2013年8月の記事一覧

バルセロナやバイエルン、ドルトムントなどのサッカーを見て「まるで攻守の切り替えという概念が存在しないようだ」と評しているのを目にすることがある。

ここでいう攻守の切り替えは俗にいうネガティブ・トランジション(ネガトラ)のことである。ボールを失った途端にプレスをかけてボールを奪い返す一連の流動性が、攻撃時の流動性と同質に感じるのでそのような印象を抱くものと思われる。ゲーゲンプレスとかカウンター・プレッシングとかハイライン・プレッシングとかいろいろ呼ばれ方はあるようだが名称は共通認識があれば何でも良い。

本エントリーでは、攻撃、守備、トランジションというサッカーの試合における各フェーズについて整理しつつ、なぜ冒頭のチームのプレスが「攻守の切り替えがないように見える」のか私見を述べたい。

攻撃か守備か、その合間かの3つしか存在しない

サッカーにおいては、ボールを保持している攻撃の状態、ボールを保持していない守備の状態、その移り変わりの瞬間であるトランジションの状態の3つが存在する。トランジションは、ボールを奪取した瞬間の守備→攻撃の移り変わりをポジティブ・トランジション(ポジトラ)、反対にボールを失った瞬間の攻撃→守備の移り変わりをネガティブ・トランジション(ネガトラ)の2つに大別される。

このあたりの整理は『アンチェロッティの戦術ノート』が詳しいので引用しておく。

サッカーにおいて、攻撃と守備という2つの局面は、例えばアメリカン・フットボールや野球のようにはっきりと区切られているわけではなく、常に入れ替わりながらゲームが進んでいく。そして、プレーの展開が最も不安定になり、コントロールを失いやすいのは、まさにこの2つが切り替わった瞬間である。

組織的な守備が発達し、一旦相手が守備陣形を固めてしまうとなかなかそれを崩すことが難しくなる現代サッカーでは、攻守が入れ替わる一瞬に生まれる「戦術的空白」を攻撃側がどれだけ活かせるか、そして守備側がいかにそれに対応するかが、非常に大きなテーマになっている。

近年の戦術をめぐる議論では、この攻守が切り替わる瞬間に焦点を絞って、移行、転換といった意味を持つトランジション(イタリア語ではトランジツィオーネtransizione)という用語が使われるようになっている。(P.65-66から引用)

攻撃は液体、守備は固体

ここで、攻撃と守備を物理現象に置き換えて例えてみたい。物理現象といっても難しい話ではなく、小学生の理科で習う液体や固体の話である。

攻撃には「流動的」「流れるようなパスワーク」といった表現があるように、液体の動きに例えることができる。

守備には「守備ブロック」「硬い守り」といった表現があるように、固体の振る舞いに例えることができそうだ。

こう考えると、トランジションとは固体が液体に、もしくはその逆の現象を指すことが分かる。冒頭のネガトラの話題でいえば液体から固体への遷移であるから、ネガトラ時に大事なことは固体に例えられる守備ブロックをいち早く敷くことである。先ほどの『アンチェロッティの戦術ノート』にもこのような記述がある。

一般論としていうならば、ボールを失った瞬間にチームがやるべきことは、迅速に守備陣形を整えて、ボールを奪回する条件を整えることだ。ボールのラインよりも後ろにいる選手は、ボールホルダーにプレッシャーをかけ、それと連動してパスコースを消すポジションを取るなどして、敵にカウンターのチャンスを与えずに攻撃を遅らせるよう努め、ボールのラインよりも前にいる選手は、速やかに帰陣して守備陣形に加わる。
ボールを組織的に奪回するための戦術であるプレッシングを発動するのは、ボールのラインよりも後ろに十分な人数を確保し、守備陣形が整ってからの話だ。それが整わないうちに積極的にボールを奪いに行くというのは、自殺行為に近い。(P.70-71から引用)

しかしバルセロナなどの「即座にボールを奪い返す」守備はこのセオリーを守っていないようにも見える。もちろん後方は守備陣形を整えようとはしているが、守備陣形が整うことを優先するよりは、「即座にボールを奪い返す」ことを優先している。このあたりに「攻守の切り替えがないように見える」ことのヒントが隠されていそうである。

実は理にかなっているバルセロナのプレス

先ほどの物理現象についてもう少し深掘りしてみたい。

液体から固体、気体から液体といったように様相がまったく異なる状態に遷移する物理現象を相転移という。相転移は英語ではphase transitionであり、まさにトランジションそのものである。攻撃や守備を物理現象に例えることはあながち間違いではないようだ。

液体とは分子の秩序がわりと緩やかな状態で、固体は秩序が保たれていわば整列している状態である。そして相転移とは分子の秩序がまさに遷移している状態であるが、相転移には相転移の秩序が存在していることが分かっている。その秩序とは、相関長(分子間の距離)がベキ乗則に従うというものである。簡単にいえば、相転移では全体の2割の相関長が長く、全体の8割は相関長が短い状態になるということである。

分子を選手、相関長を選手間の距離に置き換えると自然科学的な観点から「正しい」動きのヒントが見えてくる。それはすなわち、トランジションの際には2割程度の選手間の距離を長く、8割程度の選手間の距離を短くするということである。フィールドプレイヤーは10人なので、ネガトラ時は大体2名程度はリトリートして選手間の距離を比較的長く保ちつつ、大体8名程度は密集して選手間の距離を短く保ちながらプレッシングやパスコースを切る動きをするということを意味している。

プレッシングの人数の多寡はあるが、ネガトラ時に即座にボールを奪い返しにいくバルセロナの守備がまさしくこれではないだろうか。アンチェロッティの言うサッカーのセオリーからは外れているかもしれない守備が、実は自然科学的には理にかなっているというのは非常に興味深い。

これで冒頭の問いの解答が見えてくる。

「攻守の切り替えが存在しないように見える」という現象は、攻撃である液体の状態から相転移を経て固体になる前にまた攻撃である液体に状態が遷移していることによる。要は、守備の状態に遷移する前にボールの奪取に成功しているのである。守備の状態に遷移していないので、攻守の切り替えが存在しないように見えるのは当たり前ともいえる。

新しいわけではないが、実現は難しい

このようなプレスはサッキ時代のミランも取り入れていたので特別新しいものでもない。しかし現実的にはローラインでプレスを開始したり、守備陣形を整えてからプレスを開始するチームが多い。アンチェロッティもこのように言っている。

攻守のバランスを高い次元で実現することは、すべての監督にとっての理想である。しかし現実的には、与えられた戦力の限界から、守備側に比重を置かざるを得ない場合がほとんどだ。(P.61から引用)

一方で、90年代のミラン、昨今のバルセロナ、昨年のバイエルンなど一世を風靡したチームはプレス位置が高く、速い。これらのチームが印象深いのは、強いと同時に自然科学的な様式美を兼ね備えているのもひとつの要因だと思っている。

理想を追い求め美しさを兼ね備えたチームが強いのか、現実的にバランスを整えたチームが強いのか。これが分からないからサッカーはおもしろい。



tags アンチェロッティ, ゲーゲンプレス, トランジション, バルセロナ, 攻守の切り替え, 相転移


関係は物質よりも本質的である。

本書は、著者である村松尚登氏が12年間に渡るスペインでの指導者経験で体感した「スペインサッカーの強さの秘密」を綴ったものである。論理的にスペインサッカーの強さの秘密を探ろうとするがなかなか探しものにめぐりあえない村松氏の苦悩や葛藤もあわせて描かれており、冒険譚のように読むこともできる。

村松氏の語る「スペインサッカー強さの秘密」およびスペインと日本の差異は非常にロジカルで納得的な内容であり、サッカーを科学的に語りたいと思っている方は必読の良書。

まず直面した日本とスペインの環境の違い

村松氏が直面した目をそらすことのできない事実として、日本とスペインの育成年代における環境の違いがある。その最たる違いが、リーグ戦文化である。

多くのスペイン人が小学校低学年より長期リーグ戦でプレーし始め、それ以降現役を引退するまでの数年間、あるいは数十年間「負けても次がある」という長期リーグ戦を毎週戦い続け、試合経験値を積み上げ続けていきます。そしてその過程において、必然的にサッカー人口全体の"サッカーを見る眼"を肥えさせているのではないでしょうか。(P.58-59から引用)

