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2013年2月の記事一覧

元ドイツ代表のトルステン・フリンクスが現役引退を表明した。36歳である。心の底からお疲れ様と伝えたい。
uefa.comニュース | 元ドイツ代表のフリンクスが現役引退

僕はフリンクスには特別な想いを抱いている。贔屓目に見ていると言ってもいい。話は11年前、僕が新入社員で日韓W杯がまさに開催されていた2002年6月に遡る。

僕はこれまでのサッカー人生で5番をつけることが多かった。とはいっても優秀な選手ではなかったので5番がほしくても5番がもらえないこともあったのだが。ポジションはセンターバックだったので5番をつけることに何の違和感もないし、世間的にも大体センターバックといえば4番か5番が通説だった(井原正巳がアメリカW杯予選で7番をつけていたのは衝撃だった)。

2002年に新入社員として企業に就職し、同期でサッカーチームを作ることになった。僕は5番をつけようとしたのだが、5番を希望している人が他にもいた。僕はチームの幹事的な立場だったので、わがままは言わずに5番は譲ることにして他の番号を選ぶことになった。

さて、ここで困ったことになる。これまでの人生、数字にこだわりをもったことは「5」以外になかったもので、番号を選択しようにも立ち返る基準やこだわりがない。14番くらいまでは確かあらかた埋まっていたので、それ以降から選ぶわけなのだが、好きな数字があるわけでもない。21(これはなぜだろう?)はつけたがる人も多かったが、それ以外は希望すれば自分のものになりそうだった。

そんなとき、自宅でW杯をテレビ観戦していたところ、1人の選手に目を奪われた。ドイツ代表のトルステン・フリンクスである。サイドを愚直に駆け上がり、勤勉なファイトをして、メカニカルにドイツの歯車としてハイレベルで機能するプレーに「すごい選手がいる」と感動したことを覚えている。そのフリンクスがつけていたのが22番だったのである。

これだ!と思った。当時僕はCBに飽きていて、サイドに浮気しようとも考えていた時期でまさに運命だと感じた。22番にこだわっている人なんて出会ったことないし、これからのサッカー人生で22番は独占できそうだという直感もあった。

それ以来すべてのチームで22番をつけ、数字を選ぶときにはたいてい22番を選択してきた。携帯電話の番号の下4桁は0022だし、このブログのタイトルの22番もその流れでつけたものである。

frings22.jpgまた、フリンクス自身が22番にこだわっていると後日知った。11月22日生まれで、娘の誕生日が10月22日(ソース未確認)らしく、22には執着しているようだ。腕に「XXII」と刺青を入れているあたり、本物というかむしろ危ない域に達しているくらいである。自身の公式サイトにも「22」というコンテンツがあり、そこには「22 - This number means a great deal to me」と書かれている(これは英語版で、もちろんドイツ語版もある)。後のドイツ代表では8番をつけるようになり、それはチーム内での位置づけが上がったことによるものなので喜ぶべきことなのだが僕は複雑でもあった(もしかしたら本人はもっと複雑だったかもしれない)。

あれから11年が過ぎた。最近は活躍の場をアメリカのMLSに移していたが、腰を悪くして手術をし、経過が芳しくないので引退を決意したようだ。

あのときの22番の衝撃がなければ僕のラッキーナンバーが22になることは絶対になかった。フリンクスありがとう。そしてお疲れ様でした。



tags 22番, フリンクス


勝負の世界を知り尽くした岡田武史氏と羽生善治氏の至高の対談。

サッカーについて考えを巡らせていると、いつも突き当たる壁がある。それは、サッカーにおいてサイエンスとアートの境目はどこなのか、ということである。

戦術という言葉がある時点で、サッカーにはパターン化された攻め方や守り方というものが存在している。戦術という表現が大局的すぎると感じるようであれば、作戦でもプレーでも何でも構わない。とにかくそこにサイエンスは一定程度存在し、サイエンスをおざなりにしては試合には勝てない。

一方で、パターンばかりに頼っていては「自主性がない」「状況判断が悪い」「ひらめきが足りない」と揶揄される。特に最後のゴール前をこじ開けるアタッキングサードにおけるプレーはどちらかといえばアートの側面が強くなる。

