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タグ「バルセロナ」の一覧

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とある研究所が世間を賑わせているので、ここで研究所とサッカーの同質性から戦術の今後について思考を巡らせてみたい。

素晴らしい発明が生まれる研究環境とは

研究所は通常の営利企業とはいささか趣が異なる存在である。短期的な利益を求めないなどの側面ももちろんその通りだが、最大の相違点は一般的な営利企業であれば大きなユニットで見ればお互いの仕事が連関しているのに対し、研究所では個々の研究者が実施している研究の互いの関係性が薄いということに尽きる。

このあたりの研究環境の話題について、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏は次のように語っている。

最も好ましい研究環境を一口でいえば、"組織化された混沌"とでも表現せねばならない。部分的に見れば研究者は自由奔放に仕事を進めているので混沌としているが、研究所全体としてはバランスがとれ、秩序がある状態をいう。

このように相反する言葉を組み合わせて使うことを撞着語法(オクシモロン)という。自然科学も社会科学もこういった自己矛盾について突き当たることが多く、誤謬を発生させずにいかに止揚(アウフヘーベン)するかがキーになっている。

サッカーにおける現代的な戦術とは バルセロナの例

クライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現している。

この状態は上述の研究所における「組織化された混沌」に似ている。個人に着目すると一見秩序だっていない行動をしているように見えるが、全体として俯瞰した場合にはバランスが保たれていることが求められる。自己組織化できている状態である。バルセロナのサッカーをポジションサッカーと呼ぶ所以もここにある。

『リーダーシップとニューサイエンス』にも記述があるように、もの(選手)は単体としては意味をなさず、選手間の関係こそが本質的であるということである。

量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

自然科学の世界における動的平衡

自己組織化は福岡伸一氏の言葉を借りれば動的平衡である。人間のタンパク質はミクロのレベルで見れば常に入れ替わっているが、人間そのものというマクロのレベルで見れば変化はない。系全体で見れば平衡が保たれており、これもまた「組織化された混沌」である。

活かされるべきは全体か個か

ここまで見てきたように、研究所もサッカーも自然科学も全て「組織化された混沌」に支配されており、オートポイエーシス(自己構成的)である。よって、クライフも言うように、サッカーで大事なことはこの撞着的な状態の中でいかにバランスを保つかということになる。

全体か個かという要素還元的な考えは基本的にはすべきではないが、自然科学的に見れば犠牲になるのは個である(個であり全体でもあるという自己相似性に依れば個と限定するのはまずいかもしれないが)。福岡伸一氏は『生物と無生物のあいだ』において次のように「個」であるタンパク質が犠牲になり人間という秩序を保っていることを示している。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。(P.166)

そう考えたとき、サッカーではプレーモデル(組織)を重要視するのかそれともプレイヤー(個)を大事にするのかという疑問にいきつく。もちろん、どちらかという選択はできないが、具体的なプレーに落とし込んだときにはプレーモデルを優先すべきか迷う場面もあるだろう。

プレーモデルを確立しているように見受けられるグアルディオラが師とあおぐフアン・マヌエル・リージョは「個であり全体である」という全体論を重視しつつも、個が活かさた結果として全体を形作ると語っている点でおもしろい。つまり、プレーモデルのグルと思しき急先鋒の存在が「優先すべきは個である」と言っている。このことをリージョは『フットボールサミット第12回 FCバルセロナはまだ進化するか』(筆者のレビュー)の中で次のように語っている。

才能豊かな選手が増えることによる成長は、チームが成長していく上で重要なポイントになるということ。個々の長所を結びつけることで、集団にうまく還元されていくのである。(P.50から引用)

個が優先されるという考えは一見すると自然科学に抗っているが、果たして。

個人的にはリージョの言うとおり、パラダイムとしては「プレーモデルを破壊しうる個」として個の存在が再注目されつつあるのが現代サッカーの潮流になるかもしれないと感じている。ブラジルワールドカップでスペインやドイツが1人のプレイヤーに引き裂かれることがあればまた世界のサッカーは混沌とした方向に向かうかもしれない。もしくは、それすらも秩序の中に放り込もうとするようなリフレーミングが起こるか。非常に楽しみである。


サッカーにおける自己組織化や再帰性などのニューサイエンスについて興味がある方はオスカル・P・カノ・モレノの著書が参考になる。

『バルセロナが最強なのは必然である』(筆者のレビュー
『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー

 



tags アウフヘーベン, オクシモロン, オートポイエーシス, バルセロナ, プレーモデル, 動的平衡, 撞着語法, 組織化された混沌, 自己組織化


ペップ・バイエルンのメカニズムに識者が迫る。

2013−14シーズンに3冠を達成し、14−15シーズンにはペップ・グアルディオラを監督に迎えたバイエルン。目下のところブンデスリーガでは負けなし、チャンピオンズリーグも順当に勝ち上がり、バルサに代わって欧州最強の名をほしいままにしている。

ペップ就任当初は、バイエルンにバルサのサッカーを持ち込むことが可能なのかという意見もあったが、シーズンの折り返しを迎えた今ではバルサのサッカーどころかさらに進化した姿を見せているという意見が大勢である。

では、ペップ・バイエルンのメカニズムとはどのようなものなのか。そこに切り込んだのが本誌である。

ポイントはサイドバックの動き

本誌の中で西部謙司氏はサイドバックの動きについてこのように語っている。

左サイドバックのダビド・アラバは通常のサイドバックとは上がり方が違う。タッチライン際を上がることもあるが、もっと中央寄りの高いポジションをとることが多い。バルセロナのサイドバックは、アラバのような上がり方はしていなかった。(P.24から引用)
右サイドバックがラームのときは、アラバと同じ役割ができる。しかし、ラフィーニャのときはできない。ラフィーニャは従来と同様にタッチライン際を上がっていく。(P.26から引用)

