2013年4月の記事一覧

シーズン途中の監督交代は効果があるのかないのか。

監督を交代すべきか、それとも辛抱すべきか。勝てない時期が続けば監督交代が叫ばれる。しかし監督を代えれば状態は上向くのだろうか。試合内容は良いけど勝てないということもある。クラブのフロントを代えないと根本の解決はないかもしれない。

シーズン途中の監督交代は劇薬としての効果はありえそうである。自信を失っていたチームが開き直るきっかけになるかもしれない。しかし、クラブには哲学がある。ころころ監督を代えて、果たして哲学が貫き通せるのだろうか。

2012年のJリーグシーズン終了後、ジェフ千葉の木山監督の退任が正式発表されて千葉市長がつぶやいたツイートはかなりの数がRTされ、サッカークラスターでも話題となった。

海外リーグでは監督交代についてどのような考えがあるのか

海外では監督交代の効果について先行研究があるようである。例えば、『勝利を求めず勝利する ― 欧州サッカークラブに学ぶ43の行動哲学』(筆者のレビューはこちら)には監督交代についての言及がある。

「監督の交代はうまくいくものではない」

オランダの経済学者ルート・クーリングはこう言っている。彼は経営トップの交代が企業の成功に与える影響を解明するために、サッカーのオランダリーグを調査した。

すると、1993年から1999年までに28回の監督交代が行われたが、結果として監督交代がいい影響を与えたことを裏づけるものはまったくなかった。クーニングはこう結論づけた。
「ファンとメディアの圧力のほうが、監督交代の効果の見込みより重要な役割を果たしている」

2003年、この結果に対してミュンスター大学の二人の研究者ベルント・シュトラウスとアレクサンドラ・ティッペンハウアーが賛意を表した。彼らは1963年から1998年のデータをもとに、監督交代の効果について検証した。

調査は、監督交代前の12試合と後の12試合を比較するという方法で行われた。その結果、短期的には成績が上向きになることが多かったが、それだけにその後の急降下が厳しいことがわかった。これに対し順調に推移して落ち込むことがあまりなかったのが、「監督を交代させない」チームだった。

「リーグ戦における監督交代」を研究したマティアス・キルタウも同様の結論に達した。新監督は、10戦目までは3ポイント多く獲得するものの、それから効果は消えてしまう。さらに、その短期的な成功も新監督の手腕によるものではなく、監督交代がチームを刺激する「劇薬」として瞬間的に効果を発揮したものだった。(P.54-56から引用)

また、イングランド・プレミアリーグのチェルシーが頻繁に監督が交代するので監督ごとの成績を追跡調査したレポート(英語:What is the impact of changing football manager?)も存在する。このレポートにおいても、上記の引用と同様に一時的にポイントが上向くことはあっても長期的に見れば投資に見合う効果はないと結論づけている。ただし、いずれもシーズン途中の監督交代ではなくシーズン間の交代もデータに含めている。

Jリーグでは同様の研究が見つからないので、自ら分析してみる

シーズンの残り試合、残留可能性、チーム目標とその達成度、サポーターから支持されているか、フロントとの関係、選手との関係。監督の交代or続投をめぐる変数はあまりに多い。

しかしJリーグも開幕して20年。これまでのデータを用いて何か分かることがあるはずである。過去のシーズンも含めてJリーグの監督交代の効果を定量的に調査しているレポートは見つからなかったので、自分で調査することにした。

検証は、シーズン途中の解任のケースで、解任前の5試合~10試合程度の成績と新監督就任後の5試合~15試合程度の成績を比較するやり方とする。

対象のデータは34件発見できた。

  • 93〜2012までの20年間のJ1/J2でシーズン途中で監督交代があったのは43件
  • うち、2ステージ制を敷いていた時期における1stシーズンと2ndシーズンの間の監督交代は除く(94年の清水、94年の鹿島)
  • 開幕5試合未満で解任されたケースは除く(04年C大阪、06年横浜FC、08年浦和、12年G大阪、12年横浜FC)
  • シーズン残り試合が5試合未満で解任されたケースは除く(12年神戸、12年福岡)

また、条件をそろえるために過去採用していた延長戦に突入した試合に関しては全て勝ち点1で計算している。

[データ収集のための参考文献]

シーズン途中の監督交代の効果はあるのか [単純平均の比較]

解任前の5試合と10試合、新監督就任後の5試合、10試合、15試合経過後の平均獲得勝ち点を計算したのが以下の表である。

2013point_before_after.jpg

集計して、衝撃。解任前の勝ち点があまりに少なすぎる・・。だから解任されたってことなのだけど。
J1が18チーム制(年間34試合)になってからは、J1残留ラインは大体勝ち点40である。つまり、1試合で平均1.18ポイントくらいは獲得しなければならない。しかし解任前5試合では平均0.888ポイント。解任したくなるのも心情的には理解できる。

新監督就任後のデータを見ると、解任前より獲得勝ち点は増えている。解任前は上述の1.18ポイントラインを下回っていたのに、新監督就任後は1.18ポイントを上回っている。このラインは非常に重要である。
また、先程引用した文献のデータとは異なり、交代後10試合よりも、交代後15試合の方が勝ち点が伸びている。短期的ということでもなさそうである。

まだ20年、34件のデータしかないJリーグだが、単純集計では勝ち点が伸び、監督交代の効果があると考えることができそうだ。

シーズン途中の監督交代の効果はあるのか [単回帰分析]

次に、もう少し統計的な技術(といってもにわかだが)を用いて分析してみることにする。まずは散布図を用いて解任前後の獲得勝ち点を比べてみる。

2013jdata10_10.jpg

横軸は解任前の10試合の獲得勝ち点、縦軸は新監督就任後の10試合の獲得勝ち点である。

こうして見ると、単純集計による平均の比較とはまた違った見方ができる。より右下にプロットされているチームほど監督交代がうまくいっていないチーム、より左上にプロットされているチームほど監督交代がうまくいっているチームとなる。

