2014年1月の記事一覧

昨今、スペインをはじめとする海外の先進的な研究に基づいたトレーニング理論が日本でも紹介、流通し始めている。各トレーニング理論に細かい違いはあるものの、概ね共通している点としては次の2つのポイントがあるように思う。

テクニック(実行)だけでなく、その前の認知や判断を重要視すること

知のサッカーでは認知・判断・実行という言葉を使い、『スペイン流サッカーライセンス講座―「育成大国」の指導者が明かす考えるトレーニング理論』では知覚・判断・実行と呼んでいる。中身は同じである(原語では同じ単語なのかもしれない)。とかくテクニック(実行)が注目されがちな世界の中で、その前に頭の中で起こる認知(知覚)と判断をおろそかにしては一流にはなれない。『スペイン流サッカーライセンス講座』に次のような記述がある。

ボールを扱う技量という点にのみ目を向ければ、現在のプロ選手以上にうまい選手はたくさんいます。しかし、彼らと第一線で活躍するプロ選手には大きな違いがあります。それは、自らが持つ技量をプレーに正しく落とし込むことができるかどうかです。つまり優秀なプロ選手になるには、試合で使える技術を持っていなければならない、ということです。(P.32から引用)(太字は筆者強調)

ゲームそのもので起こりうる状況を踏まえたトレーニングが重要であること

各トレーニング理論では、トレーニングをいくつかの種類(メソッド)に分けている。

例えば知のサッカーでは次の2種類である。


インテレラショナード・トレーニング―スペイン・サッカー最新上級者向けメソッド』(筆者のレビュー)ではフィジカルにやや重みを置いてアナリティコ(単体)、インテレラショナード(フィジカル+α)、グローバル(技術+戦術)という言葉を使い分けているし、『スペイン流サッカーライセンス講座』ではアナリティコ(単調な反復)、インテグラル(複合的)、エストゥルクトゥラード(実戦的)といった具合である。

これらのポイントを学ぶにつれ、これは僕が携わっている人事の学習理論とまったく同じ変遷をたどっていると感じた。そのことについて次に述べたい。

3つの学習理論

人が学ぶということは一体どういうことなのだろうか。

単純なようで奥深い問いに教育学者や心理学者たちは長年向き合ってきた。数多ある研究の中で、学習における心理学研究が学習をどのように捉えてきたかの変遷を『企業内人材育成入門』を参考に紹介したい。

大きく分けて「行動主義」「認知主義」「状況主義」の3つの考え方が存在している。

行動主義は刺激と反応によるスモールステップ

行動主義とは、反復練習によって繰り返し行動することにより学習効果を高めていく考え方であり、最も古くから存在するものである。同じ行動を反復するために、限定された環境の中で行われることが意図され、初期の研究で有名なのがスキナー箱である。

行動主義の中心的概念は「刺激」と「反応」、そして「強化」である。

例えば何か問題を解く場面を想定してほしい。出された問題に対し解答し、正解したら褒めてもらえるとする。この場合の問題が刺激、解答を出す行為が「反応」、褒められることが「強化」というわけである。

認知主義はコンピューターのアナロジー

認知主義は、行動主義ではアプローチのできなかった人間の頭の中の情報処理に着目した点でより発展したといえる。

コンピューターはインプット、演算、アウトプットという大きく3つの処理が走っており、演算をさらに分解すればデータの保存や計算といった処理が存在している。これになぞらえて人間の知的な振る舞いが説明できるとしたのが認知主義である。

単なる刺激と反応という行動主義の捉え方ではなく、刺激を認知し、判断し、行動に移すというプロセスがあるはずであり、その情報処理について知ることが学習をもっと効果的にするために必要なことであると説いたのである。

状況主義は環境との相互作用

限定された環境における刺激と反応が行動主義、知的振る舞いの情報処理のプロセスに着目したのが認知主義であるのに対し、状況主義は頭の中というよりも環境要因に注目した理論である。

人は何かを実践するとき、頭の中だけで考えて実施するというよりは、状況に応じてやり方を変えるのが通常である。すなわち、実際の環境の中でどのように振る舞うか、どういう相互作用を生み出すか、といった点が焦点となる。


ちなみにこれらの理論は、何が正しくて何が間違っているというわけではなく、すべて学習の一側面を論じているものである。

学習と仕事を結びつける正統的周辺参加

ビジネスを本分とするビジネスパーソンにおいては、学習が最終目的ではなく、学習した内容をビジネスにおいて発揮することが目的となるはずである。このように考えれば、学習とビジネス(仕事)は二項対立的な概念ではなく、一体化された枠組みで捉える必要があることが分かる。こういった考え方として提唱されたのが「正統的周辺参加」である。

