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タグ「自己組織化」の一覧

4月14日に大井町にて「バルサ流育成メソッドを学ぶ!」と題した村松尚登氏のセミナー(主催:ジュニアサッカーを応援しよう)が開催されたので最前席に陣取って聞いてきました。簡単に内容を紹介し、最後に考察を加えたいと思います。

内容は書籍の紹介も含めた3部構成

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セミナー開催まではスクリーンには村松さんが監修した『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』が大きく投影されていました。そしてセミナーも本書の内容を中心に以下のように3部構成で展開されました。

  1. 『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』の内容紹介
  2. 『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』の練習メニュー解説
  3. 日本の育成年代にスペインの育成メソッドは応用できるのか

1部に関しては、拙ブログにて『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』のレビューを書いていますのでそちらをご覧いただければ良いかと思います。セミナーでは村松さんが本書内で印象に残った言葉をスクリーンに投影しながら解説する流れでしたが、僕がレビューで引用した箇所と概ね同じでした(嬉しい!)。

特に村松さんが繰り返し強調していたのは「自己組織化」「サッカーをシンプル化してはいけない」「明確なのは、何も明確ではないということ」といった複雑系に関するワードです。リージョの言葉もよく引用されていました。

それを踏まえて、2部では本書内で紹介されている練習メニューについて動画を用いて解説がなされました。基本的にはフリーマンを活用したポジションゲームが多く、ポジションゲームを実施する狙いを以下のようにまとめていました。

  • ボール保持者に1枚ディフェンスがつけば周囲には必ずフリーの選手がいることを認識させること
  • 奥行きのあるポゼッションを意識させること

ただ、フリーマンを活用したポジションゲームは実際の試合の環境とは異なるため、「サッカーはサッカーをすることでうまくなる」という村松さんのキーメッセージとは若干ずれています。このことをご本人も認識しながら、それでも上記2点を狙いとするために重要だとおっしゃっていたのが印象的でした。

そして3部では、これらのスペインのトレーニングメソッドを日本で適用したらどうなるか、という村松さんの実体験による考察が紹介されました。

日本での応用、福岡でうまくいき、水戸では・・・

結論から言えば、福岡のバルサスクールではスペインのメソッドがうまくいき、現在担当している水戸ホーリーホックでは必ずしもうまくいっているとはいえない状況とのことです。

その理由を要素還元的に示すことは難しいものの、最たる理由として対象の世代の相違を挙げていました。福岡はJr.世代であったのに対し、水戸はJr.ユースです。Jr.世代はまだスポンジのように新しいことでも何でも吸収してくれますが、Jr.ユース世代はある程度習慣化されたプレーが身についてしまっており、その状態で新しくスペイン流といっても難しさがあると感じているようでした。

そのため、現在は映像を活用したり身体の使い方の矯正を施しながら工夫をしてトレーニングに取り組んでいる真っ最中とのことです。

プレイヤーズファーストとはなんだったのか

さて、ここからは僕の考察です。『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』にもたびたびメッセージが登場するリージョによれば、フットボールは選手中心。選手にそぐわないプレーモデルをコーチが押し付けるのはナンセンスと口酸っぱく言っています。

また、その裏表として、4番(ピボーテ)の選手はずっと4番なのだから、選手の獲得時点で4番の選手を連れてくる必要があるとも言っています。

であれば、習慣化されたプレーが身についたJr.ユース世代に新しいプレーモデルを教えこむのは誤っているのではという疑問が浮かびます。プレイヤーズファーストではないのか、と。

そこで、セミナーの質問コーナーで真っ先に上記の疑問について質問してみました。それに対する村松さんの回答は概ね以下のようなものでした。

その疑問に関しては自分も何度も自問自答した。確かに、習慣化されたプレーを大事にしてプレーモデルを構築したいという気持ちもある。ところが、そういった選手たちが自分たちの最高のパフォーマンスを出しきっているかといえば決してそうではない。選手たちがギリギリのプレーをしているのであれば、それを最大限尊重したい。しかし、実際はもっと良いパフォーマンスを出せるのに、それを知らないから出せていないように思える。なので、選手たちがパフォーマンスを発揮できるように教えることを優先した。