特筆すべきは左上の05年の大分トリニータ。シャムスカ・マジックと呼ばれた奇跡の残留劇を思い出す。見事なまでの劇的な改善である。解任前の10試合で3ポイントだったのが新監督就任後の10試合で20ポイント。そして右下の06年の千葉はある意味かわいそう。日本代表にオシムさんを引きぬかれたときである。オシムさんのときは10試合で19ポイントだったのが、交代後10試合で12ポイントまで落ち込んでいる。

次に、統計的に有意な結果が得られないかとデータを分析したところ、解任前10試合と新監督就任後10試合を変数としたケースでは単回帰レベルで有意な結果(5%水準)が得られた。決定係数が0.176と低めだがデータが34件しかないので仕方ない。これからのJリーグの歴史に期待。

統計ソフトRによる単回帰分析の結果を載せておく。

r_call_statement.jpg


解任前後における勝ち点の計算式は以下の通り。

新監督就任後10試合で得られる勝ち点 = 0.6254 × 解任前10試合で得た勝ち点 + 6.1263

つまり、解任前10試合における勝ち点が10ポイントだった場合は、新監督就任後の10試合で12.38ポイント獲得できるという意味である。

0.6254 * 10 + 6.1263 = 12.38

交代後に獲得勝ち点が増えていることが分かる。
1試合あたり1.0ポイントのチームが交代後に1.238ポイントになるのは大きな意味がある。J1残留ラインは1試合あたり1.18ポイントなので、監督交代すれば残留に近づく可能性が高くなるということである。

先程の散布図に単回帰の直線を加えた図は以下のとおり。

2013jdata10_10abline.jpg

データから見れば、Jリーグにおけるシーズン途中の監督交代は効果がある

ということになる。同じシーズンの中では勝ち点の上積みが期待できる。
ただし、そもそもコロコロ監督を代えて良いのか、それで地域に愛される骨太のチームが作れるかと言えばそれはまた別の話。今回はデータを単純にいじっただけなので。

どうしても今シーズンまずは残留を目指し、新シーズンについては残留してから考える(などということはそもそもあってはならないが)、そういうケースには効果があるといって差し支えない結果が得られた。

さて、これを書いている2013シーズンのJ1で未勝利の大分、必ずしも好調とはいえない川崎、湘南、磐田あたりはどうなるか。身勝手なことを言えば、毎年データが増えてほしいのでどこかは監督を交代してくれるとうれしいのだが。不謹慎ですみません。



tags Jリーグ, シーズン途中, 監督交代の効果

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ネットワーク理論がサッカーの戦術に影響をもたらす日はくるか。

2011年末に「サッカーゲームにはハブがある」という論文が発表された(原題 Common and Unique Network Dynamics in Football Games)。山本裕二・名古屋大学総合保健体育科学センター 教授と横山慶子・日本学術振興会 特別研究員によるもの。詳細はリンク先のPDFファイルを。

原文(英語)
Common and Unique Network Dynamics in Football Games

要約(日本語、PDF)
サッカーゲームにはハブがある

めんどくさがりの人向けに、論文の要約はこんな感じ

  • サッカーの試合においてはボールに多く触れる選手とあまり触れない選手がいて、その分布は正規分布ではなくべき乗則に従う
  • ボールに多く触れる選手(ハブ)は試合の中で切り替わる
  • ハブとなる選手を中心にして三角形を作り出した回数が多いほど、シュートまで結びつけた攻撃の回数が多くなる

べき乗則というのは、80:20の法則といった方が分かりやすいかもしれない。分布全体の多くの要素を2割の人が握っており、残りを8割の人が分け合っているということである。世の中のお金もべき乗則で分布(一部の金持ちがほとんどのお金を握っている)し、商品の販売個数も同じ(一部のヒット商品が総販売個数の大部分を占めている)である。

ネットワーク理論はサッカーに適用できる

たくさんボールを触る選手がいることや三角形を作ればチャンスが多いのは当たり前というのが我々プレイヤーの総意だが、それが定量的に成立することを示したことに上述の論文の価値がある。これは、ネットワーク理論がサッカーにも適用できることを示している。

ネットワーク理論とはざっくり言えばノード(点)とつながり(点と点を結ぶ線)からネットワークの有益性や隣接性を考察する理論である。自然界や社会におけるネットワークには「スモールワールド」「スケールフリー」「べき乗則に従う」などの同様の特徴が見られることが確認されている。

ネットワーク理論についてはバラバシの『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』が詳しい。
例えばハブに関してバラバシは以下のように述べている。

ハブが注目を受けるのは当然である。ハブは特別な存在なのだから。ハブは、それが存在するネットワークの構造を支配し、そのネットワークを「小さな世界」にする。実際、ずば抜けて多数のノードにリンクされたハブは、システム内の任意の二つのノードを短い距離でつないでいる。その結果、地球上でランダムに選ばれた二人の人物の隔たりは平均すると六だが、コネクターと任意の人物との隔たりは一か二でしかないことが多い。同様に、ウェブ上の任意の二つのページは十九クリック離れているが、巨大なハブであるYahoo.comは、ほとんどのウェブページから二ないし三クリックの距離にある。ハブの目で見れば、世界は実に狭いのだ。(P.94から引用)

ネットワーク理論をもとにサッカーの戦術を考察する

サッカーにネットワーク理論が適用できそうだということが分かれば、以下に挙げることが科学性を持って正しいといえる。ちなみにサッカーにおいてはノードは選手、つながりは選手間の距離を指し、ネットワークとはそれら全体をピッチの上から俯瞰的に見た地図と見立てることができる。