正統的周辺参加については『企業内人材育成入門』から以下の説明を引用する。

共同体の実践活動に参加するとき、学習者が意識しているのは、「問題意識の育成」や「知識・スキルの修得」といったシステマチックに細分化された目的ではなく、トータルな意味での実践活動における行為の熟練である。他者の目には、「彼は知識を身につけている」とか、「彼女は重要な問題点に気づいた」と映るような状況であっても、学習者本人にとっては「いい仕事をしよう」と思っているだけで、「今、自分は学習している」という意識はないということだ。(P.97から引用)

ここでの主張は、学習は状況に埋め込まれている、ということである。そして、状況を無理やり作らなくてもビジネスを実践することが状況そのものなのであるから、ビジネスを実践しながら学習することこそが本来の姿であるとしている。

トレーニング・メソッドと学習理論

さて、もう既にお気づきのことと思うが、サッカーにおけるトレーニング・メソッドの発展と、学習理論の発展はまったく同じことを言っている。

サッカーのトレーニングでは、サッカーをサッカーとして捉えることが重要とされ、そのためには試合で起こる状況を踏まえたトレーニング、もしくは試合そのものを実践することで成長が促されるというのが潮流である。

学習では、ドリルの反復練習のような限定された環境の学習ではなく、学習は状況に埋め込まれていると捉え、状況に応じた相互作用から学ぶことが重要とされている。

理論を突き詰めて尖ってくると、行き着くところは結局同じ。異なる分野の研究からこういった相似性を発見できることが、知的探求における愉しさですね。



tags インテレラショナード, トレーニング・メソッド, 企業内人材育成入門, 学習理論, 正統的周辺参加, 状況に埋め込まれた学習, 状況主義, 知のサッカー, 行動主義, 認知、判断、実行, 認知主義


サッカー書評集、僕がやってみたいことでもある。

本書はサッカー書籍153冊の書評を一冊にまとめた、おそらく初めての「サッカー書籍の書評集」である。「こんな書籍あったな」というものから「これはまったく聞いたことがない」というものまで、2002年~2013年まで古今東西のサッカー書籍が集まっている。

カテゴライズされているわけではないので多少の探しにくさはあるが、サッカー書籍を探したい人のインデックスとして役に立ちそうだ。

書評以外の記述が奥深い

僕も1年間ほどサッカー書籍の書評ブログを続けていて、僭越ながら著者の佐山一郎氏に共感する記述が多い。いくつか引用させていただく。

思いの込もった本に対してごく短い文章量で応えるのはとても骨の折れる仕事です。指定文字数は多いほうがむしろ楽なくらいですよ。(P.85から引用)

同意。読む人は大変かもしれないが、長く書いた方がこちらの伝えたい内容を全て込めることができるという点で安心感がある。もともとは朝日新聞の書評(新刊評)欄で連載を始めたことが書評のきっかけであったようなので、文字数が限られた中で書評を書くのはさぞ大変だったことと思う。


言うまでもなく、本の執筆には想像以上の労力が費やされる。絶賛調で紹介されていれば、どんな大家でも有頂天。反対に痛いところを突かれれば一生ものの恨みにつながりやすい。しかもきちんと読んでいるか否かについていちばん敏感なのが著者なのである。

けじめも境界もなくしてしまう大衆迎合化だけは阻止したい。でもせっかく生まれてきた子をとりあげたからにはたくさん売れて欲しい。そんな複雑な思いで僕は新刊評をやって来たように思う。それはこれからも変わることがないだろう。(P.127から引用)

こんなブログでさえきちんと読まれたらうれしい気持ちになるのだから、著書であればなおのこと。書評を書くからにはきちんと読む。そして大衆迎合化、避けたいところである。売れてほしい気持ちがあるけれど、売ることが目的になってはいけない。この境目が難しい。


― 1冊、1冊を丁寧に精魂込めて書評される姿勢は見習わないといけないと思います。1冊の本を書評するにあたって心がけていることは何でしょうか?

