p-home-01.jpg

タグ「認知、判断、実行」の一覧

4月14日に大井町にて「バルサ流育成メソッドを学ぶ!」と題した村松尚登氏のセミナー(主催:ジュニアサッカーを応援しよう)が開催されたので最前席に陣取って聞いてきました。簡単に内容を紹介し、最後に考察を加えたいと思います。

内容は書籍の紹介も含めた3部構成

IMG_1518.JPG

セミナー開催まではスクリーンには村松さんが監修した『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』が大きく投影されていました。そしてセミナーも本書の内容を中心に以下のように3部構成で展開されました。

  1. 『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』の内容紹介
  2. 『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』の練習メニュー解説
  3. 日本の育成年代にスペインの育成メソッドは応用できるのか

1部に関しては、拙ブログにて『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』のレビューを書いていますのでそちらをご覧いただければ良いかと思います。セミナーでは村松さんが本書内で印象に残った言葉をスクリーンに投影しながら解説する流れでしたが、僕がレビューで引用した箇所と概ね同じでした(嬉しい!)。

特に村松さんが繰り返し強調していたのは「自己組織化」「サッカーをシンプル化してはいけない」「明確なのは、何も明確ではないということ」といった複雑系に関するワードです。リージョの言葉もよく引用されていました。

それを踏まえて、2部では本書内で紹介されている練習メニューについて動画を用いて解説がなされました。基本的にはフリーマンを活用したポジションゲームが多く、ポジションゲームを実施する狙いを以下のようにまとめていました。

  • ボール保持者に1枚ディフェンスがつけば周囲には必ずフリーの選手がいることを認識させること
  • 奥行きのあるポゼッションを意識させること

ただ、フリーマンを活用したポジションゲームは実際の試合の環境とは異なるため、「サッカーはサッカーをすることでうまくなる」という村松さんのキーメッセージとは若干ずれています。このことをご本人も認識しながら、それでも上記2点を狙いとするために重要だとおっしゃっていたのが印象的でした。

そして3部では、これらのスペインのトレーニングメソッドを日本で適用したらどうなるか、という村松さんの実体験による考察が紹介されました。

日本での応用、福岡でうまくいき、水戸では・・・

結論から言えば、福岡のバルサスクールではスペインのメソッドがうまくいき、現在担当している水戸ホーリーホックでは必ずしもうまくいっているとはいえない状況とのことです。

その理由を要素還元的に示すことは難しいものの、最たる理由として対象の世代の相違を挙げていました。福岡はJr.世代であったのに対し、水戸はJr.ユースです。Jr.世代はまだスポンジのように新しいことでも何でも吸収してくれますが、Jr.ユース世代はある程度習慣化されたプレーが身についてしまっており、その状態で新しくスペイン流といっても難しさがあると感じているようでした。

そのため、現在は映像を活用したり身体の使い方の矯正を施しながら工夫をしてトレーニングに取り組んでいる真っ最中とのことです。

プレイヤーズファーストとはなんだったのか

さて、ここからは僕の考察です。『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』にもたびたびメッセージが登場するリージョによれば、フットボールは選手中心。選手にそぐわないプレーモデルをコーチが押し付けるのはナンセンスと口酸っぱく言っています。

また、その裏表として、4番(ピボーテ)の選手はずっと4番なのだから、選手の獲得時点で4番の選手を連れてくる必要があるとも言っています。

であれば、習慣化されたプレーが身についたJr.ユース世代に新しいプレーモデルを教えこむのは誤っているのではという疑問が浮かびます。プレイヤーズファーストではないのか、と。

そこで、セミナーの質問コーナーで真っ先に上記の疑問について質問してみました。それに対する村松さんの回答は概ね以下のようなものでした。

その疑問に関しては自分も何度も自問自答した。確かに、習慣化されたプレーを大事にしてプレーモデルを構築したいという気持ちもある。ところが、そういった選手たちが自分たちの最高のパフォーマンスを出しきっているかといえば決してそうではない。選手たちがギリギリのプレーをしているのであれば、それを最大限尊重したい。しかし、実際はもっと良いパフォーマンスを出せるのに、それを知らないから出せていないように思える。なので、選手たちがパフォーマンスを発揮できるように教えることを優先した。

