2014年8月の記事一覧


スタジアム観戦の愉しさを伝えるストーリーテリング。

本書は、著者である中村慎太郎氏が2013年10月5日に初めてJリーグを観戦してから3ヶ月間の間に起こったスタジアム観戦やファン同士、サポーター同士の交流を綴った冒険譚である。

ことの始まりは中村氏がJリーグ初観戦の感想を「Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった」というタイトルでブログに書いたことによる。

本書にもあるように、このエントリーはサポーター界隈で大変な話題となった。

その記事が大変な反響を呼び、アクセス数は2日で10万を越えた。そして、Jリーグクラブのサポーターという人達が突然たくさん現れて、メール、Twitter、Facebookなどを通じてぼくに話しかけてきた。(P.25から引用)

それからあれよあれよという間に中村氏はJリーグという物語の渦に巻き込まれ、あるいは自ら渦の中に飛び込んでいくこととなる。

ストーリーとしての完成度の高さ

本書を読んで感じたことは「Jリーグへ誘う至高のストーリーテリングである」ということ。

ストーリーは共感を生み出すための効果的なメソッドで、ビジネスの世界でも最近特に注目されている。ビジネスにおける競争戦略にストーリーの視点を持ち込んだ楠木建氏の『ストーリーとしての競争戦略』から引用して、本書『サポーターをめぐる冒険』を斬りとってみたい。

ストーリーであることの要点はいくつかあるが、『サポーターをめぐる冒険』がストーリーとして完成度が高い点を3点挙げたい。

1.時系列で書かれていること

『ストーリーとしての競争戦略』には次のように書かれている。

戦略の構成要素そのものよりも、そのつながりに注目しているという点で、ストーリーの戦略論はビジネスモデルの戦略論と似ています。ただし、大きな違いが一つあります。それは、ビジネスモデルが戦略の構成要素の空間的な配置形態に焦点を合わせているのに対して、戦略ストーリーは打ち手の時間的展開に注目している、ということです。(P.451から引用)

ストーリーとは「違い」を語るものではなく「つながり」を語るもの。そのため、時系列に徐々につながりが育まれていく様子が語られなくてはわかりにくいものとなってしまう。『サポーターをめぐる冒険』は見事に時系列に書かれており、中村氏が徐々に選手の名前やチャントを覚えていく様子が克明に描かれている。


2.短く言えることを長く言っていること

ビジネスの世界に身をおくと「要点は何?」「箇条書きで分かりやすく書いて」「結論から言って」など、前後のつながりを無視した「静止画」だけを求められる。ここから生まれるのはジャッジメンタルな姿勢であり、「あれは間違っている」「もっとこう言えばいいのに」「何言ってるかわからない」という思いがどうしても脳裏をよぎってしまう。

しかし、ストーリーとは「静止画」ではなく「動画」である。要点で語ることはできないし、つながりを大切にしているため、どうしても話が長くなる。

『ストーリーとしての競争戦略』には次のように書かれている。

従来の戦略論には「動画」の視点が希薄でした。戦略のあるべき姿が動画であるにもかかわらず、その論理を捉えるはずの戦略「論」はやたらと静止画的な話に偏向していたように思います。
(中略)
特定の文脈に依存した因果論理のシンセシス(筆者注:綜合)である以上、戦略はワンフレーズでは語れません。ある程度「長い話」にならざるをえません。(P.44から引用)

だから、『サポーターをめぐる冒険』の愉しさは筆者もうまく伝えることができない。短く言えることを長く言うことに価値があるので、要点だけを伝えても真価は伝わらない。とにかく読んでみてほしいというのが本音である。


3.どこにでもいるサポーターを扱ったこと

インパクトのある内容にしたり、物語「性」を大事にしようとすると、どうしても特徴的なシーンや目立つ人に焦点をあてざるを得ない。しかし、こういった尖った焦点は「すごい」「憧れ」といった印象を残すものの、ストーリーが本来持つ力である「共感」には向いていない。なぜなら、尖った焦点では多くの人はそこに自分を照らし合わせることができないからである。

『ストーリーとしての競争戦略』には次のように書かれている。

独自性を追求するあまり、あからさまに「尖った」顧客をターゲットにしてしまうと、筋の良いストーリーはつくれません。どんなコンセプトでも、それが心に響く顧客は世の中のどこかに必ずいるものです。しかし、それがあまりにマニアックであれば、ごく特殊なニッチに押し込められてしまいます。
(中略)
コンセプトを固めるときは、あくまでも「普通の人々」を念頭に置き、普通の人々の「本性」を直視することが大切です。(P.436から引用)

『サポーターをめぐる冒険』が世に出たとき、多くのサポーターが口にした言葉が「私がいる!」であった。この感覚がストーリーとしての臨場感につながっているのである。

素晴らしいストーリーは共感を呼び起こす

『サポーターをめぐる冒険』はまさに等身大のストーリーであり、市井のサポーターのみならずJリーグをまだ観に行ったことのない人も「自分ごと」として捉えられるように仕上がっている。

