたその高潮といったところである。

この議論でもっとも不毛だと僕が思うのは、「サポーター」を定義したがる人とそれに反発する人によるやり取りである。

そもそも「言葉の定義」に対しては2種類の考え方がある。社会構成主義的な側面を重視している人と、広辞苑的な硬直的な定義を重視している人である。

社会構成主義とはざっくり言えば、現実世界を人々の認知から生まれてくるものと捉え、唯一の定義など存在せず、文脈によって意味や定義が変わるのが当たり前といった考え方だ。なので、社会構成主義派に言わせれば「定義?あなたの思ったことが定義なんじゃないの?」ということになる。

一方で明確な文章として誰もが共通認識できる形での定義を重視している人たちもいる。そういう人たちにとっては定義は文章で表現でき、それを皆が共通の認識とともに受け取るべき、と考える。

どちらが良い/悪いではなく、哲学的な領域である。

この両者では「定義」という言葉の定義すら捉え方が違う。なので、「サポーターとは」と問いかけられても回答が異なるのは当たり前である。そして、回答が違うことが当たり前、ということに居心地の悪さを感じる人もまたいるわけで、ソーシャルメディアでの揚げ足取りや罵詈雑言を含めた意見が飛び交うという構図になる。

僕自身は社会構成主義的な側面が強い人間なので、定義に固執していない。そして、定義がないからこそ「自分はこう思う。なぜなら・・」という意見を持つことが重要だと考えている。

本誌の中で植田朝日氏も識者の座談会において次のように語っている。

みんな流されるからね。セルジオ越後化していて、否定できるファンの方が詳しいと思っているんだよ。書かれた論調を見て「この人サッカーを知っているな」と思うときは、その人自身の意見を言っているときだよね。(P.45から引用)

僕が具体的にサポーターに求めたいのは、スタジアムの自由席での席詰め。論なんてどうでもいいから、席を詰めてほしい。席が狭いのは分かるが、2人で3つの席を確保するのが当たり前になっている。仕事の都合で会場到着がギリギリになる人もいるし、応援仲間がいなかったり先に到着できなかったりする人もいる。もちろん、早く到着した人がいい席を確保するのは良い。余計に確保しないでほしい、というお願い。

この手のサポーター周りの話は、ちょうどフット×ブレインでも2013年1月19日の放送でサッカーの応援スタイル教えます!という特集を組んだ(植田朝日氏もゲスト出演)こともあり、何かと話題になっている。うまいタイミングでの本誌の発売だと感じた。

最後に、サッカー批評というムック本について私見を。
毎号イシューを組んでその内容にあわせてジャーナリストに寄稿してもらったり企画を組んだりしているわけなのだが、イシューをぶち上げるのであればサッカー批評というムック本としての人格をもった意見をまとめた方がよいと感じる。

僕が普段目にしているサッカー以外の雑誌は仕事柄もあってハーバード・ビジネス・レビュー、人材教育、WORKSなどの経営・人文科学・人事系が多いが、これらの雑誌はすべて組んだ特集について編集部としての私見を載せている。こういった私見が人格(誌格?)を生み出し、単なるオムニバス以上の価値が生まれ、それが読者を獲得していく。ジャーナリストの寄稿だけであれば、「じゃあサッカー批評というムック本の価値はどこにあるのか」という立ち位置がわかりにくくなる。これはサッカー小僧などの他の雑誌系も同じなのだけど。

最近サッカー雑誌が増えてきたので、期待も込めて。



tags サッカー批評, サポーター論, 社会構成主義

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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