このリーグ戦文化により、2つの点で大きなメリットが生まれているという。

1つ目が、練習の質の向上である。村松氏は次のように語っている。

"週間サイクル"でスケジュールが進むがゆえに常に目前に具体的な目標設定があるため、毎回の練習にも必然的に集中しやすくなり、練習課題の設定も明確になりますから、自ずと練習の質も高まります。たとえるならば、1年後の受験に備えて勉強することと、1週間後のテストに備えて勉強することの違いです。明らかに後者のほうが、モチベーションの維持や勉強の課題設定は簡単だと思います。(P.88-89から引用)

そして2つ目のメリットが、駆け引きや賢さの向上である。

最近では日本でも駆け引きや賢さ、つまり判断力の向上を目的として育成が行われている。サッカーはプレーが連続的で試合中に監督の指示をいちいち聞いていられないため、選手が自主的に局面におけるプレーを判断しなければならない。局面はパターン化することができるが、机上で簡単に学ぶことができるものではなくピッチの上で体感的に会得する必要がある。そのために必要なことは、試合を多くこなすことである。村松氏の言葉を借りれば、こういうことになる。

「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」(P.109から引用)

リーグ戦文化で毎週緊迫した公式戦を戦っているスペインの育成年代では、「サッカー」をする機会が必然的に増え、それが駆け引きや賢さの向上に寄与しているのである。

しかしここで村松氏は思い悩むことになる。確かにリーグ戦文化はスペインサッカーの強さの根源的なものであろう。ただ、それが強さの秘密でした、となると、それはすなわち日本は追いつくことが非常に難しいです、と言っているようなものである。また、サッカーが強くて文化的に根付いているからリーグ戦が普及したのか、リーグ戦が普及したから強くなったのか、鶏が先か卵が先かが定かでない。

もっと奥深いヒントのようなものはないのか。

そんな折、すでにスペイン在住が10年を超えていた村松氏がついに出会ったのが、戦術的ピリオダイゼーション理論である。

戦術的ピリオダイゼーション理論とはなにか

戦術的ピリオダイゼーション理論は、ポルトガル人のヴィトル・フラーデ教授が約30年前に発案したサッカー専用のトレーニング理論である。

フラーデ教授は「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」と定義付けている。そのため、この理論はまずサッカーを複雑系と捉えるところから始まる。本書では、機械論ではなく生命論的なパラダイムでサッカーを捉える、という言い方をしている。

この考え方については、『リーダーシップとニューサイエンス』が詳しい。ニュートン主義を機械論、ニューサイエンスを生命論と置き換えていただいて構わない。

ニュートン科学は、唯物論の立場でもある。人の身体的感覚で感知できるものを重視して世界を理解しようとするのだ。実在するものは、目に見え、明確な物質的形状を持つとされる。物理学の歴史では、そして今もってそうだが、科学者たちは、物質の基本的な「構成要素」、万物のもととなる物質的形状をこぞって探しつづけてきた。
ニューサイエンスとニュートン主義の決定的な違いの一つは、ニューサイエンスが部分よりも全体論を重視していることだ。システムは、システム全体として理解し、ネットワーク内の関係に注目する。(P.23-24から引用)
量子の世界では、関係がすべての決定権を握っている。原子より小さい粒子が形状として観察できるのは、何かほかのものと関係があるときだけだ。独立した「もの」としては存在しない。基本的な「構成要素」はないのだ。(P.25から引用)

本書にも登場する「全体は、部分の総和以上の何かである」という考え方である。

また、人間の「顔つき」という身近な例を用いて『非線形科学 (集英社新書 408G)』では以下のように説明している。

ある人の顔を構成する目、口、鼻などの各部分についてどれほど詳しい情報をもっていても、その人固有の「顔つき」はわかりません。顔つきはこれらの要素の布置から生まれる新しい性質であり、要素自体についての知識には含まれないサムシングだからです。(P.19から引用)

つまり、サッカーは生命論パラダイムに則ったスポーツであり、サッカーの中身を体力やテクニック、戦術眼などの要素に分けて個別にトレーニングをしても「全体」であるサッカーそのものはうまくならないということである。

この理論はまさしく「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」という考えが結びついている。村松氏が飛びつくのも納得である。

戦術的ピリオダイゼーション理論を活用するために

本書では以降の流れとして、戦術的ピリオダイゼーション理論を活用したトレーニングメニューをいくつか紹介している。実例をもって紹介しているので分かりやすいが、村松氏も言うように「これが戦術的ピリオダイゼーション理論のトレーニングである」という決まりは存在しない。チームコンセプトを体現できるようになるためのトレーニングが重要であり、チームコンセプトは各チームごとに異なるのだからトレーニングは各チームごとに異なるのが当たり前、という前提に立っているためである。

サッカーはフラクタル(自己相似系)であるという前提を思い出し、どうしたら試合におけるチームコンセプトの発揮場面をトレーニングで再現できるかを考えることが重要であり、指導者の力量が試されるシーンでもある。

サッカーと複雑系についての私見

サッカーに複雑系を適用する考え方は広がりを見せ、『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)ではバルセロナのサッカーを複雑系理論と絡めて解説している。

また、論文『サッカーゲームにはハブがある』(筆者のレビューはこちら)ではサッカーの試合でネットワーク理論が成り立つことをデータから明らかにしている。

個人的には、フラーデ教授が提唱した「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」という定義は正しいけれど若干古い気もしている。

20世紀は機械論の世紀と言われていたが、科学者が生命論に気付いていなかったわけではなくその存在を実証的に証明できなかっただけである。計算に信じられないくらい時間がかかるため、コンピューターなしでは計算が不可能だったのである。ただ、村松氏も言うように、現在では複雑系理論は数学的に証明できている。その中心にあるのが「ベキ法則(べき乗則)」である。

ベキ法則とは80:20の法則やロングテールといったほうが一般的には通りがよいかもしれない。べき法則は『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』が詳しい。

現実のネットワークのほとんどは、わずかなリンクしかもたない大多数のノードと、莫大なリンクをもつ一握りのハブが共存しているという特徴をもっている。これを数式で表したのがベキ法則なのだ。(P.103から引用)
ベキ法則は、カオス、フラクタル、相転移など、二十世紀後半に成し遂げられた概念上の大躍進の中核にある法則なのである。ネットワークにもベキ法則が見出されたということは、ネットワークと他の自然現象とのあいだに予期せぬつながりが存在する徴にほかならない。(P.106から引用)

カオス、フラクタルにべき法則が発見され、そして自然界や社会的なネットワーク、インターネットにもべき法則が発見されている。すべてはつながっており、自然界の様々な現象もサッカーゲームも例外ではない。

これらを包括的に扱っている理論がネットワーク理論である。

フラーデ教授がサッカーの定義を提唱したときにはまだネットワーク理論は確立されていなかった。そんな時代にサッカーをカオスやフラクタルで斬った先見の明はすばらしい。そして教授の言葉を受けて、科学の進んだ現代ではこのように定義したほうが「サッカーの試合」という意味ではしっくりくる気がする。

「サッカーは、ネットワーク理論に支配されている」、と。

戦術的ピリオダイゼーション理論にも触れつつ、このあたりは別エントリーでまとめてみたいと思う。



tags べき乗則, べき法則, カオス, テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人, ネットワーク理論, フラクタル, 戦術的ピリオダイゼーション理論, 村松尚登, 複雑系


この星は、人とボールでできている。

本書はNumberでお馴染みの写真家・近藤篤氏が、世界のあらゆる場所でフットボールのうねりに取り込まれた人々の一瞬を切り取ったオールカラーのフォトブックである。写真の雰囲気が知りたい人は、Number Webにてボールピープルが連載されているので是非。