この回答は村松さんの熱がこもっていたこともありますが、非常に納得的でした。もともと僕もこの考え方に近いです。プレイヤーズファーストは聞こえは良いですが、完全にプレイヤー優先にすることはある意味「指導放棄」にもなりかねません。『日本はバルサを超えられるか』(筆者のレビュー)において村松さん自身以下のように語っています。

まったく教えないというのは指導放棄になってしまいます。単に放置するだけでは基本の習得すらままならず、子どもの遊びの延長になってしまう危険性もある。そのためにも選手が自らトレーニングをオーガナイズできるためのノウハウの提供は必要で、もしかすると自分たちでトレーニングを組み立てる選手たちを対象とした「指導者選手講習会」の需要が出てくるかもしれません。
(中略)
私が今春まで指導していたバルサスクールでは、誤解を招くかもしれませんが「教えすぎている」と言っていい状態です。ただしそれは、ゲーム形式の練習を通じて、判断材料を与え、教育するという感じの詰め込みで、一般的なつめ込み指導とは異なると自負しています。(P.66-67から引用)

帰納だけに頼ってはならず、演繹的な視点も用いることによってアブダクション(仮説推論)が生まれます。その止揚のポイントを探る事こそが指導の模索なのだと思います。拙ブログの教えずに気づくのを待つのか、教えて気づきに足場をかけてあげるのかにも考察がありますのでよろしければ参照ください。

認知、判断、実行という汎用性

村松さんもセミナーの中で「レベルが高い選手は(プレーモデルの変化にも)適用可能」とおっしゃっていました。ここでいう「レベル」とは、認知、判断、実行のうちの認知や判断に優れているという意味合いだと思います。認知や判断が高いレベルでできれば、どのようなプレーモデルにも適用可能というのはまさにその通りだと思います。だからこそ、最近のサッカー指導では認知、判断、実行と教えています。

『ドイツ流攻撃サッカーで点を取る方法』(筆者のレビュー)では以下の記述があり、まずはフィロソフィ(プレーモデル)に縛り付けないことが大事と強調しています。

16歳までは選手を指導者のフィロソフィー(哲学)にしばりつけるのは避けるべきで、まずは選手が多くのオプションを持てるように指導し、そしてそのオプションを試合中にフレキシブルに応用できるように育てるべきです。選手が学んだオプションを試合で有効に使うためには、一瞬の状況判断のスピードをあげられるような実戦的なトレーニングが必要です。選手たちが状況に応じてフレキシブルに対応し、選手自らが応用できるようになることが重要なのです。(P.7から引用)

村松さんが水戸ホーリーホックで直面しているのは、認知や判断が(高いレベルで)できていないJr.ユース世代に対する指導の難しさではないかと邪推しています。テクニック主導でJr.ユースまで成長してきたため、応用が効きにくいということではないかと。

これらのことから育成年代への指導で大切なことを大局的に捉えれば、以下の2点に集約できると僕は考えます。

  • プレイヤーと指導者がそれぞれ帰納と演繹、ボトムとトップの両者から意見を綜合(≠総合)すること
  • プレーモデルに影響されない認知、判断、実行のプロセスを徹底すること


村松さんの書籍は他にもオススメがありますので興味があれば手に取ってみてください。『FCバルセロナスクールの現役コーチが教えるバルサ流トレーニングメソッド』(筆者のレビュー)は判断ができるようなトレーニングメニューを紹介しています。『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人』(筆者のレビュー)は戦術的ピリオダイゼーション理論について詳しく知ることができます。

 



tags バルサ流育成メソッド, プレイヤーズファースト, プレーモデル, 戦術的ピリオダイゼーション理論, 村松尚登, 自己組織化, 認知、判断、実行


攻撃の3大テーマをもとに104のトレーニングメニューを図解入りで紹介。

サッカーのプレーが「認知」「判断」「実行」という連続性を持った3つの局面で構成されていることは共通の認識として差し支えないだろう。そしてプレーを支える「フィジカル」「メンタル」を加えた5つがトレーニング領域として存在する。