「自分ごと」とはビジネス用語では当事者意識のことであるが、この感覚や意識を持つことができるかどうかはビジネスにおいても趣味においても大切なことである。博報堂大学による『「自分ごと」だと人は育つ』では、「自分ごと」の状態について次のように記している。

「自分ごと」とは、いわゆる「主体性」です。通常「自分ごと」と聞くと、この言葉を思い浮かべる人が多いでしょう。打ち合わせや資料作成でも、常に自分の頭で考えて発言し、人に指示されなくとも、やるべきことを見つけて前に進めるための行動を取るという状態です。(P.53-54から引用)

人を行動に掻き立てることはなかなかに難易度が高いことであるが、『サポーターをめぐる冒険』はストーリーを通じて「自分ごと」に捉えてもらうことで主体性を引き出すことに寄与している。ストーリーテリングは創発型のアプローチで主体性を引き出すことを目的としている確立されたメソッドであるが、本を通じてそれができているという点がすばらしい。

また、別の言葉を使えば「自分ごと」に捉えるということは、ある対象について共感や好意を抱いている状態とも言える。

横浜Fマリノスの嘉悦社長もインタビューで言っているように、スタジアム来場者を増やすためには「認知→理解→好意→購入意欲→購入→リピート」という流れの中の歩留まりをよくすることが重要である。「自分ごと」に捉えることは、すでに3段階目の「好意」に到達していることを意味し、Jリーグへ誘うという意味で本書がもたらした貢献は非常に大きい。

特定のクラブを好きになるということ

イベントとして、Jリーグ観戦の等身大の物語を共有するストーリーテリングのイベントなど開催できれば面白いかもしれない。もちろん、Jリーグ観戦未体験者や、行ったことはあるけど数年に1回程度という人が来なければ仕方ないので集客が難しいけれど。

Jリーグに誘うという意味では、ストーリーテリングは傾聴と共感のメソッドだから向いていると思う。

前回のエントリーが特定のJクラブサポーターになれないボクなんていう盛り下がる戯言を書いておいてなんだけど、やっぱり特定のクラブを応援するのは良いことだと思う。中村氏もこのように言っていることだし。

サッカーはどちらかのチームに肩入れして「応援者」となる方が楽しめる気もする。(中略)サッカー観戦を楽しもうと思ったら、サポーターになって、物語の登場人物になるのが一番なのかもしれない。(P.164から引用)

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2014年5月3日 浦和レッズVSFC東京@埼玉スタジアム2002にて筆者撮影



tags Jリーグ, サポーターをめぐる冒険, スタジアム観戦, ストーリーテリング, 中村慎太郎, 共感, 自分ごと

Jリーグはよく観に行く。

スケジュールを見て、電車で行けそうなスタジアムで試合があって、僕に予定がなければ、スタジアムへGOだ。ただし、それは特定のクラブを応援するためではない。単に、サッカーが好き、Jリーグが好き、という理由で観に行く。座る場所は大体自由席の端っこの方、コーナーフラッグのあたりだ。声を出さなくて済むし座って観戦できるけれど、なんとなくサポーターの応援もよく聞こえる、コーナーフラッグのあたりとは大体そんなゾーンである。

Jクラブのサポーターになりたいと思ったことは何度もあるし、今でも思っている。

じゃあなればいいじゃないか、とよく言われるけれど、なかなかそうはいかない。

僕は自他共に認める小難しい人間で、すごくつまらないことを言っているとよく言われるわけだが、要はサポーターになるからには確たる理由が欲しいと、そういうことなのである。

僕は日本人であり、そして・・!?

僕は日本代表のサポーターだ。日本代表の試合はゴール裏で試合中ずっと立って声を出して応援している。W杯は98年からすべて現地観戦している。

なぜ日本代表を応援するのか?

 ― 日本人だから。

これ以上の解はない。日本人だから、日本代表を応援する。すごくステキなことだと自分では思っている。


では、クラブというのは何なのだろう?どういう理由で応援するものなのだろう?