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清水英斗氏は、右サイドのラフィーニャも中に入ってきていると語る。

最も特徴的な変化が訪れたのは、サイドバックの仕事だろう。ウイングのフランク・リベリーやアリエン・ロッベン、トーマス・ミュラーらがタッチライン際にスタートポジションを取ったとき、サイドバックのラフィーニャとダビド・アラバは、彼らウイングの真後ろではなく、斜め後ろ、つまり中央寄りにポジションを取る。ボランチやインサイドハーフに近いポジショニングだ。
(中略)
つまり、中盤に人を足すためのオーガナイズは、バルセロナでは中央のセンターフォワードの縦スライド、バイエルンではサイドプレーヤーの横スライドという相違点が発生している。バルセロナのメッシが『偽の9番』ならば、バイエルンにおけるラフィーニャやアラバは『偽の2番』『偽の5番』と呼ぶことができるかもしれない。(P.44から引用)

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筆者がバイエルンの試合を見た限りでは、アラバもラフィーニャも中に入ることもあれば縦に動くこともあり、使い分けているように感じた。ただ、いずれにせよこの動きはバイエルンならではのものと言える。

なぜサイドバックを中にスライドさせるのか

その回答として2つが挙げられる。

1.時間とスペースを生み出す

まず、現代サッカーにおいてはとにかく時間とスペースがない。そのために、局所的に数的優位を作り出して時間を作ったり、これまでスペースと考えられていなかったような狭いスペースすら有効に活用しようとしたりする戦術が用いられるケースが多い。

局所的な優位性をもたらすためには、全体的な均衡を意識しながらもポジションをずらしたりチェンジしたりする必要がある。しかしこのやり方は最近ではメジャーになってきており、あらかじめ対策が立てられてしまうケースが発生している。特に偽の9番は、2ライン間を狭めたりCBの動きに自由度を持たせたりすることで封じられてしまうことも目立つようになってきた(メッシの場合は、メッシだからできる個人技で蹴散らすことが可能)。

であれば、これまでどこのクラブも実施してきていないようなやり方で局所的な優位性をもたらす必要がある。そこで生まれたのが、サイドバックの斜め横方向へのスライドということである。

憎いことにバイエルンでは、この斜め横方向へのスライドをずっとやり続けるわけではなく、試合の中で縦方向へのスライドも含め使い分けている。試合の流れやコンビを組む味方選手の特長に応じてということもあるだろうが、相手に的を絞らせないためという目的も見え隠れする。


2.リベリーとロッベンに良い形でボールを渡す

バイエルンの得点源は、リベリーとロッベンである。もちろんマンジュキッチも多くの得点をあげているが、リベリーやロッベンを経由することが多い。そのため、バイエルンではいかにリベリーとロッベンに良い状態(前を向いた状態)でボールを渡すかがポイントとなる。

そのためにバイエルンでは、局所的優位性を作り出して同サイドのリベリーやロッベンにパスを出す方法と、相手を片方のサイドにおびき寄せた上で逆サイドのワイド方向に一発でサイドチェンジするボールを出す方法の2種類の方法を用いて彼らにフリーでボールを持たせている。

こうすることで、得点の機会が多く創出できることになるのである。

バイエルンの練習風景

ボールを保持することを大事にするペップのサッカーを体現するためにはどのようなトレーニングを実施すべきか。本誌には、バイエルンの練習風景を観察しレポートにまとめたイタリア人のマッシモ・ルッケージ氏(イタリアサッカー協会技術委員)へのインタビュー記事が掲載されている。

ルッケージ氏によれば、驚く事なかれ、バイエルンで行われていたトレーニングは事実上1つだけだったのである。

バルサや現在のバイエルンを知っている方々ならばともかく、そうでない一般のファンであれば半ば信じ難い話なのでしょうが、そのトレーニングは驚くほど"シンプル"です。誤解を恐れずに言えば、それこそ見ている側が拍子抜けするほどの"軽さ"です。具体的なメニューと言えば最初から最後まで"ロンドス"だけなのですから。
(中略)
当然のことながらその"ロンドス"は予め実に良く考えられたものです。より正確を期して言えば、全てのロンドスが常に実戦で起こる現象をトレーニングのピッチに落とし込んだものとなっています、そこに"ムダ"はないわけです。(P.38から引用)

ロンドスといっても、単純な5対2のようなものもあれば、7対7+2フリーマン、4対4+3フリーマンなどバラエティに富んでいる。また、ミニゲーム形式でGKをつけたトレーニングも実施しているので、実際はロンドスだけということはないだろう。しかし実に多くの時間がロンドスに割かれていることも事実である。

また、このロンドスが恐ろしいまでに高速で行われているとのこと。高いレベルのインテンシティが求められているようである。

ロンドス中心にトレーニングを組む目的としてルッケージ氏は7つ挙げている。

  1. ポジショニング精度、およびマークを外す動き(ズマルカメント)の向上
  2. トラップ技術、ボールキープ力(術)の向上
  3. 見方の位置を把握する能力、ボールコントロールのスキル向上(原文ママ)
  4. パスの精度向上
  5. (守備のための)ポジショニング精度
  6. インターセプト、および1対1のスキル
  7. ボールを奪ってからのプレー(切り替え)の速さ