また、あわせて短めのエッセイが数十、散りばめられている。もちろん(?)プロフットボールの試合に関するエッセイではない。日常に溶け込んだ、世界各地のボールと戯れる人々に関するエッセイである。

エッセイのタイトルが、これまた良い。例えば「オランダで仕事があるときは」「初めてスペインを訪れたのは」「平岡くんは静岡県の出身で、」というように一文目の出だしになっている。どこから読んでもいいので、気になる写真はないかなとページをめくっていると、エッセイのタイトルが目につく。すると、いつの間にか本文まで読んでしまっている。この連続性が、右脳的でフォトブックのエッセイとしてすごくうまく融合しているように思う。

グラウンドがなくても、ボールは蹴れる。義足の少年がリフティングをしている写真(P.185)の横にはこのように書いてある。
「大切なのは、ボールから目をそらさないこと」

フットボール本来の楽しさは何か。改めて読者に問いかけてくる。

きみはサッカーが好きなのか、それともサッカーが好きな自分が好きなのか?(P.215から引用)

ザッケローニの采配がどうだの、世界のサッカーの潮流がどうだの、そんなこととは次元の違うレベルで我こそはとボールを蹴ることを楽しんでいる人々が何億人と存在する。僕もどちらかというと、そういうジャッジメンタルな世界で生きているから、ハッとさせられる。文章で書いてあると、つい「判断」が入り込む余地に無意識にするすると吸い込まれていく。写真はもっと感覚的で、ジャッジではなくフィールといった感じだ。

最後のエッセイは「この本を作り始めたのは、」というタイトルで、以下のように続く。

2年半ほど前で、正直こんなに時間がかかるとは思わなかった。作りたかったのは、自分の好きな写真がふんだんに使われていて、始まりも終わりも起承転結もなく、うざいメッセージや小難しい理屈は抜きで、すべてが渾然一体となっていて、どのページからでも読み始められ、でもそう簡単には読みきれず、なんだかよくわけがわからないけど、読み終わるとなにかがわかったような気になって、そしてなによりも、今までこんなサッカーの本はなかったね、といわれるような本だった。(P.252から引用)

まさに、著者の狙い通り。本書が訴えているのは理屈じゃないから、わけがわかったというと言い過ぎなんだけれど、でもなにか大切なこと、普段置き去りにしている文脈がぼんやりとわかったような気になる。

自分が今後、フットボールとどのように付き合っていくのか。無理にではなく、日常に溶けこませるようにフットボールと戯れていく。そんなロールモデルを示されたような、意義深い一冊。



tags ボールピープル, 近藤篤


純粋な心をもった悪童イブラヒモビッチのメモワール。

のっぴきならない言動で世間の注目を集めるイブラヒモビッチ。最近でこそ話題をバロテッリに持っていかれているが、実績や実力含めまだまだイブラヒモビッチの方が1枚も2枚も上である。所属したクラブではほとんど優勝し、セリエAで2回、リーグ・アンで1回得点王に輝いている。

そんなイブラヒモビッチが、素の自分について、そしてこれまでの経歴について表も裏も包み隠さず語り尽くしたのが本書である。300ページ超の大作であるが、文体も「悪童的口語」で書かれており、非常に読みやすく読後感も良い。

惹き込まれるイブラヒモビッチ節

本書はいきなりグアルディオラとの確執の場面から始まる。読者にとってもっとも興味が惹かれるシーンである。

イブラヒモビッチはリーガでも16得点と悪くない成績だったが、世間的には「バルサにイブラヒモビッチは合わない」という評価に落ち着いている。それは、あまりにバルサというチームが高尚であるがゆえにバルサが正であり、バルサにあわなかった選手の方が悪であるという構図にも見える。勝者こそ正義、それも一理あるだろう。

しかし本書を読めばイブラヒモビッチの言い分も痛いほど伝わってくる。

あいつ(筆者注:グアルディオラのこと)は、強烈な個性をもつ選手を指導できないのだろう。品行方正な小学生だけを相手にしたいんだ。そんな自分自身の問題から、あいつは逃げてやがる。その事実から目をそらしている。それでひどいことになっちまったんだ。(P.18から引用)

前後も読めば、なるほどイブラヒモビッチの肩を持ちたくなる気もしてくる。グアルディオラ側の意見を聞かずに片方だけの言い分で判断するのはよくないけれど。

それは本書全体を通じても言えることで、どうにも憎めないイブラヒモビッチの素の部分がよく表現されている。反体制主義者の先鋒のような存在で、「聞くが、聞かない」、つまりは「意見は聞くが、俺流も貫き通す」というイブラヒモビッチの正義にぐいぐい惹き込まれていく。

グアルディオラの話題以降は、生い立ちからミラン時代まで、時系列に描かれていく構成となっている。移籍の裏事情も赤裸々に綴られており、ジャーナリストが描く移籍のノンフィクションよりもずっとリアルである。

誰を信用して、誰を信用していないのか

現役としてまだ活躍している選手とは思えないほどに、誰を信用して誰を信用していないのか、はっきりと書かれている点も驚きである。

まず、もっとも信用していないのが、グアルディオラとマルメFF(スウェーデンでイブラヒモビッチが初めてプロ契約したクラブ)のスポーツディレクターのハッセ・ボリである。まだ接する機会があるかもしれないのに、まさに怖いもの知らず。この2人には辛辣な言葉を浴びせかけている。グアルディオラとのやりとりに関しては「この玉なし野郎!」など、翻訳者グッジョブと言わざるを得ない表現も見受けられる。また、本書内では名前を明記していないが、リュングベリのことも相当嫌っているようだ。

そして信用しているのがカペッロとモウリーニョだ。どんな難問に対しても自分なりの哲学で正面から対処していくタイプが好みのようである。他にも選手としては、同じスウェーデン代表として活躍したラーション、それからブラジル代表のロナウドには心酔していることが分かる。

筆者の常識では理解不能なイブラヒモビッチのプレー

見ていてすごいプレイヤーは山ほどいる。メッシのドリブル、クリスティアーノ・ロナウドのスピードやブレ球のフリーキック、ファン・ペルシーのトラップやミートの旨さ。しかし、イブラヒモビッチのすごさは筆者の常識からは逸脱しすぎていて、理解不能である。

もっともすごいと感じたのが、ユーロ2008のギリシア戦のミドルシュート。あの角度の助走、あの角度の脚の振り方であの軌道とスピードのシュートってありえるんですかね、人間として。2分14秒あたりから。

明らかな悪業を働いているにも関わらず、言動、プレー、すべてが何か惹きつけるものを持っている。不思議な魅力の漢である。

本書でイブラヒモビッチが伝えたかったこと

少年期などの部分を読めば分かるが、言動が決して褒められるようなものではなかったり生まれ育った地域の関係で、差別を受けたりもしたようだ。イブラヒモビッチ自身は不屈のメンタリティと実力で周囲を黙らせることに成功したが、同じような目に少年少女があわないように、そして周囲の大人もいぶかしげな目で差別しないように、メッセージを送っている。少々長いが、そのメッセージを引用して終わりにしたい。

俺は自分の人生をゆっくり振り返ってみた。そして気がついたよ。俺は決して、"最高に立派な男"ってわけじゃなかった。ひでえヤツだな。俺の言動がいつも正しいわけではまるでなかった。責任はすべて俺にある。他人のせいではない。

だが、世の中には、俺のような人間もたくさんいるだろう。他人とはちょっと変わった性格の人たちだ。そのせいで、周囲から厳しく責め立てられている少年、少女が、大勢いると思うんだ。規律が大事だということは俺もわかっている。だが、規律ばかりを押し付けるやり方は気に入らない。「こうすべきだ」と自分の主義ばかり押し付け、別の道を封じてしまうやり方は間違っている。それではあまりに心が狭すぎる。愚かなやり方だ。俺は、自分の弱点を改善する努力もしないまま、そのやり方で押し通そうとする人間たちが許せなかった。