この回答は村松さんの熱がこもっていたこともありますが、非常に納得的でした。もともと僕もこの考え方に近いです。プレイヤーズファーストは聞こえは良いですが、完全にプレイヤー優先にすることはある意味「指導放棄」にもなりかねません。『日本はバルサを超えられるか』(筆者のレビュー)において村松さん自身以下のように語っています。

まったく教えないというのは指導放棄になってしまいます。単に放置するだけでは基本の習得すらままならず、子どもの遊びの延長になってしまう危険性もある。そのためにも選手が自らトレーニングをオーガナイズできるためのノウハウの提供は必要で、もしかすると自分たちでトレーニングを組み立てる選手たちを対象とした「指導者選手講習会」の需要が出てくるかもしれません。
(中略)
私が今春まで指導していたバルサスクールでは、誤解を招くかもしれませんが「教えすぎている」と言っていい状態です。ただしそれは、ゲーム形式の練習を通じて、判断材料を与え、教育するという感じの詰め込みで、一般的なつめ込み指導とは異なると自負しています。(P.66-67から引用)

帰納だけに頼ってはならず、演繹的な視点も用いることによってアブダクション(仮説推論)が生まれます。その止揚のポイントを探る事こそが指導の模索なのだと思います。拙ブログの教えずに気づくのを待つのか、教えて気づきに足場をかけてあげるのかにも考察がありますのでよろしければ参照ください。

認知、判断、実行という汎用性

村松さんもセミナーの中で「レベルが高い選手は(プレーモデルの変化にも)適用可能」とおっしゃっていました。ここでいう「レベル」とは、認知、判断、実行のうちの認知や判断に優れているという意味合いだと思います。認知や判断が高いレベルでできれば、どのようなプレーモデルにも適用可能というのはまさにその通りだと思います。だからこそ、最近のサッカー指導では認知、判断、実行と教えています。

『ドイツ流攻撃サッカーで点を取る方法』(筆者のレビュー)では以下の記述があり、まずはフィロソフィ(プレーモデル)に縛り付けないことが大事と強調しています。

16歳までは選手を指導者のフィロソフィー(哲学)にしばりつけるのは避けるべきで、まずは選手が多くのオプションを持てるように指導し、そしてそのオプションを試合中にフレキシブルに応用できるように育てるべきです。選手が学んだオプションを試合で有効に使うためには、一瞬の状況判断のスピードをあげられるような実戦的なトレーニングが必要です。選手たちが状況に応じてフレキシブルに対応し、選手自らが応用できるようになることが重要なのです。(P.7から引用)

村松さんが水戸ホーリーホックで直面しているのは、認知や判断が(高いレベルで)できていないJr.ユース世代に対する指導の難しさではないかと邪推しています。テクニック主導でJr.ユースまで成長してきたため、応用が効きにくいということではないかと。

これらのことから育成年代への指導で大切なことを大局的に捉えれば、以下の2点に集約できると僕は考えます。

  • プレイヤーと指導者がそれぞれ帰納と演繹、ボトムとトップの両者から意見を綜合(≠総合)すること
  • プレーモデルに影響されない認知、判断、実行のプロセスを徹底すること


村松さんの書籍は他にもオススメがありますので興味があれば手に取ってみてください。『FCバルセロナスクールの現役コーチが教えるバルサ流トレーニングメソッド』(筆者のレビュー)は判断ができるようなトレーニングメニューを紹介しています。『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人』(筆者のレビュー)は戦術的ピリオダイゼーション理論について詳しく知ることができます。

 



tags バルサ流育成メソッド, プレイヤーズファースト, プレーモデル, 戦術的ピリオダイゼーション理論, 村松尚登, 自己組織化, 認知、判断、実行

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とある研究所が世間を賑わせているので、ここで研究所とサッカーの同質性から戦術の今後について思考を巡らせてみたい。