僕は生まれてから22年間横浜市に住んでいた。であれば横浜Fマリノスを、横浜FCを、もしくはかつての横浜フリューゲルスを応援すればいいではないかと言われることがある。

でも僕は自分のことを横浜人だと思ったことはほとんどない。住んでいた場所が横浜駅に行くよりも渋谷駅に行くほうが楽な地域。真っ先に覚えた遊び場は渋谷。

だから、仮に「なぜ横浜Fマリノスを応援するのか?」と聞かれたとして「横浜に住んでいたから」と答えることが妥当でない気がするのだ。妥当でない理由でクラブサポーターになって良いのか、それで自分は納得するのか、そういうことを考えてしまうのが僕である。

今僕は東京都板橋区に住んでいる。ただし、まだ住み始めて日が浅いこともあるし、東京というメガシティの特性でもあるし、僕の天邪鬼なところもあるが、「僕」と「東京」はさしたる恋人関係にはない。何を小難しいことをと言われそうだが、自分が東京都に住んでいるという事実がFC東京を応援するという解釈にどうもつながらない。僕が住んでいる地域、僕の勤め先の地域にはFC東京なんて微塵も登場しない。東京は、僕が思うに大きすぎる気がする。

要は、僕は地域に対する帰属意識がないのだ。これがJリーグの掲げるホームタウン構想と相容れない。だから、と理由づけてよいのかわからないが、少なくとも僕は、「だから」Jクラブサポーターになりきれない。

帰属意識を感じる対象はある

僕は高校から7年間早稲田のお世話になった。もっとも多感な時期に7年間も同じ学閥に属していれば愛着も湧くというもの。僕は、自分のことを早稲田人だと思っている。

高校のサッカー部には、早稲田という理由もあるし自分が単に所属していたサッカー部ということもあるが、OBとして毎年1万円を寄付している。たぶん寄付やその他による市民からの1万円という額は、Jクラブも喉から手が出るほど手に入れたいものであるはずである。仮に1万人が1万円を出したら1億円。数千万円の不足で経営破綻しようとしているクラブがあるくらいだから、1億円は大金だ。

僕はその1万円を、Jクラブではなく母校のサッカー部に寄付している。僕にとっては、早稲田という存在は寄付しても惜しくないと思えるものなのである。

あ、早稲田ユナイテッド(東京都1部に所属する早稲田発のクラブ)がんばってほしいなあ・・。

共通の価値観を持った集まり、トライブ

現状、Jクラブは地域という価値観を根っことして共有して設立、羽ばたいていこうとしているクラブである。新しいプロスポーツリーグの発展のために悪くない選択だったと思う。

しかし、誰しもが地域を理由にJクラブを応援し始めるわけではない。自分とはゆかりのない地域のJクラブのサポーターもいるし、海外クラブのサポーターもいる。好きになるきっかけや応援を続ける理由は人それぞれ。

であれば、もしかしたら今後何らかの理由で特別なホームタウンを持たずに、何らかの別の価値観を共有したクラブが誕生しないとも限らない。それはアイドルグループの発展かもしれないし、それこそ早稲田や慶応のような学閥から生まれるものかもしれない。

近未来フットボール小説『エンダーズ・デッドリードライヴ』(筆者のレビュー)では、著者の後藤勝氏は地域に拠らないメガクラブ「インテルクルービ」を登場させ、クラブのあり方の壮大な思考実験をしている。

また、後藤氏は『エンダーズ・デッドリードライヴ』の出版記念イベントにて、共通の価値観をもった集まりのことをトライブと称していた。トライブという言葉は前近代的な響きでありながら実はネットワーク時代のホットワードでもあり、セス・ゴーディン氏は著書『トライブ』の中で次のように綴っている。

かつて「地理」には大きな意味があった。「トライブ(部族)」といえば、ある村の住民とか、ある国の地方に住む人々のことを指した。企業や組織も、本社やマーケットを中心に「従業員のトライブ」「顧客のトライブ」をつくってきた。
だが、インターネットがそんな地理の壁を取り払った。(P.21から引用)

著者によれば、現代におけるトライブとは次のような意味を持っている。

「トライブ」 ― それは、互いにつながり、リーダーとつながり、アイデアとつながった人々の集団(グループ)を指す。ただし、グループとトライブは違う。
グループがトライブに変わるためには、次の2つがあればいい。「共有する興味」と「コミュニケーションの手段」。(P.18から引用)

つながりを求める現代社会では、人々はよりトライバル化(後藤氏の表現を拝借)していく。最近Jリーグが推奨しているコラボレーションを活用し、他団体のトライブを巻き込むことはこの流れから考えて理にかなっている。

さらにもう一歩踏み込めば、地域に拠らないトライブがクラブとして育っていくことも今後は十分にあり得るし、先ほど挙げた早稲田ユナイテッドもその一例である。Jクラブライセンスのためにホームスタジアムを保有したりアカデミーを持ったりしなければならないのでどうしても地域に根ざさなければならないが、根ざす地域を決めること自体はそう難しくなく、スタジアム問題だけが難点となりそうだ。

いつかその日が来るときまで

冒頭にも書いたけれど、僕は好き好んで「無所属」を決め込んでいるわけではない。

気持ちが既存のクラブに傾く日が来るのか、それとも新規クラブで僕の心にぐっと来るクラブがJに登場するのか、それはわからない。でも、いつか僕もJクラブサポーターになりたい。いつかその日が来ることを信じて、今はスタジアムに通う日々。

