2013年7月の記事一覧


酸いも甘いも経験したプロフットボーラーの告白。

本書はプレミアリーグの匿名フットボーラーが、身の回りで起こっている真実をありのままに告白した暴露本である。

フットボーラーも1人の人間、しかも若くして大金を手にした選手も多い。もとよりプロスポーツ選手になるような人は我が強かったりエゴイストであったり自己顕示欲が強かったり、何かしらそういった側面を持っているであろう。そういった人が地位も名声も手にしたら、人生が若干おかしな方向にいってもおかしくはない。

おかしくなる要因は、たいてい酒(ドラッグ)、ギャンブル、女である。この三拍子が派手なエピソードを伴って本書に登場する。

ただ、激動の人生ゆえの悩みも多いようだ

プロスポーツ選手は花火のような人生なのかもしれない。一瞬は輝くけれど、すぐに散ってしまう。特にフットボールは選手生命が短く、よほどのことがなければその後に解説者やコーチ、監督として継続して名声を獲得し続けることは難しいだろう。そうすると、トップアスリートであるがゆえの悩みも抱えていることも理解はできる。本書にもこのように記されている。

サッカーで起きることの95%は、閉じられたドアの向こうで起きていると言われる。真実は小説より奇なり、とはまさにこのことだろう。実際のところ、土曜に行われる90分の試合で、人々がサッカーに対して抱く印象はほとんど決まってしまう。試合の分析記事を読んでもほとんどが表層的で、つまらない物語調に仕上げられている。若くて健康で、全てを手にしたようなアスリートたちがどれだけ多くの悩みを抱えているか、皆さんは想像もつかないだろう。(P.22-23から引用)

ただこれは、自分でプロフットボールの道を選んだ結果であって、誰のせいでもなく自分の責任である。サラリーマンを選択した人も、自営業を選択した人も、アスリートの道を選んだ人も、同じだ。同情すべき点ではない。

Jリーグはセカンドキャリア支援を充実させようと動いているが、あの動きも少し違うのかなと個人的には思っている。自分で選んだ人生、そのセカンドキャリアを支援してもらわないと切り開けないなんて情けないではないか。サラリーマンをクビになったら誰かがセカンドキャリアを支援してくれるのかといえばそんなことはない。

財務に関する個人的な興味

小市民からすれば、一部のプロアスリートは給料をもらいすぎていると感じることがある。そんなにもらっていたらもうそれ以上いらないんじゃないの、と思うくらいもらっていても、年俸の交渉は引っ張るし、さもなければ移籍も辞さないという態度で臨むということはよく見かける。

一方で、クラブレベルでは深刻な財政難を抱えているケースはざらで、破綻するクラブも後を絶たない。そして財政を逼迫させている要因は明らかに選手や監督への給料や移籍金の高騰である。

この現実について選手はどう感じているか個人的には気になっているのだけど、明確な一意見が本書に書かれていた。

選手たちはクラブの財務状況に対し道義的責任など感じていない。クラブが困難な状況に陥り、悪い場合は破産してもだ。不運なことだと思うが、われわれの落ち度ではない。(P.174から引用)

まあ、これもサラリーマンと同じか。自分の会社が赤字でも、自分の給与を下げることに納得はできないだろうし。違いがあるとすれば、額の絶対値くらいかしら。もらいすぎだと言っても、働きに応じた額だといえばどちらにも理がある。ミクロ経済とマクロ経済をすり合わせようとすると合成の誤謬が起こることと同じで、経営者と従業員は分かち合えない運命にあると捉えるしかないということか。

結局シークレットフットボーラーは誰なのか

本書内には著者であるシークレットフットボーラーが接触した選手や在籍したチームなどが結構な情報量で書かれている。それらを組み合わせれば物好きが選手を特定できるのではないかと思うのだが、どうやらそうでもないらしい。Who is The Secret Footballer?というサイトがあり、そこで未だに議論が続いているようだ。Leading Candidates(最有力候補)として何名かリストアップされており、筆頭はデイヴ・キットソンとのことらしい。もし違っていたら本人にはえらい迷惑なことだ。

個人的には、本書内には真実も書かれているだろうが、フィクションもかなり混ざっているのではないかと感じる。そうでなければ、ネット民によってすぐに特定されるのが関の山だと思う。

読み物としておもしろいが、最後に個人的に信じたいのは誠実さ

暴露本といっても差し支えない本書は、野次馬根性あふれる読者にとって刺激的でおもしろい内容になっている。僕も楽しく最後まで一気に読んだ。

ただ、それはあくまで読み物としてのおもしろさ。自分自身が結局最後に応援したいのは、誠実に生きている選手たちだ。長谷部か!と突っ込みたくなるような、そういう選手。日本はそういった意味で、良い国だし良い選手がそろっていると思う。選手本はそんなに多く読んでいるわけではないし、選手本がその選手の全てを明らかにしているわけではないが、佐藤寿人の『小さくても、勝てる。』(筆者のレビューはこちら)や内田篤人の『僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版』(筆者にレビューはこちら)あたりを読んだらその誠実さに心打たれる。こういった選手たちに、活躍してもらいたいし、こちらも応援してサポートしていきたい。

 



tags ザ・シークレット・フットボーラー, 匿名フットボーラー


バルセロナ初心者のための、バルセロナを薄く広く把握するのに適した書籍。

本書は、現役選手やジャーナリストら11人の識者にバルセロナについて語ってもらい、様々な視点からバルセロナという稀代のクラブを解き明かそうというものである。

極めるための本ではなく、入門書

しかし結論から言ってしまえば、内容は決して濃いものではなくタイトルにあるような「極める」という領域には決して本書だけで到達することはできない。逆に言えば、とても平易に分かりやすく書かれているので初学者が入門書として扱うには最適である。

バルセロナについて概要を知るためにはプレーモデルやカンテラの存在、受け継がれてきた歴史などを簡単にでも知る必要があるが、それらは本書にひと通り網羅されている。

さらにバルセロナを極めたいなら

さらにバルセロナを理解するために手っ取り早いのは、自然科学を理解することである。

例えばクライフはバルセロナのサッカーを「ボールが的確に選手間を動き続け、選手たちは頻繁にポジションを移すが、チームとしてのバランスは常に保たれる」と表現した。この真意を捉えたいのであれば、自己組織化や動的平衡といった自然科学的な概念を理解すれば事足りる。

自然科学的なアプローチからバルセロナを理解するためには『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)を読むとよい。これまで読んだサッカー本の中では1,2位を争う良書だと僕は思っている。

また、バルセロナの特長としてネガトラ(ネガティブ・トランジション)の速さがある。バルセロナはボールを奪われた直後の守備への切り替えの速さが異常で、すぐにボールを取り返してポゼッションを始める。これはそもそも自己組織化しているからこそできるものなのだが、トランジションについての理解は拙ブログのサッカーゲームにはハブがあるに詳しく書いた。この概念も同様に自然科学の相転移という現象がキーワードになる。