素晴らしい発明が生まれる研究環境とは

研究所は通常の営利企業とはいささか趣が異なる存在である。短期的な利益を求めないなどの側面ももちろんその通りだが、最大の相違点は一般的な営利企業であれば大きなユニットで見ればお互いの仕事が連関しているのに対し、研究所では個々の研究者が実施している研究の互いの関係性が薄いということに尽きる。

このあたりの研究環境の話題について、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏は次のように語っている。

最も好ましい研究環境を一口でいえば、"組織化された混沌"とでも表現せねばならない。部分的に見れば研究者は自由奔放に仕事を進めているので混沌としているが、研究所全体としてはバランスがとれ、秩序がある状態をいう。

このように相反する言葉を組み合わせて使うことを撞着語法(オクシモロン)という。自然科学も社会科学もこういった自己矛盾について突き当たることが多く、誤謬を発生させずにいかに止揚(アウフヘーベン)するかがキーになっている。

サッカーにおける現代的な戦術とは バルセロナの例

クライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現している。

この状態は上述の研究所における「組織化された混沌」に似ている。個人に着目すると一見秩序だっていない行動をしているように見えるが、全体として俯瞰した場合にはバランスが保たれていることが求められる。自己組織化できている状態である。バルセロナのサッカーをポジションサッカーと呼ぶ所以もここにある。

『リーダーシップとニューサイエンス』にも記述があるように、もの(選手)は単体としては意味をなさず、選手間の関係こそが本質的であるということである。

量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

自然科学の世界における動的平衡

自己組織化は福岡伸一氏の言葉を借りれば動的平衡である。人間のタンパク質はミクロのレベルで見れば常に入れ替わっているが、人間そのものというマクロのレベルで見れば変化はない。系全体で見れば平衡が保たれており、これもまた「組織化された混沌」である。

活かされるべきは全体か個か

ここまで見てきたように、研究所もサッカーも自然科学も全て「組織化された混沌」に支配されており、オートポイエーシス(自己構成的)である。よって、クライフも言うように、サッカーで大事なことはこの撞着的な状態の中でいかにバランスを保つかということになる。

全体か個かという要素還元的な考えは基本的にはすべきではないが、自然科学的に見れば犠牲になるのは個である(個であり全体でもあるという自己相似性に依れば個と限定するのはまずいかもしれないが)。福岡伸一氏は『生物と無生物のあいだ』において次のように「個」であるタンパク質が犠牲になり人間という秩序を保っていることを示している。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。(P.166)

そう考えたとき、サッカーではプレーモデル(組織)を重要視するのかそれともプレイヤー(個)を大事にするのかという疑問にいきつく。もちろん、どちらかという選択はできないが、具体的なプレーに落とし込んだときにはプレーモデルを優先すべきか迷う場面もあるだろう。

プレーモデルを確立しているように見受けられるグアルディオラが師とあおぐフアン・マヌエル・リージョは「個であり全体である」という全体論を重視しつつも、個が活かさた結果として全体を形作ると語っている点でおもしろい。つまり、プレーモデルのグルと思しき急先鋒の存在が「優先すべきは個である」と言っている。このことをリージョは『フットボールサミット第12回 FCバルセロナはまだ進化するか』(筆者のレビュー)の中で次のように語っている。

才能豊かな選手が増えることによる成長は、チームが成長していく上で重要なポイントになるということ。個々の長所を結びつけることで、集団にうまく還元されていくのである。(P.50から引用)

個が優先されるという考えは一見すると自然科学に抗っているが、果たして。

個人的にはリージョの言うとおり、パラダイムとしては「プレーモデルを破壊しうる個」として個の存在が再注目されつつあるのが現代サッカーの潮流になるかもしれないと感じている。ブラジルワールドカップでスペインやドイツが1人のプレイヤーに引き裂かれることがあればまた世界のサッカーは混沌とした方向に向かうかもしれない。もしくは、それすらも秩序の中に放り込もうとするようなリフレーミングが起こるか。非常に楽しみである。


サッカーにおける自己組織化や再帰性などのニューサイエンスについて興味がある方はオスカル・P・カノ・モレノの著書が参考になる。

『バルセロナが最強なのは必然である』(筆者のレビュー
『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー