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2014年7月27日 川崎フロンターレVSアルビレックス新潟@等々力にて筆者撮影



tags サポーター, トライブ, 価値観の共有, 帰属意識, 早稲田


日本サッカーの行く末と可能性を考えさせられる重要な問題提起。

本書のタイトルは『Jの新人 Jリーグ新加入170選手の価値 2014』と新人にフォーカスを当てたものとなっており、内容も新人を中心に話が進んでいく。しかし、本書の真髄は新人の紹介にあらず。新人やアンダー世代の動向から日本サッカーかくあるべきかを皆で考えようという大きな問題提起本である。

論点は大きく2つある。

1つ目は、U17やU19のようなアンダー世代の日本代表は何を目標とすべきかという話。もちろん勝利に越したことはないが、仮にフル代表におけるW杯の上位進出や常勝軍団化が大上段の目的であるならば、アンダー世代はそれに準じたモジュールとして機能すべきであるとも言える。この話題は本書における1章から4章までに含まれている。

2つ目は、クラブとしての選手の「採用」、逆に言えば各新人Jリーガー個人としての「就職」はどのような設計で行われることが双方にとってポジティブな結果をもたらすのかという話。この手の話題は常に合成の誤謬が存在し、その割りを食うのは弱者である多くの新人であるケースが多い。新人送り出す側の指導者こそ読んでもらいたい内容である。この話題は本書の5章から8章までに含まれている。

フル代表とアンダー世代の代表の関係を模索する

2013年のU17W杯の日本代表の極端なポゼッション志向を記憶の方も多いだろう。本書もまずはこの通称「96ジャパン」の検証から始まる。

96ジャパンはグループリーグを3戦全勝で勝ちあがり、R16のスウェーデン戦に1-2で敗れ大会を去った。このチームの特徴は「U17スペイン代表よりも"バルサっぽい"」と評されるようなポゼッションへのこだわりにある。本書にもこのような記述がある。

「ボール保持を重視するサッカー」と一口に言ってもいろいろあるわけだが、96ジャパンが2011年のチーム活動時に想定したコンセプトは「2人のセンターバックと8人のボランチ」(吉武博文監督)という異端の発想だった。(P.14-15から引用)

試合の映像を見た方はご存知だと思うが、敗れたスウェーデン戦も含め、ボール支配率ではどの試合も相手を圧倒。96ジャパンのポゼッションのコンセプトは確実に成功していた。プレミアリーグのスウォンジーを見ても分かるが、適性のある選手を選択すれば世界的に有名な選手がいなくてもポゼッションできるチーム作りは可能であり、それが日本人でも実現できることは証明されたといって差し支えないだろう。

一方で当然、割を食う選手も存在する。

必然、"このサッカーだから選ばれない選手"というのが相当数出てくる。
すでに述べたように、ボランチタイプの選手を並べることでポゼッションに特化したのが96ジャパンだった。となれば、ボランチ適性のない選手の居場所はどこにあるのか。
シンプルに言ってしまえば、「ない」。(P.31から引用)

典型的なセンターフォワード、縦に速い選手、運動量に自信のあるサイドバックなど、それぞれ人に負けない「長所」を持った選手たちは「適性」がないという理由で96ジャパンから漏れている。


さて、ここで考えたいのが、アンダー世代の代表とはかくあるべきか、という話である。

ここ3大会連続でU20ワールドカップへの出場を逃していることもあり、2014年10月に開催されるU19アジア選手権で4位以内を確保してU20ワールドカップへの切符を手にできるかがサッカー界では非常に注目されている。

この背景には「この世代で世界を経験することが後の成長やフル代表におけるワールドカップでの上位進出に欠かせない」という文脈が含意されている。

当然この文脈は先のU17世代でも同様だろう。であれば、果たして吉武監督の「2人のセンターバックと8人のボランチ」というチームコンセプトは正しかったのだろうかという疑問が浮かび上がる。日本の弱点とされるセンターフォワードタイプの選手を意図的にチーム構成から外しているのである。経験もへったくれもない。確かにU17は見ているものを楽しませるサッカーでR16まで進んだ。一定の評価も得た。では、その結果としてフル代表の強化につながっていくのだろうか。

各自が自分の意見を持って論じたいテーマである。本書にはその材料が多数転がっている。

新人獲得におけるクラブの事情、新人の事情

高卒でJクラブに入団し、4年以内にポジションを獲得している選手はそう多くない。そのような背景から、大学で経験を積んでからJリーグ入りというルートを選ぶ選手が増えている。

しかし現実はなかなかに厳しい。

資金力のあるクラブにとってほとんどの大卒ルーキーは、安く使えるバックアッパーという位置付けだ。それが現実である。スカウトはそれぞれの選手に甘い言葉もかけて誘うわけだが、実態としてあるのは大卒ルーキーの出場実績が端的に示しているように、"即戦力のバックアッパー"というポジションである。(P.109から引用)