1〜4がポゼッション時、5〜7がトランジション時をイメージしている。ペップのロンドスは実戦形式というだけあって、ゲームで起こる要素が全て組み込まれているようである。

ただし、ロンドスを真似すればバルサやバイエルンのようなポゼッションが実現できるわけではない。このロンドスの練習の前にプレーモデルを叩き込んでいるという前提あってこその、ロンドスである。そのプレーモデルについてのトレーニングは本誌に書かれていないので注意が必要だ。

監督から本音を引き出すことは難しい

その他のコンテンツとして、PSG監督のローラン・ブラン、アトレティコ・マドリー監督のディエゴ・シメオネ、ユベントス監督のアントニオ・コンテのロングインタビューも掲載されている。

編集後記に記載されているが、編集長の植田氏によれば、企画段階ではコンテとシメオネにバイエルン対策を語ってもらい、それを特集のメインディッシュにする予定だったとのこと。しかし現役監督だけになかなか不確実なことや他クラブのことには口が堅く、特集を変更する羽目になったらしい。

しかしバイエルン対策ではないものの、3氏のインタビュー自体はとても読み応えのあるものとなっている。

ちょうどシーズン半ばに差し掛かり、バイエルンについて知りたい方や、好調クラブの監督の哲学が知りたいという方に持ってこいの一冊。



tags グアルディオラ, バイエルン, バルサ, バルセロナ, ペップ, 欧州サッカー批評


ペップとバルサの真のストーリーを紡ぎだす556ページの超大作。

在籍した4シーズンで14個のタイトルを獲得したペップ・グアルディオラ率いるバルセロナ。サッカー史上最強クラブとの呼び声も高く、また同時に「クラブ以上の存在」というクラブの理念は世界中から賞賛されている。

バルサが他のクラブと一線を画すのは、大別して2つの理由によるものだと考えられる。

1つ目は、内容と結果を両方追い求めるということをチャンピオンズリーグのような世界トップレベルの舞台においても体現したことである。

バルセロナのサッカーについては、本書においてビクトル・バルデスが的確な表現をしている。

まずは自分たちがボールを持たなければならない。そうすれば相手はダメージを受けるし、こちらはすべてをコントロールすることができる。次に大事なのは、中途半端なポジション取りをして、ボールを失わないようにすること。そういう展開になると、危険な状況が生まれるからね。それでもボールが奪われたとしたら、それは相手に力があるからであって、自分たちのミスじゃない。3つ目は敵陣でプレッシャーをかけること。僕たちは激しくボールに食らいつかなければならない。この方法はライカールトの時もやっていたけど、ペップはもっと重視した。(P.189から引用)

一般的にサッカーの得点は、カウンターによる数本のパスから生まれるもの、セットプレー、相手のミス、で8割くらいになると言われている。逆に言えば、キレイにパスをつないで結果生まれるのは2割程度しかない。バルセロナは2割しかない「キレイにつないで崩して得点する」サッカーを体現しながら脅威の勝率(4シーズン通算で7割以上)をマークした点で特異といえる。


2つ目は、価値観の共有という観点で究極までクラブに対するエンゲージメントを高めていることである。

拙ブログからの引用だが、エンゲージメントには「交換」と「統合」の2種類が存在する。

エンゲージメントは人材開発や組織開発においてもトレンドなのでこれからサッカー界でも重要視されるキーワードである。 サッカー選手も労働者である以上、働きたい場所の選択は本来自由のはずである。それをルールで阻止するのは間違っており、チームに留めたいのであれば違う方法を考えるしかない。このやり方には「交換」と「統合」の2種類しかないことが経営学的な通説となっている。「交換」とはチームへの忠誠(エンゲージメント)を金銭や福利厚生など何らかの報酬と交換する方法であり、「統合」とはチームとしての理念や方向性、哲学を労働者(選手)と文字通り統合し、ベクトルをあわせることで金銭を超えたエンゲージメントを共有する方法である。([書評] サッカー選手の正しい売り方から引用)

バルセロナは先にも述べたプレーモデルで世界観を作り出し、カンテラからの生え抜き選手を筆頭にその哲学に共感できる選手で構成されているクラブである。これを実現できているクラブは少なく、ここでも稀有な存在であるといえる。


以上2点の特異性は、ペップという1人の名将に属するものではなく、バルサというクラブが包含しているものである。クライフが青写真が持ち込み、ファン・ハールがメソッドとシステムを進化させたものとも言える。

ではペップはバルサというクラブに何をもたらしたのか。

ペップがもたらしたもの、それはバルサの哲学の完成形を示したことである。

内容の充実と結果を同時に実現し、選手やソシオはもちろん、世界中の人々から賞賛されるクラブ。誰もが憧れるユートピアに限りなく近づいたといって差し支えないだろう。


ペップはいかにしてバルサというクラブを完成形に近づけたのか。そして誰もが気になっている退任の理由とは何か。幼少期から選手時代を経てバルサの監督に、そして退任からバイエルンとの邂逅。それらの一連のストーリーについて、ペップという1人の人間の実像を捉えながら余すところなく語り尽くしているのが本書である。

以下に、いくつか印象に残ったストーリーを紹介する。

バルセロナBの監督就任から始まった成功への下準備

ペップが監督に就任した際に、それまでスター扱いされていたロナウジーニョとデコを放出したことは有名な話である。クラブの方針に従わない選手はスターであれ例外措置は取らないという強烈なメッセージであると同時に、ペップの考え方を周囲に示すのに有効な一手であった。

