2014年2月の記事一覧

いよいよ2014シーズンのJリーグが開幕する。ワールドカップイヤー、久々の超大物フォルラン効果などもあり、サッカークラスターの周辺では一定の盛り上がりを見せている。

さて、2014シーズンといえばいよいよクラブライセンス制度の財務基準による実効支配が始まる年度となる。財務基準をクリアする要点は以下の2点に集約される。

  • 2012年度以降、3期連続で当期純損失(赤字)を計上していないこと
  • 2014年度以降、債務超過に陥らないこと

これを守れないクラブはJリーグクラブライセンスを剥奪される。すなわち、J3やJFLなどへの降格である。

Jリーグは全クラブに決算書の提出を義務付けており、サイトで公開されている(一番下のJクラブ個別経営情報開示資料)。

2013年度の決算は2014年の8月ころに全クラブ分が出揃うので、現時点ではクラブライセンス制度に影響のある年度としては2012年度のものしか存在しない。しかし、2012年度の資料を見るだけでも十分に「危ないクラブ」が見えてくる。そこで本エントリーでは財務基準の2要件に照らし合わせ、「危ないクラブ」とその危険レベルについてまとめておく。

2012年度赤字計上クラブ

まずは要件の1つ目、赤字についてである。2012年度(平成24年度)Jクラブ個別情報開示資料をもとに、赤字を計上したクラブについて赤字額が多い順に並べた表を作成した。

2012年度純損失クラブ一覧.jpg

細かい数値は一切省き、営業収益、営業費用、営業利益、当期純利益(損失)の4項目のみで構成してある。営業利益から特別利益/損失(不動産の売買や役員の退職金など)や税金を加えたものが当期純利益(損失)であり、財務基準で確認されるのはこの当期純利益(損失)がマイナスであるかどうかである(表内黄色セルで作成)。

また、クラブライセンス制度に直接影響はしないものの、前年度である2011年度における純利益(損失)についても掲載してある。

各クラブについてのコメントは後述する。

2012年度債務超過クラブ

次に要件の2つ目、債務超過についてである。債務超過とは、負債の額が資産の額を上回った状態を指し、つまりは保有している資産をすべて売却したとしても負債を解消できないということである。

これについても2012年度(平成24年度)Jクラブ個別情報開示資料をもとに債務超過クラブについて債務の額が多い順に並べた表を作成した。

2012年度債務超過クラブ一覧.jpg

赤いセルのクラブは2012年度決算が赤字且つ債務超過に陥っているクラブであり、財務基準要件を2つともクリアしていない、いわば「警告」クラブである。

この7つの「警告」クラブに加え、2012年度赤字額が膨らんでいる名古屋、福岡を加えたクラブについて個別に状況を確認してみたい。

札幌 危険レベル3 〜 野々村社長の仕掛けが芽を出すか

試合関連経費であるスタジアム使用料が札幌を苦しめている。札幌の試合関連経費は2億5000万円であり、J2クラブ(札幌は2012年度はJ1だったが)の平均は8000万円であることを考えるとやはり高額である。登別が300万円、札幌ドームが800万円という話もあり、これではクラブ経営は苦しくなるだろう。

2013年3月に野々村芳和氏が社長に就任し、いろいろと仕掛けているので期待がないわけではない。

ベトナムの英雄と呼ばれるレ・コン・ビン獲得、それに伴う住友商事メディア事業本部とのスポンサー締結など光も見えた(レ・コン・ビンは退団済み)。このような仕掛けが他にも芽を出せば、3700万円の債務超過の返済の目処も立つと思われる。負債額もそこまで大額ではないので、最後はどうにかして帳尻をあわせてくるだろう。

栃木 危険レベル5 〜 小さな積み重ねでカバーできるか

財務を発表している2007年度から6シーズンで1シーズンしか黒字計上していない。財務を見ても決定的に悪いところがあるというよりは全体的におしなべて良くないといった印象。ただ、だからこそ改善が難しいとも言える。