佐山 対峙するという意味ではロング・インタビューのような真剣勝負ですね。本気度とか努力の総量を浴びるように感じるということでしょうか。基本的な願いとして、良い本であればぜひ買って所有してもらいたいんですよ。新刊評=広告コピーである必然性はないんだけど、自分の潜在意識としては気前よく買って欲しい。(P.289から引用)

僕は、プロサッカー選手以外にもサッカーを通じて食べていける人が少しでも増えたらいいと思っている。だから、良い本であればぜひ売れてほしい。僕のブログがどこまで貢献できるか分からないけれど、少しでも売上に寄与できれば嬉しい。

そのためには、書籍をしっかりと読み、正面から対峙して、自分に書ける最高のレビューを書くことがせめてもの礼儀だと思っている。手にとったことがない本であったり、たいして深く読んでいない本を紹介したりすることは僕は絶対にしない。


そして佐山氏は、得にもならないことを威勢よく言ってしまうと前置きした上で、「はじめに(口上)」で次のように語っている。

同業者の書評で巧い、面白い、とりあげたその本、ぼくも読んでみたいと感じることがほぼないに等しいのだ。

となれば、本がつまらないのは全面的に作者のせいなのかという問題にも発展してゆく。評価を避けて毒にも薬にもならない紹介文を繰り返している案内人にも悪循環の一因があるのではないか。もしそうであるなら、少しでも改善への意欲を示して、新たな道筋をつけるべきではないのか。

思えば、そうした黙しがたい感情をこっそり隠し持つこの11年なのであった。(P.2から引用)

この道筋に続いていければ、そしていつか道筋を僕自身がつけられれば。そんな想いにさせてくれる、勇気づけられる一冊である。

おもしろいほどにかぶらない書評

本書は年代別に章が分かれており、最終章では2012年~2013年の約2年間における88冊の書評が紹介されている。この2年間であれば僕もだいぶサッカー書籍を読んだと思っているのだが、おもしろいほどに佐山氏と書籍がかぶっていない。かぶっていたのは88冊中以下のたった6冊。

  • サッカー選手の正しい売り方(小澤一郎) →筆者のレビュー
  • Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法(城福浩) →筆者のレビュー
  • フット×ブレインの思考法 日本のサッカーを強くする25の視点(テレビ東京FOOT×BRAINプロジェクト編) →筆者のレビュー
  • I AM ZLATAN(ズラタン・イブラヒモビッチ) →筆者のレビュー
  • ザ・シークレット・フットボーラー(ザ・シークレット・フットボーラー) →筆者のレビュー
  • ボールピープル(近藤篤) →筆者のレビュー

     


これは僕にとってはうれしいことで、本書を読むことで読みたい書籍がたくさん増えた。早速いくつかAmazonでポチっと。書評を通じて書籍を買うという行為こそが書評者にとっての喜びであろうから、少しは貢献できたかしら。佐山氏にペイされる仕組みでないことが心残りだけれど。



tags サッカー書評, 佐山一郎, 夢想するサッカー狂の書斎


科学は日進月歩だが、10年経っても色褪せない本質も存在する。

ゴールまでの距離は25メートル、ボールから9.15メートル離れた位置に身長180センチの壁が存在していることとする。

このフリーキックが相手ゴールに収まるためには、時速70キロのスピード、ボールのスピンが毎秒8回転であれば上向きに18度から30度の角度で蹴り出せば良い。12度の誤差が許されている。

しかし時速100キロでは15度から17度と、誤差が2度に狭まる。しかもボールへのエネルギーは2倍与えなければならない。

時計の秒針の1秒の角度が6度であるということを考えれば、2度という角度がいかに狭いかが分かる。
(P.7-8から筆者が再構成)

本書の序論はこのような解説から始まる。

経験科学は進んでいるが、自然科学は不変

サッカーとサイエンスの関係が年々重要視されているのは、技術の進歩によりこれまでは取得が難しかったデータを取得できるようになったり、膨大なデータの計算が短い時間で実施できるようになったことによる。こういった経験科学、臨床科学の分野は今後も進んでいくだろう。

本書は2002年出版であり、当時としては最先端の科学を扱っている。中には本質的で色褪せない分析、つまりは自然科学に近い分析もあり、今読んでも多くの気付きが得られる。

その中でも特に興味深いのが、いつの時代でも優秀なサッカープレイヤーに求められる「認知・判断・実行」というプロセスについて科学的に分析している点である。

認知、判断におけるトッププレイヤーの目の付け所

認知と判断について、本書では以下のような研究結果を明らかにしている。

まず認知に関して。
著者の所属するグループは、比較的検索空間が広くて不確定要素の多い状況における上級者と初級者の眼球運動の特徴を比較検討した。

すると、上級者のグループは視点の移動回数が多く、視点が止まっている時間が短いことが明らかになった。上級者は初級者に比べ、より広い範囲からより多くの情報を素早く収集、判断しているとかんがえられるということである。