実はこの放出には伏線がある。

ペップはバルサの監督就任の前年、バルセロナBの監督に就任している。そこで、自身のセオリーの正しさを1年かけて現場で確認しているのである。

グアルディオラは、自分自身と自分の考えを下のカテゴリーで試してみたいという気持ちを持っていた。目的の一つは、自分のセオリーの正しさを確認すること。
(中略)
トップチームを率いることになった場合に直面するであろう問題の解決方法を、試行錯誤して見つけていく。ペップにとってBチームは、そのための格好の機会を提供していた。しかも、スポットライトやメディアの注目を浴びずに様々な方法論を試すことができた。(P.143から引用)

その中でも特に重要であった経験は、リーダー的な存在である問題児の取り扱いについてクライフからのアドバイスをもとに「切った」ことである。

「チームの中に2人、僕がコントロールできる自信のない選手がいるんです。僕の言うことを聞かないし、そのせいで他の選手も同じような態度を取るようになってしまう。問題は、この2人がリーダー的な存在であり、実力的にもトップクラスだということです。彼らがいなければ、きっと試合には負けてしまいます」
クライフの返事は簡潔だった。「2人を外せば良い。1試合か2試合は負けるかもしれないが、いずれチームは勝ち始める。その頃には、2人のろくでなしをチームから追い出せるさ」
ペップはクライフの指示に従って2人を外し、選手たちに監督としての威厳を見せつけた。この決断は他の選手たちへの警鐘でもあった。事実、チームの動きはよくなり、やがて試合でも勝ち始めるようになった。(P.145から引用)

この考え方はペップの基準となり、ロナウジーニョやデコだけでなく、エトー、イブラヒモビッチらの放出にも大きな影響を与えることとなる。

ペップに切り離された選手たち

エトーはペップが監督に就任した際、ロナウジーニョらとともに放出の候補であった。しかしエトーが改心したような素振りを見せたため、一転残留することとなる。シーズン当初はペップのやり方に従おうとしていたが、エトーはやはりセンターフォワードではなくワイドなポジションで使用されることに我慢がならなかった。この点に関してペップは自分のやり方を貫き通している。

グアルディオラの中にはオンとオフのスイッチがある。自分と同じ波長を持つ選手はとことん大事にするが、相手が心のスイッチをオフにし、人間関係の魔法が消えた時には、非常に冷徹な人間としての一面が顔を出す。自分の意見に賛成できないのなら、君はここにいるべきではないとも告げる。エトオに対するペップの気持ちは切れた。同じことは、やがて他の何人かの選手に起きることになる。(P.320から引用)

この「他の何人かの選手」の筆頭がズラタン・イブラヒモビッチである。イブラヒモビッチはエトーとの交換トレードの形でバルサに加入した。しかし、ロナウジーニョやエトーがバルサに合わないのであれば、どう考えてもイブラヒモビッチはバルサという枠に収まる選手ではないだろう。

イブラヒモビッチに関するエピソードは、『I AM ZLATAN』(筆者のレビュー)と併せて読むと非常に興味深い。

イブラヒモビッチは自伝の中で「意見は聞くが、俺流も貫き通す」という哲学を披露しており、この哲学はとてもではないがバルサやペップと相容れるものではない。イブラヒモビッチが悪でペップが善というわけではないが、両者は完全に対照的な存在であり、1シーズンでバルサを離れたのはむしろ賢明であったといえる。


ペップはこのような自身の哲学による世界観の中でバルサという怪物チームを率いていく。

そしてこの哲学こそがバルサ最強の秘密であると同時に、ペップがバルサを去っていく要因にもなっていくのである。

エントロピーの増大がもたらした精神の限界

世界観の構築はバルサの強力な生態系の構築でもある。生態系は世界が閉じているからこそ成り立つものであり、何らかの理由で世界が閉じられなくなったとき、崩壊が始まる。

ペップがバルセロナに就任した当初、その後に中心選手となって活躍していくカンテラ出身の選手たちはまだ「前途有望な若手」という位置づけであった。しかし4シーズンに渡り無類の強さで多くのタイトルを獲得したことで、かつての若手は世界トップレベルの選手として崇められる存在になっていく。

トップレベルになれば、何もかもチームの方針に従うことに無理が生じ始める。そうして、秩序だっていた世界観は、やがて無秩序の度合いが増していくこととなる。

これは物理の世界における法則でもあり、閉じた系においてはエントロピー(無秩序の度合い)は必ず増大するのである。

特に諸刃の剣であったのがメッシである。バルサの攻撃の象徴であり、偽の9番の成功のキーマンである唯一無二の存在。メッシの発言は日に日にクラブにおける重要な位置づけを占めるようになり、やがてクラブはネイマールの獲得においてもメッシにお伺いを立てたほどになっていく。

閉じた系では押さえ込めるエネルギー量に限界があり、ペップはここに頭を悩ませていた。辞任会見で述べた「監督を続けていたら互いに傷つけ合ってしまうことになる」という発言は、メッシを指していると著者のグイレム氏は言う。

こうして、クラブの哲学を徹底的に追求することで実現したペップのストーリーは、哲学の完璧さ故にエントロピーを放出できず、ストーリーの終わりを迎えることとなる。

他にも注目のエピソードが満載

ペップの世界観を外部から破壊しようとしたのがモウリーニョである。モウリーニョとの戦いは多くのページを割かれ描かれている。

モウリーニョは、傑出した選手が独自のサッカー観を体現するバルセロナを打ち破るべく、秘策をすでに練っていた。目標は相手を根幹から揺るがし、特権的な立場から引きずり下ろすこと。(P.384から引用)