バルセロナ本もそろそろ打ち止めか

雑誌も含めバルセロナ本にはいくつか目を通したが、そろそろ打ち止め感が出てきている。論者はいつも同じだし、書いてあることも大体同じ。たぶん編集者から「分かりやすく書いて」「新しいこと書いて」とかいろいろ言われているだろうが、真意が変わることはないので結局結論は同じになる。

リーガを圧倒的な強さで優勝したのに、CLベスト4でバイエルンにボコられたおかげでバルセロナ時代の終焉とか言われていてちょっと言い過ぎだと思うが、世間の興味の移り変わりのタイミング的にもちょうどよかったのかもしれない。バルセロナ本の代わりにバイエルン本がいくつか今後出版されそうな気がする。



tags バルサ, バルセロナを極める11の視点, 入門書, 相転移, 自己組織化, 自然科学

アーセナルが45年ぶりに来日。名古屋と浦和と試合をするという。

思えば14,5年前。今も別に大したことないですが、僕がまだまだサッカーなんてよく分かってなかったころ。中田英寿氏の影響でセリエAが日本で最高に盛り上がっていたころ。なぜか僕の目を惹きつけたのはアーセナルだった。

ベンゲルが監督に就任し、アダムス、キーオン、ディクソン、ウィンターバーンによる堅固なDFが特長のチームから、失点しないことを大切にしながらも攻撃的で見ている人を魅了できるチームに変遷している最中。

最初に僕の目を釘付けにしたのがオーフェルマルスだった。サイドから1人で突破して試合を動かすことができる選手を目の当たりにして、僕はサイドアタック信奉者になった。その系譜でリュングベリ、ピレスなどサイドで主導権を握れる選手がアーセナルの攻撃の中心になっていくのを眺め、いつの間にか僕は完全にアーセナルを追いかけ続けていた。

ベルカンプの美しいトラップ、アンリのスピードとインサイドでゴールに転がす正確さ。僕の中では世界最強の2トップ。ちょうど大学生でサッカー観戦に時間をかけまくっても全然大丈夫だったころ中心的に見てきたアーセナルが、理由なしで応援できる初めてのチームになった。

2003年には一度、サンシーロで行われたCLのインテルVSアーセナルの試合を観に行った。周りがインテルサポだらけの中、アンリやピレスの活躍で5-1でアーセナルの勝利。当時インテルに在籍していたカンナバーロは何度もアンリにドリブルで抜かれていてあのときは大したことない選手だなんて思っていた(その後完全に認識を改めることになる)。

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2003年11月25日サンシーロにて筆者撮影(CLグループステージ インテル1-5アーセナル)

2005-06シーズンはCL決勝まで勝ち進んでバルサと対戦した。先制点を奪ったが後半終了間際にバルサの右サイドバックのベレッチに決勝点を奪われて敗戦。ベレッチなんて覚えている人の方が少ないだろうけど、僕は一生忘れない。ああ憎きベレッチ。

最近はタイトルが取れない不遇の時代が続いている。シティやチェルシーが台頭し、リーグ4位に甘んじることも多くなってきた。CL決勝トーナメントに進出し続けていることはうれしいけれど、無冠のロマンチストみたいな位置づけになってしまっている。バルサに真っ向から勝負して1stレグに勝利しても2ndレグに負けて結局敗退とか、シーズン通してバイエルン相手に2点差以上で勝利した唯一のチームとか、そういうのが多い。

でも僕は、美しく勝つ、というベンゲルによるアーセナルのスタイルが好きだ。勝つか負けるかはフローだけど、アイデンティティはストックだ。その蓄積にこそ、アーセナルの真髄がある。ベンゲル時代しか知らないからベンゲルがいなくなったらどうなるかわからないけれど、15年間も応援してきて身体に染み付いたアーセナルイズム。一生追いかけ続けるよ。

名古屋と浦和、当然2試合とも観戦する。10年ぶりの生アーセナル。理屈抜きで身震いできる、今のところ僕の中で日本代表以外の唯一のチーム。楽しみで仕方ない。



tags アーセナル, ベンゲル


15万部売り上げたウッチー本、いささか懐疑的だったけど読んでよかった。

普段は選手の本はあまり読まないが、15万部も売り上げたということはもちろんウッチー自身の人気もあるだろうけど書籍として良いものであるからだろうと思い、文庫版が出たことをきっかけに手にとってみた。

タイトルもあおり気味だし、なんとなく懐疑的に見ていたことを素直に謝りたい。ウッチーのマジメで真摯な人柄、ウッチーの考え方やピッチ外での行動の真相など、実直に伝わってくる良書だった。

鹿島への愛情と、勝利へのこだわり

すごく共感できた部分が2つ。鹿島への愛情と、勝利へのこだわり。

鹿島への愛情について。

昨今は若くして海外へ挑戦する選手が続出している。それ自体は決して悪いことではない。しかし、ひとつのクラブとして考えた場合、事情は複雑である。海外に行きたい選手がいればその意志を止めることはできないので、契約満了に伴って移籍すれば所属していたクラブは0円で放出しなければならなくなる。クラブとしては選手と向き合ってエンゲージメントを高め、たとえ海外に挑戦することは仕方ないにしても、移籍金を残してもらいのが本音であろうと思う。

ウッチーはこのように語る。

海外移籍を意識するようになって、代理人のアッキー(秋山祐輔)に強く要望したことがある。
それは、海外に移籍する場合、鹿島にきちんとした移籍金を残すこと。残りの契約期間に応じてではあるけれど、1億円を超える移籍金が支払われなければ、移籍できないように契約書に明記してもらった。
そこは僕の譲れない条件だった。
1年目から鹿島で試合に出させてもらって、リーグ3連覇も経験させてもらった。それで「じゃあ、移籍するね」というのだから、僕の心情として、少なくとも億単位のお金を残さないと移籍できなかった。(P.61から引用)

このくだり、ウッチーにひたすら共感した。リスペクトといってもいい。もちろん移籍金を払ってでも獲得したいと思われるためには良い選手でなければならないのでその努力をした結果であるのだけれど、そういう考えができること自体、サッカー選手という存在を超越して人間として尊敬できると思った。

勝利へのこだわりについて。

良い内容、では決して納得しない。勝たなきゃ意味がない。そういえば日本代表の欧州遠征でブラジルと試合をして負けたときも、コンフェデで3連敗だったときも、「いい内容だったとしても勝たなきゃ意味がない」という趣旨のことを言っていたような気がする。