次に判断に関して。
サッカーの状況判断の特徴として、きわめて短い時間に状況を把握し決断する必要があることが挙げられる。そのような場合の人間の行動は、技能ベース行動、規則ベース行動、知識ベース行動に分類される。

技能ベース行動とは、刺激に駆動されて起こる瞬間的な行動である。分類としては脊髄反応に近い。
規則ベース行動とは、何かのサインに応じて無意識に近い形で判断され駆動される行動である。
知識ベース行動とは、眼前の事態に対して知識を動員して判断されて行われる行動である。

時間的には技能ベース行動がより反射的であるのに対し、規則ベース行動、知識ベース行動になるほど時間はかかっていくことになる。

サッカーの状況判断では、この中の規則ベース行動が基盤となるケースが多い。

著者の所属するグループは、2対2の状況における上級者と初級者のプレー選択を、サポートの味方の位置、自分のマークがタイトかルーズか、味方のマークがタイトかルーズかの各ケースについて特徴を比較検討した。

すると、状況とそれに対応して選ばれるプレーは、上級者の方が初級者よりはっきりと決まった傾向を示していることが明らかになった。また、その際のプレイヤーの規則データベースを検討すると、構造化された知識構造で表現可能であることが示された。上級者の状況判断における規則データベースは高度に構造化され、質的に洗練されていると考えられる。

これらの結果から著者は次のように語っている。

つまり、トップクラスのプレーヤーは、普通の人なら目標に対して時間をかけながら意識的に行うことを、質の高いデータベースをフルに活かして状況からサインを察知し、瞬間的、無意識的、かつ正確に判断して実行できるといえるだろう。(P.60から引用)

科学の世界から見ればプレーのプロセスを認知、判断、実行という流れで捉えることを当たり前であるかの言及がされていることも非常に興味深い。まだ世間では村松尚登氏の著書『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人 ---日本はどうして世界で勝てないのか?』(筆者のレビュー)のタイトルにも表れているように、実行=テクニック部分がフォーカスされている。認知、判断、実行というプロセスで捉えることが当たり前になる日は来るのだろうか。

羽生善治氏の語る規則ベース行動

規則ベース行動に関しては岡田武史氏と羽生善治氏の対談『勝負哲学』(筆者のレビュー)において、羽生善治氏が次のように語っている。

プロの棋士は何百手も先まで読んで最善の一手を探す ― 将棋指しに対して、そんな超人的なイメージを抱いている人が少なくないようですが、それは「美しい誤解」にすぎません。実際には十手先の局面の予想さえ困難なんです。

(中略)

では、どうやって手を絞り込むかといえば、まさに直感なんです。平均八十通りの手から直感的にふたつか三つの候補手を選び、そこからさらに歩を動かすとか桂馬を跳ぶといった具体的なシミュレーションをするのですが、このとき残りの七十七~七十八の可能性を検討することは基本的にしません。

直感によるフォーカス機能を信用して、直感が選ばなかった他の大半の手はその場で捨ててしまうんです。最近のカメラには自動焦点機能がついていて、カメラが自動的にピントを合わせてくれますが、直感の作用はあれによく似ています。

もちろん、ここでいう直感はヤマカンとは異なります。もっと経験的なもので、監督がおっしゃるように、とても構築的なものです。数多くの選択肢の中から適当に選んでいるのではなく、いままでに経験したいろいろなことや積み上げてきたさまざまなものが選択するときのものさしになっています。そのものさしは目に見えないし、無意識の作用によるものですから、当然、言葉にはしにくいものです。(P.16-22から引用)

これは「直感の正体」について両名が話しているくだりからの引用である。まさに規則ベース行動の洗練の話ではないだろうか。科学の追求として用いられた規則ベース行動の先にこそ非科学的な直感の正体が存在するということが何ともロマンチックである。

サッカーとサイエンスをもう少し追いかけてみる

もともと僕はサイエンスが好きでサッカーゲームにはハブがあるなども食いつくタイプである。最近は少しサイエンスから離れていたが、『ビューティフル・ゲーム―世界レベルのサッカーを科学する』(筆者のレビュー)を読んでまた火がついたのでもう少し追いかけていこうと思っている。ちなみに、『ビューティフル・ゲーム』の解説を書いているのが本書『見方が変わるサッカーサイエンス』の著者である浅井武氏である。



tags 見方が変わるサッカーサイエンス, 規則ベース行動, 認知、判断、実行


サッカーは要素還元では成り立たない包括的なものである。

インテレラショナード。聞きなれない言葉であるが、大切な概念を説明している。インテレラショナード・トレーニングとは何か。

本書では、サッカーのトレーニングは技術面、戦術面、フィジカル面の3つを強化するものに大別できるとしている。ただし、サッカーという競技の中でそれぞれが個別に発揮されることはなく、複合的に密接に関連している。よって、トレーニングも技術のみなどの個別のトレーニングではなく、複合的、相互作用的に実施することが求められる。