ではその境目はどこにあるのか。その解のない問いに対し、勝負を知り尽くした岡田武史氏と羽生善治氏が本書の中で経験的な回答を示してくれている。

論理と直感の関係について、岡田氏は以下のように語っている。

一定水準まではデータ重視で勝てる。しかし、確率論では勝ち切れないレベルが必ずやってくる。そうして、ほんとうの勝負はじつはそこからだ(P.16より引用)
ひらめきの正体は何ですかという質問を受けるんですが、私のとぼしい語彙ではうまく言語化出来ないんですよ。ピンときた、カンが働いたとしかいいようがないし、カンの中身を問われても説明はむずかしいんです。
ただ、それが天から突然、降ってくるものではないことは確かです。
(中略)
答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ、理屈がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。だから、その正体は意外なくらい構築的なもので、蓄積の中から生み出されてくるという感触がある。助走があって初めて高く跳べるようにね。(P.21-22から引用)

羽生氏もこの内容に完全に同調している。将棋においても、理詰めの先にこそ直感があるとのことだ。

僕は「構築的」という表現を目にしただけで本書を購入した意味があると感じた。サイエンスとアートの境目について、これ以上的確な表現を目にしたことがない。単純な取材として岡田氏のインタビューを収録したわけではなく、羽生氏との対談という形を取ったからこそ引き出せた言葉なのかもしれない。企画をした人に感謝である。

その他、リスクテイク、集中力、メンタル、勝負の美学などに関する2人の考え方や、南アフリカワールドカップにおける裏話も掲載されている。もちろん、将棋についての羽生氏の考え方も素人にも分かりやすく語ってくれている。対談形式であるので読みやすく、さらっと素晴らしい表現が登場するので集中を欠くことなく最後まで一気に読みきれる。



tags 勝負哲学, 岡田武史, 構築的, 羽生善治, 論理と直感


誰もが一度は感じたことのあるサッカーあるある特集。

本書は宝島社らしいサッカーのバラエティ本である。共感できるサッカーあるあるネタばかりで読んでいてついクスっと笑ってしまう。

特にこの手のあるあるで現在もっとも話題の中心となっているのは松木安太郎氏だろう。本書はあるあるネタを日本代表あるある、Jリーグあるある、サッカーメディアあるあるなどに分類して紹介しており、その中でもっとも筆者がウケたのはサッカーメディアあるあるだ。松木安太郎氏の力である。例えばこのようなあるあるが紹介されている。

  • 松木安太郎には「大切な時間帯」が多すぎる
  • 松木さんの「いいボールだ!」で、ぬか喜びしたことがある
  • 松木さんの「PKだ!」で、ぬか喜びしたことがある
  • 解説が松木さんじゃないとがっかりしてしまう

日本代表の試合をNHKと民放で放送する場合、昔は迷わずNHKを選択していたが最近では「NHK対他局」の構図ではなく「NHK対松木」の構図で選択している人も多い。それだけの影響力を持っている解説者は他にはおらず、試合中には「#松木」のハッシュタグがついたツイートがあふれている。愛されている証である。さらには、YouTubeでこのような動画が作成されるほどだ。


AFCアジアカップ2011 松木安太郎総集編(Part1)

サッカー中継における「実況と解説」という立場を超えて、「実況と解説と応援」という新たなジャンルを創りだした松木安太郎氏の功績はテレビ朝日に多大な利益をもたらしている。局をあげて賞を与えてもよいくらいだと個人的には思っている。

また、くだらなさで群を抜いている企画がJリーグ苗字カップ外国人編である。同じ苗字の選手でベストイレブンを作ってみようという企画なのだが、その中でも「レアンドロ選抜」が秀逸である。

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(P.133の内容をもとに筆者作成)

どのレアンドロやねん!とツッコミを入れたくなる。確かにレアンドロやドゥトラ、アレックスなどは誰が誰だか分からないことがよくあった。

書籍というよりは挿絵と吹き出しを用いた雑誌のような構成に近い。20分程度で読み終わるライトな内容である。ネタ探しにも使えるし、意外に古残のファンでないと分からない内容が散りばめられているのでサッカー通にもうれしい一冊となっている。



tags サッカーあるある, サッカーネタ, レアンドロ選抜, 松木安太郎


城福浩監督の情熱と論理が詰まった監督目線のリアルな思考法。

本書はヴァンフォーレ甲府の監督である城福浩氏が「監督とは一体どのようなことを考えているのか」について持論を展開したものである。チーム編成、マネジメント、采配、戦術、システム、育成と話題は多岐に渡り、監督の思考がひと通り理解できる。