浦和や鹿島などブランドのあるクラブから自分がスカウトされたら嬉しいに決まっている。また、試合に出られなくともJリーグを代表するクラブで練習を積むことで成長できるというのもあながち間違いではない。

しかしやはり選手は試合に出てナンボ、だろう。主に資金的な問題でサテライトリーグがなくなった今、控え選手は実戦経験を積む場を確保しにくい。そこでJリーグとしても、「育成型期限付き移籍」として18歳〜23歳の選手はカテゴリーが下のリーグへの移籍は移籍期限外でも認めたり、J3を発足させて実戦経験を積む場を増やしたりと環境を整い始めている。

「高卒ルーキーが試合に出られない問題」への解答は結局のところシンプルで、「試合に出られるチームへ移ればいい」ということでしかない。(P.167から引用)

とあるように、J2だろうがJ3だろうが、新人選手はまずは自分が数年後に試合に出られるかどうかをクラブ選択の観点のひとつに置いてほしい。横浜FMから愛媛に期限付きで移籍し、愛媛で活躍して五輪代表選出→横浜FMでもレギュラー獲得→ブラジルW杯メンバー入り、という先例が示す通り、試合に出ることが何より重要なのだから。

この他に、クラブ側が必要に応じて即戦力を獲得するための考え方などが紹介されており非常に興味深い。サッカーではなくても一般的な企業などの採用活動においても参考になりそうだ。

他に類を見ない利益度外視の良書

正直言って、一般的には売れない類の書籍であると思う。タイトルもストレートでマーケティングっぽさはない。

著者の川端暁彦氏は2014年5月にローンチしたJ論の編集長であり、このJ論という特異なメディアもまたビジネスの要素よりも本質的なメディアのあり方の追求を目指したサイトのようである。マネタイズが先行しがちなメディアの世界にバサバサと斬りかかっていく姿は応援したくなる。

本書もそのような一貫した姿勢から生み出された一冊であり、新人という切り口から日本サッカーの未来地図を模索する野心的且つ本質を突く良書である。



tags 96ジャパン, Jの新人, アンダー世代, 川端暁彦


躍動感あふれる近未来フットボール小説。

ときは2029年。5年前に勃発した世界同時内戦は収束の兆しを見せていたものの、まだ各地では紛争の火種がくすぶっている。日本も例外ではなく、地域の往来にパスポートの提示を余儀なくされるなど混乱が続いていた。

フットボール界では翌2030年に大きな変化が2つ訪れようとしていた。
1つは、クラブ主導の世界大会「ゲオ・グランデ」の新設。日本からこの大会に参加できるのはリーグ1位のみ。そして1位のクラブは同じく新設される協会組織である「スターボール連盟」の議決権を得ることができる。上位クラブにとってリーグ優勝はこれまでと違った重みを持つものとなる。

もう1つは、日本のフットボール界に新設される「プレミアシップ」。現状の1部に相当するディヴィジョン1(20チーム)の上位14チームが初年度のプレミアシップへの所属が許される。実質下位6チームが翌年度は2部相当となるディヴィジョン1に「居残る」ことになり、中堅クラブにとっては死活問題となる。

父親の遺言で急遽東京湾岸地区の貧乏クラブ「銀星倶楽部」の社長となった群青叶(ぐんじょうかなえ)は、同じく東京を本拠地とするメガクラブ「インテルクルービ」から様々な圧力をかけられていた。姉である奏(かなで)を専務として登用したインテルクルービの本当の目的は何なのか。銀星倶楽部は経営破綻せずにプレミアシップ参加条件の14位以内を確保できるのか。

クラブ経営から監督目線の戦術論、ピッチレベルで起こる試合の描写までフットボールの醍醐味を余すことなく盛り込んだ近未来フットボール・フィクション。サイドストーリーとしての群青叶の恋の展開もお楽しみ。

マイクロスポンサーの仕組みを利用して刊行

もともと本書を知ったきっかけはツイッターで流れてきたミライブックスファンドというマイクロスポンサーの触れ込みだった。

『エンダーズ・デッドリードライヴ』というフットボール・フィクションを上梓したい。すでに構想はできている。しかし資金が足りない。そこで少額でも構わないので応援してくれる人からの援助を募集、という内容。
ミライブックスファンドのエンダーズ・デッドリードライヴのプロジェクトページ


故・野沢尚氏の『龍時』シリーズ以降、魂が揺さぶられるようなフットボール・フィクションに出会っていないこともあって、期待を込めて筆者も援助を決意。目標金額は15万円とのことだったが、287500円も資金が集まりめでたく本書は日の目を見ることとなった。

15万円を超えた分は広報活動にまわすとのことで、公式サイトも充実の出来栄え。また、youtubeにも本書の公式PVが存在している。


ちなみに筆者の手元にある本書は支援特典としていただいたもの。著者の後藤勝氏のサイン入りで、巻末にはSPECIAL THANKSとして筆者のハンドルネーム「yohei22」も掲載いただいている。