1.コンパクトに保つためにはハブの存在が必要

ハブの存在は隔たりを小さくし、スモールワールドを作り出す。DFからFWの距離は直接的には遠いが、ハブを介せば両者ともに一次の隔たりである。サッカーでは「コンパクトにする」という言葉がよく使われるが、ネットワーク理論に則ればその肝としてハブの存在があり、ハブがいなければコンパクトに保ってポゼッションをすることは難しくなる。

2.ハブを入れ替える工夫の必要

ネットワーク理論におけるハブは意図的な攻撃に弱く、ネットワーク全体を脆弱にする危険性を秘めている。ハブ空港が閉鎖された場合の飛行機の空路の確保の難しさや、渋谷のスクランブル交差点が閉鎖された場合の行き交う人々の不便さを思い起こせば想像に難くない。

SPOF(Single Point of Failure)を作ってはならず、そのためにはあるハブが機能不全に陥った場合に異なるハブが台頭する仕組みが必要である。前述の論文では時間帯ごとに異なる選手がハブの役割を果たしていると示しているので、高度なチームでは既にそのような機能を備えている。現在の日本代表では遠藤がハブの筆頭に挙げられるだろうが、遠藤を封じられた時には別の選手がハブにならなくてはならない。

3.攻撃と守備の切り替え(その逆も)には一定の自己組織化を図ることが必要

生体の分子もネットワーク理論のように振る舞うことが分かっているが、ここからもサッカーに適用できるかもしれない発想が思い浮かぶ。

サッカーでは守備の際には「守備ブロック」「堅い守備」といった氷のような固体を連想させる言葉を用いる。一方で攻撃の際には「流動的」「流れるようなパスワーク」といった水のような液体を連想させる言葉を用いる。すなわち、攻撃から守備の切り替え(トランジション)は水から氷へ、守備から攻撃への切り替えでは氷から水に変わるプロセスであると考えることができる。

物理の世界には相転移という言葉がある。相転移とは、固体から液体、液体から気体のように性質がまったく異なる状態に変遷するプロセスのことである。固体には固体、液体には液体の分子の秩序がそれぞれ存在しているわけだが、相転移における臨界点(まさに氷が水に変わろうとしている瞬間)では秩序と無秩序が混在する。このタイミングでは分子同士の距離(相関長)はべき乗則に従っていることが分かっている。つまり、同時的に秩序を変更するのではなく、8割程度は短い相関長であるのに対し、2割程度は長い相関長の状態が生まれる。その相転移を経て、氷が完全に水になればまた水としての秩序を手に入れるわけである。

つまり、相転移にも一定の自己組織化された「秩序」があるわけである。

これに則れば、サッカーにおけるトランジションのタイミングでは一部(2割)の選手間の距離を長く保ち、大多数(8割)の選手間の距離は短いままに保つことが自然科学に則った強固な策であることが分かる。攻撃へのトランジションでは2割程度が素早くカウンターに走り出すといったイメージで、守備へのトランジションでは2割程度がリトリートしつつ8割はコンパクトに保って守備網にかけるようにプレッシャーをかけるといったイメージだろうか。トランジションのタイミングが終われば、攻撃時には水のような秩序、守備時には氷のような秩序に戻すのである。

4.システム論はハブとなる選手との接続数や接続距離によって考察されることが必要

サッカーにおけるシステム論は尽きないが、この考え方にネットワーク理論におけるトポロジーを適用することができる。トポロジーとは位置や構成に関する研究である。ネットワークにおけるノードは、ハブと多く接続できる箇所から埋まっていく。その方がそのノードにとってメリットがあるからである。また、ハブとなり得るノードが増えたほうがハブに対する攻撃への対抗策にもなる。

サッカーでは相手があるため「トポロジー対トポロジー」となり、影響が相互作用となるので一概にネットワーク理論に則ることは得策ではないかもしれないが、位置や構成に関する研究であるトポロジーの考え方を捨て去ることはもったいない話である。


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こういったサッカーとは関係のない世界からのメタファーや研究をサッカーの世界に適用していくことが僕は結局好きなのだな。「サッカーゲームにはハブがある」という論文タイトルを初めて発見したときの興奮は今思い出してもアドレナリン出るわけです。他にも気になる研究とか発見したら引用して私見を書くと決めた。



tags べき乗則, サッカーゲームにはハブがある, トランジション, ネットワーク理論, 相転移, 自己組織化


10年以上経った今も色褪せない言霊のノンフィクション。

Kindle化を契機に十数年ぶりに再読。思えばかつてはサッカーに関する書籍など数えるほどしか存在せず、サッカー書籍そのものが発売するのを心待ちにするしかなかった。それが優れているかどうかなど、こちらには選択の余地すらなかった。今は逆にサッカー書籍バブルで玉石混交。だからこそこうやって書評ブログを書く気になったということなんだけれど。

本書はアトランタオリンピックに臨んだサッカーのオリンピック代表の「マイアミの奇跡」と、その歓喜に隠され表沙汰になることのなかったチーム内の不協和音と亀裂を綿密な取材によって明らかにしたノンフィクションである。決勝トーナメンに進めなかったとはいえ、日本はあのブラジルに勝利(当時は勝利など考えることすらできなかった!)し、ハンガリーにも勝利し、グループで2勝1敗という期待をはるかに上回る成績を残した。勝利はこぞって讃えられ、メディアも大騒ぎでヒーローとして彼らを迎え入れた。しかし。その裏側ではチーム内の不協和音は修復不可能なものにまで発展し、チームワークどころではなかったのである。ブラジルへの勝利を「チームワークの勝利」「一丸となって戦い続けた」という言葉で飾られるにはあまりに杜撰な内部事情。不協和音はなぜ発生したのか。中田英寿はなぜ第2戦のナイジェリア戦の前半を最後に使われなかったのか。