世の中には何千もの道がある。中には曲がりくねった道や、通り抜けにくい道もあるだろう。しかし、そんな道が、最高の道であることもある。"普通"とは違う人間をつぶそうとする行為を俺は憎む。もし俺が"変わった人間"じゃなかったら、今の俺はここにいないだろう。もちろん、俺みたいなやり方はお勧めしないぜ。ズラタンのマネをしろとは言ってない。ただ、「我が道を進め」と俺は言いたい。それがどんな道であってもだ。少し変わった子どもだからといって、署名運動で排除するなんてことはあってはならない。(P.382-383から引用)



tags イブラヒモビッチ, ズラタン


フットボリスタが週刊誌から月刊誌へ。

月刊誌フットボリスタとしての第一号(Issue001)が8月12日に発売された。
今号の表紙は内田篤人。長めのインタビューも掲載されている。捉えどころのないひょうひょうとした受け答えは相変わらず。内田篤人についてさらに知りたければ『僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版 (幻冬舎文庫)』(筆者のレビューはこちら)を。

以降は毎月12日に発売のようである。とはいえ、僕は週刊誌としてのフットボリスタを読んだことがないもので・・。スミマセン。週刊誌からの比較というよりは、月刊誌としてどうなのか、みたいなところを書ければと思う。

紙面構成は大きく3つ。

  1. 欧州を動かす15人の戦術家
  2. 大嘘だらけの移籍市場を笑え
  3. 日本人を待つポジション争い

ビッグクラブの監督15人をピックアップ

今年の夏の移籍では監督の移籍がこれまで記憶にないくらい多い。そこで特集1.では

  • 改革の1年目(モウリーニョ、グアルディオラ、マルティーノ、アンチェロッティ、ブラン、ベニテス、マッツァーリ、モイーズ、ペジェグリーニ)
  • 勝負の2年目(ビラス・ボアス、ロジャーズ)
  • 円熟の長期政権(コンテ、アレグリ、ベンゲル、クロップ)

と3タイプに監督を分けて、それぞれ識者が監督の特徴や今シーズンの予想スタメンなどを紹介している。
そのうち、モウリーニョとモイーズとマルティーノについてはインタビューも掲載されている。

イメージとしては、深いサッカー観や戦術論などを知るというよりは、開幕前の各ビッグクラブの概況を知るためのガイドブックに近い。欧州サッカーを語るにあたって最低限知っておくべき事実情報を網羅するには使い勝手が良い。

戦術の紹介なども若干紹介されているが、15人もピックアップしているのでそれぞれに割いている紙面は少なく、これを読んだだけで戦術について知るというのは無理がある。あくまで、広く浅くといったところか。

マエストロ西部謙司氏がグアルディオラ新監督を迎えたバイエルンについて3ページに渡って解説しているが、読んでずっこけた部分もある。

ーでは、今後対戦するチームはどうすればいいのでしょうか?
「特化型のチームでは勝てないでしょうね。バルサ対策は戦術であり、戦い方でしたが、バイエルンは全方位に強いチームなのでまず戦力で負けないことが大事。少なくともスタメン11人に関しては、彼らに拮抗する戦力をそろえなければ勝ち目はないでしょう。身もふたもない言い方ですが、資金力で対抗できなければチャンスがない。同じ戦力をそろえてグアルディオラを連れて来ないと、五分に持ち込むのは難しいかもしれませんね(笑)」(P.29から引用)

本当に身もふたもない。10人のフィールドプレイヤーでピッチ全体をカバーすることはできないはずで、どのような攻め方(戦術)にも得手不得手がある。グアルディオラのバイエルンはポゼッションを志向するだろうが、ポゼッションすれば勝てるというものでもない。そのあたり、もっと掘り下げてほしかったが、雑誌の1つのコーナーではそこまで語れないということかもしれない。

残り2つの特集はウンチクとして

特集2.の移籍市場、特集3.の日本人を待つポジション争いは、どちらもウンチクレベルの話題。

移籍はメディアの人は話題性があってよいだろうが、公式発表があるまで全部嘘っぱちであることは読者も十分にわかっている。そういう意味で「大嘘だらけの移籍市場を笑え」と皮肉っぽい特集タイトルをつけているのは悪くない。話題には事欠かないので、うわさ話が好きなら抑えておくと良い。

日本人のポジション争いは、香川、長友、内田、本田などの日本人選手とそれぞれのライバルと目される選手を比較してレギュラーの可能性について解説している。

付録として、ポスターとパニーニフットボールリーグのスペシャルカード

ポスターは、ネイマールとイスコが両面で。イスコをもってくるとは本当に渋い選択。これはなかなかマニアウケするかもしれない。

特別付録として、パニーニフットボールリーグというネットとリアル店舗で購入するカードが連動したサッカーゲームのスペシャルカードが1枚袋入りでついている。

450種類以上のカードがあり、選手の組み合わせでコンボ効果が発現したりするらしい。レアカードというものもあるのだろうか。選手それぞれにOffence、Deffence、Technique、Speed、Staminaが20段階、Costが9段階で与えられ、当然ステータスが高い選手を集めたほうが強いチームを作れるということか。ハマる人はハマりそうなゲーム。

おそらくスペシャルカードの内容は全員同じと思われるので選手名はここには書かないが、有名な選手が出た。ステータスも高く、良いカードなのだと思う(ほしい人は連絡もらえれば差し上げますよ)。

月刊誌として

こういった内容であれば、今後は開幕した欧州サッカーの注目試合について解説をしていくとともに、毎号特集テーマを組んで論評していくことになるだろう。既存の月刊誌との差別化をどこに置くか、なかなか難しいところである。試合結果や試合の解説はネットでも見られるしどこの雑誌もやっている。特集テーマを組んで論評していくことはサッカー小僧やサッカー批評など他誌も実施していることだ。

結局コンテンツのおもしろさは書き手の質に頼らざるを得ないのだけど、書き手のジャーナリストたちもフリーが多いので、フットボリスタ専門ではなくどの雑誌でもお目にかかることができる。

うーむ。編集とは何なのか、といった大命題をつきつけられている感じがする。個人的には、編集者(できれば編集長)が特集テーマについてのまとめ記事を見開き2ページくらいで書いたほうがよいと思う。大局的な視点に立たなければいけないので力量が試されるけど、逆にそこで良質のまとめを書けば差別化につながるし。



tags footballista, フットボリスタ, 月刊誌

育成年代の指導の現場でボトムアップ理論というアプローチを用いている指導者が少しずつ増え始めていると聞く。僕が携わる大人の世界の育成にもからめて、ボトムアップ理論について整理しておきたい。

ボトムアップ理論とは何か

ボトムアップ理論とは、畑喜美夫氏が提唱した、プレイヤーが主導してチーム運営を行う指導方法である。プレイヤーは練習メニューから公式戦に出場するメンバー、戦術、選手交代などをすべて自ら決定していく。指導者は必要に応じて問題提起などを対話を通じて行いながら、プレイヤーの可能性を引き出すファシリテーターとして機能する。

ボトムアップ理論を育成の現場で活用するための体系的な教材もDVD『質を上げ生徒の考える力で勝負する!畑喜美夫・ボトムアップ理論の概要と実際[DVD番号 tv09]』として発売されている。少々値が張るが、DVDを教材として非常に分かりやすくまとまっているのでオススメである。2巻組で、1巻目が理論的背景などの紹介、2巻目が畑氏と他2名の座談会となっている。

ボトムアップ理論が注目を浴びているのは、JFAが掲げているプレイヤーズファーストや、主体性や判断力の向上がこれからの育成には欠かせないといった背景がある。

試合中に監督やコーチが「プレッシャーをかけろ!」と指示をすればそれは既にプレイヤーの判断を奪っていることとなり、結果としてプレッシャーをかけたとしてもそれが自主的な行動なのか指示を守った行動なのか区別がつかない。それでは適切に判断力が向上しない。