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著者の後藤氏はトーキョーワッショイ!プレミアムというFC東京を応援するサイトを運営し、サッカーの取材を続けるジャーナリストという立場であるが、そういった方でもフットボール小説の刊行のためには出版社が無条件でGOを出してくれないというのは厳しい現実。ぜひ本書が売れて続編が生まれたり、別のフットボール・フィクションが対抗馬で出てきたりと、そういった起爆剤になってほしい。

フットボール界の問題をさりげなく散りばめた間接的な問題提起

物語は主人公・群青叶の一人称で進んでいく。社長業に就いたこともあり、小説の多くは経営に関する諸問題とその解決への奔走に割かれている。

スタジアム問題、育成への投資、女子部門の保有、外資の受け入れ、など実際にクラブ経営に携わっている人が読めば頭を悩ませているうような話題に事欠かない。小説ではそれぞれ偶然も手伝って解決していくので「現場はこんな簡単にいかない!」という批判もあるだろうが、そこはご愛嬌。個人的にももう少し重層感を持ったプロットを敷いてほしいとは感じたが、長編小説は初とのことなのでこれからに期待。

フットボール界の話題には一見関係なさそうな世界同時内戦という時代背景も、インテルクルービの本当の目的が明らかになるにつれて欠かせない舞台設計だったと気付かされる。疑問の氷解と並行して、少しずつフットボール・フィクションが持つ重要な役割について考えさせられた。

フィクションが持つ2つの役割

エンターテイメントという側面は当たり前として、本書を読んでフットボールというジャンルにおけるフィクションが2つの役割を持っていると感じた。

1つ目は、コンテクストを含んだ著者の意見の表明の場として。

小説内で、著者の意見を主人公・群青叶の口から明確に発している場面がある。とある試合の前のドレッシングルームにて。

「この何ヶ月かでぼくが痛感したのは、フットボールクラブの主役はやっぱり選手だということなんだ。クラブの精神をいちばんわかりやすく伝えるのは選手のプレーだ。どんなにぼくらビジネススタッフが言葉を尽くすより雄弁で、みんなが試合を終えたときにすべてを出しきった表情のほうが、ファンにはよく伝わるんだよ。キックオフからタイムアップの笛が鳴るまで、ボールを自分たちのものにして、表現することだけを考えよう」(P.276から引用)

この言葉だけでも想いがこもっているが、小説という文脈に乗せることでさらに言葉が生きたものとなる。試行錯誤した末に辿り着いた結論だということが読んでいればすごく分かるので、説得力がある。僕は、これは後藤氏の強いメッセージだと受け取った。フィクションは、ストーリーという共感する仕立てを作り上げることができるとても優れたジャンルなのだ。

2つ目は、壮大な思考実験として。

今後、現実世界で本当に内戦が勃発しないとも限らない。外資の参入(50%以上の出資)が許可されるかもしれない。クラブ名に地域の名称を冠さなくても良くなるかもしれない。AFCやUEFAなどの協会の力が弱まり、クラブ主導の世界大会が本当に開催されるかもしれない(※)。

そういったことが起こったならば、一体我々は事態をどのように受け止め、どのように考え行動するべきなのか。ミクロレベル、マクロレベルでどのような意識の変化が起こるのか。本当に本書のような時代背景であれば、僕は、そしてあなたは、インテルクルービ派だろうか。それとも銀星倶楽部派だろうか。とても考えさせられる。その壮大な思考実験の場として、フィクションが果たす役割は大きい。

『龍時』はピッチの上での戦いを克明に描写し、フットボール・フィクションの新ジャンルとして一時代を築いた。しかし悲しいことにもはや『龍時』の続編が出ることはない。

『エンダーズ・デッドリードライヴ』はクラブ経営までを含めたフットボール界の戦いを描写した新たなフィクションとして、今後さらに磨きをかけてほしい。続編出れば、もちろん買います。


(※)ちなみにヨーロッパのスーパーリーグ構想は過去に何度も実現しそうなところまで話が進んだが、結局はUEFAの反対により実現していない。クラブとUEFAの戦いの歴史は『チャンピオンズリーグの20年』(筆者のレビュー)に詳しい。

  



tags エンダーズ・デッドリードライヴ, サッカー小説, フットボールフィクション, 後藤勝, 龍時

2013年度のJクラブの決算が出揃い、Jリーグの公式サイトにも資料がアップされた(一番下のJクラブ個別経営情報開示資料)。

クラブ経営に関してはこれまでも何度かエントリーをあげてきており、今回も新しい情報をもとに経営的に危ないクラブを取り上げていく。

参考エントリー

クラブライセンス制度のおさらい

Jリーグはクラブの経営基盤の強化と安定化のためにクラブライセンス制度を運用しており、基準に抵触するとJクラブライセンスが交付されないなどのペナルティが待っている。

