2013年5月の記事一覧

Happy 20th birthday dear J.LEAGUE!!

プロ化するということがどういうことか、当時はよく分かっていなかったかもしれない。
20年前、世間はJリーグフィーバーだった。全てのスタジアムは超満員で膨れ上がり、チケットを手に入れることは困難を極めた。往年の海外スーパースターがこぞって来日し、Jリーグに華を添えた。筆者は中学2年生だった。

あれから20年。

ブームもあれば失速した時期もあった。歓喜も悲哀もあった。自国リーグの総合力がベースとなる代表チームは、信じられないペースで成長し、アジア最強の地位を築き、世界でベスト16に入る成績を2度も収めた。男子にやや遅れて成長してきた女子サッカーは、男子の成績をはるか飛び越えてW杯で優勝という空前絶後の大快挙を成し遂げた。20年で協会も、監督も、選手も、ファンも、メディアも、少しずつ、少しずつ、成長、成熟して、サッカーがあることが特別なことではなく日常となってきた。

一朝一夕では文化は根付かない。ローマは一日にして成らず。一過性のイベントではなく、日常に、すぐそばにある存在としてサッカーをはじめとしたスポーツがある。街にスポーツが根付く。そういう世界観を形成するために、Jリーグ百年構想は存在する。

欧州の諸外国に比べて見劣りすることもある。しかし我々のプロサッカーはまだ20年だ。20年前は考えられなかったような経験ができている。とても良い20年を過ごせているのではないだろうか。

日本代表ばかりにうつつを抜かしている場合ではないな。すぐそこに、Jリーグがある幸せを、もっと噛みしめないと。

ちなみに、これまでのベストゴールの動画集やユーザー投票によるベストイレブンなどを決める企画がJリーグクロニクルベスト開幕20周年記念として行われている。

IMG_0739.JPG 2013年5月11日、Jリーグ20周年アニバーサリーマッチの浦和レッズVS鹿島アントラーズの試合にて筆者撮影



tags Jリーグ20周年


涙無くしては読めない、我那覇和樹のドーピング冤罪事件の核心に迫るドキュメンタリー。

2006年ドイツW杯で予選敗退した日本代表は、監督にイビチャ・オシムを据えて2007年のアジアカップ、そして2010年南アフリカW杯に向けた新体制を整えていた。2006年8月4日の新代表発表はオシム節が早速発揮され、選ばれたのは13名。協会への皮肉も込めた少人数の代表メンバーの中に我那覇和樹がいた。期待の現れである。

同年11月の代表戦で2ゴールをあげた我那覇は得点力不足が叫ばれて久しい日本代表の救世主かのように思えた。しかし翌年、我那覇を信じられない悲劇が襲う。ドーピングの疑惑をかけられたのである。

本書は、ドーピングの疑惑のもととなった注射のきっかけに始まり、ドクターとJリーグの全面闘争、我那覇和樹の気持ちの変遷、CAS(スポーツ仲裁裁判所)まで持ち越されることとなった経緯、チーム我那覇として立ち上がったドクター、フロンターレの選手、弁護士、Jリーグ選手会、国会議員(当時)であり元南宇和高校のエース友近聡朗、CAS裁定費用を援助する沖縄の同士と「ちんすこう募金」、フロンターレをはじめとするJクラブのサポーターたちの魂の戦いの記録である。

権力という巨塔と本意ならずとも戦わざるを得なかった迫真のドキュメンタリー

僕自身、我那覇がドーピング疑惑をかけられ、一時はクロと判断されたがCASの裁定によってシロとなったという事実だけは知っていた。ただ、疑惑がかけられたとの報道から潔白が証明されるまであまりに長い期間(約1年)がかかっていたこともあり、あまり注視はしていなかったのが事実である。それが本書を読んで、他人ごとだと思ってドーピング疑惑のことすら頭から消えていた自分のことを恥じた。これは権力という巨塔と戦うため、そして今後一切同じ思いをするアスリートが出ないように全身全霊をかけて立ち上がったチーム我那覇の情熱大陸である。

「戦う」という言葉は本書タイトルから分かるように我那覇本人も好んで使いたくない表現かもしれない。しかしあくまで我那覇をクロというのであれば「本意ではない」が徹底的にやろうと、決意を込めた戦いの記録でもある。

6章の「美らゴール」はチーム我那覇の友情ストーリーであり、涙無くしては読むことができない。元ビーチサッカー日本代表で我那覇の高校の先輩にあたる新城正樹氏の「ちんすこう募金」活動、それに全面協力するフロンターレサポーター、等々力競技場近辺の施設の支援など、友を想う気持ちが理屈抜きに身体を動かしている様は胸を熱くさせる。フロンターレサポーターがクラブと良い関係を築けていることは『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ (単行本)』(筆者のレビューはこちら)に詳しく書かれており、著者の天野春果氏も登場するので併せて読んでおけばストーリーが臨場感を増してイメージできる。

