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タグ「動的平衡」の一覧

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とある研究所が世間を賑わせているので、ここで研究所とサッカーの同質性から戦術の今後について思考を巡らせてみたい。

素晴らしい発明が生まれる研究環境とは

研究所は通常の営利企業とはいささか趣が異なる存在である。短期的な利益を求めないなどの側面ももちろんその通りだが、最大の相違点は一般的な営利企業であれば大きなユニットで見ればお互いの仕事が連関しているのに対し、研究所では個々の研究者が実施している研究の互いの関係性が薄いということに尽きる。

このあたりの研究環境の話題について、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏は次のように語っている。

最も好ましい研究環境を一口でいえば、"組織化された混沌"とでも表現せねばならない。部分的に見れば研究者は自由奔放に仕事を進めているので混沌としているが、研究所全体としてはバランスがとれ、秩序がある状態をいう。

このように相反する言葉を組み合わせて使うことを撞着語法(オクシモロン)という。自然科学も社会科学もこういった自己矛盾について突き当たることが多く、誤謬を発生させずにいかに止揚(アウフヘーベン)するかがキーになっている。

サッカーにおける現代的な戦術とは バルセロナの例

クライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現している。

この状態は上述の研究所における「組織化された混沌」に似ている。個人に着目すると一見秩序だっていない行動をしているように見えるが、全体として俯瞰した場合にはバランスが保たれていることが求められる。自己組織化できている状態である。バルセロナのサッカーをポジションサッカーと呼ぶ所以もここにある。

『リーダーシップとニューサイエンス』にも記述があるように、もの(選手)は単体としては意味をなさず、選手間の関係こそが本質的であるということである。

量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

自然科学の世界における動的平衡

自己組織化は福岡伸一氏の言葉を借りれば動的平衡である。人間のタンパク質はミクロのレベルで見れば常に入れ替わっているが、人間そのものというマクロのレベルで見れば変化はない。系全体で見れば平衡が保たれており、これもまた「組織化された混沌」である。

活かされるべきは全体か個か

ここまで見てきたように、研究所もサッカーも自然科学も全て「組織化された混沌」に支配されており、オートポイエーシス(自己構成的)である。よって、クライフも言うように、サッカーで大事なことはこの撞着的な状態の中でいかにバランスを保つかということになる。

全体か個かという要素還元的な考えは基本的にはすべきではないが、自然科学的に見れば犠牲になるのは個である(個であり全体でもあるという自己相似性に依れば個と限定するのはまずいかもしれないが)。福岡伸一氏は『生物と無生物のあいだ』において次のように「個」であるタンパク質が犠牲になり人間という秩序を保っていることを示している。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。(P.166)

そう考えたとき、サッカーではプレーモデル(組織)を重要視するのかそれともプレイヤー(個)を大事にするのかという疑問にいきつく。もちろん、どちらかという選択はできないが、具体的なプレーに落とし込んだときにはプレーモデルを優先すべきか迷う場面もあるだろう。

プレーモデルを確立しているように見受けられるグアルディオラが師とあおぐフアン・マヌエル・リージョは「個であり全体である」という全体論を重視しつつも、個が活かさた結果として全体を形作ると語っている点でおもしろい。つまり、プレーモデルのグルと思しき急先鋒の存在が「優先すべきは個である」と言っている。このことをリージョは『フットボールサミット第12回 FCバルセロナはまだ進化するか』(筆者のレビュー)の中で次のように語っている。

才能豊かな選手が増えることによる成長は、チームが成長していく上で重要なポイントになるということ。個々の長所を結びつけることで、集団にうまく還元されていくのである。(P.50から引用)

個が優先されるという考えは一見すると自然科学に抗っているが、果たして。

個人的にはリージョの言うとおり、パラダイムとしては「プレーモデルを破壊しうる個」として個の存在が再注目されつつあるのが現代サッカーの潮流になるかもしれないと感じている。ブラジルワールドカップでスペインやドイツが1人のプレイヤーに引き裂かれることがあればまた世界のサッカーは混沌とした方向に向かうかもしれない。もしくは、それすらも秩序の中に放り込もうとするようなリフレーミングが起こるか。非常に楽しみである。


サッカーにおける自己組織化や再帰性などのニューサイエンスについて興味がある方はオスカル・P・カノ・モレノの著書が参考になる。

『バルセロナが最強なのは必然である』(筆者のレビュー
『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー

 



tags アウフヘーベン, オクシモロン, オートポイエーシス, バルセロナ, プレーモデル, 動的平衡, 撞着語法, 組織化された混沌, 自己組織化


フットボールをニューサイエンスのメタファーで切り取った史上最高の解体新書。

本書はバルセロナを題材としてフットボールの真髄を科学や哲学の世界の言葉で紐解いたものである。本書で頻繁に登場する重要キーワードは相互作用、複雑性、自己組織化、再帰性といったニューサイエンスを代表する言葉であり、還元論、決定論、機械論といった17世紀のニュートン科学のキーワードを否定的に扱っている。

クライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現している。これは自己組織化そのものであり、福岡伸一氏の言葉を借りれば動的平衡である。

これらのニューサイエンスを理解するためには『リーダーシップとニューサイエンス』が詳しい。

ニュートン科学は、唯物論の立場でもある。人の身体的感覚で感知できるものを重視して世界を理解しようとするのだ。実在するものは、目に見え、明確な物質的形状を持つとされる。物理学の歴史では、そして今もってそうだが、科学者たちは、物質の基本的な「構成要素」、万物のもととなる物質的形状をこぞって探しつづけてきた。
ニューサイエンスとニュートン主義の決定的な違いの一つは、ニューサイエンスが部分よりも全体論を重視していることだ。システムは、システム全体として理解し、ネットワーク内の関係に注目する。(P.23-24から引用)
量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

この引用を読んで、「サッカーに適用できる考え方だ」と感じた方は是非本書『バルセロナが最強なのは必然である』に目を通してほしい。目からうろこがボロボロこぼれ落ちること必至である。

逆に「答えが知りたい」「要は何を言っているのか」といった解を急ぐ人には本書は向かない。Introductionにおいて著者のオスカル・P・カノ・モレノは以下のように記している。

もしも皆さまの望みが完全な結論を導き出すことであれば、本書はふさわしいものではないかもしれません。誤解を恐れずに言えば、ここに書かれていることはバルセロナの世界観を補足するだけのものにすぎず、そこに限界はないからです。 すべての知識、それは未完成なのです。(P.20から引用)

サッカーは要素還元主義ではない。ポイント化することはできないし、ひとつひとつのプレーを切り離して考えることは無駄である。メッシが11人いれば勝てるものでもないし、「こうすれば絶対に勝てる」という必勝法も存在しない。そこに存在するのは「自己組織化」「相互作用(バランス)」というメタの視点における理のみである。これらは現代の経営学における組織論でも同様のことが語られており、『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か 』の著者であるピーター・センゲは学習する組織の重要な考えとしてシステム思考といったホリスティック(全体論的)アプローチを挙げている。

本書はまずPart1としてバルセロナのフィロソフィーを解明するために、ニューサイエンスの説明にページを割いている。ニューサイエンスが一般に受け入れられにくい理由のひとつは説明が長くなってしまうことにある。それは本書も避けて通れず、約140ページを使って説明している。ただ、章や節にトピックを分散しているので長いと感じることはない。むしろこれまでのサッカー書籍で語られてこなかったことの連続でどんどんと引き込まれていく。

次にPart2としてバルセロナのプレーモデルを紹介しているのだが、こちらは80ページ程度で具体的なプレーの説明のほうが短いという衝撃の内容となっている。ただ、Part1をきちんと読んでいればその時点でプレーモデルの大半は理解したも同然であり、Part1を理論的、抽象的な説明、Part2を具体的な説明と捉えることもできる。

筆者はポゼッションサッカーの中核は自然科学やニューサイエンスのメタファーで説明できると思っているが、それでも常に疑問に思っていることがある。それはサッカーにおけるフィニッシュという概念をどのように取り扱うか、ということである。経営における組織にはフィニッシュは存在しないし、動的平衡で保たれる人間のタンパク質にもフィニッシュは存在しない。つまりこの「ゴール」という概念については科学性で説明できない部分であるということである。経営学者ヘンリー・ミンツバーグは経営を「クラフト(経験)、アート、サイエンス」であると説いているので、もちろん経営にもアートが担保する部分が少なからず存在するということなのだが。ゴールの概念を何かのメタファーや与し易いレトリックで表現できないものか、本書にも期待していたが本書における説明は「フィニッシュの準備ができているプレイヤーにパスを出す」というものであった。本書に言わせればひとつひとつのプレーに本質はなく関係性の中にこそ意味があるものなのでフィニッシュだけを切り出すこと自体がバカげていることなのかもしれない。

いずれにせよ本書は組織論、経営学、自然科学などの領域をサッカーと融合させた最高の傑作であると惜しみない評価をしたい。



tags ニューサイエンス, バルセロナが最強なのは必然である, ホリスティック, メタファー, 全体論, 動的平衡, 学習する組織, 自己組織化

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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