債務超過額こそ5600万円だが、2012年度の純損失が1億円を超えており、このままでは危ないだろう。2013シーズン途中にこれまで築き上げてきた松田浩監督のセオリー通りの4-4-2から、引いて守ってカウンターを仕掛けるサッカーへと「戦略的撤退」も余儀なくされている。シーズンオフにはパウリーニョら主力も放出した。J1を目指す路線から人件費を抑え、現実を鑑みたクラブ経営に舵を切っているので、この路線でどこまで支出が抑えられるかがポイントになる。

過去に協賛企業への出資のお願いをして資金を引き出しことがあるので、再度そのやり方を使うのは難しい。栃木の選手やスタッフも参加する街での募金活動など小さな活動も始めており、これらの積み重ねでどこまでカバーできるかがポイントになるだろう。

熊本 危険レベル6 〜 資本の注入がないと難しい

熊本も栃木と同じく決定的に悪いところがあるというよりは全体的に足りていないという難しい状況である。年間予算が6億円くらいのクラブが7000万円と10%を超える債務超過を抱えており、数年でリカバリーするのは難しいと言わざるをえない。

2013年度の決算でどこまで債務超過を回復できているのかにもよるが、額によっては大口スポンサーを取り付けないとかなり厳しい状況である。

群馬 危険レベル7 〜 新社長の手腕に期待

2月26日に役員を刷新し、都丸晃(とまるあきら)新社長が発表された。新社長のミッションはクラブの強化もあるだろうが、何よりもまずは財務体質の改善である。都丸社長は記者会見でコストの削減やスポンサーの発掘など改善策を打ち出したが、どれも具体策には欠けておりパンチ力はない。

また、もともとのホームタウンであった草津市からは出資を受けているものの、ホームスタジアムがある前橋市やクラブ名にも冠されている群馬県からは出資が得られていない。

もちろん小さな努力も必要だが、8700万円の負債はそういうレベルでどうにかなるものではない。県や市、民間企業から出資を受けることができるか、そのためにクラブがどのように変わっていくのか、新社長の手腕が問われる。

岐阜 危険レベル0 〜Jトラストの支援による復活

2012年時点では債務超過額がJ2クラブとしては絶望的な額である約2億円にまで膨れ上がり、破綻にもっとも近い存在と言われていた。ところが2013年、Jトラスト株式会社代表取締役社長の藤澤信義氏から企業、個人として出資が発表された。社長個人としてもまず1億5000万円という資金が用意され、今後も無制限に支援していく方針であるという。

これにより監督にラモス瑠偉氏を招聘することに成功し、メディアに露出する機会も増えている。

岐阜はJトラスト、そして藤澤社長に完全に命運を握られているということにはなるが、まずは財務に関して心配することはないだろう。

福岡 危険レベル5 〜 ふくやの心意気を無駄にしてはいけない

2012年時点では債務超過ではなかったが、2013年末にキャッシュフローが足らずこのままでは選手やスタッフへの給与の振込が遅延するという衝撃的なニュースが発表された。時期的にもはや遅延もやむ無し、下手をすればこのまま破綻かとも思われたが、明太子のふくやによる粋な支援のおかげもあり、一時的にはキャッシュは回復したようである。

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筆者が購入したふくやのアビスパ支援明太子セット

しかし、抜本的な改善がなされたわけではない。

福岡は支出の半分が人件費である。収入額はJ2平均より低いのに人件費はJ2平均より高いという事実を受け止め、まずは人件費の削減が求められる。

2013年度の決算を見てみなければ分からないが、2012年度までは債務超過ではなかったので途方もない額の債務があるわけではないだろう。地道に改善すればどうにもならないわけではないと思われる。

名古屋 危険レベル3 〜 人件費の削減と最後のトヨタ頼み

福岡と同様、2012年時点では債務超過ではなかったが2012年度の赤字額が約3億円と巨額なので危ない。営業費用は浦和に続いてJクラブ第2位である。特に人件費が20億円でこれはJクラブトップである。

闘莉王、楢崎、玉田、ケネディなどの高年俸選手を依然として抱えているものの、2013シーズン終了後に増川、阿部、田中隼磨など主力級の選手を放出した。

またバックには天下のトヨタ自動車がついており、もちろんいつまでもスポンサーに頼り続けるわけにはいかないが、当面は足りない分は補填してもらえるだろう。赤字額は大きいが、危険レベルは低いと思われる。

