科学は日進月歩だが、10年経っても色褪せない本質も存在する。

ゴールまでの距離は25メートル、ボールから9.15メートル離れた位置に身長180センチの壁が存在していることとする。

このフリーキックが相手ゴールに収まるためには、時速70キロのスピード、ボールのスピンが毎秒8回転であれば上向きに18度から30度の角度で蹴り出せば良い。12度の誤差が許されている。

しかし時速100キロでは15度から17度と、誤差が2度に狭まる。しかもボールへのエネルギーは2倍与えなければならない。

時計の秒針の1秒の角度が6度であるということを考えれば、2度という角度がいかに狭いかが分かる。
(P.7-8から筆者が再構成)

本書の序論はこのような解説から始まる。

経験科学は進んでいるが、自然科学は不変

サッカーとサイエンスの関係が年々重要視されているのは、技術の進歩によりこれまでは取得が難しかったデータを取得できるようになったり、膨大なデータの計算が短い時間で実施できるようになったことによる。こういった経験科学、臨床科学の分野は今後も進んでいくだろう。

本書は2002年出版であり、当時としては最先端の科学を扱っている。中には本質的で色褪せない分析、つまりは自然科学に近い分析もあり、今読んでも多くの気付きが得られる。

その中でも特に興味深いのが、いつの時代でも優秀なサッカープレイヤーに求められる「認知・判断・実行」というプロセスについて科学的に分析している点である。

認知、判断におけるトッププレイヤーの目の付け所

認知と判断について、本書では以下のような研究結果を明らかにしている。

まず認知に関して。
著者の所属するグループは、比較的検索空間が広くて不確定要素の多い状況における上級者と初級者の眼球運動の特徴を比較検討した。

すると、上級者のグループは視点の移動回数が多く、視点が止まっている時間が短いことが明らかになった。上級者は初級者に比べ、より広い範囲からより多くの情報を素早く収集、判断しているとかんがえられるということである。

次に判断に関して。
サッカーの状況判断の特徴として、きわめて短い時間に状況を把握し決断する必要があることが挙げられる。そのような場合の人間の行動は、技能ベース行動、規則ベース行動、知識ベース行動に分類される。

技能ベース行動とは、刺激に駆動されて起こる瞬間的な行動である。分類としては脊髄反応に近い。
規則ベース行動とは、何かのサインに応じて無意識に近い形で判断され駆動される行動である。
知識ベース行動とは、眼前の事態に対して知識を動員して判断されて行われる行動である。

時間的には技能ベース行動がより反射的であるのに対し、規則ベース行動、知識ベース行動になるほど時間はかかっていくことになる。

サッカーの状況判断では、この中の規則ベース行動が基盤となるケースが多い。

著者の所属するグループは、2対2の状況における上級者と初級者のプレー選択を、サポートの味方の位置、自分のマークがタイトかルーズか、味方のマークがタイトかルーズかの各ケースについて特徴を比較検討した。

すると、状況とそれに対応して選ばれるプレーは、上級者の方が初級者よりはっきりと決まった傾向を示していることが明らかになった。また、その際のプレイヤーの規則データベースを検討すると、構造化された知識構造で表現可能であることが示された。上級者の状況判断における規則データベースは高度に構造化され、質的に洗練されていると考えられる。

これらの結果から著者は次のように語っている。

つまり、トップクラスのプレーヤーは、普通の人なら目標に対して時間をかけながら意識的に行うことを、質の高いデータベースをフルに活かして状況からサインを察知し、瞬間的、無意識的、かつ正確に判断して実行できるといえるだろう。(P.60から引用)

科学の世界から見ればプレーのプロセスを認知、判断、実行という流れで捉えることを当たり前であるかの言及がされていることも非常に興味深い。まだ世間では村松尚登氏の著書『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人 ---日本はどうして世界で勝てないのか?』(筆者のレビュー)のタイトルにも表れているように、実行=テクニック部分がフォーカスされている。認知、判断、実行というプロセスで捉えることが当たり前になる日は来るのだろうか。

羽生善治氏の語る規則ベース行動

規則ベース行動に関しては岡田武史氏と羽生善治氏の対談『勝負哲学』(筆者のレビュー)において、羽生善治氏が次のように語っている。

プロの棋士は何百手も先まで読んで最善の一手を探す ― 将棋指しに対して、そんな超人的なイメージを抱いている人が少なくないようですが、それは「美しい誤解」にすぎません。実際には十手先の局面の予想さえ困難なんです。

(中略)

では、どうやって手を絞り込むかといえば、まさに直感なんです。平均八十通りの手から直感的にふたつか三つの候補手を選び、そこからさらに歩を動かすとか桂馬を跳ぶといった具体的なシミュレーションをするのですが、このとき残りの七十七~七十八の可能性を検討することは基本的にしません。

直感によるフォーカス機能を信用して、直感が選ばなかった他の大半の手はその場で捨ててしまうんです。最近のカメラには自動焦点機能がついていて、カメラが自動的にピントを合わせてくれますが、直感の作用はあれによく似ています。

もちろん、ここでいう直感はヤマカンとは異なります。もっと経験的なもので、監督がおっしゃるように、とても構築的なものです。数多くの選択肢の中から適当に選んでいるのではなく、いままでに経験したいろいろなことや積み上げてきたさまざまなものが選択するときのものさしになっています。そのものさしは目に見えないし、無意識の作用によるものですから、当然、言葉にはしにくいものです。(P.16-22から引用)

これは「直感の正体」について両名が話しているくだりからの引用である。まさに規則ベース行動の洗練の話ではないだろうか。科学の追求として用いられた規則ベース行動の先にこそ非科学的な直感の正体が存在するということが何ともロマンチックである。

サッカーとサイエンスをもう少し追いかけてみる

もともと僕はサイエンスが好きでサッカーゲームにはハブがあるなども食いつくタイプである。最近は少しサイエンスから離れていたが、『ビューティフル・ゲーム―世界レベルのサッカーを科学する』(筆者のレビュー)を読んでまた火がついたのでもう少し追いかけていこうと思っている。ちなみに、『ビューティフル・ゲーム』の解説を書いているのが本書『見方が変わるサッカーサイエンス』の著者である浅井武氏である。



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