おそらく本書のようなチームドキュメンタリーは今後一切日本サッカー界に登場しないであろう。その理由を僕は以下のように考える。

  • 現在ではサッカーを追いかけるジャーナリストが多すぎて、1人でここまで独占的にインタビューできる環境にはなく、また今後一切訪れない。
  • 今でも日本のメディアは未熟だが、それでもサッカー専門のジャーナリストが増え、サッカー専門のメディアが増え、インターネットが発達し、受け取る側のリテラシーも発達した。本書は総じて未熟だったメディアと情報の非対称性による時代のひずみから生まれたものである。
  • 日本サッカーは強くなった。世界を経験することが当たり前の時代になった。不協和音の一因である「海外を恐れない世代」と「海外と対峙することが初めての世代」が混在することは今後訪れない。

だからこそ、今読んでも手に汗握る内容となっている。現在であれば、不協和音があればすぐにネットでそのことが伝わって、後にまとまったノンフィクションという形で目にすることは、良くも悪くもありえない。

金子達仁氏は、本書に前園のインタビューを加えなかったことを後悔しているようだ。口は悪いが根は真面目で、魂を注ぎ込めなかったことに後悔できるような、仕事に忠実で熱心なお方なのだと思う。わざわざ日本の得点の「きっかけ」を創りだしてしまったアウダイールにまで取材しているくらいなのだから。

氏のジャーナリストとしての主張はこの発言に集約されている。

勝った経験のない者は、本当の意味での苦境に追い込まれた時、自分たちは勝てる、と信じることができない。

勝ったことがある、という経験が大事なのだ。氏はなでしこがW杯を制した際に特別寄稿をNumberに寄せており、その快挙を空前絶後とした上で次のようなことを書いていたと記憶している。バレーボール界の東洋の魔女の金メダルの経験がその後に男子バレーにも金メダルをもたらしたことに少なからず影響していたのではないかと。であれば、なでしこの経験は男子サッカーにも波及するのではないか、と。

まったくの同意である。だからこそ、金子達仁氏には南アフリカワールドカップでの日本について「負けろ、日本。未来のために」などと言ってほしくなかったし、カメルーン戦での勝利に対して「こんなに悲しい勝利はない」という発言も言ってほしくなかった。もちろん、日本は既に勝つだけで満足するステージにはないという意味も含まれていたことと思うが、それでも僕は「本番で勝つ」以上の意味は存在し得ないと思っている。天邪鬼だから、こういう表現になってしまうのかもしれないけれど。

本書が脚光を浴びたおかげで、スポーツライティングというジャンルへの世間の見方も変わったことは間違いない。時代の先駆者には、最大限の賛辞を。それは三浦知良や中田英寿が成し遂げたことと同じくらいすごいことだと僕は思うから。



tags 28年目のハーフタイム, アトランタオリンピック, マイアミの奇跡, 中田英寿, 金子達仁

[書評] 眼・術・戦


遠藤保仁の戦術眼をロングインタビューから紐解く。

本書は日本サッカー史上最高のMFとの名声を確かなものにしつつある遠藤保仁のサッカーに対する考え方を「眼」「術」「戦」と視点を分けて紹介するものである。「眼」は状況の把握、「術」は実行、「戦」は大局的に捉えた戦い方を示している。

ヤットからどんな言葉が出てくるか、それだけが楽しみで読み続けられる

正直なところ、「眼」「術」「戦」に視点を分けていることには少し無理があるように感じられる。状況を把握することとそれを実行すること、戦い方などはそもそも切り離して考えることができるものではない。もちろん、それでも文字に起こすときは一時的に何らかの切り口で平面に捉えて抽象化し、それをもう一度具体のレベルに引き上げるような作業が必要だ。その過程で、「眼」を自動車の運転における目視をメタファーにした興味深い表現も発見できた。しかしやはり、「術」における実行の表現で状況把握のシチュエーションを出さざるを得なくなったり、無理も生じている。切り口を排他的であるかのような書き方をしているので、無理が余計に目立つ。

なのだが、それもご愛嬌。実際のところ、ヤットがどんな言葉を発するのか、それだけに興味を絞ってもぐんぐん読み進められる。いくつか紹介しておきたい。

ミドルを打たないことにはヤットなりの理由がある

シュートを遠目からでも打つべきなのか、さらに得点の可能性が高まるチャンスメイクにチャレンジすべきなのか。得点力不足が騒がれれば「もっとシュートを打て」との論調が高まり、崩しきった得点が生まれれば「アタッキングサードの攻略ができた試合だった」などと言われる。正解がない、肴にするのに適した問いである。

ヤットはこの問いに対し明確な回答を用意している。「打たない」である。

「見ていて、打てよという気持ちはわかります。何で打たないの?と見ている人は思うでしょうね。でも、25メートルぐらいの距離から狙って、だいたい10回打っても入るのは1、2回でしょう。その確率でもいいほうだと思いますよ。ゲーム中は狙えるコースも限定されていますから、GKにとってはコースが読めますからね」
(中略)
「パワーのある外国人なんかは、伸びのあるシュートが打てるので遠めから狙いたがるし、それはそれでいいと思うんですけど、GKの予想を外してしまえば、そんなに強いシュートでなくても入ります。そうなるとボックスの中からシュートしたほうが、ずっと入る確率は高い。ミドルやロングを狙うよりは、相手の守備を崩してペナルティエリアの中から打ったほうがいいと思うんですよ」(P.76-77から引用)

若いころはもっとズバズバ打っていたような記憶があるのでどこかでプレースタイルを変えたということかもしれない。個人的には先日のW杯アジア最終予選のヨルダン戦を現地観戦して感じたように、もう少し「打って」ほしいのだけど。