神戸 危険レベル2 〜 J1特需の期待と楽天の支援

神戸は2012年度は3億円の赤字と膨らんでいるように見えるが、実はこれでも年々赤字額が減ってきている。とはいえ毎年度赤字なので累計がかさみ、債務超過が12億円となっている。

しかしあまり悲壮感が漂わないのは、楽天が補填してくれるという安心感があるからだろう。2014シーズンでJ1にあがることで、おそらく単年度決算は黒字にできると考えている。単年度で黒字であればプライマリーバランスとしてはOKなので、クラブライセンス制度をクリアするために楽天は一時的に債務超過を解消するだけの資金援助を間違いなくすることだろう。

他のクラブから考えればうらやましい限りである。

横浜FM 危険レベル9 〜 日産と清濁併せ呑んだ交渉が必要

横浜Fマリノスは日産の追加支援があっても債務超過を解消できると思えないにも書いたように、マリノスは危機的な状況である。

嘉悦社長の取り組み努力は分かるが、2011年度の赤字額5億8000万円、2012年度の赤字額6億3000万円で債務超過額が16億7000万円とどれも群を抜いている。ただでさえ日産から10億円規模の巨額の支援を受けているのだが、帳尻をあわせるためにはおそらく2014年度に25億円程度の支援が必要になる。

日産はかつて経営不振に陥った際にルノーに助けれた経緯があるが、今度はルノーが経営不振に陥っている。当然、昔助けたのだから今度は助けてくれよということになるだろう。そういった状況で、マリノスに25億円もの額を出資することができるのか。相当厳しい交渉が待ち構えていることが間違いない。

まとめ

J1クラブで危ない名古屋、神戸、横浜FMは負債の額もでかいがやはり後ろ盾があるのは心強い。厳しいのは群馬、熊本、福岡のようなクラブということに結局なってしまう。こういったクラブにウルトラCはないので、Jリーグ100年構想に立ち返っていかに地元からの理解を得られるか、この地道な努力の積み重ねしかないだろう。

C大阪、川崎F、湘南などのように、クラブ経営において「強化」と「事業」を分離し、いかに地元に密着したクラブを作っていくのかという理念や経営手腕が問われている。川崎Fのプロモーション部部長である天野春果氏による『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』(筆者のレビュー)では事業の強化についてのヒントが散りばめられていて参考になる。


願わくば、2014シーズン終了後に全てのクラブがクラブライセンス制度を乗り越えていますように。



tags クラブライセンス制度, 債務超過, 横浜Fマリノス


稀代のレジスタ、ピルロの存在意義が記された自伝。

我思う、ゆえに我蹴る。

このタイトルを見て誰しもがデカルトの「我思う故に我あり」を思い浮かべることだろう。

デカルトは、自分を含めた世界が一切虚偽のものであるとしても、そのように考えている自分の意識が存在していることは確かであるのだから、そのように疑っている自分は確実に存在していると『方法序説』の中で説いた。『方法序説』とはそういった哲学的な方法の試みであり、体系的であるというよりも論考が散りばめられている存在であるという。またデカルトは解析幾何学の創始者としても有名で、三次元空間座標系の概念を考察している。(参考:方法序説

ピルロはレジスタ(演出家)、そしてバンディエラ(旗頭)としてフットボールに対してまさに方法的な試みを提供してくれる唯一無二の存在である。自身のことを本書の中でこのように語っている。

僕は、試合の見方が他の選手とは違う。視界が違うのだ。僕の視野は広く、なおかつ瞬間的にすべてを見渡すことができる。普通のミッドフィルダーは前を向き、ストライカーだけを見ているが、僕はストライカーと僕の間にあるスペースを見ることに集中して、パスの出しどころを探る。これは戦術学というよりも幾何学だ。スペースをワイドに見て、簡単に通せるパスコースを探す。コースが閉ざされているときは、こじ開けやすい扉を探す。これができるのは僕だけしかいない。(P.40から引用)