本書が特に優れていると感じる点は2つある。

1つ目は、現役の監督による出版であるという点である。あとがきに著者自身が「私の知る限り、日本人監督で現場に立ちながらサッカー本を出した方はいません」と記している。滅多にお目にかかることのできないリアルな目線と具体的な苦労話などにあふれており臨場感がある。

2つ目は、本書がいわゆる大所高所からの評論ではなく、城福浩氏自身がどのように考えているのか、そしてその根拠はなぜかということについて具体的な事例とともに分かりやすく書かれている点だ。かといって持論だけを紹介しているわけではなく、監督の仕事として網羅すべき内容について紹介しつつ各項目について考えを書いているので漏れはなく読後感も良い。

筆者は城福浩氏の有料メルマガ城福浩の『今魅せる!城福ノート』も購読していた(現在は休刊扱い)が、本書もあわせ感じたことは氏の真面目で実直な人柄である。決して誰かを批判するようなことは書かない。これはメルマガからの引用であるが、2011年8月31日配信の31号で以下のように述べている。

どうしても言えないもの(それが最もコアな部分であることが多いのですが)を割愛してます。
私は今はいろいろ書くという作業が多いですが、常に現場に戻った時の自分の立場も考えているものですから、現場仲間を窮地に追いやる可能性のあることは書けないのです。

なので、本書にも「裏話」に相当するような箇所はほとんどなく、FC東京時代の長友や今野についてチーム編成時の舞台裏がわずかに紹介されている程度だ。

また、自分の考えを書くときは必ず自分なりの根拠を示しており、そこにも真面目さが伺える。城福浩氏はどのチームにおいてもポゼッションを戦術の中心に据えており、その理由を以下のように記している。

私はこれまで指揮を執ったどのチームでもポゼッションサッカーを掲げてきました。(強調は著者によるもの)
(中略)
それは、パスサッカーが自分の好みであり、攻撃が好きだから、ということももちろんあります。しかし、何よりも選手に「楽しい」と感じてほしいと思っているからです。
選手というのは、プレーしていて楽しくなかったり、上手くなっている実感が湧かなかったりすると、なかなか向上心を持てないものです。さらに、選手が楽しんでプレーしていなければ、見ているファンやサポーターの方々が楽しめるはずがありません。
では、選手にとっての「楽しみ」とは一体何でしょうか。私は「ボールにたくさん触ること」だと考えています。(P.118より引用)

もちろん、戦術面におけるポゼッションサッカーの特徴を考えた上での上記の発言である。

こういった肝の座ったブレないスタンダードが熱い言葉とともにいくつも紹介されている。以下はその一例である。

  • 試合の翌日に最も優先的に考えるのは試合に出なかった選手たちのこと
  • 木曜日は週のトレーニングのなかで選手たちに対戦相手を最も意識させる日
  • 自分たちの試合の映像や対戦相手のスカウティングの映像は12分にまとめる
  • システムありきの考え方に否定的な立場を取っている
  • 「この指導者は子どもから判断力を奪っていないだろうか」と、親が見極めることも大事

現場の人間の考えほど帰納的なインプットとして役立つものはない。こちらの考えと対峙させる練習にもなるし、自分の浅い考えが一蹴される痛痒くそして清々しい経験も現場からの重い一撃があればこそである。

しかし、現役監督の考えが根拠とともに詳しく聞ける機会はそう多くない。通常、現役監督という立場の人間は記者会見でも記者の取材に対しても本質的な部分や具体論については話さない。本書は稀有な存在として、また今後の「現役監督からの出版」という道筋を開いた存在として、語り継がれる一冊となるだろう。



tags Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法, 城福浩


新進気鋭の統計学者によるサッカー版セイバーメトリクス。

本書は現時点で取得可能なサッカー(Jリーグ)の試合におけるデータを統計学的に解析し、得点や失点を防ぐことに貢献したプレイヤーや勝利に貢献したプレイヤーを客観的に明らかすることを趣旨としている。