 



tags アウフヘーベン, オクシモロン, オートポイエーシス, バルセロナ, プレーモデル, 動的平衡, 撞着語法, 組織化された混沌, 自己組織化


前著に続きサッカーを複雑系やカオス理論から斬る至高の哲学書。

「サッカーというものをシンプル化してはいけない」(P.54から引用)

昨今、サッカーやサッカーにおける戦術をすぐに理解できることを謳った解説本が横行している。マーケットにそのような需要があることの裏返しであるから書籍そのものを否定するわけではないが、複雑系であるサッカーのいち側面だけを切り取って理解しようとしてもそれは無理な話である。「物事をシンプル化するとは、問題を解決することだと思われているようだが、実際は問題を引き起こす行為だといえる」(P.55から引用)のである。

本書を読んで生まれるのは、むしろ消化不良感である。そして、その消化不良さゆえに生まれる探究心である。僕がこれまで見知った中では最も難解で哲学的な表現でサッカーを語るフアン・マヌエル・リージョは本書の刊行に寄せて次のように語っている。

唯一明確なのは、なにも明確ではないということ。それがオスカル・カノ氏の本のベースとなる。 本書を読むことで、読者はさらに疑念を抱くことになる。それと同時に、疑念を抱くということが最も適切な肯定の仕方であることを認識し、喜びを感じることであろう。(P.18-19から引用)

前半は複雑系の解説

前著『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビュー)を読んだ人であれば、前半部分(チャプター2まで)は既読の内容も多いだろう。複雑系は真理であるがゆえに枝葉の議論は少なく、どうしても内容が重複するからである。

その内容をかいつまんで紹介すると、以下のようになる。

  • サッカーにおいては選手こそが主役であり監督にできることはわずかである
  • 監督の仕事は選手のポテンシャルを引き出すことをサポートすることである
  • 分かりやすい説明をするために物事を断片化したり複雑さを取り除いたりすることをやってはいけない
  • チームを構成する選手(の特徴)に即してプレーモデルを構築する
  • プレーモデルの持つ構成と機能はいったん破壊されても自己組織化のプロセスを経て再構築される仕組みを持つ(ので、再帰性を担保できるようなトレーニングを行う)

前著やその他の複雑系の学習によって学んだことがあったとしても、本書のひとつひとつの言葉はずしりと心に響く。この手の話は定期的に読み返さないといけないと改めて感じた。

後半は大量の図を用いた解説

真理に近づこうとしすぎると、ときにそれが正しいがゆえに実践的でなく、活用することが難解に陥ることがある。本書やオスカル氏の前著が指摘している複雑系の観点からサッカーの真髄に迫ろうとするやり方は僕も正しいとは思うが、その抽象性だけで世界がまわっているわけではない。時にはその俯瞰的なマップを捨てて、具体から踏み込むことが真理に近いということも往々にしてあることだ。

そんな思考の揺らぎがIntroduction「歪められたサッカーの本質」の次の言葉に表れている。

私はこれまで、図やイラストで埋め尽くされたサッカーの練習メニュー本を読むのを避けてきました。それはもしかすると私の過ちなのかもしれません。というのも、そのような本の中にも、サッカーをより深く知るためのヒントが隠されている可能性があるからです。(P.31から引用)

しかし当然のことながら、環境や背景、そして何より選手自身の特徴や選手間の相互関係を踏まえずに練習メニューだけを模倣してもチームに適したプレーモデルには到達できない。単純な練習メソッドでは次のようなことが発生してしまうのである。

多くの練習メニューはサッカーに内在する複雑性を著しく減少させ、事前に何が、いつ、どのようにして起こるのかということが予想できるような練習メニューばかりです。 そのため、サッカーで最も重要な要素である判断力が実際のゲームほど必要ではない状況で練習を行っている場合が多々あります。(P.38から引用)

そこで本書では、

  • 監督ではなく選手や選手間の相互関係こそが主であるという前提に立ち
  • 選手たちの能力を引き出すためのより良いプレーモデルの構築を
  • バルセロナを例にとって多くの図とともに解説する