守備は同数でも守りきれると考えている

サッカーは局所的な数的優位をどのように作り出すかが重要であり、その紆余曲折を争うゲームでもある。一般的には相手FWが2人いればこちらは3人以上はいた方がリスクヘッジとして重要であると考えられている。相手も同じように最終ラインは1人余らせるため中盤では同数となり、狭い地域で前を向いて数的優位に立つためにダイレクト、ドリブル、連動、間で受ける、ポストプレー、スプリント、などの戦い方が生まれてくる。

ヤットの考えは、これを前提から覆すものである。

まず第一に、ヤットはボールを「奪われない」と考えている。そのため、攻撃時まで最終ラインに1枚余らせる必要はなく、その分攻撃的なポジションを取ったほうが良いとのこと。

第二に、仮にボールを奪われても数的同数であれば守りきれる、と考えている。これは多くのDFや監督からしたら頭がイカれていると思われても仕方なさそうな思考である。

では、なぜ遠藤は「同数ならいい」と考えているのか。
「人間、同数のほうが集中力が出るんです。例えば、5対5だとマークがズレやすい。1対1なら絶対ズレない。ズレたら負けですからね。2対2や3対3なら、1人が責任を持って1人についていきます。かえって守備がはっきりして守りやすいので、同数なら全然構わないと思ってます」(P.104から引用)

こればかりはチームの方針があるのでヤットだけの判断では実現できないかもしれないが、このような考え方の選手がいるだけでびっくりである。DF出身である僕の個人的な意見では、1人余っていたほうが前でカットするようなポジションを取りやすいのでトランジションの速い攻撃的な守備ができてよいと思っているのだが・・。天才が考えていることは異次元である。

プレースタイルが似ているの人物として3名をピックアップ

本人に自分の後継者について聞くのは野暮だが、これはサッカーファンなら誰もが気になり、そしてやきもきしている領域のデリケートな話である。現在の日本代表では、誰よりも代えがきかないのが遠藤保仁その人だからである。この話題に対してヤット本人が「似たタイプ」ということで3名の名前を挙げている。

どうなんですかね、あんまり考えたこともないんですけど、扇原(貴宏)とか柴崎(岳)、ちょっと前だと(柴崎)晃誠あたりが自分と似たタイプかなと思いますけど・・・・いま聞かれてもすぐには思い浮かばないです」(P.178から引用)

名前だけが一人歩きするのは避けなければならないし、後継者という積極的な表現ではなくあくまで「似たタイプ」である。それでも、なんとなく注目してしまうのがファン心理。

ただし一方でヤットは「結構経験も大事」とも言っており、テクニックなどだけでは計りきれない部分もあるという認識である。代表でヤットが円熟味を増せば増すほど後継者が経験を積む機会が奪われているというジレンマ。とりあえずは、2014年のレギュラーはヤットであるという前提で進み、試せる試合であれば後半のどこかで代わりの選手を使ってみるというやり方しかなさそうである。

口語体で文量も少なく、さらっと読める

遠藤本は他にもあるが、遠藤の生のインタビューを西部謙司氏が解釈して分かりやすく伝えていくという構成のおかげもあって非常に読みやすい内容となっている。文量も少なく、ページ数の割にすぐに読み終わる。難しい表現なども一切ないので、気楽に遠藤保仁の考えを知りたいと考えている人にオススメできる。

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2013年3月26日ヨルダン対日本の試合にて筆者撮影。ヤットがPKを蹴る直前。PKはGKに止められ、日本は1-2で敗戦、W杯出場決定は持ち越しとなった。



tags ヤット, 後継者, 眼・術・戦, 西部謙司, 遠藤保仁


結果を出した名監督の生き方と語録集。

モウリーニョ、ファーガソン、グアルディオラ、サッキ、ヒディンク、ベンゲル、アンチェロッティ、クライフ、そしてオシム。いずれの御仁も単独で著書が出ているほどの名監督であり、その思想や哲学は深く、余人には理解し難いものもある。そんな名監督たちの哲学を「名言」を切り口にライトに紹介しているのが本書である。浅く広く名監督の哲学を理解したい、もしくは本書をきっかけに自分にあっている哲学を発見し、それからその監督について深堀りする、などのケースに向いている。

監督のすごい言葉は言葉尻だけを捉えても仕方ない

監督は実務家であり、研究者でも哲学者でもない。監督は目の前の試合で結果を出すことが求められる。言うなれば、自身が発した言葉の真実性は二の次で、その言葉が選手を鼓舞すれば内容は極論すれば何でもよいと考えている節もある。

例えばモウリーニョは「不安やプレッシャーを口にすべきではないんだ。絶対にね。」とチェルシーの監督時代に口にしたらしい。これは成功のためのモウリーニョのメソッドではあるのだろうが、絶対解ではない。不安やプレッシャーを口にすることで救われることもあるかもしれないからだ。

このことについては、『勝利を求めず勝利する ― 欧州サッカークラブに学ぶ43の行動哲学』(筆者のレビューはこちら)に面白い指摘がある。

半世紀以上も前に経営学者ハーバード・A・サイモンが示唆したように、リーダーへの数々の助言はことわざとよく似ている。どの助言にも対になる概念が存在し、どちらも正しいと彼は述べた。
たとえば、「今この時を生きよ」には「事をなすには時がかかる」。「蛮勇振るわば福来る」には「用心は賢明の母」。「第一印象に二度目なし」には「一度は数のうちに入らぬ」などだ。
これはサッカーにも当てはまる。「攻撃は最大の防御」には「失点するな」。「守って勝つ」には「敵より一点でも多くゴールを決めろ」だ。(P.33から引用)