ジュビロ黄金期の監督であった鈴木政一氏は『育てることと勝つことと』(筆者のレビューはこちら)の中で次のように語る。

ベンチからは大声で、「サイドチェンジ!」と指示がとぶ。すると、子どもは言われた通りに蹴る。それが、たまたまつながり、ゴールに結びついた。
「ナイス、ゴール!」。子どもは、サイドのスペースを観ることもなく、相手との駆け引きもないままに、ベンチからの声を忠実に守る。そこに子どもの判断など入り込む余地はない。
この子が上の年代のクラスにいったときに、観ることも、判断することもできないような指導をしてはいけない。ではどうすればよいか。アンダー9の段階では、自分の観える範囲で、自分で判断して、一番よいと思うプレーができれば充分である。(P.126-127から引用)

主体的に動け、と指示した時点でそれはすでに主体性を奪っているという笑えない話である。ではどうやって主体性や判断力を向上させるのか。

そのためにはボトムアップ理論の理論的背景について知っておく必要がある。

先に紹介したDVDでも理論的背景について触れており、例えば「全員リーダー制」「緊張感と舞台づくりが大事」といった内容について畑氏が自ら説明してくれている。しかし、指導者が興味があるのはむしろ「全員リーダー制とはいってもうちの生徒には難しい。そういった状態にすら達していない。」といった点だろう。そういった意味でDVDで示しているのは具体的な方法や事例に近く、もっと根本的な理論については触れられていない。

そこでボトムアップ理論の理論的背景について人事的な観点から2点紹介しておく。

ポジティブ・アプローチとAI(Appreciative Inquiry)

プロジェクトを進める、人を指導する、改革に立ち向かうなど、何かを実施しようとするときにどのようにアプローチしていくか。大きく分けて、ギャップ・アプローチ(問題解決型アプローチ)とポジティブ・アプローチの2つが存在する(DVDではトップダウンとボトムアップを対比して紹介しているが、ギャップ・アプローチとポジティブ・アプローチの方が理解が進むと思う)。

ポジティブ・アプローチ.jpg

ギャップ・アプローチは、まず問題を特定してから原因分析、課題解決という一般的に社会に出るとまず教わるアプローチであり、モチベーションの拠り所はどちらかというと外発的(報酬や罰則、他者からの評価など)である。

一方でポジティブ・アプローチとは、問題の特定などはせずに、強みや可能性を信じて自分たちのビジョンを実現するためにはどうあるべきか、どうなっていくかを対話を通じて探っていく創発的なアプローチであり、モチベーションの拠り所はどちらかというと内発的(好奇心や達成感といったうちから湧き出る気持ち)である。

仕事の場面ではギャップ・アプローチが蔓延しすぎている感がある。ギャップ・アプローチで会社が成長しているうちは問題がなかったが、経済成長の停滞や会社に縛られない生き方など価値観が多様化した現代では、ギャップ・アプローチだけでは立ち行かなくなってきている。

そこでポジティブ・アプローチを活かした取り組みがここ数年活発になってきている。その一つとしてAI(Appreciative Inquiry)と呼ばれる手法がある。AIは直訳すれば「称賛された探求」という一見意味がわからないものであるが、ポジティブ・アプローチを用いた創発的な取り組みと捉えれば良い。DVDでも紹介されていたミッション・ビジョンの共有はAIを用いて共有すると有効である。

ポジティブ・アプローチやAIに関しては学術的には『ポジティブ・チェンジ〜主体性と組織力を高めるAI〜』の解説が優れているが、一般的には分かりにくい。そこで『私が会社を変えるんですか? AIの発想で企業活力を引き出したリアルストーリー』がストーリーを交えて解説してくれているので入門としてオススメである。

 

私が会社を変えるんですか? AIの発想で企業活力を引き出したリアルストーリー』からAIについて解説している箇所を引用する。

これまで会社組織は、内部に抱えている問題を摘出し、それをひとつひとつつぶしていくことで百点満点を目指そうとする「問題解決型」の手法をとってきました。
その手法は、今紹介した「真価の探求」とはまったく逆の発想です。AIは、会社の問題点はいっさい追求しません。反対に、会社の持つ「良いところ」「長所」「可能性」にスポットを当て、社員一人ひとりにそれを問いかけながら引き出します。そして引き出した答えから得た会社の強みを、さらに拡張しようとするのです。
欠点ではなく美点を、失敗体験ではなく成功体験を、過去ではなく未来の可能性を見る「AI」。そのプラスエネルギーは、従来の「問題解決型」とは比べ物にならない強さを持っています。(P.195から引用)
「組織を良くするには、欠点を探しだして残らずそれを解消することだ」という発想は一見合理的に見えますが、これは「欠点のない状態」=「百点」という枠を自ら設定し、縛りつけることにつながります。
さらに不思議なことに、この「百点」は欠点を排除しても排除しても、なかなか到達できないのが現実なのです。(P.199から引用)

お仕着せの百点では逆に社員を縛り付けることになり、モチベーションもあがらなければ組織としての持続可能性も損なわれることになる。それよりも内発的な動機づけに着目した方が複雑な環境下にある現代では効果があがる可能性がある、ということである。

学習は状況に埋め込まれている

では、ボトムアップ(ポジティブ・アプローチ)で実践することがなぜ自主性や判断力の向上につながるのだろうか。

この考え方のもとになっているのが、「状況に埋め込まれた学習」という理論である。この理論は、学びは個人の認知という閉じた世界ではなく、環境や状況における生成的なやり取りにおいて発生するという考え方である。

つまり、言って聞かせたりするような限定的で閉じた場面による指導は本来的には学びではなく、自ら考えて実践行動をする必要がある環境を用意し、その環境の中でどのようにすべきかを状況に応じて考えるような一連のプロセスこそが学びであるということである。

よって、監督やコーチの仕事はプレーを細かく指示することではなく、プレイヤーが考えて判断することが推奨されるような環境を作り出すことである。監督やコーチの顔を伺いながらプレーしているプレイヤーいるようではダメで、自ら実践し、後に監督やコーチに「どうしてあの選択をしたのか」と聞かれれば明確に理由を答えられるようなプレイヤーを輩出することがひとつの目的となる。

ボトムアップ理論の今後

ボトムアップ理論は、これらのポジティブ・アプローチやAIの考え方をサッカー育成の現場に具現化したものであるといえる。DVDの様子を確認すると本当に生徒自身で練習メニューを決めたり試合に出場するメンバーを決めたりしている。このやり方で進めていけばこれこそプレイヤーズ・ファーストを真に具現化している姿だと感じた。

提唱者である畑喜美夫氏をはじめ、ジャーナリストの小澤一郎氏や指導者の村松尚登氏らがボトムアップ理論の認知を広めているので、少しずつ世にも広がっていくことになるだろう。小澤一郎氏の著書『サッカー日本代表の育て方 子供の人生を変える新・育成論』(筆者のレビューはこちら)や、小澤一郎氏と村松尚登氏の共著『日本はバルサを超えられるか ---真のサッカー大国に向けて「育成」が果たすべき役割とは』(筆者のレビューはこちら)で「教えない指導」を紹介しているので一読しておくとポジティブ・アプローチ的な育成についての理解が深まる。

 

ただ、この手の広がりは一度は誤った捉えられ方をするのが世の常である。教えないことが良い、という表面的な部分だけが拾われて、弊害を指摘する声もやがて出てくるだろう。

もちろん、ボトムアップ理論はひとつの手法であるので万能ではない。上述したギャップ・アプローチも優れている部分は多分にあり、併用していくことが望ましい。プレイヤーの発想による帰納的なアプローチだけですべてが上手くいくことはなく、演繹性やより高い視点からの指摘が必要になることもある。その理解なしに手放しにボトムアップ理論を称賛することも危うい。ファシリテーターとしての監督やコーチはきちんとした理論的背景やアプローチに関する手法などを学んでから実践すべきであろう。

とはいえ、大局的な流れを見てボトムアップ理論がこれからの指導のあり方として間違っているとは思えないし、もっと広まってほしいとも思っている。僕もそういった流れに少しでも貢献できればと思う。



tags AI, appreciative inquiry, プレイヤーズ・ファースト, ボトムアップ理論, ポジティブ・アプローチ, 状況に埋め込まれた学習, 畑喜美夫