このメンタリティを鹿島で養えたことはウッチーにとってすごく大きかったように思う。

鹿島で一番影響を受けたのは、サッカーは勝たなきゃ意味がないという考えだった。良いプレーじゃなくて、勝つためのプレーを積み上げる。常にゲームの流れを読み、どうすれば勝てるのかを徹底的に考える。技術は、勝利を実現するための手段のひとつという意識。(P.55から引用)

もちろんファンがどう考えようとそれは自由。個人的には今回のコンフェデで3連敗したことは悔しいけど、それでもW杯でベスト16にしかたどり着いたことのない国がブラジルやイタリアと試合してそうそう勝てるものでもないとも思ってる。だけど当事者である選手が「勝たなきゃしょうがない」っていうのは、これはこれで納得感ある。

でも、選手から見れば、どういう形でもいいから、勝ちゃいいんだ。
勝ちゃ、評価される。
逆に勝たなければ評価もされない。
サッカーってそういうものだと思う。(P.117から引用)

結局、最後の頼れるのは自分

タイトルは『僕は自分が見たことしか信じない』だけど、これは少しミスリードな気がしている。最後に頼ることができるのは自分しかいない、だからこれまでの自分の経験から紡ぎ出される判断がとても大事。それをブレたものにはしたくない。と、そういうニュアンスだと思う。

その信念や、周りに惑わされたくないという気持ちなどが本書を通じてひしひしと伝わってくる。こういうの読んじゃうと、もう応援するしかなくなるね。どちらかというと長友派だったけど、ウッチーも捨てがたいな。

シャルケ04でつけている22番にも愛着を感じているようだし。

飲食店に行って、番号つきの下駄箱があれば「2」を選ぶ。「2」が空いていなかったら、「22」。さらになければ、「2」のつく番号を探す。トイレは、右サイドバックだから、右から2番目。空いていなければ、仕方なく左から2番目だ。
シャルケ04に移籍してきたときは、2番がガーナ人のサルペインがつけていて、空いている番号のなかから2の重なる22番を選んだ。当時、22歳だったので、これはこれでちょうど良かった。ちなみに、今のシャルケで2番は空いているのだけれど、22が気に入っているから変えるつもりはない。(P.41-42から引用)

僕は、22番が好きなので(参考:永遠の22番、トルステン・フリンクス引退)、22番に愛着感じてるなんてステキ。

ウッチー応援するしかないな。そんな気持ちにさせられる、まっすぐな一冊。



tags うっちー, ウッチー, シャルケ04, 僕は自分が見たことしか信じない, 内田篤人

今回は冷静に数値を見つめた話。

以前もブログで取り上げた横浜Fマリノスの債務超過の件。復習すると、2012年度は5億円の営業赤字で、累積の債務超過は約17億円。これがなぜまずいかというと、クラブライセンス制度の財務基準に抵触するから。

  • 3期連続純損失を計上していないこと(12-14年度から算定)
  • 債務超過でないこと(14年度から算定)

クラブライセンス制度に抵触すると、Jクラブライセンスが供与されない、つまりJ3あるいはJFLに落ちるということである(J3はAFC準拠ではない基準を作成しようとしているので、Jクラブライセンスとは別扱いになる公算が高い)。

今のところまだ2012年度の決算までの状況なので、あと2事業年度残っている。だからまだアウトではない。だけど僕は限りなくアウトだと思っている。

もう一度決算を見つめてみよう

まずは現実を知らなければ対策もできない。比較のために、浦和レッズと横浜Fマリノスの2012年度決算を並べてみた。

浦和とマリノスの2012年度決算比較.jpg

項目に多寡が存在するのは、浦和レッズは公式サイトで2012年度営業概況として細かい数値を公開しているから。横浜Fマリノスも公式サイトで2012年度決算についてを発表しているが、浦和レッズほど細かくはない。情報を公開していないということは、何かやましいことがあるからと勘ぐってしまうのが心情だ。最終的にサポーターにも協力を仰いだり納得してもらうことが必要かもしれないので、積極的な情報公開をすべきと、第三者として感じてしまう。

それはさておき、決算は数値なので単純に収入が支出を上回ることが何より重要である。どこかの数値を増やしたり減らしたりしなければならない。それを考えるために、いくつかの前提を抑えておきたい。

嘉悦社長の決意と現実的な着地点

横浜Fマリノスの嘉悦社長がどのような人物なのか知らないが、このインタビューを読む限り横浜Fマリノスのことを真摯に考えている経営者であると伺える。

ゴーンの懐刀が挑む、マリノス改革の全貌 | 横浜F・マリノス、嘉悦朗社長に聞く(上)
マリノスは、なぜ好調なのに"赤字"なのか | 横浜F・マリノス、嘉悦朗社長に聞く(下)

このインタビューの中で、以下のような発言がある。

これまで大企業を親会社に持つJリーグのクラブでは、たとえ赤字が出ても、親会社から宣伝広告費として追加出資してもらい、最終的に帳簿上はプラスマイナスゼロにすることが慣例になっていた(もちろんすべての経営者がそうではなく、犬飼基昭は浦和レッズの社長時代、三菱自動車からの赤字補填をストップした)。
だが、嘉悦は自前の経営を目指し、日産からの赤字補填を実質的にゼロへ。赤字が出ることを覚悟した、勇気ある決断だった。

つまりは、赤字が出ることを恐れずに親会社(日産)への依存体質からの脱却を図ろうと改革を進めているのである。

ところが、そこにクラブライセンス制度導入という黒船がやってきた。これは嘉悦社長にとっても誤算であったようだ。

クラブライセンス制度によって、急に赤字が許されなくなったのは、僕の最大の誤算です。それでも親会社からの補填なしで、ぎりぎりまで挑戦したい。こういう真意があるのに赤字だけ見て非難されるのは、アンフェアだと思います。デッドラインの2014年度末まで、あと1年半ある。最後はどこかで日産に頼まざるをえない瞬間が来るかもしれないですけれど、悪あがきを続けたい。

このインタビューが公開されたのが2013年5月23日。この時点ではまだ2012年度決算は発表されていないが、社長であれば当然耳には入っていただろう。その後、2013年7月9日に5億円の営業赤字と17億円の累積損失を発表。これに先立ち、2013年6月26日の朝日新聞の記事横浜F・マリノスが債務超過 社長「日産の支援必要」(会員ページ記事) で以下のように語っている。

では、ライセンス維持の条件となる「14年度に債務解消」はできるのか。「自主再建路線では難しい。着地点が破滅的にならないように日産側と話し合っている」。ただし、仮に経営が健全化しても、チームが弱体化すればサポーターは納得しない。「マリノスは優勝を争うチーム。一定レベルの強化費は不可欠で、そこは絶対に譲れない」とも約束した。