クラブやチームとしてサッカーをする場合には、「判断」の部分にチームフィロソフィやプレーモデルを導入することが重要視されている。簡単に言えばチームの決まり事のようなものであり、戦術と言い換えることもできる。フィロソフィやプレーモデルがなければ判断の基準がないので、チームの良さを最大限発揮することは難しい。

一方で、それを理解した上でもっと大局的にサッカーを捉えた場合、攻撃シーンはフィロソフィやプレーモデルに関係なく自ずと2つに大別される。カウンター攻撃を仕掛けるか、ポジション攻撃を仕掛けるか、である。

そこで、大別した2つの攻撃手法であるカウンター攻撃、ポジション攻撃に加え、フィニッシュとして大切なシュートを3大テーマとして、それぞれのトレーニングメニューを図解入りで紹介しているのが本書である。どのようなプレーモデルを選択したとしてもカウンター攻撃かポジション攻撃を仕掛けることになるので、本書のトレーニングメニューによってサッカーをするのに一般的に必要な動きを体得できる。

フィロソフィに縛り付けない指導の重要性

本書の日本版監修者であるゲルト・エンゲルス氏は「私見ですが」と断った上で、育成年代ではフィロソフィに縛り付けない指導を心がけることが重要であると説いている。

16歳までは選手を指導者のフィロソフィー(哲学)にしばりつけるのは避けるべきで、まずは選手が多くのオプションを持てるように指導し、そしてそのオプションを試合中にフレキシブルに応用できるように育てるべきです。選手が学んだオプションを試合で有効に使うためには、一瞬の状況判断のスピードをあげられるような実戦的なトレーニングが必要です。選手たちが状況に応じてフレキシブルに対応し、選手自らが応用できるようになることが重要なのです。(P.7から引用)

このように考えるのは、ユース年代の「ポゼッション志向」にある種の危険を感じているからとエンゲルス氏はいう。

日本のとくにユース年代のサッカーを見ていると、プレーレベルが高いチームほどポゼッションを重視する傾向が見て取れます。しかしボールキープのスキルだけを磨いていると、自身よりもハイレベルな相手と対峙してボールキープできなかったとき、困難に直面してしまうのです。その際、ユース年代からカウンター攻撃などの戦術を身に付けておけば柔軟に対応できます。またカウンターに限らず、手数をかけずにゴールへ向かう思想が根底にあれば、物事をシンプルに考えることもできるのです。(P.6-7から引用)

これはまさに日本代表が直面している問題でもある。アジアでは圧倒的なポゼッションでゲームを支配できるが、世界では必ずしも日本がゲームを支配できるわけではない。そうした場合にどのように対処していくのかは未だに日本として意識が定まっていないと感じられる大きな岐路である。2006ドイツW杯では対アジアと同じ戦い方を指向して1次リーグ敗退、2010南アW杯では直前に守備的な戦い方を指向してベスト16。2014ブラジルW杯はこのままいけば対アジアと同じ戦い方を指向していくだろうが、結果は果たして、である。

ちなみに本書では「ポジション攻撃」と「ポゼッション攻撃」は明確に定義を分けて使われている。

ポジション攻撃とは、チーム全体としてのポジションは守りつつ、局所ではポジションチェンジを繰り返しながら相手のポジションに穴を作り出し、そこを突いていくことを意味している。

一方でポゼッション攻撃とは、一般的にボールキープに主眼を置いた手法で、どちらかというとフィロソフィに関連したものである。

『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー)でもポジションという言葉を意図して使用している。監修者の村松尚登氏はまえがきでこのように語っている。

タイトルを直訳すると「FCバルセロナのポジションプレー」となります。「posicion」は日本語でいうところの「ポジション」を意味しますが、「El juego de posicion」は本書内でも頻出する言葉で、バルセロナのサッカーの根幹でもあります。相当する日本語は、今の日本サッカーには存在しないですし、「ポジションプレー」とそのまま訳してはオスカル氏が意図するニュアンスは伝わらないでしょう。
(中略)
これで、「El juego de posición」が、ボールをキープ(ポゼッション)するためにパスコースを複数作り続ける際に、一人ひとりのポジション取りがある程度決まっており、その中でお互いのプレーゾーンを尊重し合いながら動く、というニュアンスが伝わってくるかと思います。(P.9-10から引用)