また、バルサがペップではなくモウリーニョを監督に据えようとしていたエピソードも興味深い。結果的にペップを監督にしてバルサは成功したが、あそこでモウリーニョが監督になっていたら時代はどうなっていたか。2人の名将のストーリーは現在もバイエルンとチェルシーの監督として続いていて、今後も見逃せない。

他にもカンテラ出身選手との師弟関係、ファーガソンとのやり取り、充電期間を経てバイエルンへの監督就任の流れなど、読者が知りたいと思っている一連のエピソードがすべて盛り込まれている。そして、やがてペップはバルセロナの要職についていくだろうという匂いも感じ取れて、それだけでまたワクワクするではないか。


ここまで内容が濃密な伝記も珍しい。556ページと非常に分厚いが、冗長と感じられる箇所はなく、惹きこまれるように読める。バルサファンならずとも、ぜひとも手に取ってほしい一冊。



tags イブラヒモビッチ, エンゲージメント, エントロピー, カンテラ, クライフ, グアルディオラ, バルサ, バルセロナ, ペップ, メッシ, モウリーニョ, ロナウジーニョ


前著に続きサッカーを複雑系やカオス理論から斬る至高の哲学書。

「サッカーというものをシンプル化してはいけない」(P.54から引用)

昨今、サッカーやサッカーにおける戦術をすぐに理解できることを謳った解説本が横行している。マーケットにそのような需要があることの裏返しであるから書籍そのものを否定するわけではないが、複雑系であるサッカーのいち側面だけを切り取って理解しようとしてもそれは無理な話である。「物事をシンプル化するとは、問題を解決することだと思われているようだが、実際は問題を引き起こす行為だといえる」(P.55から引用)のである。

本書を読んで生まれるのは、むしろ消化不良感である。そして、その消化不良さゆえに生まれる探究心である。僕がこれまで見知った中では最も難解で哲学的な表現でサッカーを語るフアン・マヌエル・リージョは本書の刊行に寄せて次のように語っている。

唯一明確なのは、なにも明確ではないということ。それがオスカル・カノ氏の本のベースとなる。 本書を読むことで、読者はさらに疑念を抱くことになる。それと同時に、疑念を抱くということが最も適切な肯定の仕方であることを認識し、喜びを感じることであろう。(P.18-19から引用)

前半は複雑系の解説

前著『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビュー)を読んだ人であれば、前半部分(チャプター2まで)は既読の内容も多いだろう。複雑系は真理であるがゆえに枝葉の議論は少なく、どうしても内容が重複するからである。

その内容をかいつまんで紹介すると、以下のようになる。

  • サッカーにおいては選手こそが主役であり監督にできることはわずかである
  • 監督の仕事は選手のポテンシャルを引き出すことをサポートすることである
  • 分かりやすい説明をするために物事を断片化したり複雑さを取り除いたりすることをやってはいけない
  • チームを構成する選手(の特徴)に即してプレーモデルを構築する
  • プレーモデルの持つ構成と機能はいったん破壊されても自己組織化のプロセスを経て再構築される仕組みを持つ(ので、再帰性を担保できるようなトレーニングを行う)

前著やその他の複雑系の学習によって学んだことがあったとしても、本書のひとつひとつの言葉はずしりと心に響く。この手の話は定期的に読み返さないといけないと改めて感じた。

後半は大量の図を用いた解説

真理に近づこうとしすぎると、ときにそれが正しいがゆえに実践的でなく、活用することが難解に陥ることがある。本書やオスカル氏の前著が指摘している複雑系の観点からサッカーの真髄に迫ろうとするやり方は僕も正しいとは思うが、その抽象性だけで世界がまわっているわけではない。時にはその俯瞰的なマップを捨てて、具体から踏み込むことが真理に近いということも往々にしてあることだ。

そんな思考の揺らぎがIntroduction「歪められたサッカーの本質」の次の言葉に表れている。

私はこれまで、図やイラストで埋め尽くされたサッカーの練習メニュー本を読むのを避けてきました。それはもしかすると私の過ちなのかもしれません。というのも、そのような本の中にも、サッカーをより深く知るためのヒントが隠されている可能性があるからです。(P.31から引用)

しかし当然のことながら、環境や背景、そして何より選手自身の特徴や選手間の相互関係を踏まえずに練習メニューだけを模倣してもチームに適したプレーモデルには到達できない。単純な練習メソッドでは次のようなことが発生してしまうのである。

多くの練習メニューはサッカーに内在する複雑性を著しく減少させ、事前に何が、いつ、どのようにして起こるのかということが予想できるような練習メニューばかりです。 そのため、サッカーで最も重要な要素である判断力が実際のゲームほど必要ではない状況で練習を行っている場合が多々あります。(P.38から引用)

そこで本書では、

  • 監督ではなく選手や選手間の相互関係こそが主であるという前提に立ち
  • 選手たちの能力を引き出すためのより良いプレーモデルの構築を
  • バルセロナを例にとって多くの図とともに解説する

という構成にすることによって単純な図解とは一線を画す内容となっている。

加えて、オスカル氏自らが考案・実践したトレーニングメニューが15個掲載されている。どの練習メニューも目的こそ掲載されているが細部の選手の動きを指示することはなく、選手の判断力を涵養することが隠されたカリキュラム(ヒドゥン・カリキュラム)であることが分かる。と同時に、練習には多くのプレイヤーを同時に登場させながらも各プレイヤーのプレーするエリアを限定していることから、本書の原題の「ポジショニングサッカー」における「ライン」という考え方を実践的に会得することができるメニューであるともいえそうだ。