監督たちの名言を「すごい」と思うだけでなく自分で活用しようと思うのであれば、その監督の哲学や思考スタイル、またどのようなシチュエーションでその言葉を発したのかを考え、自分のものにしていかなくてはならない。その索引として、本書『サッカー名監督のすごい言葉』は使えるだろう。

「何を」ではなく「誰が」。イチローの発言こそが真実

「名言」についてこれまで見てきた中ではイチローの発言が魂を揺さぶられるくらい衝撃だった。

今はまだ色紙に一言と言われても書けない。大切にする姿勢や哲学はあるが胸を張って一言残せるほどの自分ではない。偉人の言葉を引用する年配の方がいるがあれはダサいと思う。拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらなと思う。しかし結局、言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい
(日経新聞2013年2月13日記事より引用 日経電子版有料会員のみこちらからでも読める)

おっしゃるとおり。ダサいとまで言われるとぐうの音も出ない。

名言は、モウリーニョやファーガソンが言ったから名言なのであって、他の誰かが言っても名言とはならない。また、言っている本人は名言を残そうと思って発言したわけでもなんでもなく、チームを勝利に導くために発言したことを他人が名言と崇めているに過ぎない。寿命が縮まるような勝負の世界で研ぎ澄まされた状態で出てきた言葉だからこそ、重みがある。「名言」という結果からアプローチすると僕らは重要なコンテクストを読み落とすかもしれない。そのことには注意しなければならない。



tags イチロー, サッカー名監督のすごい言葉, ファーガソン, モウリーニョ


アメリカ、韓国、イラン、日本で過ごしたアフシン・ゴトビの激動の半生と成功のメソッド。

かつてここまでの逆境下で発売された本はなかったのではないだろうか。ゴトビ監督率いる清水エスパルスは本書発売日の2013年3月28日時点で昨シーズンから公式戦12戦連続未勝利、特に直近のナビスコカップのジュビロ磐田戦は1-5、J1のサンフレッチェ広島戦は0-4の敗戦で泥沼状態。サポーターが監督解任を声高に叫んでいる。

一方で昨シーズンはチームを大幅に若返らせてナビスコカップ準優勝するなど改革と勝利を同時に手に入れている。清水エスパルス監督の前に務めていたイラン代表監督としてもチームの立て直しに成功したと聞いている。

ゴトビとは一体どのような監督なのか。イラン出身のアメリカ人、ゴトビの半生と指導者としての歩み、哲学をまとめたのが本書である。

日韓W杯にて韓国をベスト4に導いた影の立役者、ゴトビ

イランで生まれたゴトビだが、父親の仕事の影響で13歳のときにアメリカに移住。サッカー選手として優秀であった一方で、UCLAに受験で進学するなど学問にも長けていた。電子工学科でエンジニアリングを専攻しており、ここでテクノロジーを用いた指導の土台を築いた。

ゴトビの名が売れたのは日韓W杯で韓国代表のフットボール・アナリストとしてヒディングの右腕として働いたときのこと。ヒディンクといえば1つの交代でポジションを一気に4つも入れ替え、敵チームを混乱に陥れるような術に長けていた。しかしこれを実現するためには韓国の選手に役割理解を徹底させなければならない。韓国語が話せないヒディンクは通訳を従えていたとはいえ微妙なニュアンスの伝達に苦労していた。

そこで活躍したのがアイコンや動画を用いて視覚的に選手に伝える方法だ。言葉で聞くよりも視覚的に確認したほうが当然選手の理解も早く、深い。このシステムを担当したのがゴトビだったのである。

恥ずかしながら僕はゴトビが韓国代表に携わっていたことをまったく知らなかった。そして、テクノロジーに長けていることも。本書によるとよほどの「テクノロジーおたく」でもあるようだ。

私はマッキントッシュの最新のコンピューターが発売されるたびに、必ず一番処理速度の速いモデルを買い、分析に使うためのソフトウェアも新しいバージョンが出るたびに手に入れてきた。これまでに買ったマッキントッシュのラップトップの台数は、軽く20台を超えていると思う。
(中略)
ジャンルを問わず、テクノロジーは最高の結果を目指していくうえで有効な武器になる。サッカー界で最高の舞台といえばワールドカップだ。そのワールドカップで勝てるような監督になるためにこそ、私には最高レベルのテクノロジーが必要だった。(P122-123から引用)

小野や高原とは話し合いの末、苦渋の決断でレギュラーを外れてもらった

日韓W杯の後も韓国で指導者として過ごし、2007年に祖国イランに帰国。クラブチームや代表監督を経て2011年に清水エスパルスの監督に就任する。清水エスパルスはゴトビ監督就任の前年からレギュラー7名を含む9名がチームを退団し、6年続いた長谷川健太前監督の色からの一新を図っていた。

ゴトビ監督はベテランと若手を少しずつ融合させていく手法を取ろうとしたが、就任2年目のシーズンにチームが勝てない時期が続き、一つの決断をする。若手の爆発に賭けたのである。そこで割りを食ったのが小野や高原といったベテラン勢である。2人とも現在は清水エスパルスに残っていないのでゴトビ監督との不仲説が噂として流れているが、ゴトビ監督はそれを一蹴している。

小野が後にシドニーFCに移籍することになったことや、高原の出場機会が少なくなっていったことに対して、多くの人たちが不満を感じただろうことは十分に理解している。ましてや共に地元出身の選手であるだけに、私がエスパルスのファンだったならば、やはりアフシン・ゴトビという監督に文句を言っていたと思う。
だが私に選択の余地は残されていなかった。あのままの状態で試合に臨み続けていれば、チームはスランプから脱出できず、順位がさらに下がっていくのは誰の目にも明らかだった。
(中略)
また先発から外れてもらうことを説明する際には、私は可能な限り誠実に接したつもりだ。実際に2人とは何度も一対一で話し合ったし、こちらの考えを伝える一方で、彼らの忌憚のない意見や率直な気持ちも十分に聞いたつもりだ。その意味で私は、2人との間にしこりは残らなかったと信じている。(P.273-274から引用)