トレーニングメニューの構成

カウンター攻撃もポジション攻撃も、まずは簡単なものから実施して徐々に難しくなっていくように構成されている。

カウンター攻撃では、まずは1対0(相手はGKのみ)から始まり、徐々に2対1+1(守備者が1人後ろから追いかけてくるのでもたもたしているとカウンターが成り立たない)、2+1対1+1といったようにゲームに近づく構成にし、最後の方は6対6といった流れの中からのカウンター攻撃を意識させるようにできている。守備で数的有意を作り出して相手からボール奪取し、即座に逆サイドに展開して仕掛ける攻撃などもあり、実際のゲームでも十分通用する内容である。

ポジション攻撃では、まずはポジションを守る(ポジションチェンジしても良いが誰かは必ず適正なポジションにつく)ことを意識させるメニューが多い。各自が移動できるゾーンが決まっていたり、深く広いポジションを取ることが求められたりする。その上で相手のポジションに穴を作り出すことが意識できる内容となっている。

ただし、すべて動きが決まっているトレーニングというよりはプレイヤーの「判断」を重要視するメニューになっており、型にはめるというものではない。型ではなく、自主性を育むために必要なヒントが各メニューに用意されているので、それを参考にすることができる。

判断ができるプレイヤーに成長するために

エンゲルス氏はテクニック(実行)の使い方についてこのように語っている。

日本とドイツの両国でサッカーの指導経験がある私の主観としては、日本とドイツはサッカーの指導方法が似ていると感じます。しかし現状では「テクニックの使い方」は日本よりもドイツの選手のほうが優れているように思います。この場面では素早くトラップして次の動作に移行するとか、この場面ではボールをキープするのではなく潔くクリアすべきであるという選択、またはゴール前で躊躇なくシュートを放つなどの判断力です。(P.8から引用)

本書が刊行されたのは2009年だが、2014年になってもまだ同じことが言われ続けている。タイトルがまさにこの事実を表現している『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人』(筆者のレビュー)にはこのような記述がある。

「サッカーの基本とは?」ということを考えた場合、サッカーの基本は決してテクニックではなく"駆け引き"や"賢さ"だという価値観がスペインには存在します。小学校低学年の試合でも、選手もコーチも保護者も全員が選手たちに"駆け引き"や"賢さ"を要求します。ここでいう"賢さ"とは、刻一刻と変化する試合の中で的確にかつ迅速に状況判断を下し続ける"知的能力"のことを指しています。(P.74から引用)

選手が変わるにはまずは指導者から。実行(テクニック)部分ももちろんだが、認知や判断の部分のトレーニングが早期から提供されるような土壌になっていくように、本書のような書籍が少しでも広まってくれたらと思う。



tags カウンター攻撃, トレーニングメニュー, ドイツ流攻撃サッカーで点を取る方法, ポジション攻撃, 認知、判断、実行

昨今、スペインをはじめとする海外の先進的な研究に基づいたトレーニング理論が日本でも紹介、流通し始めている。各トレーニング理論に細かい違いはあるものの、概ね共通している点としては次の2つのポイントがあるように思う。

テクニック(実行)だけでなく、その前の認知や判断を重要視すること

知のサッカーでは認知・判断・実行という言葉を使い、『スペイン流サッカーライセンス講座―「育成大国」の指導者が明かす考えるトレーニング理論』では知覚・判断・実行と呼んでいる。中身は同じである(原語では同じ単語なのかもしれない)。とかくテクニック(実行)が注目されがちな世界の中で、その前に頭の中で起こる認知(知覚)と判断をおろそかにしては一流にはなれない。『スペイン流サッカーライセンス講座』に次のような記述がある。

