ブラジルをブラジルたらしめているものは何か。

「ブラジル人」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。多くの人が「サッカー」と答えるのに違いない。そして言下には「サッカーが上手い」という共通認識がある。本書にも以下のような記述がある。

"ブラジル人サッカー選手"という言葉は、"フランス人シェフ"や"チベットの僧侶"と同種の慣用句だ。生来の才能とは別に、国籍が職業上の権威や適性の決め手となっている。(P.24から引用)

では、ブラジル=サッカー(フチボウ)という印象はどこに端を発しているのか。ブラジル人はいつから我々が想像するような「ブラジル人」であったのだろう。これは歴史学や社会学の領域でもある「文化」という得体のしれない存在に迫る壮大な問いである。

この壮大な問いに挑戦しているのが本書『フチボウ』である。ジャーナリストであり数学者でもあるアレックス・ベロスが実際にブラジルの各地を訪問し、ブラジルと文化とフチボウについての歴史を紐解くノンフィクション。ペレやガリンシャなどの有名なプロフットボーラーの逸話もあれば、自動車でサッカーをするアウトボウと呼ばれるとんでもない亜種のフチボウ、赤道がセンターラインと重なるスタジアムなど、フチボウのあらゆる側面を紹介する500ページを超える大作となっている。

マナウスで行われる美女コンテスト兼サッカー大会

アマゾナス州の州都マナウス。2014ブラジルW杯の会場にもなっている都市ではペラダン(ペラドン)と呼ばれる特徴的なサッカー大会が毎年開催されている。著者が取材した2000年時点で500チームが参加、現在では1000チームに達するとも言われている。

ペラダンへの参加条件の1つが、クイーンを連れてくること。そしてそのクイーンは水着審査も含めた美女コンテストに参加するという。この美女コンテスト、大会を華やかにするためという要素もあるが、それだけではない。

大会にはワールドカップと同じ形式が採用されている。参加チームはグループリーグを戦い、ノックアウト方式の決勝ラウンド進出をめざす。優勝したチームには五千ポンドが、<ペラダン>のクイーンには新車が贈られる。

(中略)

両者は別々に進められるが、独立しているわけではない。その逆だ。<ペラダン>の最もユニークな点 ― であると同時に厄介な点 ― は、サッカーで敗退してもクイーンの力で復活する可能性が残されていることなのだ。
「つまり、こういうことだ」とアルナウド(筆者注:大会運営者)は説明をはじめる。「美女コンテストで最後の十六人に残ったチームの間で、もう一度ペラーダ(筆者注:自由なサッカーの総称)の対戦が組まれ、そこで一位になったチームには、<ペラダン>の決勝ラウンド進出のかかったプレイオフを戦う権利があたえられる。つまり、魅力的なクイーンを連れてくることには、きわめて大きな意味があるということだ。」(P.358-360から引用)

この自由さこそがブラジルの伝統的な特徴でもある。

クラブチームによる全国選手権が始まったのは1971年。この大会のレギュレーションはしょっちゅう変更されている。

  • 1974年:順位を決定する要素のひとつにチケットの売上総額が使われる
  • 1975年:2点差以上の点差をつけて勝利したチームに勝ち点1が加算
  • 1978年:・・・はとても説明しきれないくらい複雑で負けても負けても優勝のチャンスがある

この「緩さ」はある意味日本人が見習うべき部分かもしれない。以下の記述を見てほしい。

すべてのチームがホームアンドアウェイで一試合ずつ戦い、最高の成績を収めたチームを優勝とする方法 ― 欧州の主要国でごく普通に用いられている方法 ― は、一度も採用されたことがない。また、リーグ戦があるところには、必ず上位チームによるノックアウト方式のラウンドがある。"決勝"のない選手権は、ブラジル人の理解の範疇にはない。(P.428-429から引用)

Jリーグの2シーズン制とポストシーズンの採用で日本人が揉めていると聞いたらブラジル人はどのように思うだろうか。

ニックネームやファーストネームで選手を呼ぶブラジル

ジーコやペレが本名ではなくニックネームであることはよく知られている。ではなぜブラジルではニックネームが使われているのか。これには諸説ある。

かつて黒人や貧困層の白人を差別して裕福な層だけでフチボウをやろうとするために、富裕層は「名前を書けなければ試合には出られない」というレギュレーションを設けた。識字率の低い貧困層は長い名前を書けなかったため、名前を変えるという手段に出た。長かった名前を「シウヴァ」など簡単な名前に変え、試合に出場した。というのが影響しているという説。

奴隷制の名残としてニックネームが根強く使われている。という説。

などもろもろあるが、ニックネームで呼ぶのはブラジルの気取りのない社会の表れであると簡単に結論づけている人も多い。ブラジル人は細かいことは気にしないのである。
「ブラジルが文明社会に貢献していることがあるとすれば、温かみのある人間を世界じゅうに送り出していることだ」(P.325から引用)

ブラジル人は、自分の名前やニックネームのスペルを気にしない。ザガロがZagaloでもZagalloでもどちらでも良いと本人も思っている。

このエピソードから知れるのは、不正確に対する几帳面の勝利、もしくは常識に対する厳密さの勝利 ― ではなく、ブラジルの文化がいかに口承的なものであるかということなのだ。(P.331)

本人だと分かれば何でも良い。だからニックネームもよく変わる。ジュニーニョが2人いると区別がつかないから、サンパウロ出身のジュニーニョはジュニーニョ・パウリスタ。ペルナンブコ出身のジュニーニョはジュニーニョ・ペルナンブカーノになる。ただし、ジュニーニョが2人いるからと言って、彼らを苗字で呼ぶことは絶対にない。

崩れつつある伝統的なブラジルのフチボウ

自由さはブラジルのフチボウの専売特許でもあったが、グローバル化の進む現代社会において必ずしも維持できるわけではなさそうである。

終章のソクラテスのインタビューでこのような話がある。

フチボウが変わったのはブラジルが変わったからだ、とソクラテスは話をはじめる。「ブラジルは都会的になった。以前は、どこでサッカーをしようが一向にかまわなかった。通りだろうが、どこだろうがね。それがいまではサッカーをする場所が見つからない。つまり、最近はどんなかたちでスポーツに関わるにせよ、そこでは何かしら規格化がおこなわれているということだ」(P.504から引用)

ブラジルの規格におさまらないサッカーは長年世界でリスペクトされ最強の名をほしいままにしてきた。しかし昨今の科学やゲーム分析の発達によって、幼少期からの養成機関で育てられた欧州のプロフットボーラーを擁する各国に敵わなくなってきている。

2014年に開催されるブラジルW杯はすべての国民が心待ちにしている行事かと思いきや、前年のコンフェデのデモや各種報道を見ていると必ずしも歓迎されているわけではなさそうである。

もちろん、ブラジルからストリートサッカーがすぐに失われるかといえばそんなことはない。今のフチボウが一朝一夕で作られたものではないのと同様に、変化が全土に伝わるのは非常に緩やかだろう。これが創造的破壊につながるのか、もしくは失われた伝統を懐かしむことになるのか。

2014年ブラジルW杯、そして2016年リオ五輪での母国の活躍が重要な分水嶺になることは間違いない。

重要な大会が連続で控えているブラジルという国を、そしてブラジルのフチボウについて知るために、本書はうってつけである。



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