本書を読む限りではゴトビはとても誠実な人柄で、ロジカルに説明責任を果たそうとする監督である。もちろんレギュラーから外されるわけなので選手としては納得がいかなかったかもしれないが、巷で言われているような「干した」ようなことはなかったと思う。

成績不振だけを理由にゴトビ監督を解任することは難しそうである

ゴトビは韓国やイランで政治的な理由でコーチや監督を解任させられそうな体験をしてきている。

例えば韓国の水原三星では車範根(チャ・ブングン)監督のもとでコーチを務めていたときには以下のような経験をしている。

ちなみに彼(筆者注:車範根のこと)は常に一人でスポットライトを浴びたがるようなところがあり、案の定、クラブ側も私の肩たたきをしてきた。だが私は、もうナイーブではない。契約が残っている以上、私にクラブを去らせたいのであれば違約金を払わなければならないと指摘した。クラブ側はしぶしぶ納得し、私は二軍監督を務めることになった。(P.151から引用)

イランではさらにひどく、クラブの経営者がゴトビを辞めさせるために選手を買収し、試合にわざと負けた上で肩たたきをしてきている。このケースでは、サポーターからの続投要請で監督を続けることになっている。

ゴトビはビジネスの世界におけるネゴシエーションやマネジメントを熟知している人間であり、もちろん関わったチームに全力を尽くすが、自身のキャリアのこともしっかりと考えている。

私は常に2つの視点でキャリアアップを捉えるようになった。ひとつは目先の条件やサラリーにとらわれず、長期的な視点で経験やノウハウを吸収していくこと。もうひとつは、そのうえでなおかつ自分の肩書や条件などに細かく気を配っていくことだ。さらには思うように事が運ばなかった場合に備えておくことも必要だろう。
(中略)
監督やコーチングスタッフという仕事では、突然、契約を解除されるような状況に陥るのも日常茶飯事だからだ。(P.142から引用)

当然清水エスパルスでも監督解任における違約金はしっかりと積んでいるであろうし、首になるような事態は自身のキャリア上も好ましくないであろうから二重、三重にその防衛線を張っていることであろう。

ゴトビ革命の肝はテクノロジー

監督の役割は試合に向けた準備とメンバー選考までがほとんど、というのがゴトビ監督の考え方である。練習やコンディション管理にテクノロジーを導入し、数値を用いて説明する。それどころか、数値を選手自身が自宅でも閲覧できるようにしている。もちろん数値だけに任せて無機質に管理するわけではなく、コミュニケーションを大切にして誠実に選手に接する。

その上で、ゴトビ監督は攻撃的でダイナミックなサッカーを目指している。ピッチを広く、そして深く使うモダンな攻撃サッカー。物理的なアクションを多く(現状の倍である30秒に1回以上のペース)起こし、最後まで走りきるサッカー。そのためにはテクノロジーを用いた管理、説明が必要であり、テクノロジーこそがゴトビの哲学の土台となっている。

ゴトビ革命が失敗することがあるとすれば、数値を用いているにも関わらずまったく結果が出ないことに選手の気持ちがついていかなくなったときだと思う。数値は説得力があるが、それが勝利に結びつかなければマイナスの意味でも説得力を持ってしまう。

冒頭でも記したように、清水エスパルスは現在苦境に立たされている。しかし本記事を書いている4月6日の昼の試合で清水エスパルスはサガン鳥栖を1-0で退け、今シーズン初勝利をあげている。決勝点となったバレーの得点の際のゴトビ監督のガッツポーズ、そしてバレーが真っ先にゴトビ監督に駆け寄っていった姿を見ると、監督と選手の確執という話もそこまで大きくなさそうに見える。

個人的には科学的な管理はもっと使われるべきであると感じているし、そうやって勝利の確率を1%でも上げていく努力こそが監督に求められる資質であると思う。エモーショナルな部分だけでは勝てない。そういう意味で、ゴトビ監督には日本で成功を収めてほしいし、いつかどこかのナショナルチームの監督に就任した上で日本代表と対戦できるような機会があることを楽しみにしている。



tags アフシン・ゴトビ, ゴトビ革命, ヒディンク, 清水エスパルス


9人の賢者による本田と香川のシナジーを最大限に引き出すための提言。

敵地ヨルダンにて苦杯をなめたことで世界最速でのW杯への切符は6月へ持ち越しとなったが、ザックジャパンは歴代最強との呼び声が高い。そのザックジャパンの幸せな悩みの筆頭が本田と香川をどのように使い分けるのか、という問いだ。大御所から新進気鋭まで含めたサッカージャーナリストたちが本田と香川の正しい使い方について持論を展開しているのが本書である。

9人共に考察のベースとなる事実情報については認識は共通

まず、本田は強靭なフィジカル、香川はアジリティに優れて、お互いに得点を奪う能力に秀でている選手であるということ。そして2人の関係は当然2人だけの関係性に留まるはずがなく、特に日本が現有するFWの選手(現状では前田)の能力と切っても切り離せない関係にあること。

これらは特別なジャーナリストでなくとも同じような印象を持つことだろう。そして結論としての共存のさせ方も、各論は違えど総論は似ている。

スペシャルなFWを日本は用意することができるか

フィジカルに優れ、外国人の屈強なDFを相手にしてもボールをおさめることができるスペシャリストとしてのFWがいるのであれば、その人物をFWに用いて本田がトップ下、香川が左という考え方が大勢だ。現状では前田という認識だが、年齢、怪我がちのコンディション、能力面などを鑑みて物足りなさを感じているのも事実。