時間軸としてそんなに離れていない2つの記事で一方では「悪あがきを続けたい」、一方では「自主再建路線では難しい」と語っている。部外者からすれば二枚舌に聞こえてしまうのは否めないが、後者が本音であろう。

日産に頼るとは、具体的には広告料としてお金を出してもらうことを指す。ここで、横浜Fマリノスが日産に頼ってきた歴史を振り返っておく。

横浜Fマリノスは日産の支援で生き残ってきた

このブログが非常に分かりやすく横浜Fマリノスの収益構造や日産との関係についてまとめてある。上が2011年度について、下が2012年度について。
【考察】 マリノスの収益構造について: 横浜御用牙RSV 清義明のブログ
清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX 2030年のJリーグ未来予想 (1) -続【考察】マリノスの収益構造について-

このブログによると、過去2005年〜2007年には横浜Fマリノスの広告料収入が25億円を超えていたようだ。日産だけの広告料ではないので日産の支援額を精緻に捉えることはできないが、2012年度の広告料収入13億円と比較しても、現在は当時より10億円以上は日産の支援額が下がっていると考えて良いだろう。

その要因は、もちろん日産本体の費用対効果の結果でもあるだろうし、嘉悦社長(2010年に社長就任)の改革の影響もあるだろう。ただ紛れもない事実として、横浜Fマリノスは親会社の補填があって初めて収支をトントンにできる、高コスト体質のクラブであるということである。

現実問題として、債務超過は解消できるのか

横浜Fマリノスはマリノスタウンという素晴らしいクラブ施設を保有している。ただ、横浜の一等地の土地代が高いからクラブの収支をマリノスタウンが圧迫しているという話も聞く。先の決算でいえば、一般管理費に土地代や運営費を入れ込んでいるだろうから、おそらく実際にこれは高額であり、だからこそレッズのように細かい数値を出したくないのだろうと邪推する。

しかし、もはやその程度で解消できないほどに債務超過は膨らんでいる。

売上規模が37億円のクラブが17億円の債務超過である。しかもこれを2年間で解消しなくてはならないという。

僕は、難しいと思わざるを得ない。

仮に、日産がかつてのようにあと10億円を2年間追加融資してくれたとしよう。横浜Fマリノスは5億円の赤字クラブだから、+10億円で黒字額が5億円ということになる。これを2年間積み上げても、債務が10億円解消するだけで、あと7億円足りない。一般管理費が15億円だが、レッズの収支を見る限りはマリノスタウンのような施設関連でいくら節約する(マリノスタウンの保有をやめる)ことになっても、せいぜい年間3億円くらいが関の山だと思う。マリノスタウンを手放したら他の練習場が必要になるからそのための経費を考える必要もある。

嘉悦社長は強化費には手をつけないというような趣旨の発言をしている。ただ、事態は甘くない。日産から追加で10億円の広告料を2年間受けたとしても、もはや強化費に手を付けざるを得ないだろう。社長として言えることは、高年俸選手(中村俊輔、中澤佑二、マルキーニョスら)を放出したとしてもクラブとして弱体化はしない(=強化は怠っていない)というロジックを作り上げるくらいしかない。

ウルトラCはあるのか?

日産が年間20億円追加で出せば、もちろん余裕で乗り切ることができる。
さもなければ、残された道は横浜市やサポーター、日産以外のスポンサーがどれだけ何ができるのかという足し算(増資含む)になってくる。いざとなったらJリーグからの融資があるかもしれないけど・・。これをやってしまったら猶予期間を与えてクラブライセンス制度に踏み切った意味がなくなってしまうし、リーグとしての示しが付かないから個人的にはやめてほしい。

あとは、借入金を株式に変換するデット・エクイティ・スワップ(DES)で債務を減らすやり方もあるけれど、横浜Fマリノスは資本金3100万円で大株主は日産。DESをやるとたぶん金融機関が筆頭株主になってしまうのではないかと・・。あんまり詳しくないけど、これは日産的にも横浜Fマリノス的にもよろしくないのではないかと思われ。

2014年度の決算が出るまであと2年。横浜Fマリノスだけの問題でもないし、皆で考えていかないといけないですね。個人ができる行動としては拙ブログのコカ・コーラを飲んで、カルビーのポテトチップスを食べるをどうぞ(ステマ)。



tags クラブライセンス制度, 債務超過, 嘉悦社長, 日産, 横浜Fマリノス

御託はいいから一度呼んでよ、というのが本音ではあるのですが。

国内組で臨むことが明言されていた東アジア選手権の代表メンバーが本日(2013年7月15日)発表された。豊田、工藤、大迫、おおいに結構である。今後の日本代表を背負って立つ可能性を秘めた選手たち。活躍を期待したい。

しかし、しかしである。ああ、佐藤寿人。ついぞ、このタイミングでも招集されず。Jリーグで活躍しつつ、普段から代表に呼ばれていないメンバーで今回の東アジア選手権に呼ばれなかったということは、今後ザッケローニに招集されることはないと言ってよいだろう。代表としての活躍は絶たれたといって過言ではない。ああ、半ば予想していたこととはいえ、なんたることか。日本という国はついぞこの稀代のストライカーを活かすことができなかった。

とはいえ、僕はザッケローニの考えもある程度分かっているつもり。佐藤寿人を呼んでほしいというのは、冷静に考えれば矛盾しているし、単なるわがままに過ぎない。なぜザッケローニは佐藤寿人を呼ばないのか。それを整理しておきたいと思う。

怒られるかもしれないし自分で書いていて歯がゆいが、端的に言って呼ばれない要因は身長。もう少し言えば、身長からくる攻撃のプレースタイルの不一致、セットプレー守備時のデメリットの2点である。

身長からもたらされる非優位性 攻撃編

佐藤寿人のサッカー人生は、170センチというストライカーとしては決して大きくない身長との戦いの連続である。『小さくても、勝てる。』(筆者のレビューはこちら)という著書のタイトルにもその決意が表れている。

著書の中に、このような記述がある。

何度も繰り返しているが、僕は身長が低い。
ズラタン・イブラヒモビッチのように中央でどっしりと構え、味方のクロスを待っていても、身長170センチの自分が普通に競り合えば、間違いなく弾き返されてしまう。それだけに僕の場合はペナルティボックスの中でいかにスペースを作り出し、いかにシュートコースを開け、いかにシュート体勢に入るかが重要になってくる。(P.91から引用)

ここで重要なのは、佐藤寿人はやはり生粋のストライカーであり、最後は自分が決めるというイメージを重視しているということである。自分が決めるために、小さくてもできることは・・という順番が伺えるし、本書の中でもエゴイストであれと自ら謳っている。