基準は競技に関するものなど5種類にわかれており、その中に財務基準というものがある。

財務基準をクリアするための要件は以下の2点に集約される。

  • 2012年度以降、3期連続で当期純損失(赤字)を計上していないこと
  • 2014年度以降、債務超過に陥らないこと

今般公開された2013年度の決算は当期純損失(赤字)についてチェックする2期目であり、2012年度、2013年度に連続で赤字計上しているクラブはライセンス剥奪のリーチがかかったといえる。

当エントリーでは上記2点の要件に照らしあわせて、基準に抵触しそうな危ないクラブ(J3除く)の決算をまとめて紹介したい。

当期純損失(赤字)計上クラブ

まずは財務基準要件の1つ目、当期純損失について。下の表を見てもらいたい。

2013年度純損失クラブ一覧.jpg

この表は、2013年度の決算で純損失を計上したクラブについて、赤字額の多い順に並べたものである。

J1とJ2の全40クラブのうち、赤字計上は11クラブ。表内の赤いセルは2012年度に続いて2期連続で赤字のクラブを示している。これらのクラブは2014年度、つまり現在進行中のシーズンにおいて赤字を計上するとJクラブライセンス剥奪などのペナルティが待っている。具体的なクラブは、神戸、福岡、名古屋、栃木、群馬、湘南である。

表内の黄色いセルは、2012年度は黒字だったが2013年度に赤字になったクラブ。鳥栖、東京V、G大阪、清水、長崎がここに分類される(長崎は2013年度に新加盟なのでデータなし)。

数値を見ただけで、神戸の赤字額が抜きん出いることが分かる。また、神戸に関しては後述する債務超過額に関しても群を抜いている問題クラブである。

鳥栖も若干気になるところだろう。鳥栖は2012年度に比べて収益が2.5億円増加したが、費用が約7億円増加しており大幅な赤字に陥った。特に人件費が6億円から10億円に1.5倍以上増加しており、チーム成績の向上が経営的には逼迫要因になり得ることが如実に現れた結果となっている。

その他は赤字額が目立つクラブはないが、J2の金欠クラブは1000万円集めるのにも苦労している状態である。実態としてかなり苦しい経営を迫られているクラブもいくつか存在しており、なんとか黒字回復を祈るばかりである。

債務超過クラブ

次に要件の2つ目、債務超過について。債務超過についても表にまとめたのでご覧あれ。

2013年度債務超過クラブ一覧.jpg

債務超過も11クラブ。赤いセルは1つ名の要件である赤字計上とのダブルで抵触しているクラブ、黄色いセルは赤字ではなかったがこれまでの累積によって債務超過のクラブである。

これらを踏まえていくつかのクラブについて個別に状況を詳述する。

神戸 〜 額だけ見れば大問題だが・・

さて、まずは神戸から見てみよう。神戸は2期連続で赤字を計上したばかりでなく、累積損失が16億円を超えている。クラブライセンスを剥奪されないためには、来期は16億円超の黒字を計上することがマストである。普通に考えて、ムリ。いくら今年度からJ1にあがったとはいえ、昨年度3.7億円の赤字クラブが今年度16億円の黒字になるわけがない。どこのクラブも自力では1億円の黒字すら出すことが難しいのJリーグである。途方にくれるしかない・・わけなのだが、個人的には神戸は16億円の黒字に持ってくると考えている。その理由は、次に説明する債務超過額2位の横浜FMのケースで取り上げる。

横浜FM 〜 自力再建は断念し、スポンサーの力で回復へ

これまで継続してJクラブの決算を見てきた人であれば、2013年度の横浜FMの優良決算に目を見張ったことだろう。2012年度は16.7億円あった債務超過が2013年度は6.7億円と10億円も改善されているからである。このペースであれば2014年度に残りの6.7億円の債務超過を改善することはたやすい。なぜ横浜FMはここまでの劇的な回復を遂げることができたのか。

答えは簡単で、日産が通常のスポンサー費に加え、追加で10億円出したからである。正確に言えば、日産がマンチェスター・シティ(マンC)と業務提携し、マンCにスポンサードしたお金の一部をマンCが横浜FMに出資する形を取っている(詳しくはFマリノスから「NISSAN」ロゴが消える日 | 東洋経済ONLINEを参照)。これにより日産はマンCを通じて欧州への広告効果を狙えるし、マンCはアジアでのファン層拡大のための足がかりとすることができる。

もちろん、横浜FMも2012年度までは単体で赤字計上していたのが、2013年度はイーブンにまで回復している。プライマリーバランスが回復しているということは、経営状態がすこぶる悪いわけでもないだろう。この点に関しては嘉悦社長の努力の成果といえる。