まずはじめに言っておきたいのは、こういったデータによる統計的分析をサッカーに持ち込むアプローチを否定すべきではないということだ。よく「サッカーではデータで計りきれない要素があるから」「野球と違ってプレーが途切れないから」と言葉を並べてデータ分析を批判する言説を目にする。確かにそれらの主張も一理ある。しかし取得できるプレーの種類は年々飛躍的に増加しており、年を追うごとに解析の精度(説明力)が上がることは間違いない。そうやって科学は進歩していく。現時点における努力は将来への布石であり、今できることをやっておくことは決して無駄なことではない。

ただ、確かに指摘したくなる箇所があるのも事実だ。

この手の統計で大切なことは関係性を明らかにすることであり、その関係性は該当分野に造詣の深い人の主観的な仮説から生まれる。著者の西内啓氏は自身のベストセラー『統計学が最強の学問である 』において以下のように述べている。

だからビジネスにおいて解析すべき指標は、直接的な利益か、あるいはそこに至る因果関係の道筋が明らかな何か、ということになる。(強調は著者によるもの)
(中略)
自分たちの仕事の中で何が利益に直結することか、というのは私などよりみなさん自身のほうがよく知っているし、アイディアだって浮かぶはずだ。(P.89-90より引用)

サッカーにおいて分析すべきは得点や失点を防ぐことにつながるプレーである。それらのプレーはどのようなものであるかは当然サッカーに精通している人が仮説を立てるべきで、そのようなアプローチが取られているか本書内では不明である(データスタジアム社の取得している約2000のプレー情報から解析対象を200に絞っているがこの選択根拠も明らかにされていない)。

また、本書内に以下の記述が登場する。

攻撃面での2つの指標(筆者注:シュート貢献度とチャンスメイク貢献度)について、チャンスメイクが増えればシュートも増えるという関連性は当然考えられるが、データ構造上の検討を行った結果、一方のみによって得点の多寡がすべて説明できるわけではなく、両者はある程度独立した増減を示しており、これら4つの貢献度(筆者注:前述の2つに加え、守備貢献度とセーブ貢献度)は試合の行方を予測するうえで独立した重要な指標として扱うことができそうだということがわかった。(P.172より引用)

ステップワイズ法(統計学的に予測精度の高いモデルを構築する手法)を用いて各貢献度の尺度の内訳を選択しているが、セーブ貢献度を除けば各貢献度が独立していることは常識的に考えてあり得ない。各貢献度が独立した動きを見せるのであればモデルの方が誤っていると考える方がよいように思える。

とはいえ冒頭で述べたようにこれらはデータ取得の精度の向上や仮説検証のサイクルを回し続けることでいずれ解決することであり、現時点のデータを使った分析を眺めること自体はとてもおもしろく、そして興味深い。

例えばJリーグ2011シーズンでのシュート貢献度(シュートに関する項目から実際のシーズン予測得点を分析した指標)の上位はケネディ、ジュニーニョ、佐藤寿人の順となっている。彼らは実際に19点、9点、11点の得点をあげており、信ぴょう性も高そうである。

また、チャンスメイク貢献度(チャンスメイクに関する項目から実際のシーズン予測得点を分析した指標)の上位は遠藤保仁、小川佳純、高萩洋次郎の順である。彼らは実際に得点を多くあげているわけではないが、得点への貢献という意味では素晴らしいものがある選手であり、こちらも主観による予測と大体あっている。

本書内では得点や失点を防ぐこと、GKのセービングの指標からデータによるベストイレブンも明らかにしており、個人的なベストイレブンと比べてみるのもおもしろい。

最近はサッカーに関するデータが公開されていたりするので、それらを眺めてデータへの耐性を強くしておくのもよいかもしれない。

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Football Lab
Chance Building Point(CBP)と呼ばれるチャンスメイクへの貢献に関する独自の指標を用いてチームや選手をポイント化している。「データによってサッカーはもっと輝く」が謳い文句。


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Castrol Football(英語)
ヨーロッパでプレーする選手のパフォーマンスをポイント化してランキング形式で示している。ポイント化に関する説明動画も提供している。


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Jリーグ公式サイト
Jリーグに関する記録はほぼ全てここで手に入る。時間帯別得失点や先取点を取った場合の勝率など細かいデータも網羅している。


