サッカーの育成やトレーニングの提供場面においてボトムアップ理論や戦術的ピリオダイゼーション理論が徐々に普及し始めていると聞く。

ボトムアップ理論については拙ブログのこちらの記事で紹介しているので参照してほしい。
ボトムアップ理論はプレイヤーズ・ファーストを具現化する新しい指導の形

戦術的ピリオダイゼーション理論については、『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビューはこちら)の著者オスカル氏が次のように説明している(オスカル氏の記述も別の記事(スペイン語)からの引用であるようだ)。

サッカーというゲームに内在する重要な局面やファクターを分断せず、と同時に、このスポーツに内在する不確実性をしっかりと認識したメソッド(P.40から引用)

戦術的ピリオダイゼーション理論に関してさらに知りたければ村松尚登氏のブログ「日本はバルサを超えられる」や著書『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人 ---日本はどうして世界で勝てないのか?』(筆者のレビューはこちら)を参照してほしい。

 

手放しにこれらの理論を賞賛するわけではないが、育成はいつの時代も試行錯誤だし、これらの理論はメソッドではなくメソドロジーであるという点で理論の普及そのものは喜ばしいことであると考えて良いだろう。

教えずに伸ばすのか、教えて発達を支援するのか

どちらの理論も「サッカーをサッカーとして捉える」ことを前提としており、そこに横たわる共通の理念として「プレイヤーの判断力を大切にする」ということがある。

判断力を養うためにはどうすれば良いのか。まずは、機能や目的がサッカーの本質から意図的に狭められたトレーニングではなく、試合でも適用できるプレーモデルの構築が重要テーマとなる。本質的でない場において判断のトレーニングをしても、それが試合で役立たないからである。

次に、指示をすることや教えることを控えることが重要とされるようになる。ジュビロ磐田の黄金期を監督として支えた鈴木政一氏は著書『育てることと勝つことと』の中で次のように語る。

ベンチからは大声で、「サイドチェンジ!」と指示がとぶ。すると、子どもは言われた通りに蹴る。それが、たまたまつながり、ゴールに結びついた。
「ナイス、ゴール!」。子どもは、サイドのスペースを観ることもなく、相手との駆け引きもないままに、ベンチからの声を忠実に守る。そこに子どもの判断など入り込む余地はない。
この子が上の年代のクラスにいったときに、観ることも、判断することもできないような指導をしてはいけない。ではどうすればよいか。アンダー9の段階では、自分の観える範囲で、自分で判断して、一番よいと思うプレーができれば充分である。(P.126-127から引用)

もちろん、ボトムアップ理論でも「教えるな」とは説いていないし、戦術的ピリオダイゼーション理論でもそれは同じである。目的は判断力を養うこと。そのために教えることや介入が必要であれば教えることが必要となる。

ところが、両理論が有名になってきたからこその弊害として、上辺だけが取り沙汰され、「教えないことが正しい」という伝わり方がされているように見受けられる。

この理解は完全に間違いで、村松尚登氏は小澤一郎氏との共著『日本はバルサを超えられるか ---真のサッカー大国に向けて「育成」が果たすべき役割とは』の中で次のように語っている。

まったく教えないというのは指導放棄になってしまいます。単に放置するだけでは基本の習得すらままならず、子どもの遊びの延長になってしまう危険性もある。そのためにも選手が自らトレーニングをオーガナイズできるためのノウハウの提供は必要で、もしかすると自分たちでトレーニングを組み立てる選手たちを対象とした「指導者選手講習会」の需要が出てくるかもしれません。
(中略)
私が今春まで指導していたバルサスクールでは、誤解を招くかもしれませんが「教えすぎている」と言っていい状態です。ただしそれは、ゲーム形式の練習を通じて、判断材料を与え、教育するという感じの詰め込みで、一般的なつめ込み指導とは異なると自負しています。(P.66-67から引用)

新しい指導法や理論が出てきたときには必ずといっていいほど拒絶反応を示したり意図的に批判したりする人が出てくるので、教えることと教えないことについては慎重に考え方を伝えた方がよいと感じている。

教える加減としての最近接領域

教える加減として役に立つのが、旧ソ連の心理学者であるヴィゴツキーが提唱した発達の最近接領域という考え方である。ヴィゴツキーについては、『ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書)』が詳しい。

発達の最近接領域を僕なりの理解も含めてかいつまんで説明すると、人には、

  1. 教えなくてもできること
  2. 足場をかけ、やり方を教えてあげればできること
  3. 足場をかけてもできないこと

が存在しており、このうちの2.が発達の最近接領域と呼ばれる領域である。

要は、今できることに「近接」しており、自主的に解決できなくても助けを借りることでできるようになる領域を指す。ヴィゴツキーは、発達と教育の関係において、この最近接領域に働きかけることで発達領域を引き上げていくことが重要であると説いている。

これを数学で例えてみればこういうことである。
小学6年生に方程式の問題を出してもまだ解くことができない子どもが多いだろう。しかし、公式を教えれば解くことができる子どもが多いのではないだろうか。この公式に自ら気づけということは無理な話で、であれば解法である公式は「足場」として早めに教え、具体的な解について、あるいは応用問題については自ら考えさせるということだ。

サッカーに適用すれば、プレイヤーにはプレーの選択肢を広げてあげることでグッと伸びる瞬間が存在している。そのための足場を対話を通じてかけてあげる、といったイメージであろうか。この点においても、具体的なプレーを教えるというよりは、数学で言えば公式、つまりプレーの選択肢ややり方そのものをやんわりと指南してあげることが肝要である。



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