長谷部も絶賛、日本サッカー本大賞2012にも選ばれる

本当にこの本は素晴らしくて、サッカーを愛する人はもちろん、サッカーとは関係のない人にも是非読んでもらいたい。「争い」が少なからず含まれているし、「悪しき文化とそれを打破するために立ち上がった正義」という権力と戦う構図がないわけではない。しかし、悪役は置いておこう。これはサッカーを愛する人たちの情熱と我那覇和樹への想いが結実した友情のストーリーである。読後感も良い。

少しでも多くの人に読んでもらいたくて、本書を推薦するための権威の力を2箇所からお借りする。

●長谷部誠もブログで本書を絶賛

僕自身、自分の著書を出版させていただいてから、その影響もあり有難い事に他の方が書かれた本の帯の推薦文や本の宣伝や、本の取材などの依頼を沢山頂きました。
(中略)
この約一年間、全ての本に関する取材、宣伝を断らせて頂いてきました。
勿論、このブログも例外ではなかったはずです。

ただ今回、著者のジャーナリストとしての崇高な誇りのようなものを魅せられ、ぼくのそんなちっぽけな想いを恥じ、素晴らしいものは素晴らしいと紹介させて頂きました。

本物のサッカー人|長谷部誠オフィシャルブログ Powered by Ameba より引用)

●日本サッカー本大賞2012を受賞

サッカーキングが発表している日本サッカー本大賞2012において、大賞を獲得したのも本書である。番外、3位、2位は全部未読だ・・。

募金活動と、我那覇のこれから

CAS裁定のために我那覇が最終的に負担しなければならない額は3400万円にものぼり、現在も「ちんすこう募金」への寄付の口座は開かれている(2013年4月24日に口座を閉鎖 「ちんすこう募金」振込口座終了のお知らせ « 集英社インターナショナル 公式ブログ )。僕も微力ながら、そして今さらながらではあるが気持ちを寄付させていただいた。

我那覇は現在FC琉球のエースとして活躍中である。FC琉球は現在JFLに加盟しており、2014年に発足するJ3への加入を目指して活動中のチーム。沖縄のチームがJ2、J1へと上がってきたら盛り上がるだろうな。純粋に、がんばってほしい。美らゴールを、Jの舞台でも見せてくれ!

P1010053.JPG 2007年4月21日 浦和レッズVS川崎フロンターレの試合にて筆者撮影。
このシーズンACLを制覇するレッズからアウェーで貴重な勝ち星をあげたフロンターレ、我那覇も1得点した。9番が我那覇。この試合のときにすでに体調が悪く、2日後の4月23日の練習後にドクターの処方を受け、それがドーピング冤罪事件のきっかけとなってしまう。結果としてこの日の得点がシーズン唯一の得点となった。



tags ちんすこう募金, 争うは本意ならねど, 我那覇和樹, 木村元彦, 美らゴール


バルセロナの覇権は終焉を迎えるのか。

なんとも皮肉なタイミングでの出版である。フットボールサミットの今号の特集テーマは「FCバルセロナはまだ進化するか?」。そのバルセロナはUEFA CL準決勝でバイエルンに完膚なきまでに叩きのめされた。アウェイで0-4、ホームで0-3、まるで格上の相手が格下を一蹴したようなスコアである。そして実際、バイエルンがバルセロナを一蹴したと表現しても大げさではないだろう。それくらい、為す術もなくバルセロナは敗れていった。

そんなバルセロナだが、ここで敗れたことでこれまでの功績にケチがつくものではないだろう。「クラブ以上の存在(mes que un club)」という理念のもと、ポゼッションを高めて美しく勝つそのスタイルは世界中のサッカークラスターが注目し、多くのジャーナリストがバルサスタイルを研究した。今日ではもはやバルセロナについて文字ベースで語れる新しい情報はほとんど存在しないといって差し支えない。それくらい、世界中でバルセロナは話題になった。

フットボールサミットに興味を示す人は、少なからずバルセロナについてある程度の知識は持ちあわせていると思う。筆者も、ある程度は知っているつもりである。そんな「バルセロナについて多少は知っているよ」という筆者が本誌を読んで「お、これは!」と感じた内容を3つ、紹介しておきたい。