一方でザッケローニは、必ずしも1トップの選手にフィニッシャーとしての期待をしていない。もちろん、かつてのビアホフのようにサイドアタックからドカンを想定はしているだろうが、日本人にそこまで期待できないことも理解しているだろう。1トップの選手はあくまで「崩しの一員」であり、中央に構えるため必然的に体格で相手を押さえつけられるようなフィジカルが重視されることとなる。そして香川や岡崎をFWとして登録しているように、彼らこそが実はフィニッシュを期待されている要員とも言える。

崩しを考えたときに、どうしても1トップにはポストプレーが期待されるような戦い方をしており、それは佐藤寿人のプレースタイルとはマッチしないと、そういうことなのだと思う。

身長からもたらされる非優位性 守備編

サッカーキングに掲載されている岡田康宏氏のコラムザックジャパンの新戦力に求められる「高さ」が分かりやすいが、特にセットプレーの守備時に日本は高さが足りないのである。高さという目をつむっても起用したいと思わせるくらいのメンバーが既に存在し、それは長友、香川、遠藤である。そもそも香川はセットプレー時には守備に入らず、1人だけ前線にポジショニングをしている。それだけで相手はカウンターを警戒しなければならないので、十分に「守備」としての機能は果たしているかもしれないが。長友、遠藤もすでに日本には欠かせない主力である。となると、残りのメンバーには必然的に高さが求められ、それは内田篤人ですら例外でなく、酒井宏樹をちょくちょく使っているのは高さという理由があるからに他ならない。ましてや、本田が不在という事態になればさらなる高さ不足は深刻で、1トップ人材がセットプレー守備時に果たす役割がバカにできないのである。

先日のコンフェデ準決勝のスペイン対イタリア戦において、スペインは攻撃時に必ずしも機能しているとは言いがたかったフェルナンド・トーレスをずっと交代させずに使い続け、延長に入っていよいよ交代というときに代わりに入ったのがなんとボランチのハビ・マルティネスでド肝を抜かれたことがある。しかもハビ・マルティネスはそのまま1トップに入ったのである。ビジャがまだベンチに控えていたのに、である。

この意図について試合後、デルボスケ監督はこのように語っていた。

「ハビ・マルティネスの寛大さと献身さは際立っていた。我々はフィジカルの強い選手を必要としていた。また、高さで負ける訳にはいかなかった。彼はチームに新鮮な活力を与えてくれた」
「我々は空中戦で苦しみ続けていたので、あれ以上高さで負ける訳にはいかなかった。それゆえ、ゴールゲッターよりもフィジカルの強い選手を必要としていた。そういった意味で、自陣のペナルティエリアから敵陣のペナルティエリアまで、あらゆるポジションで強さを見せられるハビ・マルティネスは、あの場面で最適な選手だと考えた。事実、彼はチームに新鮮な活力を与えてくれた」(スペイン代表指揮官、イタリア戦でサプライズ起用 | サッカーキングより引用)

スペインでさえ、ここまでセットプレーの守備には気を揉んでいる。それくらい大事な要素ということだ。

また、アンチェロッティは『欧州サッカー批評(5)』のインタビュー(PSG監督就任時)において、バルサ対策を以下のように語っている。(現在は【ロングインタビュー】カルロ・アンチェロッティ、勝者の戦術論(前編) | フットボールチャンネルでも読むことができる)

いずれにせよ、今のバルサと対峙するには彼らが備えていない部分で勝負すべきだ。それは"kg"と"cm"。つまりはパワーと高さ。ここにより多くの比重を割いた戦い方を実践しなければならない。(P.5より引用)

これはバルサ対策ということなので普遍化できる話ではないが、やはりバルサのティキタカに全世界が傾いた時代から少しずつフィジカル重視の時代に揺り戻しが発生しているてことは確かである。実際、バルサはバイエルンの高さ(だけではないけれど)の前になすすべなく敗れさっている。

このような状況で、果たしてザッケローニが170センチの佐藤寿人を1トップで起用するかといえば、難しいと言わざるを得ない。事実、東アジア選手権に呼ばれた1トップ候補の選手たちは豊田陽平185センチ、大迫勇也182センチ、工藤壮人177センチである。工藤の身長は決して高くはないが、佐藤寿人170センチに比べればずいぶん高いし、フィジカルも弱い選手ではない。身長が低くても1トップに入るためには、長友や香川くらいの優位性を代表にもたらさないと難しいということである。

しかしそれではなんとも切ないではないか・・

身長の低さゆえに身につけたプレースタイルでJリーグで得点を量産しても、代表には身長ゆえに選ばれることがない。この如何ともし難い状況、どうにかならんのか・・。Jリーグで10年連続2ケタ得点、ハンパなストライカーでは成し得ないでしょう。

佐藤寿人は自著の中でも、このように記している。

現役選手である以上、日本代表は目指していく。(P.170から引用)

どうにか、佐藤寿人に一度チャンスを与えてあげたい。矛盾しているしワガママだけど、誰かどうにかして一度で良いからこの不屈のストライカーにチャンスを与えてあげることができないのだろうか。



tags 佐藤寿人, 日本代表, 身長


170センチのストライカー、佐藤寿人の思考とは。

2012年までにJ1/J2合計で167得点。これは歴代トップの記録である。2013年は15節終了時点で12ゴール決めており目下得点王、10年連続2ケタ得点を達成した佐藤寿人の勢いはとどまるところを知らない。

そんな佐藤寿人は、小さなころから身長によるコンプレックスとずっと戦ってきたという。しかし、技術は練習で磨けても身長はどうすることもできない。そこで佐藤寿人が意識したこととは何か。

本書はタイトルにもある通り、「小さくても、勝てる。」という佐藤寿人が歩んできた歴史そのものを本人の視点で語り尽くしたものである。

すべてのゴールを言葉にして説明できる

佐藤寿人曰く、ごっつぁんゴールでさえ説明が可能とのこと。ここに、佐藤寿人がプロとして活躍を続けられる所以がある。

そんな僕がプロとしてここまでやってこれたのは、ゴールを奪うために、「思考」することをやめなかったからだと思う。僕は壁にぶち当たるたびに、挫折するたびに、どうプレーしたらいいか、ずっと考え続けてきた。(P.3-4から引用)

動き出しの早さや得点する感覚などは、すべて思考の結果、そして経験から培われたものであって、それが佐藤寿人をストライカーとして成り立たせているということなのだそうだ。だから、テレビで海外のサッカーも観る。そこに上手くなるためのヒントがあるから。バティストゥータやインザーギには随分と感化されたようである。

だからこそ、こんな発言を力強くできるということなのだろう。

2012年シーズンは34試合に出場して22ゴールを決め、初めてJ1得点王になることができた。その22得点すべてが偶然生まれたものではなく、考え、準備し、そして動いたからこそ生まれたゴールである。(P.58-59から引用)