という構成にすることによって単純な図解とは一線を画す内容となっている。

加えて、オスカル氏自らが考案・実践したトレーニングメニューが15個掲載されている。どの練習メニューも目的こそ掲載されているが細部の選手の動きを指示することはなく、選手の判断力を涵養することが隠されたカリキュラム(ヒドゥン・カリキュラム)であることが分かる。と同時に、練習には多くのプレイヤーを同時に登場させながらも各プレイヤーのプレーするエリアを限定していることから、本書の原題の「ポジショニングサッカー」における「ライン」という考え方を実践的に会得することができるメニューであるともいえそうだ。

「知的自由」という新しい言葉

本書の中で何気に僕がもっとも惹かれた表現が「知的自由」という言葉である。

効果的なパスが連続することで、常にフリーの味方が現れます。そして、そのフリーの選手がタレント性を存分に発揮します。こういった「知的自由」を持った仕組みが、コンスタントに表現されたのがクライフのドリームチームだったのです。(P.96から引用)

前著のレビューでも書いたのだが、いつまでたっても僕が不思議なのが、自己組織化といった生命科学のメタファーを用いるだけでは「ゴール」というプロセスは成立しないので、バルセロナではそれをどのように理解しているのかということである。

メッシが答えだと言われればそれは分かるのだが、どうしてももう少し違う表現で腑に落ちたいな、と。そこで本書で登場したのが「知的自由」という言葉である。今度はもう少しこの言葉を追いかけてみようかしら。



tags バルセロナ, バルセロナの哲学はフットボールの真理である, ポジショニングサッカー, リージョ, 相互作用, 知的自由, 自己組織化, 複雑系


バルセロナ初心者のための、バルセロナを薄く広く把握するのに適した書籍。

本書は、現役選手やジャーナリストら11人の識者にバルセロナについて語ってもらい、様々な視点からバルセロナという稀代のクラブを解き明かそうというものである。

極めるための本ではなく、入門書

しかし結論から言ってしまえば、内容は決して濃いものではなくタイトルにあるような「極める」という領域には決して本書だけで到達することはできない。逆に言えば、とても平易に分かりやすく書かれているので初学者が入門書として扱うには最適である。

バルセロナについて概要を知るためにはプレーモデルやカンテラの存在、受け継がれてきた歴史などを簡単にでも知る必要があるが、それらは本書にひと通り網羅されている。

さらにバルセロナを極めたいなら

さらにバルセロナを理解するために手っ取り早いのは、自然科学を理解することである。

例えばクライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現した。この真意を捉えたいのであれば、自己組織化や動的平衡といった自然科学的な概念を理解すれば事足りる。

自然科学的なアプローチからバルセロナを理解するためには『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)を読むとよい。これまで読んだサッカー本の中では1,2位を争う良書だと僕は思っている。

また、バルセロナの特長としてネガトラ(ネガティブ・トランジション)の速さがある。バルセロナはボールを奪われた直後の守備への切り替えの速さが異常で、すぐにボールを取り返してポゼッションを始める。これはそもそも自己組織化しているからこそできるものなのだが、トランジションについての理解は拙ブログのサッカーゲームにはハブがあるに詳しく書いた。この概念も同様に自然科学の相転移という現象がキーワードになる。

バルセロナ本もそろそろ打ち止めか

雑誌も含めバルセロナ本にはいくつか目を通したが、そろそろ打ち止め感が出てきている。論者はいつも同じだし、書いてあることも大体同じ。たぶん編集者から「分かりやすく書いて」「新しいこと書いて」とかいろいろ言われているだろうが、真意が変わることはないので結局結論は同じになる。

リーガを圧倒的な強さで優勝したのに、CLベスト4でバイエルンにボコられたおかげでバルセロナ時代の終焉とか言われていてちょっと言い過ぎだと思うが、世間の興味の移り変わりのタイミング的にもちょうどよかったのかもしれない。バルセロナ本の代わりにバイエルン本がいくつか今後出版されそうな気がする。



tags バルサ, バルセロナを極める11の視点, 入門書, 相転移, 自己組織化, 自然科学

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ネットワーク理論がサッカーの戦術に影響をもたらす日はくるか。