そこで本書では、複合的なトレーニングについて以下のような名称をつけて説明している。

インテレラショナード.jpg
(P.19をもとに筆者作成)

つまりインテレラショナード・トレーニングとは、フィジカルトレーニングをベースとして技術面、戦術面を加えたトレーニングのことである。

ちなみに、本書では技術面などの個別の要素のみを対象としたトレーニングをアナリティコ(分析的)トレーニングと呼んでいる。

インテレラショナード・トレーニングの意義

フィジカル・トレーニングを単体で行うということは、100メートルダッシュをしたりシャトルランをしたりファンクショナル・トレーニング(共通した動作の機能を向上させることを目的とした(筋力)トレーニング)を実施することを意味する。

これらのトレーニングに意味がないというわけではない。アナリティコにはアナリティコの良さがある。しかしより実践的な場面を意識すると、アナリティコだけでは足りなくなってくる。実際のゲームではフィジカル的な負荷がかかった状態でボールをコントロールしたり、相手の攻撃に対して組織的にディフェンスをしたりと、必ず「フィジカル+技術」「フィジカル+戦術」とった組み合わせになってくるからである。

技術、戦術、フィジカルは個別のものではなく密接に関わり合ってる。であればトレーニングから複合的な発揮が求めれるようにすればよいという発想に行き着くのは道理であり、そこから生まれたのがインテレラショナード・トレーニングである。

豊富なトレーニングメニューの紹介

インテレラショナード・トレーニングというメソッドの提示もさることながら、本書の最大のポイントは42ものトレーニングメニューがカラーの図解入りで紹介されていることだろう。トレーニングメニューはウォーミングアップ、有酸素性持久力トレーニング、無酸素性持久力トレーニング、パワー・トレーニング、そしてフィジカルは除いたグローバル・トレーニングに分かれ、目的が明確化されている。それぞれのメニューにおいて技術、戦術、フィジカルのうちどのポイントをトレーニングできるのか、進め方、ポイントなども詳細に解説されているのでトレーニングの意図も分かりやすい。

トレーニングメニューをここまで詳細に紹介している書籍は少なく、それだけで本書には価値があると言える。

戦術的ピリオダイゼーション理論との関係

インテレラショナードという言葉は聞いたことないが、戦術的ピリオダイゼーション理論なら聞いたことがあるという人もいるだろう。複合的なトレーニングということで戦術的ピリオダイゼーションとの違いも気になるところである。

戦術的ピリオダイゼーション理論とは、『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー)によると次のような説明がなされている。

サッカーというゲームに内在する重要な局面やファクターを分断せず、と同時に、このスポーツに内在する不確実性をしっかりと認識したメソッド(P.40から引用)

本書では戦術的ピリオダイゼーションという言葉は出てこないが、以下のような記述がある。

これまでに、インテレラショナード法はフィジカル面と技術的戦術的要素を同時に養う実戦的なトレーニングであると述べてきました。さらに実戦的に行いたい場合には、インテレラショナード法にプレーモデルを反映させることが大変有効になります。

プレーモデルとは、自分たちが目指そうとするプレー像のことです。

「どのような選手を育てたらいいのか、チームにどのようなプレースタイルを求めたらいいのか、それにはどのようなシステムでプレーしたらいいのか、選手にはどのようなプレーを求めたらいいのか?」

そうした自問に対するクラブや指導者の答えによって導き出された構想、つまりはクラブや指導者の哲学やビジョンによって描かれた構想、それがプレーモデルです。プレーモデルがないと、選手は何のためにトレーニングを積んでいるのか分かりません。そうなると、日常のトレーニングがただ漠然としたものになってしまいます。(P.73から引用)

誤解を恐れずに端的に言えば、このプレーモデルの構築のためのトレーニングが戦術的ピリオダイゼーション理論であると理解できる。インテレラショナード・トレーニングの中にも戦術や技術を扱っているものがあるので明確な区分けはないが、あくまでフィジカルに重きを置いたのがインテレラショナード、試合を想定したプレーモデルの構築に重きを置いたのが戦術的ピリオダイゼーション理論と捉えて良いと思われる。