幾何学的な考え方や、自身の専門に対して方法の試み、つまり方法論としての先鞭をつける先導者として、デカルトとピルロには共通点があるように思えてならない。

また、本書そのものも体系的であるというより、オムニバス的にピルロの特徴的な20のエピソードが散りばめられた構成になっている。

こうして整理すると、デカルトをオマージュとした『我思う、ゆえに我蹴る』というタイトルがすっと腹落ちする。

ピルロとフットボールの関係を、デカルトと哲学の関係のアナロジーと捉え、後世に影響を与える存在として語り継いでいく。そのための本書『我思う、ゆえに我蹴る』という位置づけ。そんな野心的な作品である。

3つの観点からのアプローチ

とはいえ、本書には小難しい内容はまったくなく、文体も読みやすく時折登場する小噺にクスッとさせられるようなむしろ親しみやすい一冊といってよい。

沖山ナオミ氏の訳者あとがきには、本書が生まれた経緯をピルロに質問した回答としてこのように記されている。

これまでも書籍出版のオファーは何度かありましたが、自伝を書くにはまだ早いと考え、いつも断っていました。今回はアルチャート(筆者注:本書の共著者のスポーツジャーナリスト)が、『キャリアで経験してきたこと』『面白いエピソード』『自分が考えていること』などを中心にまとめて書籍にしないか、と提案してくれたので、受けることにしました。(P.252-253から引用)


キャリアについて。
印象的だったのは、ピルロはこれまでいくつかのビッグクラブと合意直前まで何度も到達しながら、しかも本人も前向きであったのにチャンスをふいにしてきたということ。

2006年、レアルマドリード。当時マドリーの監督であったカペッロから請われ。
2009年、チェルシー。当時チェルシーの監督であったアンチェロッティから請われ。
2010年、バルセロナ。当時バルサの監督であったグアルディオラから請われ。

すべて本人と接触し、あとはミラン次第というところまでいっていたが、移籍はかなわなかった。マドリーやバルサで活躍するピルロを見てみたかったというのが外野の本音である。


面白エピソードについて。
なかなかの傑作揃い。ガットゥーゾにいたずらをする話はガットゥーゾの狂喜乱舞の顔が思い浮かぶようで微笑ましい。怒ったガットゥーゾに追いかけられたら怖いなんてもんじゃないだろうけど。

他にもインザーギが試合前に大量の大便をする理由や、コンテの頭髪を揶揄した表現など、読者を飽きさせない仕掛けが用意されている。


ピルロの考え。
顕著なのは、レジスタとしてのプライドだろう。バロンドールの1位がメッシ、2位がロナウドだったことに対し、このように語っている。

1位と2位が、またしてもストライカーだったという大ニュースだ。きっと選手個人の賞はフォワードが取るという規則でもあるのだろう。そういえば、クラブの会長たちが、勘違いして"規則"と思い込んでいることがある。彼らは、チームを組み立てる上で一番重要なポジションが、フォワードだと信じ込んでいるのだ。サッカーステッカーで人気がある有名ストライカーを獲得すれば、年間チケットは確かによく売れるだろう。(P.134から引用)

プライドがあるからこそ、自分に対して単年契約が提示されることに怒りを覚える。それだけの価値しかないのか、と。ユベントスに移籍したのも、ユベントスが複数年契約を提示してくれたことが大きいようだ。

そして、「誰にも話したことはなかったのだけど」と前置きした上で、セリエA歴代最多フリーキック得点記録を達成するという目標も披露している。歴代1位は28点のミハイロビッチ。ピルロは2013年11月時点で23得点のようである。果たして目標達成なるか。

ブラジルワールドカップで代表引退、そして今後は

本書にも記されているように、ピルロはブラジルワールドカップで代表のユニフォームを脱ぐ覚悟のようである。

2014年ブラジルワールドカップ終了後、僕は心をロッカールームに残したまま、イタリア代表を引退するつもりだ。しかし、それまでは誰が何といっても代表戦には出場する。もちろん、プランデッリ監督が僕を消臭しなかったら話は別だけど。(P.82から引用)