ボールを扱う技量という点にのみ目を向ければ、現在のプロ選手以上にうまい選手はたくさんいます。しかし、彼らと第一線で活躍するプロ選手には大きな違いがあります。それは、自らが持つ技量をプレーに正しく落とし込むことができるかどうかです。つまり優秀なプロ選手になるには、試合で使える技術を持っていなければならない、ということです。(P.32から引用)(太字は筆者強調)

ゲームそのもので起こりうる状況を踏まえたトレーニングが重要であること

各トレーニング理論では、トレーニングをいくつかの種類(メソッド)に分けている。

例えば知のサッカーでは次の2種類である。


インテレラショナード・トレーニング―スペイン・サッカー最新上級者向けメソッド』(筆者のレビュー)ではフィジカルにやや重みを置いてアナリティコ(単体)、インテレラショナード(フィジカル+α)、グローバル(技術+戦術)という言葉を使い分けているし、『スペイン流サッカーライセンス講座』ではアナリティコ(単調な反復)、インテグラル(複合的)、エストゥルクトゥラード(実戦的)といった具合である。

これらのポイントを学ぶにつれ、これは僕が携わっている人事の学習理論とまったく同じ変遷をたどっていると感じた。そのことについて次に述べたい。

3つの学習理論

人が学ぶということは一体どういうことなのだろうか。

単純なようで奥深い問いに教育学者や心理学者たちは長年向き合ってきた。数多ある研究の中で、学習における心理学研究が学習をどのように捉えてきたかの変遷を『企業内人材育成入門』を参考に紹介したい。

大きく分けて「行動主義」「認知主義」「状況主義」の3つの考え方が存在している。

行動主義は刺激と反応によるスモールステップ

行動主義とは、反復練習によって繰り返し行動することにより学習効果を高めていく考え方であり、最も古くから存在するものである。同じ行動を反復するために、限定された環境の中で行われることが意図され、初期の研究で有名なのがスキナー箱である。

行動主義の中心的概念は「刺激」と「反応」、そして「強化」である。

例えば何か問題を解く場面を想定してほしい。出された問題に対し解答し、正解したら褒めてもらえるとする。この場合の問題が刺激、解答を出す行為が「反応」、褒められることが「強化」というわけである。

認知主義はコンピューターのアナロジー

認知主義は、行動主義ではアプローチのできなかった人間の頭の中の情報処理に着目した点でより発展したといえる。

コンピューターはインプット、演算、アウトプットという大きく3つの処理が走っており、演算をさらに分解すればデータの保存や計算といった処理が存在している。これになぞらえて人間の知的な振る舞いが説明できるとしたのが認知主義である。

単なる刺激と反応という行動主義の捉え方ではなく、刺激を認知し、判断し、行動に移すというプロセスがあるはずであり、その情報処理について知ることが学習をもっと効果的にするために必要なことであると説いたのである。

状況主義は環境との相互作用

限定された環境における刺激と反応が行動主義、知的振る舞いの情報処理のプロセスに着目したのが認知主義であるのに対し、状況主義は頭の中というよりも環境要因に注目した理論である。

人は何かを実践するとき、頭の中だけで考えて実施するというよりは、状況に応じてやり方を変えるのが通常である。すなわち、実際の環境の中でどのように振る舞うか、どういう相互作用を生み出すか、といった点が焦点となる。


ちなみにこれらの理論は、何が正しくて何が間違っているというわけではなく、すべて学習の一側面を論じているものである。

学習と仕事を結びつける正統的周辺参加

ビジネスを本分とするビジネスパーソンにおいては、学習が最終目的ではなく、学習した内容をビジネスにおいて発揮することが目的となるはずである。このように考えれば、学習とビジネス(仕事)は二項対立的な概念ではなく、一体化された枠組みで捉える必要があることが分かる。こういった考え方として提唱されたのが「正統的周辺参加」である。

正統的周辺参加については『企業内人材育成入門』から以下の説明を引用する。

共同体の実践活動に参加するとき、学習者が意識しているのは、「問題意識の育成」や「知識・スキルの修得」といったシステマチックに細分化された目的ではなく、トータルな意味での実践活動における行為の熟練である。他者の目には、「彼は知識を身につけている」とか、「彼女は重要な問題点に気づいた」と映るような状況であっても、学習者本人にとっては「いい仕事をしよう」と思っているだけで、「今、自分は学習している」という意識はないということだ。(P.97から引用)