最後に、名称について

インテレラショナードという言葉は言いにくいし覚えにくい。「インテレラショナード」でGoogle検索をしても、本書に関する情報や記事がほとんどである。浸透していないと考えて良いだろう。今後浸透する可能性もあるが、覚えにくいのは致命的である。

ちなみに、知のサッカーでは以下のような定義でトレーニング・メソッドを定義(サカイクによる)している。

アナリティックメソッド:「反復練習」の意味で味方同士で行う対面パスやコーンドリブルなど、試合で必要なアクション(動作)の一部を切り取り、重点的に繰り返し行うトレーニングのことを言う。

グローバルメソッド:「包括的な練習」という意味で、試合とほぼ同じ状況を再現することにより、プレーのレベルアップに必要な多くの要素(認知・判断・技術・戦術・フィジカル・メンタル等)を同時にトレーニングする方法。

アナリティックに関しては英語かスペイン語かだけに違いだが、「グローバル」については本書による定義とは異なっているので注意が必要だ。



tags アナリティコ, インテレラショナード・トレーニング, グローバル・トレーニング, 徳永尊信, 戦術的ピリオダイゼーション理論, 知のサッカー


サッカーとサイエンスの切っても切り離せない関係。

本書は、1950年代からの豊富なデータをもとにしたボール奪取やパス成功率などの分析や、フリーキックやPKなどの科学的観点からサッカーを研究した野心的な書籍である。イギリス人のケン・ブレイ氏による著書であり、原著も邦訳も2006年に出版されている。

科学の進歩は日進月歩であり、現代では試合におけるポゼッションや選手の走行距離、ボール奪取の位置やパス成功率などがすぐに明らかになるが、ひと昔前まではそれらのデータを取得することすら困難であった。科学を認めまいとする世論も強かったが、科学者たちの粘り強い研究結果によって少しずつサッカーとサイエンスの関係が重要視され始め、1987年からは4年に1回サッカーとサイエンスの世界会議も開かれている。

サッカーと科学の関係を歴史とともに理解し、現代の潮流を把握するためには最適の一冊である。

トランジションと得点の関係

まず興味深いのは、1988年にリチャード・ベイトが発表したボール奪取エリアと奪取から生まれたゴールの割合の関係である。

beautiful_game.jpg
(P.69から引用)

この表によると、ポジティブ・トランジションに転じるのはディフェンシブサードからミドルサードまでで87%を占めているが、そこから生まれた得点は全体のわずか34%であるという事実である。いかにアタッキングサードでボールを奪取することが重要であるかを示している。

また、別のデータでさらに古くなるが、1953年から1967年のイングランド・リーグ1部の試合とワールドカップ2大会を含む578試合を分析したチャールズ・リープとバーナード・ベンジャミンによると、次のことが分かっている。

  • 連続して成功したパスの本数とパス全体に占める割合を集計すると、たった4本のパスがつながったプレーでも全体の5%にすぎず、6本以上となると全体の1%前後にすぎない。90%以上はパス3本以下で構成されている。
  • ゴールの約80%が3本以下のパスから生まれている。

こうしたデータがイングランドの伝統的な戦術に影響を与えたと言われており、それはすなわちロングボールとダイレクトプレーである。その名残は今も残っており、プレミアリーグやイングランド代表のサッカーは縦に早く、ボール奪取から数プレー以内に得点することが義務であるかのように展開しているように見える。

現代サッカーを世界的に見れば4本以上のパスをつなぐこと自体は造作も無いことである。しかし現代サッカーの守備ブロックは強固であり、いったんブロックを築かれると遅攻により崩すことは困難である。ショートカウンターと呼ばれるプレーが最も多くの得点機を生み出していることは現代も変わらず、それが半世紀ほど前から変わっていないことは興味深い。

その他、1976年に発表されているトマス・ライリーとヴォーン・トマスによる選手の走行距離のデータを見ると、現代サッカーがいかに運動量が多くなっているかも分かる。当時はMFであっても1試合で平均10キロ未満であり、それ以外のポジションの選手は8キロ程度であったようである。

こういった要素還元主義的な分析はニューサイエンスの立場からは否定されるかもしれないが、この時代はサイエンスすら確立されていなかったので、サッカーの発展にこれらの分析が寄与したことは間違いない事実である。

PKの研究の記述も奥深い

著者のケン・ブレイ氏は得点の多くがセットプレーから生まれていることを把握しており、どうしたらセットプレーから多くの得点を生み出すことができるかも研究を続けた。その関連でPKに関する研究もあり、PKでは「セーブ不能ゾーン」がゴールの広さの28%あり、そこにいかに正確に蹴りこむことが大事であるかをデータとともに示している。