寂しくなるが、ピルロも35歳。過密スケジュールになるとパフォーマンスに衰えがあるのも否めない。覚悟を決めたブラジルワールドカップ。イタリアはイングランド、ウルグアイと同組と非常に厳しいグループに入った。また、DグループであるイタリアはCグループの日本と決勝トーナメントで対戦する可能性がある。決勝トーナメントに入れば、敗退=代表引退ということになる。もし日本がその引導を渡すことになれば。簡単な道ではないが、日本にそれができない道理もないだろう。すべては前提を疑い、検証することから。方法序説はそう教えてくれる。


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2006年6月26日 ドイツW杯決勝トーナメント1回戦イタリアVSオーストラリア@カイザースラウテルンにて筆者撮影。試合はトッティのPKの得点により1-0でイタリアの勝利。ピルロは長短のパスを織り交ぜて勝利に貢献、その後イタリアはW杯優勝を果たした。



tags アズーリ, イタリア, デカルト, ピルロ, 我思う、ゆえに我蹴る, 方法序説, 沖山ナオミ


ペップ・バイエルンのメカニズムに識者が迫る。

2013−14シーズンに3冠を達成し、14−15シーズンにはペップ・グアルディオラを監督に迎えたバイエルン。目下のところブンデスリーガでは負けなし、チャンピオンズリーグも順当に勝ち上がり、バルサに代わって欧州最強の名をほしいままにしている。

ペップ就任当初は、バイエルンにバルサのサッカーを持ち込むことが可能なのかという意見もあったが、シーズンの折り返しを迎えた今ではバルサのサッカーどころかさらに進化した姿を見せているという意見が大勢である。

では、ペップ・バイエルンのメカニズムとはどのようなものなのか。そこに切り込んだのが本誌である。

ポイントはサイドバックの動き

本誌の中で西部謙司氏はサイドバックの動きについてこのように語っている。

左サイドバックのダビド・アラバは通常のサイドバックとは上がり方が違う。タッチライン際を上がることもあるが、もっと中央寄りの高いポジションをとることが多い。バルセロナのサイドバックは、アラバのような上がり方はしていなかった。(P.24から引用)
右サイドバックがラームのときは、アラバと同じ役割ができる。しかし、ラフィーニャのときはできない。ラフィーニャは従来と同様にタッチライン際を上がっていく。(P.26から引用)

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清水英斗氏は、右サイドのラフィーニャも中に入ってきていると語る。

最も特徴的な変化が訪れたのは、サイドバックの仕事だろう。ウイングのフランク・リベリーやアリエン・ロッベン、トーマス・ミュラーらがタッチライン際にスタートポジションを取ったとき、サイドバックのラフィーニャとダビド・アラバは、彼らウイングの真後ろではなく、斜め後ろ、つまり中央寄りにポジションを取る。ボランチやインサイドハーフに近いポジショニングだ。
(中略)
つまり、中盤に人を足すためのオーガナイズは、バルセロナでは中央のセンターフォワードの縦スライド、バイエルンではサイドプレーヤーの横スライドという相違点が発生している。バルセロナのメッシが『偽の9番』ならば、バイエルンにおけるラフィーニャやアラバは『偽の2番』『偽の5番』と呼ぶことができるかもしれない。(P.44から引用)

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筆者がバイエルンの試合を見た限りでは、アラバもラフィーニャも中に入ることもあれば縦に動くこともあり、使い分けているように感じた。ただ、いずれにせよこの動きはバイエルンならではのものと言える。

なぜサイドバックを中にスライドさせるのか

その回答として2つが挙げられる。

1.時間とスペースを生み出す

まず、現代サッカーにおいてはとにかく時間とスペースがない。そのために、局所的に数的優位を作り出して時間を作ったり、これまでスペースと考えられていなかったような狭いスペースすら有効に活用しようとしたりする戦術が用いられるケースが多い。

局所的な優位性をもたらすためには、全体的な均衡を意識しながらもポジションをずらしたりチェンジしたりする必要がある。しかしこのやり方は最近ではメジャーになってきており、あらかじめ対策が立てられてしまうケースが発生している。特に偽の9番は、2ライン間を狭めたりCBの動きに自由度を持たせたりすることで封じられてしまうことも目立つようになってきた(メッシの場合は、メッシだからできる個人技で蹴散らすことが可能)。