そういったFWがいなければ、もしくは怪我やサスペンションで欠くこととなれば、本田がFW(もしくは偽の9番)という考え方もおおいにあり得る。その伏線となっているのが2012年10月のブラジルとの親善試合における本田の1トップ起用である。前田を怪我で欠いたとはいえハーフナーがいるにも関わらず本田を1トップ起用したということはザッケローニは十分に本田の1トップをオプションとして考えているということである。

例えば大住良之氏はFWを「?」としてトップ下を本田、左を香川を推しており、本書にもこのように綴っている。

本田、香川、そして岡崎という攻撃陣はいずれもヨーロッパで実力を証明しており、ワールドカップでも十分に力を出せるだろう。問題は1トップ、FWだ。前田は技術的にも戦術的にも高い能力の持ち主だが、アジアのDFたちと向き合っても非力さが目立つなかで、ワールドカップで堂々たる1トップとしてプレーするのは難しいように思う。
(中略)
「理想の1トップ」あるいは「ワールドカップクラスのDFを相手にしても機能する1トップ」がいないのでなら、本田の1トップ起用、あるいはブラジル戦で見せたような「ダブルトップ下」という形もあるのではないか。(P.50から引用)

田村修一氏にいたってはFWを闘莉王(!)としてトップ下が本田、左が香川である。

もしも日本に、(性格はともかく選手としての)ズラタン・イブラヒモビッチやエディン・ジェコ(彼は性格も良い)のようなFWがいたら、あるいはロビン・ファンペルシーやロベルト・レバンドフスキのようなストライカーがいたら、攻撃に関しては何も問題がないだろう。しかし現実には、李忠成も前田もハーフナー・マイクも、誰もが一長一短でザックのシステムにぴったりとははまらない。連係面で最もしっくりいく前田にしても、世界のトップを相手にしたときにはまだ未知数である。(P.135-136から引用)

香川はゴール前の密集地帯でスペシャリティを発揮するタイプで、何もトップ下でなくてもペナルティエリア内に侵入するチャンスはいくらでもあるし、日本の攻撃は遠藤、長友とともに左サイドで始まることが多いのでその左サイドに香川を配しておくということもストロングポイントとなる。

一方で本田は世界でもトップクラスのフィジカルがありボールを奪われず、タメを作ることができるので日本としては重宝する存在だ。真ん中にズシンと構えてもらうことがチーム力の底上げにつながる。

そういった事情もあって、FWがいれば本田がトップ下、FWがいなければ本田をトップにして香川をトップ下で使うという次善の策というのが本流であろう。

個人的にも同じ意見、香川の能力はサイドでも活きるし、本田は真ん中こそ活きる

香川がサイドで窮屈そうにプレーしているとのコメントを見ることがあるが、具体的にはどのような場面のことを指して窮屈と表現しているのだろうか。香川はトップ下でも90分のうち88分くらいは「窮屈そう」にプレーしているし、その窮屈さの中で異能を発揮するのが香川だ。ただし、毎回密集地帯を破壊できるはずがなく、5回に4回は失敗である。それが窮屈そうに見えるだけだと思う。

密集地帯への侵入はサイドからでも十分に回数を重ねることができる。右サイドの岡崎が好例だ。本田とのコンビプレーでカットインしていくこともできるし、長友を活かすのもうまい。

本田の特徴がフィジカルにあることは言うまでもない。それだけで真ん中で使う意味がある。ただ、個人的にはもう1つ本田を真ん中で使うべき理由を挙げたい。

本田は、パスを出す寸前までどこにパスを出すのか相手に読みにくいような足の使い方をしている。

馬鹿正直なインサイドパスはほとんど使用せず、走っているテンポと同じ足の動きから突然アウトサイドでパスを出したりする。この動きがDFにとっては非常にいやらしいのである。世界ではドイツのエジルがこのパスの出し方が非常にうまい。

パスの出し手がインサイドの構えをすれば、パスの受け手のマーカーは当然間合いを詰める。読みやすいからである。しかしいつパスを出してくるか分からなければ、間合いは一定に、ダイアゴナルを意識して位置取りをしなくてはならない。このコンマ数秒のタイミングのズレが実は致命的なプレーになる要素を秘めている。

この読みにくいパスはトップ下からの展開でこそ活きる。ビルドアップの時点では正確性を最重視する必要があるのでなかなかこういったパスは使えない。一方でサイドからの展開ではそもそもパスコースが多くないので相手には「読みにくさ」が存在しない。視界が開けている中央からの展開でこそ、活きるのである。

FWには屈強さが必要なのか、世界と戦う上でのザックの判断は

ロンドンオリンピックで大迫をメンバーから外し永井を1トップで使ったのは、日本は世界と与するときはポストプレーをするような攻め方はしないということ、そしてその戦い方がベスト4という結果からある程度通用することを示した。

永井の特徴はスピード。狙うはショートカウンター、もしくは通常のカウンターである。世界の強豪は日本と戦うときはラインをあげて押し込んでくるのでカウンターは当然有効なプレーとなる。

さて、当のザックジャパンはどのような戦い方を選択するのか。岡田武史前監督はW杯直前まで中村俊輔を中心としたパスサッカーで世界と戦おうとしていたが直前に本田、松井、大久保の3枚で攻める守備的なカウンター戦術を選択した。そしてベスト16進出を果たした。

2010年と同じカウンター戦術を選択するのでは、日本に進化はなかった、もしくはそれが日本に合った戦い方だということになる。パラグアイのように常に守備的な戦術を取る国もあるわけだから何もカウンターが悪いということでもない。本番に限っては美しく負けるよりは何が何でも勝ってほしい。

6月から始まるコンフェデが1つの試金石になる。楽しみで仕方ない。



tags ゼロトップ, トップ下, 日本代表, 本田と香川の正しい使い方, 本田圭佑, 香川真司

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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