スペインに精通した指導者とジャーナリストによる日本サッカーの育成環境への提言。

本書は、育成、保護者の関わり方、Jリーグの役割、メディア活用の観点などから日本がサッカー大国になるための提言をまとめたものである。タイトルの「バルサ」に関しては、現代サッカーの象徴として、あるいは倒す(超える)べきラスボス的存在としてフィーチャーされただけであり、本書内にバルサに関する話題はほぼ出てこない(著者の村松氏のブログタイトルが日本はバルサを超えられるなのでそこから取っている)。なので単純に「日本サッカーへの提言」としての読むのが良い。

2種類の提言

すごく大雑把に大別すれば、本書は2種類の提言に分かれている。
1つは、環境やシステム面で日本が不十分である点に関しての提言。
もう1つは、個人が今からでも始められるような、小さな一歩としての提言。

提言が実現できたときの効果でいえば、圧倒的に前者の方が影響力が大きい。それは誰もが分かっていることだと思う。しかし、それはいち読者からすれば雲の上の話であり、「理屈は分かるがそれは個人としてはどうしようもない」というのが実感値だと思われる。もちろん、変わりたいと思わなければ環境もシステムも変わらないので、声をあげていくことは大事なのだけれど。

一方で、全体から見れば効果は小さいかもしれないけれど、個人レベルで考えたときに行動に移すヒントになるのは後者の方である。

本書でいえば、「個人から始められる提言」はANGLE2「育成年代の指導者が目指すべき方向性を探る」に集約されている。その中から特に印象に残った点を紹介したい。

育成年代における戦術指導はどうあるべきか

著者のお二人が、日本の指導でスペインと比べて圧倒的に足りないと感じているのが戦術指導だという。戦術というと育成年代には早すぎるという意見もあるが、村松氏は戦術を「駆け引き」と捉えた上で次のように語っている。

「相手との駆け引き」や「状況判断」が戦術であるということ。サッカーは個人スポーツではなくチームスポーツであるため、一人で相手と駆け引きするのではなく、チームメイトと力をあわせて相手チームと駆け引きをする必要があります。
(中略)
プロでも小学校低学年でもこの戦術の基本に変わりはありません。「相手との駆け引き」は幼稚園児でも十分に理解できるし、「仲間と協力する」ことも幼稚園児になれば理解出来ます。(P.57から引用)

その上で、駆け引きをするために段階的にサッカーの原理原則を教えていくこと。この指導をないがしろにしてテクニックに奔走していてはいけないとのことである。

この辺りは最新のトレーニング理論ではどの指導者も語っている。ジュビロ磐田の黄金期を支えた鈴木政一氏は『育てることと勝つことと』(筆者のレビュー)の中で「判断力」の向上こそが指導の中心にあるべきで、年齢ごとに到達すべきレベルを示した上で判断力の重要性を説いている。判断力とはすなわち駆け引きの基本になるものである。

しかしやはり街クラブレベルでは浸透していない、もしくはやり方が分からないということなのかもしれない。単に「バルセロナのようなチームを目指したい」と言っても無理があるわけで、身の丈や選手の特徴を踏まえた上でトレーニングスタイルを次のようなポイントを踏まえて構築することを村松氏は薦めている。

・好きなプレースタイルのプロチームを見つけ、そして試合をたくさん見る
・優先順位を明確にする(例:勝利よりも試合内容を優先)
・好きなトレーニングスタイル(を実践している指導者)を見つけ、そしてたくさん見学する
・書籍や指導者仲間との情報交換等を通じて、好みの練習メニューを見つける
(P.63から引用)

大切なことは判断のポイントを教えるということ

指導者に常につきまとうジレンマとして、どこまで教えてどこから教えないのか、という点がある。判断力を養うということはプレイヤーに判断をさせる環境を与えるということに他ならない。しかし全てをプレイヤーの判断に委ねていてはもっとよい判断ができたかもしれないポイントに気づかないまま過ごしてしまうかもしれない。

村松氏もこのように語る。

自主的な選手、判断力のある選手を育てるためには、最初から「判断しろ」と言っても不可能です。なぜなら、そのための判断材料も戦術的な知識もない状態では、駆け引きはできないからです。(P.67から引用)

はじめは判断のポイントになるような具体的な指導をしていき、判断材料を揃えた上で「考えろ」という指示が噛み合ったときに自主的な選手が生まれる、という順番である。

あくまで最終到達地点は自主的に駆け引きできる選手を育成することであり、そのために必要な判断ポイントは教える、と。指導者の考える通りのプレーをさせて試合に勝つことが目的ではないので、そこを見誤ってはいけない。

また、ボトムアップ理論と呼ばれる「教えない指導」に関しても以下のように紹介している。

前述のトレーニングスタイルの確立にも関係してくる提案として、「教えない指導」が挙げられます。これは日本人の気質に合った、日本独自のスタイルと言えるでしょう。その「先駆者」的存在でもあり、広島観音高校を全国区の強豪校に育て上げた畑喜美夫先生(現安芸南高校)の「ボトムアップ理論」(教えない指導法)は、指導者不足の日本の育成環境にとってとても興味深いアプローチであり、私は最適な方法の1つになり得ると考えます。(P.65から引用)

ボトムアップ理論を紹介したDVD『質を上げ生徒の考える力で勝負する!畑喜美夫・ボトムアップ理論の概要と実際[DVD番号 tv09]』も発売されている。指導は理論だけでなく具体的な方法とともに学習しないとなかなか理解が難しい。村松氏が指導の見学を薦めている所以でもある。

こうした草の根的な提言が日本サッカーを変えていく

街クラブレベルの指導と日本代表を強化することは次元の違う話という意見もあるだろう。しかし、そこがつながっていると考えて草の根的な活動で駆け引きのできる選手を1人でも多く育てることが、日本という国がサッカー大国として名を馳せる下地になると信じる方がなんともロマンがあって良いではないか。

日本はそもそも教育環境からして詰め込み型と言われ、それが創造性やイノベーションを阻害しているという意見もある。それが、サッカーというスポーツを通じて教育の現場では教えられない大切な判断力を養うことができるとなれば、すごくステキなことである。

本書は両者の言いたいことを簡潔にまとめた入門書

村松尚登氏と小澤一郎氏のもっと深い主張を知りたければ、それぞれの著書を読むのが良い。

村松尚登氏の『テクニックはあるが、「サッカー」が下手な日本人 ---日本はどうして世界で勝てないのか?』(筆者のレビュー)を読めば環境面における日本とスペインの違いや、指導理論としての戦術的ピリオダイゼーション理論の一端について知ることができる。

小澤一郎氏の『サッカー日本代表の育て方 子供の人生を変える新・育成論』(筆者のレビュー)は育成についての事例が豊富にまとめてあり、琴線に触れるワードも多い。

同じく小澤一郎氏の『サッカー選手の正しい売り方 移籍ビジネスで儲ける欧州のクラブ、儲けられない日本のクラブ』(筆者のレビュー)では、環境面からのアプローチとしてJリーグの移籍に関する問題点の指摘や提言がまとめられている。

  



tags 小澤一郎, 日本はバルサを超えられるか, 村松尚登, 育成


地方大学である福岡大学を日本一に導いた名将の育成メソッド。

本書は大学サッカー界に名を馳せる福岡大学サッカー部監督の乾眞寛氏の育成のメソッドを余すところなく紹介したものである。

Jリーグ開幕から数年間は、高校を卒業したらすぐにでもJリーグに進むことが成功の条件という流れがなんとなくできあがり、大学サッカーが疎かにされた時代でもあった。しかしJリーグの成熟やブームの終焉による経営状態の悪化に伴い、高校卒業後にJリーグに進むことが必ずしも大成につながるわけではないことが徐々に浸透し始め、大学サッカーが再び注目を集め始める。