「知的自由」という新しい言葉

本書の中で何気に僕がもっとも惹かれた表現が「知的自由」という言葉である。

効果的なパスが連続することで、常にフリーの味方が現れます。そして、そのフリーの選手がタレント性を存分に発揮します。こういった「知的自由」を持った仕組みが、コンスタントに表現されたのがクライフのドリームチームだったのです。(P.96から引用)

前著のレビューでも書いたのだが、いつまでたっても僕が不思議なのが、自己組織化といった生命科学のメタファーを用いるだけでは「ゴール」というプロセスは成立しないので、バルセロナではそれをどのように理解しているのかということである。

メッシが答えだと言われればそれは分かるのだが、どうしてももう少し違う表現で腑に落ちたいな、と。そこで本書で登場したのが「知的自由」という言葉である。今度はもう少しこの言葉を追いかけてみようかしら。



tags バルセロナ, バルセロナの哲学はフットボールの真理である, ポジショニングサッカー, リージョ, 相互作用, 知的自由, 自己組織化, 複雑系

バルセロナやバイエルン、ドルトムントなどのサッカーを見て「まるで攻守の切り替えという概念が存在しないようだ」と評しているのを目にすることがある。

ここでいう攻守の切り替えは俗にいうネガティブ・トランジション(ネガトラ)のことである。ボールを失った途端にプレスをかけてボールを奪い返す一連の流動性が、攻撃時の流動性と同質に感じるのでそのような印象を抱くものと思われる。ゲーゲンプレスとかカウンター・プレッシングとかハイライン・プレッシングとかいろいろ呼ばれ方はあるようだが名称は共通認識があれば何でも良い。

本エントリーでは、攻撃、守備、トランジションというサッカーの試合における各フェーズについて整理しつつ、なぜ冒頭のチームのプレスが「攻守の切り替えがないように見える」のか私見を述べたい。

攻撃か守備か、その合間かの3つしか存在しない

サッカーにおいては、ボールを保持している攻撃の状態、ボールを保持していない守備の状態、その移り変わりの瞬間であるトランジションの状態の3つが存在する。トランジションは、ボールを奪取した瞬間の守備→攻撃の移り変わりをポジティブ・トランジション(ポジトラ)、反対にボールを失った瞬間の攻撃→守備の移り変わりをネガティブ・トランジション(ネガトラ)の2つに大別される。

このあたりの整理は『アンチェロッティの戦術ノート』が詳しいので引用しておく。

サッカーにおいて、攻撃と守備という2つの局面は、例えばアメリカン・フットボールや野球のようにはっきりと区切られているわけではなく、常に入れ替わりながらゲームが進んでいく。そして、プレーの展開が最も不安定になり、コントロールを失いやすいのは、まさにこの2つが切り替わった瞬間である。

組織的な守備が発達し、一旦相手が守備陣形を固めてしまうとなかなかそれを崩すことが難しくなる現代サッカーでは、攻守が入れ替わる一瞬に生まれる「戦術的空白」を攻撃側がどれだけ活かせるか、そして守備側がいかにそれに対応するかが、非常に大きなテーマになっている。

近年の戦術をめぐる議論では、この攻守が切り替わる瞬間に焦点を絞って、移行、転換といった意味を持つトランジション(イタリア語ではトランジツィオーネtransizione)という用語が使われるようになっている。(P.65-66から引用)

攻撃は液体、守備は固体

ここで、攻撃と守備を物理現象に置き換えて例えてみたい。物理現象といっても難しい話ではなく、小学生の理科で習う液体や固体の話である。

攻撃には「流動的」「流れるようなパスワーク」といった表現があるように、液体の動きに例えることができる。

守備には「守備ブロック」「硬い守り」といった表現があるように、固体の振る舞いに例えることができそうだ。

こう考えると、トランジションとは固体が液体に、もしくはその逆の現象を指すことが分かる。冒頭のネガトラの話題でいえば液体から固体への遷移であるから、ネガトラ時に大事なことは固体に例えられる守備ブロックをいち早く敷くことである。先ほどの『アンチェロッティの戦術ノート』にもこのような記述がある。

一般論としていうならば、ボールを失った瞬間にチームがやるべきことは、迅速に守備陣形を整えて、ボールを奪回する条件を整えることだ。ボールのラインよりも後ろにいる選手は、ボールホルダーにプレッシャーをかけ、それと連動してパスコースを消すポジションを取るなどして、敵にカウンターのチャンスを与えずに攻撃を遅らせるよう努め、ボールのラインよりも前にいる選手は、速やかに帰陣して守備陣形に加わる。
ボールを組織的に奪回するための戦術であるプレッシングを発動するのは、ボールのラインよりも後ろに十分な人数を確保し、守備陣形が整ってからの話だ。それが整わないうちに積極的にボールを奪いに行くというのは、自殺行為に近い。(P.70-71から引用)

しかしバルセロナなどの「即座にボールを奪い返す」守備はこのセオリーを守っていないようにも見える。もちろん後方は守備陣形を整えようとはしているが、守備陣形が整うことを優先するよりは、「即座にボールを奪い返す」ことを優先している。このあたりに「攻守の切り替えがないように見える」ことのヒントが隠されていそうである。

実は理にかなっているバルセロナのプレス

先ほどの物理現象についてもう少し深掘りしてみたい。

液体から固体、気体から液体といったように様相がまったく異なる状態に遷移する物理現象を相転移という。相転移は英語ではphase transitionであり、まさにトランジションそのものである。攻撃や守備を物理現象に例えることはあながち間違いではないようだ。