ただ、結局10億円レベルの債務超過を自助努力のみで回復するのはほぼ不可能で、大規模なスポンサーに頼らざるを得ないのは間違いない。神戸が大丈夫と先述したのも、楽天という大スポンサーがバックについているからに他ならない。もちろん楽天もお金をドブに捨てることはしないだろうから総合的に楽天の発展に寄与する方法を取ってくるだろうが、16億円くらいは楽天にとって出すことは難しくないと想像できる。

大分、鳥栖、岐阜 〜 それぞれ事情は異なるが問題はない

次に債務超過が多いのは大分、鳥栖、岐阜の順だが、おそらくこれらのクラブは問題なく基準をクリアするだろうと思われる。

大分は過去に自力再建不可能に陥り、Jリーグから支援を受けた過去がある。当時の特別扱いを問題視するきらいもあるが、そのときに十分すぎるほど痛い目を見ており、2013年度は2億円超の黒字を計上するなど安定した経営に向けて努力を続けている。2014シーズンはJ2に降格したため収入面で不安もあるが、帳尻はあわせてくるだろう。

鳥栖も同様、2013年度に大幅な赤字を計上して債務超過に陥ったが、もともと赤字体質のクラブではないため心配はしていない。リーグ成績向上によりチーム力維持のために人件費は増したが、今シーズンも継続して上位をキープしているという事実は今後は追い風にもなるはずである。

岐阜は、Jトラストの藤澤信義氏からの資金援助があるのでまったく問題がない羨ましいクラブである。

栃木、群馬、熊本 〜 実は深刻なのはこれらのクラブ

以降は債務超過額で言えば6000万円程度以下のクラブであり額自体は大きくない。しかしそれはクラブ規模が大きくないから債務超過額も大きくならないだけで、実際にはかなり苦しいクラブばかりである。

栃木、群馬、熊本などは最後の頼みの綱として地元での募金活動を実施したりしている。募金だけで何千万円も集まることはないだろうが、募金人数や額を頼りに「地元から愛されているし必要とされている」という姿勢を示し、地元の企業からお金を引き出すのが目的だろう。仮に2014年度は乗り切ったとしても以降も毎年継続して苦しみが続く。何が何でもJ1に昇格というクラブではない(栃木はそのプロジェクトを一旦あきらめている)ので、今後の生きる道を探らなくてはならないだろう。

福岡も2013年末に5000万円ほど現金が足りないと騒ぎになったりともがき苦しんでいる。そのときは明太子のふくやの支援などもあって乗り切ったが、結局2013年度は赤字計上しており債務超過に陥ってしまった。2800万円と額は多くないが、果たして乗りきれるか。

札幌、北九州 〜 安心はできないが2014年度は乗り切るだろう

札幌は札幌ドームの使用料が高いことが経営の逼迫要因。ただ札幌は経営努力もすばらしい。既に退団となったがレ・コン・ビンを獲得して東南アジアに活路を見出したり、今シーズンは小野伸二を獲得して平日開催のホームゲームで13000人ほど集客したりと、追い詰められているわけでもなさそうだ。

北九州に関しては2013年度は黒字計上しており、1100万円程度の債務超過はなんとかなるだろう。

クラブライセンス制度は何をもたらすか

さて、最後にまとめを。

クラブライセンス制度の導入が決まった当初は横浜FMや神戸、名古屋あたりが危ないと思っていたが、大きなクラブは大きな後ろ盾があり、結局は何とかなってしまう。あおりを食らうには地域の小さなクラブであることが明らかになってきている。

このグラフは2013年度の40クラブの決算について横軸に売上額を、縦軸に当期純利益(損失)額をプロットしたものである(単位:百万円)。

2013年度決算プロット.jpg

特殊な事情の横浜FMを除けば、どこのクラブも売上額こそ差はあれ、利益は似たり寄ったりなのがJリーグなのである。そして財務基準で四苦八苦しているのは売上額の少ないごちゃっとしたグループに属しているクラブということである。

しかし、個人的にはこうやって基準を作ってある程度追い込むのは悪いことではないと思っている。もちろん基準はライセンスを剥奪することや締め付けることが目的ではなく、健全経営のための指針となるべきである。そこは誤ってはならない。

一方で、資金難に陥って地元で募金などをしてみると、やはり地元に愛される以外に生きる道はないということに嫌でも気付かされる。これにいち早く気付いたクラブは、Jリーグ百年構想に立ち返って総合スポーツクラブとして地域に根ざして生き残る道を模索し、ある種の成功を収めているクラブもある。川崎F、湘南、C大阪、札幌、新潟、松本などが良い例だろう。

Jリーグ自体まだ21年目であるし、本当の意味で地域に根ざしてクラブが経営の方針を変え始めてまだ数年。根ざすのはこれからである。一時的には苦しみもある財務基準であるが、将来的な健全なリーグの発展のために必要な改変であるはずだ。願わくば、どのクラブもJクラブライセンスが剥奪されることがありませんように。



tags Jリーグ, クラブライセンス制度, 財務基準

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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