ここでの主張は、学習は状況に埋め込まれている、ということである。そして、状況を無理やり作らなくてもビジネスを実践することが状況そのものなのであるから、ビジネスを実践しながら学習することこそが本来の姿であるとしている。

トレーニング・メソッドと学習理論

さて、もう既にお気づきのことと思うが、サッカーにおけるトレーニング・メソッドの発展と、学習理論の発展はまったく同じことを言っている。

サッカーのトレーニングでは、サッカーをサッカーとして捉えることが重要とされ、そのためには試合で起こる状況を踏まえたトレーニング、もしくは試合そのものを実践することで成長が促されるというのが潮流である。

学習では、ドリルの反復練習のような限定された環境の学習ではなく、学習は状況に埋め込まれていると捉え、状況に応じた相互作用から学ぶことが重要とされている。

理論を突き詰めて尖ってくると、行き着くところは結局同じ。異なる分野の研究からこういった相似性を発見できることが、知的探求における愉しさですね。



tags インテレラショナード, トレーニング・メソッド, 企業内人材育成入門, 学習理論, 正統的周辺参加, 状況に埋め込まれた学習, 状況主義, 知のサッカー, 行動主義, 認知、判断、実行, 認知主義


科学は日進月歩だが、10年経っても色褪せない本質も存在する。

ゴールまでの距離は25メートル、ボールから9.15メートル離れた位置に身長180センチの壁が存在していることとする。

このフリーキックが相手ゴールに収まるためには、時速70キロのスピード、ボールのスピンが毎秒8回転であれば上向きに18度から30度の角度で蹴り出せば良い。12度の誤差が許されている。

しかし時速100キロでは15度から17度と、誤差が2度に狭まる。しかもボールへのエネルギーは2倍与えなければならない。

時計の秒針の1秒の角度が6度であるということを考えれば、2度という角度がいかに狭いかが分かる。
(P.7-8から筆者が再構成)

本書の序論はこのような解説から始まる。

経験科学は進んでいるが、自然科学は不変

サッカーとサイエンスの関係が年々重要視されているのは、技術の進歩によりこれまでは取得が難しかったデータを取得できるようになったり、膨大なデータの計算が短い時間で実施できるようになったことによる。こういった経験科学、臨床科学の分野は今後も進んでいくだろう。

本書は2002年出版であり、当時としては最先端の科学を扱っている。中には本質的で色褪せない分析、つまりは自然科学に近い分析もあり、今読んでも多くの気付きが得られる。

その中でも特に興味深いのが、いつの時代でも優秀なサッカープレイヤーに求められる「認知・判断・実行」というプロセスについて科学的に分析している点である。

認知、判断におけるトッププレイヤーの目の付け所

認知と判断について、本書では以下のような研究結果を明らかにしている。

まず認知に関して。
著者の所属するグループは、比較的検索空間が広くて不確定要素の多い状況における上級者と初級者の眼球運動の特徴を比較検討した。

すると、上級者のグループは視点の移動回数が多く、視点が止まっている時間が短いことが明らかになった。上級者は初級者に比べ、より広い範囲からより多くの情報を素早く収集、判断しているとかんがえられるということである。

次に判断に関して。
サッカーの状況判断の特徴として、きわめて短い時間に状況を把握し決断する必要があることが挙げられる。そのような場合の人間の行動は、技能ベース行動、規則ベース行動、知識ベース行動に分類される。

技能ベース行動とは、刺激に駆動されて起こる瞬間的な行動である。分類としては脊髄反応に近い。
規則ベース行動とは、何かのサインに応じて無意識に近い形で判断され駆動される行動である。
知識ベース行動とは、眼前の事態に対して知識を動員して判断されて行われる行動である。