双子の兄勇人の存在、そしてキャプテンとして

本書では本人ならでは、という佐藤寿人ファンにはたまらないエピソードも多数盛り込まれている。その中でも際立つのが、双子の兄である佐藤勇人との関係だろう。お互いライバルでありながら仲間、そしてかけがえのない兄弟でもある。佐藤勇人がジェフ千葉の一員としてJ1/J2入れ替え戦に挑んでいる同じ時期に、佐藤寿人はJ1で優勝争いの佳境を迎えていた。

そんな状況における2人のメールのやり取りが全文公開されていて、思わず目頭が熱くなった。やはり兄弟っていいな、とそう思わずにはいられない。

また、キャプテンとしてどのような考えでチームを引っ張っているかについての言及も多い。特に、自分自身が若い頃に試合に出られないような経験もしていることから、若手には気を使いながら気持ちを汲んで接しているようだ。ただ、漠然と練習していても成長はないので、そこは奮起を期待しているようである。

監督から与えられたトレーニングメニューをただ漠然とこなすのと、これは試合の何をイメージしているのか、どういう状況に有効なのかを考えて練習するのとでは、吸収できる量や質が違ってくる。(P.138から引用)

これはビジネスでも同じことが言える。単に与えられた業務をこなすだけの人と、全体像や自分の仕事のアウトプットが何に使われるかをイメージして仕事している人とでは、成長のスピードがまったく異なる。この辺り、若いころはイメージしにくい人もいるので、キャプテン佐藤寿人みたいな人に早く出会えているということは選手にとって幸せなこと。そこから第二第三の佐藤寿人が出てくることを祈るばかりである。

全体を通じて伝わってくる誠実さ

佐藤寿人は、なんとなく愛されているイメージがある。サンフレッチェのファンではなくても、佐藤寿人のことを悪く言う人は少なくとも出会ったことがない。得点を量産しているのに代表になかなか呼ばれないという悲劇のヒーロー的な側面が日本人のメンタリティにあっているのかもしれない。

ただ、本書を読めば愛される理由が決してそれだけではないことが分かる。J2降格の憂き目にあったときの本人の選択。海外クラブからの打診への対応。お金よりも大事なものがあると、言い切れる心意気。

もちろん、お金を大事にしている選手が悪いわけではない。ピッチで結果を出すことが選手としては最優先事項だから、それ以外の要素に部外者がとやかく言うことはできない。しかし、にじみ出る人の良さというか、他人思いで誠実なところ、これが惹きつけているのだと思う。そういった側面も本書からしっかりと受け取ることができる。

今後佐藤寿人の代表招集はあるのか

これはまた別途記事をあげようと思っているが、ザッケローニが佐藤寿人を使うことは、おそらくないと思う。ただ、7月末に開催される東アジア選手権、これに招集される可能性はおおいにある。そこで結果を残せるか。己の力を試す機会もなく2014年を過ごすのではあまりにかわいそうである、というくらいの実績をもった選手。活躍を楽しみにしたい。



tags サンフレッチェ広島, 佐藤寿人, 小さくても、勝てる

少しでも日本サッカーに貢献するために、僕らのできること。

今回は身も蓋もない、お金の話。僕らにできる、Jリーグやクラブへの金銭面での貢献を考えてみる。

クラブの収支を眺めてみる

数年前からJリーグは各クラブに財務状況の開示を義務付け、毎年8月くらいに前年度の各クラブの簡易的な損益計算と貸借対照表を公開している。
2011年度のクラブ決算一覧
(2013年7月12日追記:2012年度のクラブ決算一覧が公開された)

細かいのを見るのが苦手な人は、損益総括の表の一番下と貸借対照表の一番下だけ見れば良い。
損益総括とは、クラブが該当年度に黒字か赤字かを指す。
貸借対照表は、簡単に言えばクラブのお財布にどれくらいお金が残っているかと考えれば良いかなと(厳密には違うけど)。

こうやって見ると、2011年度は山形、鹿島、横浜FM、清水などが赤字だということが分かる。一方で、仙台、浦和、柏、川崎Fなどは黒字だ。

貸借対照表を見ると、2011年度時点で財務的にまずそうなのは横浜FMや神戸だと分かる。

なぜ収支が大切なのか

赤字や黒字かは個人のお小遣いで考えても重要なので、そこに無頓着ではまずいだろう。これまでも横浜フリューゲルスや大分トリニータのように財務が取り沙汰されることは何度かあったが、昨今財務が若干注目を浴びているのは背景が異なる。

Jリーグクラブライセンス制度の導入である。

長期的に健全なリーグにするために、ライセンス基準を満たしたクラブだけJクラブとして認可しますよ、という制度である。例えばアカデミーチームを有することとか、スタジアム収容人数など事細かに基準が設けられている。

この中に、財務基準というものがあり、以下の2つが示されている。

  • 3期連続純損失を計上していないこと(12-14年度から算定)
  • 債務超過でないこと(14年度から算定)

さて、ここで先程の11年度のクラブ決算一覧をもう一度振り返ってみる。横浜FMはなんと10億円債務超過である。そしてちょうど本日(2013年7月9日)、横浜FMはクラブHPで2012年度の決算を公開したのだが、なんと12年度は特別損失も加えれば約7億円の赤字で、累積損失は17億円に膨れ上がっているではないか。14年度までにこれを解消しないと、横浜FMはクラブライセンスを没収されるわけである。

では、僕らにできることは何か

各クラブの経営に関して口出しは難しいので、それはそれでがんばってもらうしかない。

では僕らは手をこまねいて待つしかできないのかというと、そんなことはない。これはお金の問題なので、貢献の仕方はいろいろあるだろう。

先ほどの決算表を見ると、売上の項目は以下の5つに分かれている。

  • 広告料収入
  • 入場料収入
  • Jリーグ配分金
  • アカデミー関連収入
  • その他収入


●入場料で貢献する

この中でもっとも個人としての貢献でイメージしやすいのは、「入場料収入」だろう。ホームゲームのスタジアムに足を運べば、それが直接的にクラブの売上につながる。年間シートなどもクラブにとっては喜ばれる。また、金銭的側面以外でも選手に与える力は絶大で、もっともクラブに貢献する行動と言える。


●グッズを買って貢献する

スタジアムに足を運ぶことが様々な理由でできない人もいるだろう。しかしそこで諦める必要はない。「その他収入」にはグッズ売上などが含まれている。ユニフォームやタオルマフラーなど、クラブの公式グッズを買えばそれもまた直接的にクラブの売上につながる。


●広告料に間接的に貢献する

しかしグッズには欲しいものがないかもしれない。それでもまだ、貢献の仕方はいくらでもある。先ほどの表を見てもらえれば分かるが、結局売上の大部分を占めているのは「広告料収入」、すなわちスポンサー料である。