シャビが語るバルセロナのスタイル

巻頭にシャビのインタビューが収録されており、なかなか読み応えがある。その中で気になったのが、シャビがバルセロナの成功について語った以下のくだりである。

それ(筆者注:バルセロナというクラブを世界に浸透させること)こそが成功であり、僕らが望んでいる勝利でもある。僕らがひとつのエコール(筆者注:流派)になること、僕らが成し遂げた結果が、ある監督たちに僕らのような構築的なスタイルを志向させることは、僕らにとって大きな名誉だ。(P.21から引用)

スペイン語のなんという単語を「構築的」と訳したのかは知らないが、最高の適語であると思う。バルセロナは勝利の確率を高めるためにポゼッションの割合を高めることを重要視し、1つ1つのプレーを分断するのではなく構築的に捉えてフィニッシュまでの道のりを描いている。そしてこの構築的という言葉にこそメッシという稀代の天才が活きる土壌があるように思えてならない。

勝負哲学』(筆者のレビューはこちら)の中で羽生善治氏と対談した岡田武史前日本代表監督は、ひらめきの概念について以下のように語っている。

ひらめきの正体は何ですかという質問を受けるんですが、私のとぼしい語彙ではうまく言語化出来ないんですよ。ピンときた、カンが働いたとしかいいようがないし、カンの中身を問われても説明はむずかしいんです。 ただ、それが天から突然、降ってくるものではないことは確かです。
(中略)
答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ、理屈がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。だから、その正体は意外なくらい構築的なもので、蓄積の中から生み出されてくるという感触がある。助走があって初めて高く跳べるようにね。(P.21-22から引用)

勘やひらめきは実はロジカルに構築した先端に存在するものであるという。それこそ、バルサのスタイルと同じではないだろうか。構築的にティキタカ(パスサッカー)を続けたその先に、メッシが一瞬のひらめきを見せて得点を奪う。

シャビが自らの口で「構築的」という表現をしたことでバルセロナが貫いているスタイルがすっと筆者の中で理解できた気がした。

リージョの捉え所のない話を斬る

グアルディオラが師とあおぐフアン・マヌエル・リージョ。彼のインタビューは禅問答のようで捉え所がなく、非常に難解である。ただ、表現は婉曲的であるがリージョの言っていることは自然科学的な本質をついている。

例えば、リージョはチームと選手を分離して考えていない。すべては個であり全体であるというフラクタルな側面をサッカーに見出している。そのため、(バルセロナには)戦術というものは存在せず、選手(の才能)そのものがサッカーを形作るという分かるようで分からない持論を展開している。

この手の考えは『バルセロナが最強なのは必然である グアルディオラが受け継いだ戦術フィロソフィー』(筆者のレビューはこちら)に詳しい。フットボールを自己組織化や再帰性といったニューサイエンスの世界から紐解いている。

リージョの言葉で最高に難解なのが、バルセロナがさらにプレーを向上させるための鍵を問われて回答した以下のくだりである。

人間というのは、ピラミッド構造ではなく、網状の構造でできている。そこには希望が存在し得る。我々はどこからも落ちることはなく、また全てを忘れてしまうこともない。言わんとしていることは分かりにくいかね?(苦笑)つまりは、才能豊かな選手が増えることによる成長は、チームが成長していく上で重要なポイントになるということ。個々の長所を結びつけることで、集団にうまく還元されていくのである。(P.50から引用)

これは驚きで、リージョはパターン・ランゲージについて語っている。パターン・ランゲージとは建築家アレグザンダーが提唱した理論で、建物や街の形態は機能を分解して要素に分解できるものではなく、一定のパターンが重複も許容する形で網状に構成されていると考えたものである。

パターン・ランゲージについては『パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則』が詳しい。

「ツリー」(tree、木)と「セミラティス」(semi-lattice、半束)は、もともと数学の集合論に出てくる用語です。アレグザンダーがこの論文(筆者注:『都市はツリーではない』と題した論文)で主張したい本旨は、「現代の都市計画は分離分類を旨とする過度な階層構造主義に陥っており、自然都市に見られる場所と機能の適度なオーバーラップを軽視している」ということです。そのことを分かりやすく表現するための対立概念として、「ツリー」と「セミラティス」を登場させたのです。
(中略)
アレグザンダーは、人工都市がツリー構造になってしまう原因は、人間の認知能力の限界にあるとしました。人工都市は少数の建築家が全体を設計するため、複雑に絡み合った条件を必然的に少数の要素に還元して考えます。つまり、要素間の関係性は半ば必然的にツリー構造に還元されてしまいます。それに対して長い年月を経てできあがる自然都市は、そのようなツリー構造を持ちません。1つの場所が複数の役割を同時に担うセミラティス構造を持っています。(P.22-23から引用)