時間的には技能ベース行動がより反射的であるのに対し、規則ベース行動、知識ベース行動になるほど時間はかかっていくことになる。

サッカーの状況判断では、この中の規則ベース行動が基盤となるケースが多い。

著者の所属するグループは、2対2の状況における上級者と初級者のプレー選択を、サポートの味方の位置、自分のマークがタイトかルーズか、味方のマークがタイトかルーズかの各ケースについて特徴を比較検討した。

すると、状況とそれに対応して選ばれるプレーは、上級者の方が初級者よりはっきりと決まった傾向を示していることが明らかになった。また、その際のプレイヤーの規則データベースを検討すると、構造化された知識構造で表現可能であることが示された。上級者の状況判断における規則データベースは高度に構造化され、質的に洗練されていると考えられる。

これらの結果から著者は次のように語っている。

つまり、トップクラスのプレーヤーは、普通の人なら目標に対して時間をかけながら意識的に行うことを、質の高いデータベースをフルに活かして状況からサインを察知し、瞬間的、無意識的、かつ正確に判断して実行できるといえるだろう。(P.60から引用)

科学の世界から見ればプレーのプロセスを認知、判断、実行という流れで捉えることを当たり前であるかの言及がされていることも非常に興味深い。まだ世間では村松尚登氏の著書『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人 ---日本はどうして世界で勝てないのか?』(筆者のレビュー)のタイトルにも表れているように、実行=テクニック部分がフォーカスされている。認知、判断、実行というプロセスで捉えることが当たり前になる日は来るのだろうか。

羽生善治氏の語る規則ベース行動

規則ベース行動に関しては岡田武史氏と羽生善治氏の対談『勝負哲学』(筆者のレビュー)において、羽生善治氏が次のように語っている。

プロの棋士は何百手も先まで読んで最善の一手を探す ― 将棋指しに対して、そんな超人的なイメージを抱いている人が少なくないようですが、それは「美しい誤解」にすぎません。実際には十手先の局面の予想さえ困難なんです。

(中略)

では、どうやって手を絞り込むかといえば、まさに直感なんです。平均八十通りの手から直感的にふたつか三つの候補手を選び、そこからさらに歩を動かすとか桂馬を跳ぶといった具体的なシミュレーションをするのですが、このとき残りの七十七~七十八の可能性を検討することは基本的にしません。

直感によるフォーカス機能を信用して、直感が選ばなかった他の大半の手はその場で捨ててしまうんです。最近のカメラには自動焦点機能がついていて、カメラが自動的にピントを合わせてくれますが、直感の作用はあれによく似ています。

もちろん、ここでいう直感はヤマカンとは異なります。もっと経験的なもので、監督がおっしゃるように、とても構築的なものです。数多くの選択肢の中から適当に選んでいるのではなく、いままでに経験したいろいろなことや積み上げてきたさまざまなものが選択するときのものさしになっています。そのものさしは目に見えないし、無意識の作用によるものですから、当然、言葉にはしにくいものです。(P.16-22から引用)

これは「直感の正体」について両名が話しているくだりからの引用である。まさに規則ベース行動の洗練の話ではないだろうか。科学の追求として用いられた規則ベース行動の先にこそ非科学的な直感の正体が存在するということが何ともロマンチックである。

サッカーとサイエンスをもう少し追いかけてみる

もともと僕はサイエンスが好きでサッカーゲームにはハブがあるなども食いつくタイプである。最近は少しサイエンスから離れていたが、『ビューティフル・ゲーム―世界レベルのサッカーを科学する』(筆者のレビュー)を読んでまた火がついたのでもう少し追いかけていこうと思っている。ちなみに、『ビューティフル・ゲーム』の解説を書いているのが本書『見方が変わるサッカーサイエンス』の著者である浅井武氏である。



tags 見方が変わるサッカーサイエンス, 規則ベース行動, 認知、判断、実行

このページの上部へ

プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

サイト内検索

最近のピクチャ

  • IMG_2920.jpg
  • IMG_1540.jpg
  • IMG_1890.jpg
  • enders_deadly_drive.jpg
  • 2013年度純損失クラブ一覧.jpg
  • IMG_1825.jpg
  • fractal01.jpg
  • hata_seminarL.jpg

コンタクト

Powered by Movable Type 5.2.3