その大学サッカー界において、地位や競技力向上など多大な貢献を果たしている人物こそ、著者である乾眞寛監督である。福岡大学からの卒業生としてはロンドンオリンピックでの活躍が記憶に新しい永井謙佑をはじめ、黒部光昭、坪井慶介、田代有三など、日本代表選手やJリーガーを数多く輩出している。

なぜ地方大学である福岡大学からここまでの一流選手を排出することができたのか。その答えが、乾監督の育成である。

体験からくる育成のメソッドを多数紹介

乾監督の基本的な考え方は、「伸びる人は勝手に伸びる」である。育成の基本方針として、以下のような考え方を持っているようだ。

  • やらされている感からは成長しないので、自らやりたいと思わせるように導いていく
  • 成長のタイミングで褒めて、認めてあげる
  • 長所を伸ばすことを主眼とし、多少の短所には目をつむる
  • ミスを追求するのではなく、問いかけによって自ら考えさせる

特に強調していることが、内発的動機づけの重要性である。誰しもやらされている気持ちからは長続きしないし成長しない。自ら「成長したい」「上手くなりたい」という意識を持つことから全てが始まる。坪井慶介は乾監督が何もしなくても最初からこのような気持ちを強く持っていたというが、全ての選手が同じように向上心が強いわけではない。そこで、あくまで「やらせている」という意識を抱かないように導いていき、心に刺激を与えることが重要である。乾監督はこのように語っている。

自分の殻を破れない人や自信がなく、前にも後ろにも進めないような人に対して動き出すきっかけを与えるために、長所を褒め、認めてあげることが有効です。人が動き出そうとしたときに、最初の一歩目、タイヤで言えば「ゴロッ」と動き始めるときが一番パワーを必要とします。動き出す第一歩、タイヤが半回転でも動き出せば、あとは少しの力で押せば「スーッ」と動いていくのです。この動き出しの部分をサポートするために、指導者が心に刺激を与えていくのです。(P.200-201から引用)

書いてることは全て素晴らしいのだが・・

乾監督のひとつひとつの言葉は響くものがあるし素晴らしいことが書いてあるのだが、体系的でなく冗長な構成である点で残念である。章に分かれているが、それぞれの章で「要は何が言いたいのか」がスッと入ってこない。これは乾監督というより編集の話かもしれない。

内容が頭に入りにくい要因として、メソドロジー(方法論)とメソッド(メソッド)を混ぜて話していることがある。

乾監督は人を育てることについて方法論はないと語る。

人づくりにおいて、良い人間、優秀な人間を生み出す、作るための良い方法を伝授することはできるでしょうか。またそれを伝えるときに「このようにすれば優秀な人間が作れます」という、方法論があるでしょうか。
(中略)
人づくりは個人によってアプローチの仕方が変わってきます。その人が何を思い、どんな環境で育ってきたのか、日々変化する心を持った人間と、どのように関わっていくのかを理解しなければなりません。これは人の上に立つ人間の永遠のテーマではないでしょうか。(P.86から引用)

しかし本書内で乾監督は自らの考えをほぼ「言い切り」の形で紹介している。言い切っているということは、それが正しいと考えているということであり、正しいということはそれは方法論である。例えば次のような言及である。

「成長したい」と本人が思わなければ、いくら指導者が刺激を与えても、それは心に届くことはありません。(P.88から引用)

ここで言えば、以下のような整理をすべきである。

  • 「成長したい」と本人に思わせる →方法論
  • 「成長したい」と本人に思わせるためにどのような手段を用いるか →方法

乾監督が指摘しているのは「方法」は千差万別であるということであって、ベースとなる方法論は共通して適用できるものがあるはずである。そうであるはずなのに、言い切りで正しさを訴えかけてくる記述もあれば、次のように執拗に「一様ではない」と訴えかけてくる記述があるのでそれが体系化を阻害している。

誰か一人がある指導方法で大きく伸びたからといって、その方法が全ての選手に適用できるわけではありません。その方法が合わずに、逆効果になってしまう場面もあるのです。指導者は、選手への関わり方やアプローチ方法を変える、柔軟な対応力を身に付けるのです。(P.94から引用)

方法論を否定する育成論を僕は信じない

ある方法論で100%人が育つなんてことはない。そんなことは分かっている。しかしだからといって方法論を放棄してはならない。もっとも危ういのは、「おらが育成論」を振りまくことである。自分がこう育成したらうまくいった(と思っている)ので、このやり方を推奨する、という根拠が乏しい主張こそが危険である。

育成にも科学がある。ただしこの場合の科学は法則科学ではなく臨床科学だ。統計的に正しさが証明されていることをまずは信じるべきで、サンプル数1のもっともらしい主張はあくまで事例として参考にする程度に留めるべきである。

もちろん、目の前に育成すべき人材がいた場合、その人材にどのような方法をあてがうかは乾監督の言うとおり正面から向き合って真摯にアプローチ方法を考えるべきである。それは、メソッド(方法)の話だからである。もっと大上段に構えたメソドロジー(方法論)について、育成にあたる人はもっと考えるべきであると思う。

言葉の使い方は違うが、乾監督も当然のようにその辺りは心得ているはずである。でなければ、言い切りをここまで使うことはできないと思う。ただ、書籍の形にするからには本人が否定的である「伝授」が行われるわけなので、どこまでが共通化できる考えでどこからが具体的な方法なのかを示したほうが、誤解がなくて良いと感じた。

僕も大人の育成を仕事にしている人間であるが、書籍を読む人やセミナーを聞きに来る人は6割くらいが易きに流れるというか、簡単にできる「方法」を真似したがるというのが実感値である。「方法」を安易に伝えると、いくらこちら側が環境や状況に応じて異なると言ったところでそこは都合よく右から左に聞き流し、自分の育成現場で適用してしまう。それでうまくいけば良いが、もしかしたら逆効果の人材がいるかもしれない。育成側としてはそれが経験になるかもしれないが、逆効果であった一人の人材にとってその事実は受け入れられるのだろうか。いやむしろ逆効果だと本人が気づけば学びになるが、それに気づかない可能性のほうが高い。

育成を生業にするということは、そういった責任を持つということであると僕は考えている。もちろん万人に最高の育成を、などという美辞麗句を並べるつもりはない。大事なことは、確率を高めるための努力で、そこに方法論というものが少なからず役に立つということである。

最後に瑣末なことだが、字間調整は・・?

本書はかなり字が小さくてしかも300ページ以上ある大作である。それは良いのだが、どうも僕には字間の調整が適切であるように思えず、読んでいて目が疲れてしまった。字が詰まりすぎというか。スタジオタッククリエイティブという出版社なのだが、改善できないだろうか。



tags 乾眞寛, 永井謙佑, 福岡大学, 育ての流儀


欧州で活躍する日本人サイドバックについて概観を理解する初学者向け新書。

日本人サイドバックの欧州での活躍が目覚ましい。長友佑都、内田篤人、酒井宏樹、酒井高徳。ザックJAPANのサイドバック枠は欧州組で独占されている。彼らがなぜ欧州で活躍できているのか、複数の視点から紹介しているのが本書である。

ただし、サイドバックを活用した攻撃の構築や戦術などの深堀りは少なく、図の使用もない。動き方についてはステレオタイプな指摘にとどまっており、あくまで広く浅く知りたい人向けと考えたほうが良い。

本書の最大のポイントは徳永悠平のインタビュー

記憶に新しい東アジア杯2013。攻撃陣で評価を高めたのが柿谷曜一朗や豊田陽平であるならば、守備陣で評価を高めたのが徳永悠平だろう。

特に韓国戦での活躍は眼を見張るものが合った。槙野に代わって途中出場するやいなや守備の安定をもたらし、「守備的に戦いたいときのオプション」として一気に代表メンバー戦線に名乗りを上げた感もある。23名という限定された枠を考えればサイドバック専門家を4人も呼ぶ必要性は低く、先に挙げた欧州組4人に割り込む余地はあると考えられる。