リージョは、チームとは選手の能力の総和でできているものではなく、個々の長所が複雑に絡み合い、影響し合い、相互作用的に涵養されることで何らかの形で還元されることで成長すると言っていると思われる。すべては階層構造ではなく、網状(セミラティス構造)なのである。だから単純にセンターバックを補強すれば良いというような近視眼的な指摘は誤っており、CBを補強した結果として長所がうまく還元されればそれこそが成長である、ということである。当たり前のことをすごそうに言うものだと感心する。しかしこれほど本質を突いている発言もない。成長は相互作用なのだから、鍵という物質的な観念では表現できないという皮肉なのだろう。

余談だが、パターン・ランゲージに関しては慶応大学の井庭崇准教授が日本の第一人者であり、パターン・ランゲージを学習に応用した「学習パターン」、プレゼンテーションに応用した「プレゼンテーション・パターン」を無償で公開している。

遠藤が語る対バルサの「術」

眼・術・戦 ヤット流ゲームメイクの極意』(筆者のレビューはこちら)でも本人が語っているように、遠藤は守備における数的同数はOKだと考えている。バルセロナの強みであるハイプレスは後ろの数的同数をOKとしてリスク承知でやっているから効果があると、そう考えているようである。バルセロナのプレスの秘訣、ポイントについて本誌フットボールサミットの中で次のように語っている。

ひとつはプレスに行くスピードと攻守の切り替えの早さでしょうね。それがすごく早い。あとは、後ろが数的同数のことが多いんですよ。それも大きな要因だと思います。普通の監督なら、リスクを考えて後ろにひとり余らせますよね。でも、余らせるということは、どこかで相手がひとりフリーになっているということ。バルサはそれをなくしてる。(P.68から引用)

ちなみに、バルセロナを倒すとしたらオール・マンツーマンで最終ラインを出来る限りプッシュアップで守るそうである。ビエルサの考えと同じなようだ。

論客たちはまだ覇権が続くと考えていたようだが

果たしてバイエルンの試合を見ても同じように答えたか。リージョにいたってはバイエルンなどのチームとスペインの2強の距離を「星と星ほど離れている」と言ってのけたが、実際はどうだったのか。今後のバルサのサッカーを見守りたい。



tags football summit, アレグザンダー, シャビ, バルセロナ, パターン・ランゲージ, フットボールサミット, メッシ, リージョ

風間監督の思想の根本にある「0か100か」。

川崎フロンターレが絶不調だ。足元では革命が浸透しつつあるとの論調も見かけるが、J1では8節終了時点で1勝3分け4敗の勝ち点6で15位、得失点差は−4。J1は勝ち点40程度が例年の残留ライン(今シーズンはもう少し低いかもしれない)であり、単純計算で8節時点では9.4ポイント取っていなくてはならない。次節で勝利してもまだ残留ラインを超えない、れっきとした「降格圏」である。

なぜ勝てないのか。

その理由を1つに絞ることはできないが、筆者が思うに風間監督が「0か100か」論者であることがおおいに影響があるように思えてならない。

全てのマネージャーが苦労する具体と抽象のバランス

サッカーに限らず、人に何かを教えたりマネジメントしたりすることを突き詰めていくと必ず1度はぶち当たる壁がある。

指示をした方がよいのか、自主性に任せた方がいいのか、という問いである。

指示をしてその通りにやってくれれば一時的には結果が出るかもしれないが、もしかしたら指示待ち人間になったり自分で考える力が身につかないかもしれない。

かといって自主性に任せることは「やり方そのものがわからない」というケースには不向きだし、誰もが自律的に動けるわけでもない。

どちらにしても帯に短し襷に長し、である。

この手の二元論は具体と抽象、理想と現実、帰納と演繹など様々な場面で現れる。もちろん、正解があるものではない。しかしだからこそ考え続ける必要があり、自分たちなりの答えを何らかの形で見出す必要がある。そしてその答えは当然「指示か放任か」という二元論で語られるものではなく、体のいい言葉を使えば「バランス」を見出すことによって得られるものである。自分たちなりのバランスを見つけ出すこと、それを柔軟に変化させること、そしてそのプロセスにおける絶え間ない努力が勝利への道筋である。

風間監督は、この「バランスを見出す」という誰もが実施している勝率を高めるための手段を放棄しているのではないだろうか。

理想を追い続けることが果たして正解か

5月1日にスポーツナビに公開された江藤高志氏のコラム誤算続きでも風間監督更迭の可能性は低いによると、風間監督は川崎フロンターレに多くの変化をもたらしていることは確かなようである。

