移籍ビジネスの現状を知るための最高の教科書。

0円移籍という言葉がメディアに登場するようになって久しい。0円という響きがマキャベリズムを感じさせることもあり、0円移籍は善か悪かという対立的構図で表面的に扱われていることも少なくない。本質的な議論をするためには、そもそも0円移籍とは何なのかを知らなければお互い上滑りとなってしまう。

0円移籍の是非について論じる土俵に立つために、基本的なルールからケーススタディまでひと通りの知識がインプットできるのが本書である。特筆すべきは精力的な取材で、「岡崎問題」の当事者である清水エスパルスの会長の早川氏、長友の移籍を成功させたFC東京の強化部長立石氏、日本人初の欧州GMとなった祖母井氏をはじめとする関係各所に自らの脚でインタビューを実施している。そのため、事実関係に加えて当事者しか知り得ない想いや哲学も垣間見ることができ、移籍ビジネスの根の深さを感じ取ることができる。

著者はどちらかといえばFIFAルール適応派

著者本人はFIFAルール(契約満了選手は移籍金0円で移籍できる)への「適応」を推奨している立場だと本書を通じて読み取れる。自らのスタンスを以下のようにあとがきに記している。

欧州や南米の移籍事例で見えるサッカー選手を物や土地のように「売り飛ばす」感覚までも模倣する必要はない。微妙なニュアンスかもしれないが、選手を商品として見る、扱う姿勢はこれからのJクラブに必要だが、日本的なウェットな情の部分も大切なことであり、それを日本独自のオリジナリティに高めていけばいい。その意味でタイトルに「売り方」とは書いているが、行きつくところ、FC東京と長友佑都との関係にあった「向き合い方」が何より大切なテーマではないかと思う。(P.268から引用)

FIFAルールはリーグ、チーム、選手、代理人らステークホルダーにとって必ずしも良いルールではない(*)。しかし、現状それがルールである以上、それに背くようなルールを独自で適用する場合は完全鎖国リーグとして運営する以外にはあり得ない。もちろん国内リーグの隆盛を考えて経営的なルールや移籍についてある程度の「ゆらぎ」を含む余地はあってしかるべきだが、FIFAルールに「国内移籍では」「海外移籍では」といった枕詞は存在しないため、ルールの二重適用はいずれ破綻を招く。グローバル化されている市場において独自ルールを残すことは既得権益をますます蔓延させ、そして長期的な国際競争力を阻害することにつながる。

(*)FIFAルールでは裕福なクラブがますます強くなっていくため批判を受けていたが、UEFAではファインシャル・フェアプレーの導入によって移籍ルールを変更せずに金満クラブ有利との批判を回避しようとしている。
参考)ファインシャル・フェアプレーを理解する4つのポイントと欧州サッカーの今後

ではJクラブはどのような道を模索すべきか

つまるところ、今後Jリーグのクラブが長期的に生き残っていく道は「育成」「地域密着」「チーム理念(哲学)とのエンゲージメント」の3点しかないと思っている。

本人が移籍を希望する場合、基本的にそれを阻害することはできないはずである。それがリーグの隆盛に関わるという大局的な問題は選手個人が抱えるレベルの話ではない。であれば、リーグやクラブとしてできることは育成を促進することである。次なるスターを生み出す環境的な支援。現状のJリーグの新人契約の年俸上限はグローバルに捉えれば明らかに自国リーグでの育成を支援しているとは言えない。いずれルールの変更が必要になるだろう。クラブとしても下部組織を充実させてチームに愛着のある選手を育てることは強化以外の観点でも重要であろう。

強化は常に目指すべきだが、常勝軍団を作り上げることは実質的には難しい。スポーツは盛者必衰の世界である。では仮に相対的に弱体化したときでもクラブを成り立たせる要素は何か。それは、チーム事業としての理念の実現である。
多くのクラブは地域密着を理念として掲げており、地域に根ざしていればJ2に落ちようが勝てない時期が続こうが、サポーターは見捨てたりしない。地域密着については『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ 』が詳しい。

エンゲージメントは人材開発や組織開発においてもトレンドなのでこれからサッカー界でも重要視されるキーワードである。 サッカー選手も労働者である以上、働きたい場所の選択は本来自由のはずである。それをルールで阻止するのは間違っており、チームに留めたいのであれば違う方法を考えるしかない。このやり方には「交換」と「統合」の2種類しかないことが経営学的な通説となっている。「交換」とはチームへの忠誠(エンゲージメント)を金銭や福利厚生など何らかの報酬と交換する方法であり、「統合」とはチームとしての理念や方向性、哲学を労働者(選手)と文字通り統合し、ベクトルをあわせることで金銭を超えたエンゲージメントを共有する方法である。

「統合」というやり方はキレイ事と揶揄されることもしばしばあり、またサッカーの世界においても「選手寿命が短いサッカー選手は金銭を優先して当たり前」「金銭こそが選手を評価する唯一の指標」との主張が聞かれる。その意見を完全に否定するわけではないが、結局のところ優秀な選手に「チームに残りたい」もしくは「移籍するにしても移籍金を残したい」と感じさせるためには「統合」の観点を戦略的に醸成するしかない。上述の著者の引用の中の「向き合い方」というのは「統合」の観点に他ならないのである。


また、本書の中では「向き合い方」の改善以外にも代理人、契約期間、アジア展開などのより良いクラブ経営への案を多数示している。現状の問題提起だけではなく解決策を示しているという点で著者の誠実なジャーナリズムが詰まった良書である。



tags 0円移籍, エンゲージメント, サッカー選手の正しい売り方, 小澤一郎