Jリーグはよく観に行く。

スケジュールを見て、電車で行けそうなスタジアムで試合があって、僕に予定がなければ、スタジアムへGOだ。ただし、それは特定のクラブを応援するためではない。単に、サッカーが好き、Jリーグが好き、という理由で観に行く。座る場所は大体自由席の端っこの方、コーナーフラッグのあたりだ。声を出さなくて済むし座って観戦できるけれど、なんとなくサポーターの応援もよく聞こえる、コーナーフラッグのあたりとは大体そんなゾーンである。

Jクラブのサポーターになりたいと思ったことは何度もあるし、今でも思っている。

じゃあなればいいじゃないか、とよく言われるけれど、なかなかそうはいかない。

僕は自他共に認める小難しい人間で、すごくつまらないことを言っているとよく言われるわけだが、要はサポーターになるからには確たる理由が欲しいと、そういうことなのである。

僕は日本人であり、そして・・!?

僕は日本代表のサポーターだ。日本代表の試合はゴール裏で試合中ずっと立って声を出して応援している。W杯は98年からすべて現地観戦している。

なぜ日本代表を応援するのか?

 ― 日本人だから。

これ以上の解はない。日本人だから、日本代表を応援する。すごくステキなことだと自分では思っている。


では、クラブというのは何なのだろう?どういう理由で応援するものなのだろう?

僕は生まれてから22年間横浜市に住んでいた。であれば横浜Fマリノスを、横浜FCを、もしくはかつての横浜フリューゲルスを応援すればいいではないかと言われることがある。

でも僕は自分のことを横浜人だと思ったことはほとんどない。住んでいた場所が横浜駅に行くよりも渋谷駅に行くほうが楽な地域。真っ先に覚えた遊び場は渋谷。

だから、仮に「なぜ横浜Fマリノスを応援するのか?」と聞かれたとして「横浜に住んでいたから」と答えることが妥当でない気がするのだ。妥当でない理由でクラブサポーターになって良いのか、それで自分は納得するのか、そういうことを考えてしまうのが僕である。

今僕は東京都板橋区に住んでいる。ただし、まだ住み始めて日が浅いこともあるし、東京というメガシティの特性でもあるし、僕の天邪鬼なところもあるが、「僕」と「東京」はさしたる恋人関係にはない。何を小難しいことをと言われそうだが、自分が東京都に住んでいるという事実がFC東京を応援するという解釈にどうもつながらない。僕が住んでいる地域、僕の勤め先の地域にはFC東京なんて微塵も登場しない。東京は、僕が思うに大きすぎる気がする。

要は、僕は地域に対する帰属意識がないのだ。これがJリーグの掲げるホームタウン構想と相容れない。だから、と理由づけてよいのかわからないが、少なくとも僕は、「だから」Jクラブサポーターになりきれない。

帰属意識を感じる対象はある

僕は高校から7年間早稲田のお世話になった。もっとも多感な時期に7年間も同じ学閥に属していれば愛着も湧くというもの。僕は、自分のことを早稲田人だと思っている。

高校のサッカー部には、早稲田という理由もあるし自分が単に所属していたサッカー部ということもあるが、OBとして毎年1万円を寄付している。たぶん寄付やその他による市民からの1万円という額は、Jクラブも喉から手が出るほど手に入れたいものであるはずである。仮に1万人が1万円を出したら1億円。数千万円の不足で経営破綻しようとしているクラブがあるくらいだから、1億円は大金だ。

僕はその1万円を、Jクラブではなく母校のサッカー部に寄付している。僕にとっては、早稲田という存在は寄付しても惜しくないと思えるものなのである。

あ、早稲田ユナイテッド(東京都1部に所属する早稲田発のクラブ)がんばってほしいなあ・・。

共通の価値観を持った集まり、トライブ

現状、Jクラブは地域という価値観を根っことして共有して設立、羽ばたいていこうとしているクラブである。新しいプロスポーツリーグの発展のために悪くない選択だったと思う。

しかし、誰しもが地域を理由にJクラブを応援し始めるわけではない。自分とはゆかりのない地域のJクラブのサポーターもいるし、海外クラブのサポーターもいる。好きになるきっかけや応援を続ける理由は人それぞれ。

であれば、もしかしたら今後何らかの理由で特別なホームタウンを持たずに、何らかの別の価値観を共有したクラブが誕生しないとも限らない。それはアイドルグループの発展かもしれないし、それこそ早稲田や慶応のような学閥から生まれるものかもしれない。

近未来フットボール小説『エンダーズ・デッドリードライヴ』(筆者のレビュー)では、著者の後藤勝氏は地域に拠らないメガクラブ「インテルクルービ」を登場させ、クラブのあり方の壮大な思考実験をしている。

また、後藤氏は『エンダーズ・デッドリードライヴ』の出版記念イベントにて、共通の価値観をもった集まりのことをトライブと称していた。トライブという言葉は前近代的な響きでありながら実はネットワーク時代のホットワードでもあり、セス・ゴーディン氏は著書『トライブ』の中で次のように綴っている。

かつて「地理」には大きな意味があった。「トライブ(部族)」といえば、ある村の住民とか、ある国の地方に住む人々のことを指した。企業や組織も、本社やマーケットを中心に「従業員のトライブ」「顧客のトライブ」をつくってきた。
だが、インターネットがそんな地理の壁を取り払った。(P.21から引用)

著者によれば、現代におけるトライブとは次のような意味を持っている。

「トライブ」 ― それは、互いにつながり、リーダーとつながり、アイデアとつながった人々の集団(グループ)を指す。ただし、グループとトライブは違う。
グループがトライブに変わるためには、次の2つがあればいい。「共有する興味」と「コミュニケーションの手段」。(P.18から引用)

つながりを求める現代社会では、人々はよりトライバル化(後藤氏の表現を拝借)していく。最近Jリーグが推奨しているコラボレーションを活用し、他団体のトライブを巻き込むことはこの流れから考えて理にかなっている。

さらにもう一歩踏み込めば、地域に拠らないトライブがクラブとして育っていくことも今後は十分にあり得るし、先ほど挙げた早稲田ユナイテッドもその一例である。Jクラブライセンスのためにホームスタジアムを保有したりアカデミーを持ったりしなければならないのでどうしても地域に根ざさなければならないが、根ざす地域を決めること自体はそう難しくなく、スタジアム問題だけが難点となりそうだ。

いつかその日が来るときまで

冒頭にも書いたけれど、僕は好き好んで「無所属」を決め込んでいるわけではない。

気持ちが既存のクラブに傾く日が来るのか、それとも新規クラブで僕の心にぐっと来るクラブがJに登場するのか、それはわからない。でも、いつか僕もJクラブサポーターになりたい。いつかその日が来ることを信じて、今はスタジアムに通う日々。

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2014年7月27日 川崎フロンターレVSアルビレックス新潟@等々力にて筆者撮影



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