Jリーグの分析に関しては2012シーズンのガンバの低迷によっていろいろ不都合がおきそうだ。笑



tags サッカーと統計, セイバーメトリクス, 統計学が最強の学問である, 遠藤保仁がいればチームの勝ち点は117%になる


バルセロナの勝者のメンタリティは如何にして培われたのか。

本書はグアルディオラやビラノバ、メッシ、シャビ、イニエスタをはじめとするカンテラ育ちの選手のインタビューを通じ、バルセロナの育成の哲学を学ぶことを主眼に置いている。技術面や練習のメソッドなどは一切登場せず、サッカー選手として、そして一人の人間としての人格形成まで包含したメンタリティの涵養がテーマである。

本書でたびたび登場するのが若年層における「勝利か育成か」という哲学的な問いだ。目先の勝利を優先すると結果として早熟な子どもを出場させたりフィジカルを押し出したサッカーをしたりと、長期的な育成の視点が損なわれる。一方で育成を優先するとなかなか試合に勝てず、勝つことを通じた喜びや学びが伴わない可能性がある。

日本の高校生世代においても同様の論争が湧き上がったことがある。小峰忠敏監督率いる国見高校がフィジカルを全面に押し出したサッカーで2000年代前半の高校サッカー界を席巻していた。大久保嘉人、平山相太らが日本一に輝いた時代である。

ちょうど同じ時期、日本サッカーは劇的な進化を遂げ、98年W杯初出場から2002年自国開催によるW杯初勝利、そして中田英寿や中村俊輔のような非凡なパスセンスをもったプレイヤーを中心としたポゼッションを伴うサッカーを世論としても志向し始めていた時期でもあった。

そんな中議論の的となったのが国見高校のサッカースタイルの是非である。しかし小峰監督の答えは実に明快であった。

「勝ってから反論してください。」

パスサッカーがそんなにも素晴らしいものであるのであれば、まずは勝ってみてくださいということだ。痛快である。小峰監督の中には勝つことでしか学べないことがあるという信念があったのだろう。
(しかし時代の流れには逆らえないのか、2006年の野洲高校(乾貴士が2年生として出場)や2008年の流経大柏(大前元紀が出場)の優勝とともに、高校サッカー界もパスサッカーを志向する時代へと突入していく。)

バルセロナの哲学は、小峰監督の考えに近い。つまり、勝利と育成は反する概念ではなく、勝利の中に育成が包含されているという考え方だ。

グアルディオラやビラノバはそろって勝利と育成は両立できるものであると言っているが、その言葉の中には勝利こそが育成の近道であるというニュアンスが含まれている。

グアルディオラ「勝つことは優れた育成と両立できる。若い頃からしっかり教育する良い方法は『力を出し切って勝つ』ということに慣れさせることだ。
(中略)
要するに、しっかりやるべきことをやりながら常に勝利を目指すことの大切さを子どもたちに教えることが重要だ。」(P.63-64から引用)
ビラノバ「バルサのカンテラでは常に勝たなければならない。この勝者のメンタリティーはカンテラの若者がトップチームに上がった時に効果を発揮する。」(P.64から引用)

彼らの考えは、仲間や指導者、対戦相手をリスペクトして全力で戦い、バルサの哲学を守った形で勝つことそのものが育成であるということである。ここから読み取れるのは、「育成を優先すれば勝利は二の次でもよい」という考えは甘えであり逃げであるということだ。志向するサッカーはクラブ(や学校)の哲学に沿えばよい。なにより大切なことは、その哲学に則りながら勝つことで勝者のメンタリティを養うことであり、それこそが育成に他ならないとバルセロナは教えてくれる。

また、プジョルやシャビ、イニエスタ、メッシらのインタビューから、如何にしてバルサの哲学が養われていったのかの過程を選手目線から追いかけることができる。

ルイス・エンリケ、アモール、マジーニョなどバルセロナで活躍した往年の名選手も登場(さらに昔の選手も多数登場するが恥ずかしながら僕は知らない選手ばかり)し、古残のファンも懐かしながら楽しめる内容となっている。



tags FCバルセロナの人材育成術, カンテラ, サッカー選手の育成, バルサ, 勝者のメンタリティ


UEFAチャンピオンズリーグを語る上で必読の一冊。

ヨーロッパの最高峰の試合が繰り広げられるUEFAチャンピオンズリーグ誕生から2011-12シーズンで20年。本書の特徴はまさに「はじめに」で著者の片野道郎氏が記した内容が的を得ている。