スポンサー料というものは景気に左右されると言われるが、厳密には違う。スポンサー企業の決算に左右されるのである。お金に余裕がなければ広告費というものは縮小される運命にある。つまり、贔屓のクラブのスポンサーには黒字になってもらわなければ困るのである。

例えば財務が危うい横浜FMのスポンサーには、日産、三栄建築設計、アディダス、ANA、サントリーなどが名前を連ねていることが分かる。企業の種別によっては個人的な貢献が難しいところもあるが、要はこれらの企業の商品を買えばそれが間接的に横浜FMの助けになるということは間違いない。

JALかANAに乗ろうと思ったら、ANAを選択する。
プーマかアディダスか迷ったら、アディダスを選択する。
アサヒのスーパードライではなく、サントリーのモルツを飲む。

無駄に買う必要はないが、商品選択の意思決定要因に贔屓クラブのスポンサーかどうかという考えを加えれば、日常からクラブをサポートしているという楽しみも増えて良いのではないだろうか。


●Jリーグを支えることで、クラブに貢献する

また、売上項目の中に「Jリーグ配分金」というものもある。これはJリーグから成績や人気などに応じて各クラブに与えられるお布施である。当然、Jリーグとしても収支を管理しており、Jリーグの収支が怪しければこの金額も減額される可能性がある。

Jリーグを潤わせるために、スポンサー商品選択の術がここでも使える。Jリーグには、マクドナルドやコカ・コーラ、カルビーなどの企業が莫大なスポンサー料を提供している。

特にこだわりがなければ、コカ・コーラを飲んでカルビーのポテトチップスを食べればそれがすなわち間接的なJリーグへの貢献である。

こういう選択をする人が多ければ、スポンサードする意味が企業側にとって大きくなる。それでスポンサー料が増額されるかは微妙だが、少なくとも継続の判断要素にはなるだろう。ツイッターでわざとらしく「横浜FMのスポンサーになってくれているからサントリーのモルツ飲んでる!」とか書くのもアリかもしれない。


●個人スポンサーを募っているクラブもある

お金持ちの方は、クラブに対して個人スポンサーなんてものもあるからそこからであれば最大級に直接的な金銭的支援もできる。

スタジアムに行くだけが貢献ではない

もちろん、スタジアムに行くことは大事だし、それは最大の貢献でもある。だけど、それだけがクラブを支える方策ではないということ。いろんな考え方があるし、何が偉くて何が偉くないとかでもない。今回はお金の話だったけど、お金じゃない貢献だっていくらでもある。

みんなが大好きなサッカー。
みんなで支えていこうぜ。



tags クラブライセンス制度

条件付き賛成、という曖昧な態度ですみません。

明日7月9日のJリーグ合同実行委員会で来年度移行のJリーグの実施要項の方向性が話されると聞く。実施要項とは、すなわち巷で話題の2ステージ制など含め、優勝決定方式やリーグ運営方式などを含めたJリーグの要諦に関わる部分である。後出しじゃんけんにならないために、個人的見解を。

冒頭にも記載したように、個人的には「条件付き賛成」。

この手の決定で一番やってはいけないこと

それは、「議論が深まっていないから結論を先延ばしにする」ということである。何らかの変更を伴う意思決定には、当然賛成もあれば反対もある。全部意見を吸い上げて全員が納得する決定をすることはほぼ無理だと考えた方が良い。主導する側(Jリーグ)がある程度明確な意志とリーダーシップを持って意思決定するべき事案であろうと僕は考える。

で、その明確な意志とリーダーシップに欠かせないものが、情報の開示である。ここに、僕が「条件付き」と表現する所以がある。

ぶっちゃけて言えば、2ステージ制の反対派にも賛成派(あまり見かけないけど)にも理はある。

反対派から聞こえるもっとも大きな理由はこれである。

  • 年間でもっとも多く勝ち点を取ったチームが優勝チームであるべき

というものである。まあ、言ってることは分かるよねという感じだ。


賛成派が考えていることは興行面のメリットである。

  • 優勝決定戦などの一発勝負は観客動員、メディアへの露出、視聴率、ライトファン層へのアプローチなどが期待できる

特に昨今の観客動員数のジリ貧傾向やクラブライセンス制度導入を前にした赤字クラブの現状などを考えると、興行面のテコ入れは必要不可欠であるのは間違いない。

どちらにも理がある場合の意思決定に大事なこと

この手の「どちらにも理があり一概に比べることもできないようなケース」で何より重要なのは、納得性をどのように担保するかというものである。人が何かに納得する構造として、以下の2種類が存在する。

  • Distributive Justice(分配的公正):何らかの過程を経て結果としてもたらされたものが公正であること
  • Procedural Justice(手続的公正):結果としてもたらされるものの決定プロセスが公開されていること

もはやこの議論において、前者の分配的公正を目指すことは不可能である。「議論の結果、2ステージ制にすることにしました/やめました」と言われて、それぞれ賛成の立場の人でさえ納得する人は少ないだろう。なので、できる限り誠実に、後者の手続的公正を実現するしかない。

そのために、Jリーグは腹を割って考えていることを開示するべきである。この開示とは、「興行面で本当にメリットがあるのか根拠を見せろ」といった類の開示ではない。過去データは大事だが、この手の人たちは過去データを見せても何かにつけて反対する理由をアラ探しする人たちで、数値は大事だと認識した上で数値勝負に持ち込んではいけない。

そうではなく、2ステージ制移行を考えた理由を嘘偽りなく全てを話すこと。これが大事である。さらに言えば、お金に関する話をもっとすべきである。

僕は、観客動員や収支に関する最終責任はクラブにあると思っているが、ではJリーグとして指をくわえて待っていれば良いかといえばそうはいかないだろう。実際に、このままではクラブライセンス制度導入によってペナルティを受けるクラブが出てくるのは想像に難くない。長期間を見据えた健全なリーグの発展には欠かせない制度だが、短期的には痛みを伴う制度でもある。そこにJリーグとしてできる限りの措置をして興行面で下支えしたい、との想いが結集したものが今回の2ステージ制をはじめとする議論であると僕は思う。権力はときに人を狂わせるが、何の考えもなしにサポーターが反対している2ステージ制をここまでゴリ押しするほど幹部もバカではない。

説明があれば、僕は支持する

というわけで、「条件付き賛成」の所以は、意思決定のプロセスが開示されれば賛成、ということである。

正直なところ、優勝決定までのプロセスの納得性や公平性といった観点でいえば、1ステージ制の方が僕だって腹落ちする。だけど、そうはいかないところまで興行面での心配事が侵食してきている時期に差し掛かっているというのも事実であると思う。ここは、変化を恐れず、試してみてダメならまた戻す、という社会実験があっても良いのではないだろうか。