本書ではそんな徳永について、「ロンドン五輪選手が語る日本人サイドバックの"いま"」としてインタビューを試みている。もちろん、東アジア杯が開催される前の話である。その他の章がドイツ人の代理人トーマス・クロート氏や、日本人プロ第一号としてドイツでサイドバックとして活躍した奥寺康彦氏へのインタビューで構成されていることから考えると、徳永へのインタビューも「日本代表のサイドバックを語る第三の視点」を意図していた可能性が高い。それが仮に日本代表に定着することとなると、本書のインタビューが貴重なものになり、脚光が集まることになるかもしれない。

徳永はもともと能力の高さは折り紙つきであったが、何の因果か代表に定着することはなかった。しかしロンドン五輪のオーバーエイジ枠での安定した活躍が示すように、高い守備力と惜しみない運動量による攻撃参加は十分世界に通用するものである。本書にも以下の記述がある。

関塚監督は徳永の選出理由として「最終ラインの建て直しを図ることができる人材」と語っていたが、徳永がいたからこそベスト4にまで上り詰められたと言っても過言ではない。(P.90から引用)

センターバックもこなすことができる徳永はブラジル行きの可能性もおおいにあり得ると個人的には思っている。国内からサイドバック枠に名乗りをあげれば、それはまた日本がサイドバックの宝庫として世界に質を証明することにつながり、うれしいことである。



tags なぜ日本人サイドバックが欧州で重宝されるのか, 内田篤人, 徳永悠平, 長友佑都


これまで読んだ書籍の中で戦術についてもっとも詳しく解説している書籍。

本書はfootballhackというサッカーブログの管理人であるsilkyskillさんが4-4-2ゾーンディフェンスについてのセオリーをまとめたものである。個人でもKindle用に書籍を発売できる時代になったことを実感する。

まずはじめにお伝えしたいことは、本書はゾーンディフェンスの教科書といって差し支えない最高の戦術指南書だということである。481円という破格の安さでここまで精緻に、そして分かりやすくまとめあげた書籍は他には存在しない。ゾーンディフェンスの基本である4-4-2システム、各ポジションの役割と基本的な動き、スペースの守り方/使い方など、多数の図を用いて分かりやすく解説している。戦術を理解したい人、もっと知的にサッカーを観戦したい人、サッカーについて詳しくなりたい人など、ぜひとも一読をオススメしたい。

ゾーンディフェンスとは

ゾーンディフェンス、あるいはプレッシングについては、『アンチェロッティの戦術ノート』に以下のような記述がある。

プレッシングをひとことで定義するとすれば、敵からプレーするための時間とスペースを奪い取るための組織的な守備戦術、ということになる。その目的はもちろん、敵からボールを奪い返すことだ。
組織的な守備戦術であるからには、複数のプレーヤーが連動した動きを取ることが必要になる。だがその基本にあるのは、個々の選手が相手にプレッシャーをかける動きであり、それはつまるところ「マーク」そのものだ。つまり、プレッシングとは複数の選手が連動してマークの動作を行うことによって敵から時間とスペースを奪い取る戦術、と言い換えることもできる。(P.72-73から引用)

現代サッカーにおいて相手にスペースを与えることは死活問題であり、小さなスペースでさえフリーで使わせてはならない。逆に言えばスペースを有効活用することが現代サッカーにおける組織的な崩しのポイントとなる。

スペースを分割して理解する

スペースの中で最も危険なのが裏のスペースである。ここを使われたら即失点と考えて良い。
次に危険なのがDFラインとMFの間にあるバイタルエリア。ここで相手に前を向かせると失点の確率が高まる。
そしてサイドのスペース。基本的に裏もバイタルも相手に有効活用させるようなことはしないので、残ったスペースであるサイドを使おうというチームが90年代後半から増え始めた。

以下、それぞれのスペースを図示したものである。
※Kindleなので本書のNo.1909/2835(68%あたり)からキャプチャしましたがこういうのまずかったらご指摘ください。

space_name.jpg

これらのスペースは現代サッカーでは相手は容易に与えてくれない。それくらいプレッシング戦術というものが浸透してきている。

そこで次に使うスペースが相手FWとMFの間のスペースである。日本代表では遠藤、イタリア代表ではピルロ、スペイン代表ではシャビ・アロンソが使っているスペースである。ここに挙げた名手たちにこのスペースをフリーで持たれては縦パスを入れられたりして守備網を崩されるので、このような後ろのスペースでさえ放っておくことはできない。

では現代サッカーではもはやスペースは残っていないのかというとそんなことはない。バイタルのように広いスペースを探そうとするから見つからないのであり、現代ではスペースとはもっと細かな単位で考えられている。本書でも以下のように紹介されている。

しかし、こんな大雑把な認識ではバルセロナのサッカーはもとより現代サッカーの大半のチームの戦術を理解することは難しくなります。大きなスペースをさらに小さく区分して把握することで、サッカーの理解はより深まります。
■パスサッカーで崩しきるために重要なスペース
ここでスペースの見分け方を新たに提唱したいと思います。それは下の4つに分けられます。(No.1957/2835(70%あたり)から引用)

space_division.jpg
※同様にまずかったらご指摘ください。

現代サッカーで特に重要となるのが④のスペース(名前がない)である。本書でも以下のような説明がある。

どういうことかというと、DFラインの裏のスペースに対して、CBとCBの間より、CBとSBの間のスペースのほうが空きやすいことを頭に入れれば、理解は早いです。通常SHは相手のSBのオーバーラップを気にして外へ意識が向かいます。対してボランチは中央のスペースを空けまいとカバーリングをしています。この二人の意識の差がスペースとなって現れるのです。(No.1977/2835(70%あたり)から引用)

バルセロナのサッカーを見ていてイニエスタやメッシがボールをもらってターンしようとしているスペースがここである。

本書ではこの後、②や④のスペースを使ってゾーンディフェンスをいかに切り崩すかという展開になっていく。こういった引き出しを持っておくことで実際の試合を観たときに「あ、さっきのはこないだ読んだやり方だ」など、サッカーを観る眼が養われていく。何も引き出しがないと比較する対象がないのでなんとなく観るだけになってしまう。

やはり大事なシステム論

4-4-2とか4-2-3-1とか、表記そのものの論争に意味があるとは個人的には思えない。ただ、システムとは何かを達成しようとするための手段であるので、守備のスタート時にDFを4人にしているとか中盤の底に1人余らせているとか、システムの考え方には必ず理由がある。その理由が分かれば、守備網を突破するためのヒントが得られるかもしれない。

そういった理解は、試合を観る上でも、また草サッカーであろうが自分が試合をする上でも役に立つ。単純に表記の話をするのではなく、さらに深いところでサッカーを理解するために、システム論はやはり大事であると思う。本書の冒頭にも以下の記述がある。

机上の話になりますが、こういうところはやっぱり結構大事だと思うんです。「システム論なんか実際には役に立たない」とおっしゃるかたは信用できません。個人的には。(No.189/2835(7%あたり)から引用)

ただ、何の学問でも同じだが、混みいった話は簡単に書けないし簡単に理解することもできない。複雑なのである。サッカーそのものが複雑系なので仕方ないことなのだが、その複雑さが初学者を遠ざけているとすればその通りで、そこは熟達者がさらに工夫しなければならない点だと思う。それこそKindleのような電子書籍が当たり前に普及して、動画がもっと身近になっていけばそれがひとつの方法なのかもしれない。

本書に書かれている話が頭に入っていれば、巷のサッカー書籍やネット上の論評を自分の軸を持って理解することができる。その中で自分の考えに近いジャーナリストや、そうではないジャーナリストも見つかってくる。もしくは、このジャーナリストは調子の良いことを言っている、なんてことも気づき始める。その積み重ねがサッカーを斬りとる力を涵養させるということだと思う。

少々難解な部分もあるが、本書は本質的な部分からサッカーを理解するためには最適な書籍であるし、最近読んだサッカー書籍の中で最も刺激的であった。



tags 4-4-2, スペースの活用, ゾーンディフェンス, プレッシング

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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