2011年末に「サッカーゲームにはハブがある」という論文が発表された(原題 Common and Unique Network Dynamics in Football Games)。山本裕二・名古屋大学総合保健体育科学センター 教授と横山慶子・日本学術振興会 特別研究員によるもの。詳細はリンク先のPDFファイルを。

原文(英語)
Common and Unique Network Dynamics in Football Games

要約(日本語、PDF)
サッカーゲームにはハブがある

めんどくさがりの人向けに、論文の要約はこんな感じ

  • サッカーの試合においてはボールに多く触れる選手とあまり触れない選手がいて、その分布は正規分布ではなくべき乗則に従う
  • ボールに多く触れる選手(ハブ)は試合の中で切り替わる
  • ハブとなる選手を中心にして三角形を作り出した回数が多いほど、シュートまで結びつけた攻撃の回数が多くなる

べき乗則というのは、80:20の法則といった方が分かりやすいかもしれない。分布全体の多くの要素を2割の人が握っており、残りを8割の人が分け合っているということである。世の中のお金もべき乗則で分布(一部の金持ちがほとんどのお金を握っている)し、商品の販売個数も同じ(一部のヒット商品が総販売個数の大部分を占めている)である。

ネットワーク理論はサッカーに適用できる

たくさんボールを触る選手がいることや三角形を作ればチャンスが多いのは当たり前というのが我々プレイヤーの総意だが、それが定量的に成立することを示したことに上述の論文の価値がある。これは、ネットワーク理論がサッカーにも適用できることを示している。

ネットワーク理論とはざっくり言えばノード(点)とつながり(点と点を結ぶ線)からネットワークの有益性や隣接性を考察する理論である。自然界や社会におけるネットワークには「スモールワールド」「スケールフリー」「べき乗則に従う」などの同様の特徴が見られることが確認されている。

ネットワーク理論についてはバラバシの『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』が詳しい。
例えばハブに関してバラバシは以下のように述べている。

ハブが注目を受けるのは当然である。ハブは特別な存在なのだから。ハブは、それが存在するネットワークの構造を支配し、そのネットワークを「小さな世界」にする。実際、ずば抜けて多数のノードにリンクされたハブは、システム内の任意の二つのノードを短い距離でつないでいる。その結果、地球上でランダムに選ばれた二人の人物の隔たりは平均すると六だが、コネクターと任意の人物との隔たりは一か二でしかないことが多い。同様に、ウェブ上の任意の二つのページは十九クリック離れているが、巨大なハブであるYahoo.comは、ほとんどのウェブページから二ないし三クリックの距離にある。ハブの目で見れば、世界は実に狭いのだ。(P.94から引用)

ネットワーク理論をもとにサッカーの戦術を考察する

サッカーにネットワーク理論が適用できそうだということが分かれば、以下に挙げることが科学性を持って正しいといえる。ちなみにサッカーにおいてはノードは選手、つながりは選手間の距離を指し、ネットワークとはそれら全体をピッチの上から俯瞰的に見た地図と見立てることができる。

1.コンパクトに保つためにはハブの存在が必要

ハブの存在は隔たりを小さくし、スモールワールドを作り出す。DFからFWの距離は直接的には遠いが、ハブを介せば両者ともに一次の隔たりである。サッカーでは「コンパクトにする」という言葉がよく使われるが、ネットワーク理論に則ればその肝としてハブの存在があり、ハブがいなければコンパクトに保ってポゼッションをすることは難しくなる。

2.ハブを入れ替える工夫の必要

ネットワーク理論におけるハブは意図的な攻撃に弱く、ネットワーク全体を脆弱にする危険性を秘めている。ハブ空港が閉鎖された場合の飛行機の空路の確保の難しさや、渋谷のスクランブル交差点が閉鎖された場合の行き交う人々の不便さを思い起こせば想像に難くない。