興行面のメリットを謳うからには、それほど興行面のメリットを重視しなければならない切羽詰まった事情があるからに他ならない。その切羽詰まった状態の説明と、それをJリーグとして担保しなければいけない理由が分かれば、説明としては僕はそれで構わない。

2ステージ制移行を反対する人たちは、悪く言えば現状維持派であり、現状維持したところで興行面のテコ入れは不可欠。であれば、僕としては反対するだけでなくテコ入れの代替案を示してほしいと思う。「私はスタジアムにしょっちゅう行っている」というのは(とてもJリーグに貢献している人であることは承知のうえで)、この議論においては何の意見にもなっていない。

100年構想のうちの、まだ20年

経済的事情はときによって異なるし、2004年までの2ステージ制のことを知らない世代も大人になってきていて、変化を恐れずに2ステージ制を試してみるということはイノベーティブな経営から考えたら悪くないと僕は思う。

また数年経って、「2014年に1回2ステージに戻したけどあれは失敗だったよね」なんて話があっても良いと思う。そういう目で、見守っていきたいと思っているのです。



tags 2ステージ制, 分配的公正, 手続的公正


ジュビロ黄金期を支えた鈴木政一監督の指導哲学。

中山、高原、藤田、名波、奥、服部。今聞いてもそうそうたるメンバーである。名波を中心としたNボックスによるジュビロ黄金期。なんとジュビロ磐田を率いての通算成績は59勝6分8敗という驚異の勝率8割を記録した、その監督こそ鈴木政一氏である。

しかしここまでの好成績を残したのにも関わらず、例えば西野監督や関塚監督に比べれば知名度、注目度ともに低く、そのサッカー観はあまり知られていない。そこで本書である。よくぞ鈴木政一監督に注目してくれたと、それだけでサッカー狂にはたまらない。

まずストーリー、そして哲学

現在U18日本代表監督を務めている鈴木政一監督であるが、U18の監督であることすら知らない人が多いことと思う。その前は2年間母校日体大の監督を務めていた。選手としては主にヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)で活躍。そういった経歴は僕も知らなかったし、本書がそういったストーリーの紹介にページを割いてくれたのはすごく良かった。人物像を理解した上で、後半は指導や育成についての理念や哲学が紹介されていく。

観る、すなわち判断力をいかに養うか

本書で一貫して訴えかけているのは、「観る」「判断する」という能力をいかに養っていくか、ということである。むしろ、それしか語っていないといっても差し支えない。

まずは幼少期から2歳刻みでどのようなコンセプトで指導していくべきかが提示される。
例えばチャイルド(5〜6歳)であれば「観ることをベースに楽しさとボールに慣れること、観察力、身体を使うこと、コーディネーション能力を育てる」といった具合である。

その上で、日本ではとにかく「観る」「判断」の指導が足りていないことを指摘している。

日本の一貫指導に足りないものは、"観る"ことを教えていないことである。判断の指導が欠けている。判断することを子どもたちは教えられていない。素晴らしい技術や体力、スピードを持っていても観方を間違って判断が悪ければミスになってしまう。(P.112から引用)

その現状として、このようなシーンを例に挙げている。

ベンチからは大声で、「サイドチェンジ!」と指示がとぶ。すると、子どもは言われた通りに蹴る。それが、たまたまつながり、ゴールに結びついた。
「ナイス、ゴール!」。子どもは、サイドのスペースを観ることもなく、相手との駆け引きもないままに、ベンチからの声を忠実に守る。そこに子どもの判断など入り込む余地はない。
この子が上の年代のクラスにいったときに、観ることも、判断することもできないような指導をしてはいけない。ではどうすればよいか。アンダー9の段階では、自分の観える範囲で、自分で判断して、一番よいと思うプレーができれば充分である。(P.126-127から引用)

そしてそのための指導方法として、トータルサッカー、グループ戦術、数的優位などの観点を提示してくれている。具体的指導方法や練習メニューまでは書いてくれていないので抽象的ではあるのが残念だが、鈴木政一氏の考え方には十分に触れることができる。

本書で重要視していた「判断の重要性」というものは最近はいろんなところで語られ始め、耳に入ってくるようにはなってきている。ただし、そのトレーニングの方法に関してはなかなかお目にかかれないというのが現状である。それは本書も同じで、それを書いたら商売上がったりということなのかもしれない。

その中でも、サッカーサービス社のU13世代の選手向けDVD教材の知のサッカーはトレーニングメニューも多数紹介されていて良いと思う。DVD2枚組とはいえ21000円もするから高いけれど。まあしかし、トレーニングメニューを買うというのはそういうレベル感であってよいと思う。僕は1巻しか見ていないが、2巻も出たようである。ちなみに出演しているバルサのコーチ陣はひたすらに頭を使え、判断を身に付けろ、と主張している。1.状況把握、2.判断、3.実行、の順番だ、と。

どこまで教え、どこまで気づかせるのか、という話になってくる

先に引用した例では、要は指示を具体的に出すと子どもが判断できなくなるからそれは弊害ですよ、と言っている。ただしここで見誤ってはまずいのは、どこまでを創発的なアプローチで伸ばし、どこまでを指示で伸ばすかという線引である。一様に指示がダメだとは僕は思わず、判断を促すような指示、例えばフェアウェイとOBゾーンを大まかに分けて「こういうようなプレーはOK」「こういうようなプレーは場合によってはまずい」というパターン分けをして指示するのは、これは比較的OKな部類であると思う。

また、中にはヒントを与えることでグッと伸びるタイプもいる。守破離の概念に似てくるが、まずは習うことでベースを掴み、その上で応用という順番である。最初から何もかも創発的なポジティブアプローチに任せれば良いということではない。

この辺りのことを単純に「バランス」と言ってしまっては、それは概念としては理解できるけど具体的なヒントにはなり得ないので僕はバランスという言葉はあまり好きではない。やはり、具体的なトレーニングメニューと、どのようなケースで何を指示し、どのようなケースでは放任するのか、という抱き合わせで理解しなければいけないと思う。そう考えると、やはり知のサッカーのようなDVD素材が良いということになってくるのかしら。

ある程度、指導や育成に理解のある人向け

本書は鈴木政一氏という稀有な存在に目をつけて出版してくれただけですおく価値があるのだが、正直構成は分かりやすいものではない。また、なぜか横書き。叢文社(そうぶんしゃ)という出版社で、初めて聞いたところだから仕方ないのかな。読者自身が体系的な視点をもって読まないと、内容が重複しているというか整理されていないと感じられる箇所が多数あり、混乱してしまう。指導や育成の考え方をすでに持っている人が、考えを比較したり方向性の正しさを担保したり、そういう使い方に向いているといえる。



tags Nシステム, ジュビロ磐田黄金期, 育てることと勝つことと, 鈴木政一

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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