液体とは分子の秩序がわりと緩やかな状態で、固体は秩序が保たれていわば整列している状態である。そして相転移とは分子の秩序がまさに遷移している状態であるが、相転移には相転移の秩序が存在していることが分かっている。その秩序とは、相関長(分子間の距離)がベキ乗則に従うというものである。簡単にいえば、相転移では全体の2割の相関長が長く、全体の8割は相関長が短い状態になるということである。

分子を選手、相関長を選手間の距離に置き換えると自然科学的な観点から「正しい」動きのヒントが見えてくる。それはすなわち、トランジションの際には2割程度の選手間の距離を長く、8割程度の選手間の距離を短くするということである。フィールドプレイヤーは10人なので、ネガトラ時は大体2名程度はリトリートして選手間の距離を比較的長く保ちつつ、大体8名程度は密集して選手間の距離を短く保ちながらプレッシングやパスコースを切る動きをするということを意味している。

プレッシングの人数の多寡はあるが、ネガトラ時に即座にボールを奪い返しにいくバルセロナの守備がまさしくこれではないだろうか。アンチェロッティの言うサッカーのセオリーからは外れているかもしれない守備が、実は自然科学的には理にかなっているというのは非常に興味深い。

これで冒頭の問いの解答が見えてくる。

「攻守の切り替えが存在しないように見える」という現象は、攻撃である液体の状態から相転移を経て固体になる前にまた攻撃である液体に状態が遷移していることによる。要は、守備の状態に遷移する前にボールの奪取に成功しているのである。守備の状態に遷移していないので、攻守の切り替えが存在しないように見えるのは当たり前ともいえる。

新しいわけではないが、実現は難しい

このようなプレスはサッキ時代のミランも取り入れていたので特別新しいものでもない。しかし現実的にはローラインでプレスを開始したり、守備陣形を整えてからプレスを開始するチームが多い。アンチェロッティもこのように言っている。

攻守のバランスを高い次元で実現することは、すべての監督にとっての理想である。しかし現実的には、与えられた戦力の限界から、守備側に比重を置かざるを得ない場合がほとんどだ。(P.61から引用)

一方で、90年代のミラン、昨今のバルセロナ、昨年のバイエルンなど一世を風靡したチームはプレス位置が高く、速い。これらのチームが印象深いのは、強いと同時に自然科学的な様式美を兼ね備えているのもひとつの要因だと思っている。

理想を追い求め美しさを兼ね備えたチームが強いのか、現実的にバランスを整えたチームが強いのか。これが分からないからサッカーはおもしろい。



tags アンチェロッティ, ゲーゲンプレス, トランジション, バルセロナ, 攻守の切り替え, 相転移


バルセロナの覇権は終焉を迎えるのか。

なんとも皮肉なタイミングでの出版である。フットボールサミットの今号の特集テーマは「FCバルセロナはまだ進化するか?」。そのバルセロナはUEFA CL準決勝でバイエルンに完膚なきまでに叩きのめされた。アウェイで0-4、ホームで0-3、まるで格上の相手が格下を一蹴したようなスコアである。そして実際、バイエルンがバルセロナを一蹴したと表現しても大げさではないだろう。それくらい、為す術もなくバルセロナは敗れていった。

そんなバルセロナだが、ここで敗れたことでこれまでの功績にケチがつくものではないだろう。「クラブ以上の存在(mes que un club)」という理念のもと、ポゼッションを高めて美しく勝つそのスタイルは世界中のサッカークラスターが注目し、多くのジャーナリストがバルサスタイルを研究した。今日ではもはやバルセロナについて文字ベースで語れる新しい情報はほとんど存在しないといって差し支えない。それくらい、世界中でバルセロナは話題になった。

フットボールサミットに興味を示す人は、少なからずバルセロナについてある程度の知識は持ちあわせていると思う。筆者も、ある程度は知っているつもりである。そんな「バルセロナについて多少は知っているよ」という筆者が本誌を読んで「お、これは!」と感じた内容を3つ、紹介しておきたい。

シャビが語るバルセロナのスタイル

巻頭にシャビのインタビューが収録されており、なかなか読み応えがある。その中で気になったのが、シャビがバルセロナの成功について語った以下のくだりである。

それ(筆者注:バルセロナというクラブを世界に浸透させること)こそが成功であり、僕らが望んでいる勝利でもある。僕らがひとつのエコール(筆者注:流派)になること、僕らが成し遂げた結果が、ある監督たちに僕らのような構築的なスタイルを志向させることは、僕らにとって大きな名誉だ。(P.21から引用)

スペイン語のなんという単語を「構築的」と訳したのかは知らないが、最高の適語であると思う。バルセロナは勝利の確率を高めるためにポゼッションの割合を高めることを重要視し、1つ1つのプレーを分断するのではなく構築的に捉えてフィニッシュまでの道のりを描いている。そしてこの構築的という言葉にこそメッシという稀代の天才が活きる土壌があるように思えてならない。

勝負哲学』(筆者のレビューはこちら)の中で羽生善治氏と対談した岡田武史前日本代表監督は、ひらめきの概念について以下のように語っている。

ひらめきの正体は何ですかという質問を受けるんですが、私のとぼしい語彙ではうまく言語化出来ないんですよ。ピンときた、カンが働いたとしかいいようがないし、カンの中身を問われても説明はむずかしいんです。 ただ、それが天から突然、降ってくるものではないことは確かです。
(中略)
答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ、理屈がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。だから、その正体は意外なくらい構築的なもので、蓄積の中から生み出されてくるという感触がある。助走があって初めて高く跳べるようにね。(P.21-22から引用)