SPOF(Single Point of Failure)を作ってはならず、そのためにはあるハブが機能不全に陥った場合に異なるハブが台頭する仕組みが必要である。前述の論文では時間帯ごとに異なる選手がハブの役割を果たしていると示しているので、高度なチームでは既にそのような機能を備えている。現在の日本代表では遠藤がハブの筆頭に挙げられるだろうが、遠藤を封じられた時には別の選手がハブにならなくてはならない。

3.攻撃と守備の切り替え(その逆も)には一定の自己組織化を図ることが必要

生体の分子もネットワーク理論のように振る舞うことが分かっているが、ここからもサッカーに適用できるかもしれない発想が思い浮かぶ。

サッカーでは守備の際には「守備ブロック」「堅い守備」といった氷のような固体を連想させる言葉を用いる。一方で攻撃の際には「流動的」「流れるようなパスワーク」といった水のような液体を連想させる言葉を用いる。すなわち、攻撃から守備の切り替え(トランジション)は水から氷へ、守備から攻撃への切り替えでは氷から水に変わるプロセスであると考えることができる。

物理の世界には相転移という言葉がある。相転移とは、固体から液体、液体から気体のように性質がまったく異なる状態に変遷するプロセスのことである。固体には固体、液体には液体の分子の秩序がそれぞれ存在しているわけだが、相転移における臨界点(まさに氷が水に変わろうとしている瞬間)では秩序と無秩序が混在する。このタイミングでは分子同士の距離(相関長)はべき乗則に従っていることが分かっている。つまり、同時的に秩序を変更するのではなく、8割程度は短い相関長であるのに対し、2割程度は長い相関長の状態が生まれる。その相転移を経て、氷が完全に水になればまた水としての秩序を手に入れるわけである。

つまり、相転移にも一定の自己組織化された「秩序」があるわけである。

これに則れば、サッカーにおけるトランジションのタイミングでは一部(2割)の選手間の距離を長く保ち、大多数(8割)の選手間の距離は短いままに保つことが自然科学に則った強固な策であることが分かる。攻撃へのトランジションでは2割程度が素早くカウンターに走り出すといったイメージで、守備へのトランジションでは2割程度がリトリートしつつ8割はコンパクトに保って守備網にかけるようにプレッシャーをかけるといったイメージだろうか。トランジションのタイミングが終われば、攻撃時には水のような秩序、守備時には氷のような秩序に戻すのである。

4.システム論はハブとなる選手との接続数や接続距離によって考察されることが必要

サッカーにおけるシステム論は尽きないが、この考え方にネットワーク理論におけるトポロジーを適用することができる。トポロジーとは位置や構成に関する研究である。ネットワークにおけるノードは、ハブと多く接続できる箇所から埋まっていく。その方がそのノードにとってメリットがあるからである。また、ハブとなり得るノードが増えたほうがハブに対する攻撃への対抗策にもなる。

サッカーでは相手があるため「トポロジー対トポロジー」となり、影響が相互作用となるので一概にネットワーク理論に則ることは得策ではないかもしれないが、位置や構成に関する研究であるトポロジーの考え方を捨て去ることはもったいない話である。


**


こういったサッカーとは関係のない世界からのメタファーや研究をサッカーの世界に適用していくことが僕は結局好きなのだな。「サッカーゲームにはハブがある」という論文タイトルを初めて発見したときの興奮は今思い出してもアドレナリン出るわけです。他にも気になる研究とか発見したら引用して私見を書くと決めた。



tags べき乗則, サッカーゲームにはハブがある, トランジション, ネットワーク理論, 相転移, 自己組織化


フットボールをニューサイエンスのメタファーで切り取った史上最高の解体新書。

本書はバルセロナを題材としてフットボールの真髄を科学や哲学の世界の言葉で紐解いたものである。本書で頻繁に登場する重要キーワードは相互作用、複雑性、自己組織化、再帰性といったニューサイエンスを代表する言葉であり、還元論、決定論、機械論といった17世紀のニュートン科学のキーワードを否定的に扱っている。

クライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現している。これは自己組織化そのものであり、福岡伸一氏の言葉を借りれば動的平衡である。