本書は、CL20年の歴史をひとつのクロニクルとして通時的に追いつつ、背景となる社会からサッカー界そのものに至る様々な環境の変化、そしてそれがクラブの栄枯盛衰やピッチ上の勢力地図にどのように反映し影響を及ぼしてきたかという具体例まで、その全体像を俯瞰的に視野に収めようとする狙いを持っている。(P.10より引用)

CLの度重なるフォーマット変更はテレビ視聴者として第三者的に知っていたが、その背景にUEFAとクラブチームの対立や商業的な要因が複雑に絡んでいたことを恥ずかしながら本書を読んで初めて知った。

また、11-12シーズンでキプロスのアポエルというチームがベスト8入りの大躍進を果たしたことは記憶に新しいが、それは偶然の産物ではなくUEFAが取り組んだ「中堅・弱小国の底上げ」の結果であると知れば、とても興味深く、意味のある躍進であると噛み締めることができる。

そして現UEFA会長であるプラティニの崇高な理念にも触れ、これほどまでに改革を推進している人物であるということも初耳だった。

CLの歴史は商業的な側面と切り離すことはできず、結果として資本を持てるチームと持たざるチームの格差が顕著になっていくことは避けられない事実であった。本書187ページには以下のような記載がある。

DFML(筆者注:デロイト・フットボール・マネー・リーグと呼ばれるレポート)に示されたランキングと売上高のデータを見て改めて驚かされるのは、CLのピッチ上に表れた結果とクラブの売上高との間にある強い相関性である。つまるところこのレポートには、チームの競争力を左右する最も大きな要因は「カネの力」だという、身も蓋もない現実が示されているということだ。

もちろんこの流れは完全に止めることができるものではないが、歯止めをかけるために立ち上がったのがプラティニである。UEFA会長選挙への出馬表明の際のプラティニの言葉がその決意を端的に表している。

フットボールの未来を、ビジネスマンや弁護士の手からフットボーラーの手に取り戻す時が来た。(P.222から引用)

現在もなお続くプラティニの改革は、今後の勢力図をおおいに塗り替える可能性も秘めている。その最たるものが、「ファイナンシャル・フェアプレー(FFP)」の導入だろう。FFPは端的に言えば「3年間の収支をトントン」にしなければ、UEFA主催大会への参加を認めないというもの。もちろん、オーナーのポケットマネーを使って補填することもNGである。FFPは段階的に適用され、18-19の審査(対象期間は15-16から17-18の3年間)から完全適用される。移籍マーケットや選手の給与に多額の資金を投じているクラブは抜本的な対策を投じなければUEFA主催の大会から締め出されてしまう。収入の多くはチャンピオンズリーグの放映権料であるため、締め出しはクラブとしては何としてでも避けたいだろう。今後どのような対策を各クラブが投じてくるか、非常に楽しみである。

また、UEFAは現在CLとELの二本立てとなっている大会フォーマットを、16-17シーズンから両者を統合して新CLとし、64チーム参加とする構想を検討中と伝えられている。この変更の流れも、単なる「変更」と捉えるよりは本書で伝えられている20年の歴史的背景を知った上での継続的な改革の一環として見ることでより納得的なものとして理解できる。

ここまでの味わい深いクロニクルを一冊の本として分かりやすくまとめた片野道郎氏は真のジャーナリストであると思う。著書にある『モウリーニョの流儀』や『アンチェロッティの戦術ノート』(アンチェロッティとの共著)も名著であるので、興味ある人はぜひ目を通してほしい。

 


PB250022.JPGのサムネイル画像
2003年11月25日サンシーロにて筆者撮影(CLグループステージ インテル1-5アーセナル)



tags チャンピオンズリーグの20年, ファイナンシャル・フェアプレー, プラティニ, 片野道郎


本書は清水エスパルスで監督を経験したゼムノビッチ氏による日本サッカーの育成に対する提言書である。いわゆる戦術やピッチ上で起こるプレーについて解説する類の本ではない。