イングランドは伝統的にPK戦に弱く、ユーロ2004の準々決勝でイングランドがポルトガルにPK戦で敗退したときのデータを先のセーブ不能ゾーンと照らしあわせた結果はまさにイングランドがPK戦で勝てない理由をデータで示したものとなっている。

両国ともに7人がPKを蹴り、ポルトガルは6本の成功のうち5本をセーブ不能ゾーンに蹴りこんでいる。一方でイングランドは5本の成功のうちセーブ不能ゾーンに蹴りこんだのはハーグリーブスの1本だけだったのである。残りの4本の成功はいわば一か八かで成功したものであり、長期的に見ればこれではPK戦で勝てないのは道理である。

心理的な研究はこれから

ケン・ブレイ氏は心理学的側面についても研究をしている。ただしこの分野は現代においても試合中の心理状態を正確に把握することが難しい。それは氏も認めているし、この分野は全ての学問の中でも科学の進展が遅れている。

スポーツ心理学は経験科学であり、おそらくサッカーのパフォーマンス向上に応用される学問のなかで最も経験に基づく部分が大きい。(P.156から引用)

性格心理学のビッグ5などの研究とも絡めている記述もあるので今後に期待したい。今では想像もできないが、今後のイノベーションで試合中の心理状態を数値化できるような測定も可能になるかもしれない。

いくつかの未来予想

ケン・ブレイ氏は、進化の著しいサッカーにおいて本書の最後にいくつか未来予想をしている。特に憂慮しているのがゴール判定などに関するテクノロジー分野についてである。これは現代でも論争は続いているが、FIFAの動向を見ているといくつかの重要な大会では今後実装されることになるそうだ。

また、男女混合サッカーの実現を予想しているが、これは今のところ実現の可能性は低そうだ。むしろ、女子サッカーとしてのコンテンツ化が進む方向に進んでいる。

そして複雑化するオフサイドルールの撤廃を希望しているが、むしろ現代ではさらにルールが複雑化している。今後は分からないが、オフサイドがなくなるということは今のところなさそうである。

いずれにせよ、サッカーサイエンスの重要性が高まっていることは間違いない。本書が発行された2006年から8年経ち、現代のサッカーサイエンスの潮流はどのようなものになっているのか、ケン・ブレイ氏にもう一度まとめてほしい。



tags ケン・ブレイ, サッカーサイエンス, セーブ不能ゾーン, ビューティフル・ゲーム, ボール奪取


週刊サッカーマガジンが存在したことを記す記念碑的コラム集。

2013年10月末に週刊サッカーマガジンは20年の歴史に幕を閉じた。その最後の4年間、巻頭コラムを書き続けた編集長の北條聡氏。200週間に渡って毎週コラムを書き続けたという記録が何よりも素晴らしい。巻頭言にこだわった理由として氏はこのように語っている。

とにかく、何かを発信しなければいけない―。そんな考えに至ったのは、編集長になって、しばらく経ってからのことです。熱心な読者の方から、こう言われたのがきっかけでした。
「ほかのヤツらの意見はいいんだよ。サッカーマガジンとして、どう考えてんのか―あんた方の意見もちゃんと書いてくれ、ってこと」
分不相応と知りつつも、巻頭言にこだわるようになったのは、そうした理由からです。(P.2-3から引用)

雑誌の読み手として、僕がまさにこだわっている点がこれである。雑誌としての意見はどうなっているのか。

昨今の雑誌で出版社の内部だけで完結しているものはない。その道のスペシャリストであるライターに執筆を依頼するのが常識である。ただ、ライターも生活があるので一社だけの執筆を請け負うなどということはなく、他誌の執筆も手がけている。すると、どの雑誌でもライターに変わり映えがせず、金太郎飴のような雑誌が多数出来上がることとなる。やがて読者から聞こえてくる言葉がこれである。

「あの雑誌とあの雑誌、何が違うんだよ。」

出版社は工夫をこらし、他誌と差別化しようとしている。発刊ペース、特集、ターゲット層、イケメン(主にウッチーと柿谷)を表紙に、女性アイドルの起用、などなど。

しかし最も大事にしてほしいことが、雑誌としての人格「誌格」である。ライターAはこう言った、ライターBはこう言った、とオムニバス的にまとめるだけであれば、雑誌としての存在意義はほぼないようなものである。

北條氏は、サッカーマガジンとしての意見をとにかく大事にしようとしていた。毎号毎号、特集テーマに沿うように自分の、そしてサッカーマガジンの意見をぶつける。批判や非難は覚悟の上で。まさにサカマガイズムである。200回分のコラム、楽しく読ませてもらいました。

コラムを書く人はオシムとバルサ好きな斜め上から語るロジカルな常識人!?