これらのニューサイエンスを理解するためには『リーダーシップとニューサイエンス』が詳しい。

ニュートン科学は、唯物論の立場でもある。人の身体的感覚で感知できるものを重視して世界を理解しようとするのだ。実在するものは、目に見え、明確な物質的形状を持つとされる。物理学の歴史では、そして今もってそうだが、科学者たちは、物質の基本的な「構成要素」、万物のもととなる物質的形状をこぞって探しつづけてきた。
ニューサイエンスとニュートン主義の決定的な違いの一つは、ニューサイエンスが部分よりも全体論を重視していることだ。システムは、システム全体として理解し、ネットワーク内の関係に注目する。(P.23-24から引用)
量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

この引用を読んで、「サッカーに適用できる考え方だ」と感じた方は是非本書『バルセロナが最強なのは必然である』に目を通してほしい。目からうろこがボロボロこぼれ落ちること必至である。

逆に「答えが知りたい」「要は何を言っているのか」といった解を急ぐ人には本書は向かない。Introductionにおいて著者のオスカル・P・カノ・モレノは以下のように記している。

もしも皆さまの望みが完全な結論を導き出すことであれば、本書はふさわしいものではないかもしれません。誤解を恐れずに言えば、ここに書かれていることはバルセロナの世界観を補足するだけのものにすぎず、そこに限界はないからです。 すべての知識、それは未完成なのです。(P.20から引用)

サッカーは要素還元主義ではない。ポイント化することはできないし、ひとつひとつのプレーを切り離して考えることは無駄である。メッシが11人いれば勝てるものでもないし、「こうすれば絶対に勝てる」という必勝法も存在しない。そこに存在するのは「自己組織化」「相互作用(バランス)」というメタの視点における理のみである。これらは現代の経営学における組織論でも同様のことが語られており、『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か 』の著者であるピーター・センゲは学習する組織の重要な考えとしてシステム思考といったホリスティック(全体論的)アプローチを挙げている。

本書はまずPart1としてバルセロナのフィロソフィーを解明するために、ニューサイエンスの説明にページを割いている。ニューサイエンスが一般に受け入れられにくい理由のひとつは説明が長くなってしまうことにある。それは本書も避けて通れず、約140ページを使って説明している。ただ、章や節にトピックを分散しているので長いと感じることはない。むしろこれまでのサッカー書籍で語られてこなかったことの連続でどんどんと引き込まれていく。

次にPart2としてバルセロナのプレーモデルを紹介しているのだが、こちらは80ページ程度で具体的なプレーの説明のほうが短いという衝撃の内容となっている。ただ、Part1をきちんと読んでいればその時点でプレーモデルの大半は理解したも同然であり、Part1を理論的、抽象的な説明、Part2を具体的な説明と捉えることもできる。

筆者はポゼッションサッカーの中核は自然科学やニューサイエンスのメタファーで説明できると思っているが、それでも常に疑問に思っていることがある。それはサッカーにおけるフィニッシュという概念をどのように取り扱うか、ということである。経営における組織にはフィニッシュは存在しないし、動的平衡で保たれる人間のタンパク質にもフィニッシュは存在しない。つまりこの「ゴール」という概念については科学性で説明できない部分であるということである。経営学者ヘンリー・ミンツバーグは経営を「クラフト(経験)、アート、サイエンス」であると説いているので、もちろん経営にもアートが担保する部分が少なからず存在するということなのだが。ゴールの概念を何かのメタファーや与し易いレトリックで表現できないものか、本書にも期待していたが本書における説明は「フィニッシュの準備ができているプレイヤーにパスを出す」というものであった。本書に言わせればひとつひとつのプレーに本質はなく関係性の中にこそ意味があるものなのでフィニッシュだけを切り出すこと自体がバカげていることなのかもしれない。

いずれにせよ本書は組織論、経営学、自然科学などの領域をサッカーと融合させた最高の傑作であると惜しみない評価をしたい。



tags ニューサイエンス, バルセロナが最強なのは必然である, ホリスティック, メタファー, 全体論, 動的平衡, 学習する組織, 自己組織化

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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