江藤氏の言葉を借りて総じて言えば「選手を大人として扱う」という変化である。最たる例を引用しておく。

昨シーズン途中に就任した風間監督は、試合前に対戦相手のスカウティング結果を伝えるミーティングを原則廃止した。スカウティングは、影でチームを下支えするものとの認識があったため、これには驚かされた。風間監督はこれについて「選手たちは対戦相手のことは分かっている。そこに過剰に(情報を)与えるというのは......。それから(スカウティングの)見方が違っていたら、それは良い情報ではない。自分たちで判断するためにグラウンドの中でやってくれればいい。子どもじゃないんでね」と述べている。

また、多くの論者も指摘していることだが、現在の川崎フロンターレはほとんどロングボールを蹴らない。一方で、「攻撃の自由度」を重要視しているという。相手がどうこうではなく自分たちのサッカーをするということが理由らしい。

筆者がこれらの情報や試合を見ていて感じたことは「理想を追いすぎ」「選手に任せすぎ」などの偏り過ぎの傾向である。もちろん断片的な情報であるし内部までは知ることができないので穿った見方が含まれている。それにしても、もう少し現実を見て、そしてもう少し選手を管理するという考えがあるべきだと感じる。

上述のコラムには以下のような記述もある。

聞けば、はじめて指揮を執った桐蔭横浜大学サッカー部監督時代には、ガチガチに戦術を教え込む方法を取ったという。それである程度までの結果は出せたというが、教えた以上のものが見込めないとも考えた。だからこそ、川崎では多くの領域で選手の自主性に任せているのである。

理想に寄せる、放任主義に寄せる、などの立場を取ることは覚悟さえあれば誰にでもできる。もちろん、それで勝てていれば良い。その監督は賭けに勝ったということであり賞賛されることであろう。しかし実際にマネジメントする立場になって勝率を1%でも高めるためにすることは、どこで理想と現実のバランスを取るか考えること、具体と抽象を使い分けて説明すること、放任と管理の線引をギリギリのラインで考え続けること、などの「どちらともつかず」のグレーゾーンを的確に分かりやすく選手に伝えることである。このグレーゾーンをいかに選手に理解させるかが非常に難しく、そこに多くの監督は苦労している。

例えばプレーの選択においては具体的過ぎる指示は柔軟性がなく意味がない。かといって「常に数的有利を意識しろ」といった抽象的すぎる指示は現実的にどのように動けばいいのかの情報に乏しく、これまた意味がない。具体と抽象のバランスを取ることが求められ、それが広義の戦術、攻撃/守備パターンという形で降りてくる。「ロングボールを蹴らない」といった考え方はそのバランスを放棄しているように思えてならない。

相手がどんな武器を持っているか知らずに戦場に出るようなもの

スカウティングに関しても疑問が残る。もちろん、単にプレー映像だけを見せるだけでは意味がない。プレーという具体性の中から相手の攻撃/守備パターンを抽象化し、それを具体的な映像とともに伝えるから意味がある。

その作業なしにピッチに出てから確認するということでは、敵が刀を持っているのか馬を持っているのか鉄砲を持っているのか、それらをもとにどのような戦い方で挑んでくるのか、全く知らずに戦場に出るようなものだ。しかも、相手はこちらの武器を知っているのである。この時点で不利は否めない。サッカーは敵が邪魔をしてくる競技であり、何もかも自分たちの思い通りにいくことはない。その敵が何をしてくるのか事前に知った上での自主的な判断こそが活きるのである。

スカウティングは簡単なことではない。ピッチの上の具体的な情報だけを頼りに抽象に昇華して理解しなくてはならない。相手がどのようなパターンを想定して具体的な攻撃を仕掛けているか、リバースエンジニアリングする作業がスカウティングである。これを避けて、ましてや選手の自主的な判断に任せるということでは、自ら勝利の確率を高める努力を怠っていると言われても仕方ないだろう。

止揚なくしてイノベーションなし

具体でも抽象でもなく、そのいいところ取りでもなく、より高次元で両者を「綜合」することを止揚(元はドイツ語のアウフヘーベン)という。止揚の概念の中にこそイノベーションの鍵が隠されていることは一橋大学の野中郁次郎名誉教授も多くの著書(例えば『知識創造の方法論―ナレッジワーカーの作法』)で述べていることである。

革命という言葉はジャーナリストが勝手に用いた表現かもしれないが、革命を起こすのであれば理想や選手任せなど0か100かに寄り過ぎるのではなく、理想と現実や管理と放任の止揚を追い求めることが必要であろう。



tags 川崎フロンターレ, 止揚, 風間八宏, 風間監督

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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