ゼムノビッチ氏のロジックは明確である。

  1. 守備を固める戦術を貫き通せばワールドカップでベスト16に入ることはできる。それは、2012南アフリカW杯における日本や、過去のW杯におけるパラグアイが示してきたことである。
  2. その一歩先、ベスト8に入るためにはよほど運がよいケースを除けばブラジル、オランダ、スペイン、ドイツなどの強豪を倒さなければならない(2012南アフリカW杯でパラグアイがベスト8入りしたのは相手が日本であったというラッキーが存在する)。
  3. 一歩先に進むために必要なことは得点力の向上、特に、プレーメーカーとストライカーの育成である。すなわち、育成を整えなければ、明るい未来はない。

ただし、本書に書かれている内容はあくまで「(強豪である)ユーゴスラビアではこのような育成が行われている」という事例の紹介である。本書の16ページにもいわば「前置き」といった形で以下のように書かれている。

この本では、ヨーロッパと日本の違いについて掘り下げていきたい。それはどちらがいい、優れているということばかりでなく、単純な"違い"でもある。ヨーロッパにはない、日本のいいところもたくさんある。ただし、これから日本がさらに上を目指し、W杯でベスト8以上を目指していくのなら、ヨーロッパで当たり前なのに日本ではそうでないという部分に注意を払うべきだろう。

本書の内容はストライカーやプレーメーカーの育成、コーチの心得、Jリーグへの提言など多岐に渡っており、例えば以下のような内容についてゼムノビッチ氏の経験談が語られている。

  • 紅白戦の途中で何対何なのか分からずにプレーしている選手がいることの弊害
  • 旧ユーゴスラビアでは試合中に声を出してボールを呼んだFWは即交代
  • 日本の育成年代の根本的な問題は公式戦が少なすぎること
  • 1歳単位のリーグ戦を導入することはヨーロッパではどこでもやっている

確かに科学的という内容ではない。そういう意味で、本書はケーススタディである。旧ユーゴスラビアの事例を知り、それを知った上で読者である我々が日本のサッカーについてどのように考えるのかまで思いを巡らせなければ、本書は単純な「元Jリーグ監督のヨーロッパ自慢」に成り下がってしまう。

幸い、日本にはストイコビッチやオシムという旧ユーゴスラビア出身の達人がプレイヤーや監督として仕事をしてくれている。おかげで、旧ユーゴスラビアに対するイメージは一歩進んだ「サッカー先進国」である。その旧ユーゴスラビアの事例に耳を傾け、それから日本との違いを考えるという工程はサッカーを考える上で非常に重要な体験であるように思える。

サンデル氏のように哲学的な内容の書籍ではないので、タイトルに期待しすぎてはいけない。



tags これからの日本サッカーの話をしよう, サッカー選手の育成, ゼムノビッチ, 旧ユーゴスラビア

書評の考え方

僕が実際に読んで気に入った書籍だけを紹介します。気に入る書籍の定義は難しいのですが、例えば以下のような書籍は一生懸命読みます。

  • サッカーにおける複雑系や相互作用を大切にしていること
    「こうすれば勝てる」「こうやって観ればサッカーが分かる」といった簡潔な結論に結びつけようとする内容は好みではありません。読み手に対する分かりやすさは大切ですが、言い切りは本質的な要因から視線を遠ざけてしまいます。
  • 具体的な表現に踏み込んでいること
    抽象論は誰でも語ることができます。例えば「バランスが大事」という表現は否定のしようがないのですが、どのようにバランスを取ればよいかのヒントにはなり得ません。試合中に実際に起こった具体的なプレーを帰納的に扱い、演繹的な抽象論と結びつけているような論調が好みです。
  • 書き手の主張が読み取れること
    有名なプレイヤーや監督の表現を借りてくるだけでなく、書き手本人の主張とその論拠を示してくれていると、仮に僕と意見が異なっていても頭の体操として非常に有用だと感じます。
  • 書籍の使い方が明確であること
    練習の具体的解説、観戦に役立つTips、バラエティ本など、目的が明確な書籍は手にとることがあります。


書評のカテゴリーは随時増やしていくわけなのですが、分類が難しい書籍もあり、僕が「これが一番近いかな」と感じたままにカテゴライズしています。



tags サッカー書籍, サッカー書評, サッカー本

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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