勘やひらめきは実はロジカルに構築した先端に存在するものであるという。それこそ、バルサのスタイルと同じではないだろうか。構築的にティキタカ(パスサッカー)を続けたその先に、メッシが一瞬のひらめきを見せて得点を奪う。

シャビが自らの口で「構築的」という表現をしたことでバルセロナが貫いているスタイルがすっと筆者の中で理解できた気がした。

リージョの捉え所のない話を斬る

グアルディオラが師とあおぐフアン・マヌエル・リージョ。彼のインタビューは禅問答のようで捉え所がなく、非常に難解である。ただ、表現は婉曲的であるがリージョの言っていることは自然科学的な本質をついている。

例えば、リージョはチームと選手を分離して考えていない。すべては個であり全体であるというフラクタルな側面をサッカーに見出している。そのため、(バルセロナには)戦術というものは存在せず、選手(の才能)そのものがサッカーを形作るという分かるようで分からない持論を展開している。

この手の考えは『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)に詳しい。フットボールを自己組織化や再帰性といったニューサイエンスの世界から紐解いている。

リージョの言葉で最高に難解なのが、バルセロナがさらにプレーを向上させるための鍵を問われて回答した以下のくだりである。

人間というのは、ピラミッド構造ではなく、網状の構造でできている。そこには希望が存在し得る。我々はどこからも落ちることはなく、また全てを忘れてしまうこともない。言わんとしていることは分かりにくいかね?(苦笑)つまりは、才能豊かな選手が増えることによる成長は、チームが成長していく上で重要なポイントになるということ。個々の長所を結びつけることで、集団にうまく還元されていくのである。(P.50から引用)

これは驚きで、リージョはパターン・ランゲージについて語っている。パターン・ランゲージとは建築家アレグザンダーが提唱した理論で、建物や街の形態は機能を分解して要素に分解できるものではなく、一定のパターンが重複も許容する形で網状に構成されていると考えたものである。

パターン・ランゲージについては『パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則』が詳しい。

「ツリー」(tree、木)と「セミラティス」(semi-lattice、半束)は、もともと数学の集合論に出てくる用語です。アレグザンダーがこの論文(筆者注:『都市はツリーではない』と題した論文)で主張したい本旨は、「現代の都市計画は分離分類を旨とする過度な階層構造主義に陥っており、自然都市に見られる場所と機能の適度なオーバーラップを軽視している」ということです。そのことを分かりやすく表現するための対立概念として、「ツリー」と「セミラティス」を登場させたのです。
(中略)
アレグザンダーは、人工都市がツリー構造になってしまう原因は、人間の認知能力の限界にあるとしました。人工都市は少数の建築家が全体を設計するため、複雑に絡み合った条件を必然的に少数の要素に還元して考えます。つまり、要素間の関係性は半ば必然的にツリー構造に還元されてしまいます。それに対して長い年月を経てできあがる自然都市は、そのようなツリー構造を持ちません。1つの場所が複数の役割を同時に担うセミラティス構造を持っています。(P.22-23から引用)

リージョは、チームとは選手の能力の総和でできているものではなく、個々の長所が複雑に絡み合い、影響し合い、相互作用的に涵養されることで何らかの形で還元されることで成長すると言っていると思われる。すべては階層構造ではなく、網状(セミラティス構造)なのである。だから単純にセンターバックを補強すれば良いというような近視眼的な指摘は誤っており、CBを補強した結果として長所がうまく還元されればそれこそが成長である、ということである。当たり前のことをすごそうに言うものだと感心する。しかしこれほど本質を突いている発言もない。成長は相互作用なのだから、鍵という物質的な観念では表現できないという皮肉なのだろう。

余談だが、パターン・ランゲージに関しては慶応大学の井庭崇准教授が日本の第一人者であり、パターン・ランゲージを学習に応用した「学習パターン」、プレゼンテーションに応用した「プレゼンテーション・パターン」を無償で公開している。

遠藤が語る対バルサの「術」

眼・術・戦 ヤット流ゲームメイクの極意』(筆者のレビューはこちら)でも本人が語っているように、遠藤は守備における数的同数はOKだと考えている。バルセロナの強みであるハイプレスは後ろの数的同数をOKとしてリスク承知でやっているから効果があると、そう考えているようである。バルセロナのプレスの秘訣、ポイントについて本誌フットボールサミットの中で次のように語っている。

ひとつはプレスに行くスピードと攻守の切り替えの早さでしょうね。それがすごく早い。あとは、後ろが数的同数のことが多いんですよ。それも大きな要因だと思います。普通の監督なら、リスクを考えて後ろにひとり余らせますよね。でも、余らせるということは、どこかで相手がひとりフリーになっているということ。バルサはそれをなくしてる。(P.68から引用)

ちなみに、バルセロナを倒すとしたらオール・マンツーマンで最終ラインを出来る限りプッシュアップで守るそうである。ビエルサの考えと同じなようだ。

論客たちはまだ覇権が続くと考えていたようだが

果たしてバイエルンの試合を見ても同じように答えたか。リージョにいたってはバイエルンなどのチームとスペインの2強の距離を「星と星ほど離れている」と言ってのけたが、実際はどうだったのか。今後のバルサのサッカーを見守りたい。



tags football summit, アレグザンダー, シャビ, バルセロナ, パターン・ランゲージ, フットボールサミット, メッシ, リージョ

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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