稀代のレジスタ、ピルロの存在意義が記された自伝。

我思う、ゆえに我蹴る。

このタイトルを見て誰しもがデカルトの「我思う故に我あり」を思い浮かべることだろう。

デカルトは、自分を含めた世界が一切虚偽のものであるとしても、そのように考えている自分の意識が存在していることは確かであるのだから、そのように疑っている自分は確実に存在していると『方法序説』の中で説いた。『方法序説』とはそういった哲学的な方法の試みであり、体系的であるというよりも論考が散りばめられている存在であるという。またデカルトは解析幾何学の創始者としても有名で、三次元空間座標系の概念を考察している。(参考:方法序説

ピルロはレジスタ(演出家)、そしてバンディエラ(旗頭)としてフットボールに対してまさに方法的な試みを提供してくれる唯一無二の存在である。自身のことを本書の中でこのように語っている。

僕は、試合の見方が他の選手とは違う。視界が違うのだ。僕の視野は広く、なおかつ瞬間的にすべてを見渡すことができる。普通のミッドフィルダーは前を向き、ストライカーだけを見ているが、僕はストライカーと僕の間にあるスペースを見ることに集中して、パスの出しどころを探る。これは戦術学というよりも幾何学だ。スペースをワイドに見て、簡単に通せるパスコースを探す。コースが閉ざされているときは、こじ開けやすい扉を探す。これができるのは僕だけしかいない。(P.40から引用)

幾何学的な考え方や、自身の専門に対して方法の試み、つまり方法論としての先鞭をつける先導者として、デカルトとピルロには共通点があるように思えてならない。

また、本書そのものも体系的であるというより、オムニバス的にピルロの特徴的な20のエピソードが散りばめられた構成になっている。

こうして整理すると、デカルトをオマージュとした『我思う、ゆえに我蹴る』というタイトルがすっと腹落ちする。

ピルロとフットボールの関係を、デカルトと哲学の関係のアナロジーと捉え、後世に影響を与える存在として語り継いでいく。そのための本書『我思う、ゆえに我蹴る』という位置づけ。そんな野心的な作品である。

3つの観点からのアプローチ

とはいえ、本書には小難しい内容はまったくなく、文体も読みやすく時折登場する小噺にクスッとさせられるようなむしろ親しみやすい一冊といってよい。

沖山ナオミ氏の訳者あとがきには、本書が生まれた経緯をピルロに質問した回答としてこのように記されている。

これまでも書籍出版のオファーは何度かありましたが、自伝を書くにはまだ早いと考え、いつも断っていました。今回はアルチャート(筆者注:本書の共著者のスポーツジャーナリスト)が、『キャリアで経験してきたこと』『面白いエピソード』『自分が考えていること』などを中心にまとめて書籍にしないか、と提案してくれたので、受けることにしました。(P.252-253から引用)


キャリアについて。
印象的だったのは、ピルロはこれまでいくつかのビッグクラブと合意直前まで何度も到達しながら、しかも本人も前向きであったのにチャンスをふいにしてきたということ。

2006年、レアルマドリード。当時マドリーの監督であったカペッロから請われ。
2009年、チェルシー。当時チェルシーの監督であったアンチェロッティから請われ。
2010年、バルセロナ。当時バルサの監督であったグアルディオラから請われ。

すべて本人と接触し、あとはミラン次第というところまでいっていたが、移籍はかなわなかった。マドリーやバルサで活躍するピルロを見てみたかったというのが外野の本音である。


面白エピソードについて。
なかなかの傑作揃い。ガットゥーゾにいたずらをする話はガットゥーゾの狂喜乱舞の顔が思い浮かぶようで微笑ましい。怒ったガットゥーゾに追いかけられたら怖いなんてもんじゃないだろうけど。

他にもインザーギが試合前に大量の大便をする理由や、コンテの頭髪を揶揄した表現など、読者を飽きさせない仕掛けが用意されている。


ピルロの考え。
顕著なのは、レジスタとしてのプライドだろう。バロンドールの1位がメッシ、2位がロナウドだったことに対し、このように語っている。

1位と2位が、またしてもストライカーだったという大ニュースだ。きっと選手個人の賞はフォワードが取るという規則でもあるのだろう。そういえば、クラブの会長たちが、勘違いして"規則"と思い込んでいることがある。彼らは、チームを組み立てる上で一番重要なポジションが、フォワードだと信じ込んでいるのだ。サッカーステッカーで人気がある有名ストライカーを獲得すれば、年間チケットは確かによく売れるだろう。(P.134から引用)

プライドがあるからこそ、自分に対して単年契約が提示されることに怒りを覚える。それだけの価値しかないのか、と。ユベントスに移籍したのも、ユベントスが複数年契約を提示してくれたことが大きいようだ。

そして、「誰にも話したことはなかったのだけど」と前置きした上で、セリエA歴代最多フリーキック得点記録を達成するという目標も披露している。歴代1位は28点のミハイロビッチ。ピルロは2013年11月時点で23得点のようである。果たして目標達成なるか。

ブラジルワールドカップで代表引退、そして今後は

本書にも記されているように、ピルロはブラジルワールドカップで代表のユニフォームを脱ぐ覚悟のようである。

2014年ブラジルワールドカップ終了後、僕は心をロッカールームに残したまま、イタリア代表を引退するつもりだ。しかし、それまでは誰が何といっても代表戦には出場する。もちろん、プランデッリ監督が僕を消臭しなかったら話は別だけど。(P.82から引用)

寂しくなるが、ピルロも35歳。過密スケジュールになるとパフォーマンスに衰えがあるのも否めない。覚悟を決めたブラジルワールドカップ。イタリアはイングランド、ウルグアイと同組と非常に厳しいグループに入った。また、DグループであるイタリアはCグループの日本と決勝トーナメントで対戦する可能性がある。決勝トーナメントに入れば、敗退=代表引退ということになる。もし日本がその引導を渡すことになれば。簡単な道ではないが、日本にそれができない道理もないだろう。すべては前提を疑い、検証することから。方法序説はそう教えてくれる。


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2006年6月26日 ドイツW杯決勝トーナメント1回戦イタリアVSオーストラリア@カイザースラウテルンにて筆者撮影。試合はトッティのPKの得点により1-0でイタリアの勝利。ピルロは長短のパスを織り交ぜて勝利に貢献、その後イタリアはW杯優勝を果たした。



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