勝負の世界を知り尽くした岡田武史氏と羽生善治氏の至高の対談。
サッカーについて考えを巡らせていると、いつも突き当たる壁がある。それは、サッカーにおいてサイエンスとアートの境目はどこなのか、ということである。
戦術という言葉がある時点で、サッカーにはパターン化された攻め方や守り方というものが存在している。戦術という表現が大局的すぎると感じるようであれば、作戦でもプレーでも何でも構わない。とにかくそこにサイエンスは一定程度存在し、サイエンスをおざなりにしては試合には勝てない。
一方で、パターンばかりに頼っていては「自主性がない」「状況判断が悪い」「ひらめきが足りない」と揶揄される。特に最後のゴール前をこじ開けるアタッキングサードにおけるプレーはどちらかといえばアートの側面が強くなる。
ではその境目はどこにあるのか。その解のない問いに対し、勝負を知り尽くした岡田武史氏と羽生善治氏が本書の中で経験的な回答を示してくれている。
論理と直感の関係について、岡田氏は以下のように語っている。
一定水準まではデータ重視で勝てる。しかし、確率論では勝ち切れないレベルが必ずやってくる。そうして、ほんとうの勝負はじつはそこからだ(P.16より引用)
ひらめきの正体は何ですかという質問を受けるんですが、私のとぼしい語彙ではうまく言語化出来ないんですよ。ピンときた、カンが働いたとしかいいようがないし、カンの中身を問われても説明はむずかしいんです。
ただ、それが天から突然、降ってくるものではないことは確かです。
(中略)
答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ、理屈がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。だから、その正体は意外なくらい構築的なもので、蓄積の中から生み出されてくるという感触がある。助走があって初めて高く跳べるようにね。(P.21-22から引用)
羽生氏もこの内容に完全に同調している。将棋においても、理詰めの先にこそ直感があるとのことだ。
僕は「構築的」という表現を目にしただけで本書を購入した意味があると感じた。サイエンスとアートの境目について、これ以上的確な表現を目にしたことがない。単純な取材として岡田氏のインタビューを収録したわけではなく、羽生氏との対談という形を取ったからこそ引き出せた言葉なのかもしれない。企画をした人に感謝である。
その他、リスクテイク、集中力、メンタル、勝負の美学などに関する2人の考え方や、南アフリカワールドカップにおける裏話も掲載されている。もちろん、将棋についての羽生氏の考え方も素人にも分かりやすく語ってくれている。対談形式であるので読みやすく、さらっと素晴らしい表現が登場するので集中を欠くことなく最後まで一気に読みきれる。
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