同じ週刊サッカーマガジンで連載を続けていた武智幸徳氏の『ピッチのそら耳―サッカー的探求術』(筆者のレビュー)、朝日新聞デジタル版で連載を続けている中西哲生氏の『日本代表がW 杯で優勝する日 (朝日新書)』(筆者のレビュー)と、他にもコラム集を読んだが、いくつか著者の共通点を発見した。

まず、定期的にコラムを書き続けることができるくらいなので、意見がロジカルで突拍子もないことを言う人ではない。きっと常識人である。短い文字数の中で自分の意見を押し込むために、端的にまとめる能力にも秀でている。

次に、視点がやや斜め上であることが多い。常識的に語るだけでは差別化ができないので、ロジカルに導き出した解を提示した上で天邪鬼的に「でも自分はこっち」というように斜め上からの主張を押し出す。

そして、オシムの言葉に惹かれ、コラム登場回数が多い。また、ロジカルに突き詰めるとバルサのサッカーが至高という結論からなのか、バルサも何度となく登場、引用される。毎週書いているとネタもなくなるので、オシムやバルサは良いインスピレーションを与えてくれるということなんでしょう。ありがたい存在。

 

連続でコラムを読み、思考の筋の変化を愉しむ

200回も連続でコラムを読むと、思考、志向、嗜好が読み取れておもしろい。

週刊サッカーマガジンという衣を纏った北條氏は何よりもバルサ好き。そしてFC東京も登場回数が多い。バルサはサッカーを追求すれば避けて通れない教科書であり、集客効果も見込めるのでなんとなく分かる。東京はなぜだろう。東京にある出版社としてのシンパ?普段読んでなくて分からなくてすみません。

また、2011年2月22日号の長友のインテル移籍を綴った「アジア発ビッグクラブ行き チケットは『汗血馬』―」、2011年8月2日号のなでしこのW杯優勝を綴った「伝説のなでしこ 21人のヒロイン」では200回の中でも最高の熱を押し出している。にもかかわらず、香川のマンチェスター・ユナイテッド移籍の際にはコラムに登場すらしない。なでしこのオリンピック銀メダルも同様。慣れって怖い。メディアとして、初物がやはり重要ということか。日本がそれくらい高みに登ったということか。

本人も気付いてか気付かずか、お気に入りのフレーズが存在していることもおもしろい。北條氏は、ポゼッションサッカーをする場合には保持すると同時に相手からボールを奪取することが何よりも重要と位置づけている。ポゼッションを語る際にはどうしても「保持」に目がいくので、斜め上から語りたい北條氏らしい。

その「奪取」についてなのだが、2010年あたりでは「ボール奪取力」という表現を使っている。それが2011年になると「ボール回収力」に変化する。この回収という言葉が気に入ったのか、2012年には「電撃回収」という表現でネガティブ・トランジションについて独自の言い回しを使っている。その後しばらく「回収」を使い続けるのだが、2013年になってまた「奪」や「奪取力」という表現に回帰する。この辺りの心境の変化はどのような感じだったのだろうか。連載を続ける人ならではの苦労などあれば聞いてみたい。

2009年からの日本のサッカー史を振り返る

2009年といえば最近のような気もするが、J1でどこが優勝したのか、誰が得点王だったのか、どこが降格したのか、全てを思い出すことは難しい。J1で、J2で、日本代表で、世界のサッカーシーンで、それぞれどんなことがあったのか。当時の世評とともにそれらを振り返ることができるのは何気にありがたい。懐かしい気持ちとともに読むことができる。

北條編集長、約200週間に渡る毎週のコラム執筆、お疲れ様でした。



tags サカマガイズム, ボール奪取力, 北條聡, 武智幸徳, 週刊サッカーマガジン, 電撃回収

このページの上部へ

プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

サイト内検索

最近のピクチャ

  • IMG_2920.jpg
  • IMG_1540.jpg
  • IMG_1890.jpg
  • enders_deadly_drive.jpg
  • 2013年度純損失クラブ一覧.jpg
  • IMG_1825.jpg
  • fractal01.jpg
  • hata_seminarL.jpg

コンタクト

Powered by Movable Type 5.2.3