であれば、これまでどこのクラブも実施してきていないようなやり方で局所的な優位性をもたらす必要がある。そこで生まれたのが、サイドバックの斜め横方向へのスライドということである。

憎いことにバイエルンでは、この斜め横方向へのスライドをずっとやり続けるわけではなく、試合の中で縦方向へのスライドも含め使い分けている。試合の流れやコンビを組む味方選手の特長に応じてということもあるだろうが、相手に的を絞らせないためという目的も見え隠れする。


2.リベリーとロッベンに良い形でボールを渡す

バイエルンの得点源は、リベリーとロッベンである。もちろんマンジュキッチも多くの得点をあげているが、リベリーやロッベンを経由することが多い。そのため、バイエルンではいかにリベリーとロッベンに良い状態(前を向いた状態)でボールを渡すかがポイントとなる。

そのためにバイエルンでは、局所的優位性を作り出して同サイドのリベリーやロッベンにパスを出す方法と、相手を片方のサイドにおびき寄せた上で逆サイドのワイド方向に一発でサイドチェンジするボールを出す方法の2種類の方法を用いて彼らにフリーでボールを持たせている。

こうすることで、得点の機会が多く創出できることになるのである。

バイエルンの練習風景

ボールを保持することを大事にするペップのサッカーを体現するためにはどのようなトレーニングを実施すべきか。本誌には、バイエルンの練習風景を観察しレポートにまとめたイタリア人のマッシモ・ルッケージ氏(イタリアサッカー協会技術委員)へのインタビュー記事が掲載されている。

ルッケージ氏によれば、驚く事なかれ、バイエルンで行われていたトレーニングは事実上1つだけだったのである。

バルサや現在のバイエルンを知っている方々ならばともかく、そうでない一般のファンであれば半ば信じ難い話なのでしょうが、そのトレーニングは驚くほど"シンプル"です。誤解を恐れずに言えば、それこそ見ている側が拍子抜けするほどの"軽さ"です。具体的なメニューと言えば最初から最後まで"ロンドス"だけなのですから。
(中略)
当然のことながらその"ロンドス"は予め実に良く考えられたものです。より正確を期して言えば、全てのロンドスが常に実戦で起こる現象をトレーニングのピッチに落とし込んだものとなっています、そこに"ムダ"はないわけです。(P.38から引用)

ロンドスといっても、単純な5対2のようなものもあれば、7対7+2フリーマン、4対4+3フリーマンなどバラエティに富んでいる。また、ミニゲーム形式でGKをつけたトレーニングも実施しているので、実際はロンドスだけということはないだろう。しかし実に多くの時間がロンドスに割かれていることも事実である。

また、このロンドスが恐ろしいまでに高速で行われているとのこと。高いレベルのインテンシティが求められているようである。

ロンドス中心にトレーニングを組む目的としてルッケージ氏は7つ挙げている。

  1. ポジショニング精度、およびマークを外す動き(ズマルカメント)の向上
  2. トラップ技術、ボールキープ力(術)の向上
  3. 見方の位置を把握する能力、ボールコントロールのスキル向上(原文ママ)
  4. パスの精度向上
  5. (守備のための)ポジショニング精度
  6. インターセプト、および1対1のスキル
  7. ボールを奪ってからのプレー(切り替え)の速さ

1〜4がポゼッション時、5〜7がトランジション時をイメージしている。ペップのロンドスは実戦形式というだけあって、ゲームで起こる要素が全て組み込まれているようである。

ただし、ロンドスを真似すればバルサやバイエルンのようなポゼッションが実現できるわけではない。このロンドスの練習の前にプレーモデルを叩き込んでいるという前提あってこその、ロンドスである。そのプレーモデルについてのトレーニングは本誌に書かれていないので注意が必要だ。

監督から本音を引き出すことは難しい

その他のコンテンツとして、PSG監督のローラン・ブラン、アトレティコ・マドリー監督のディエゴ・シメオネ、ユベントス監督のアントニオ・コンテのロングインタビューも掲載されている。

編集後記に記載されているが、編集長の植田氏によれば、企画段階ではコンテとシメオネにバイエルン対策を語ってもらい、それを特集のメインディッシュにする予定だったとのこと。しかし現役監督だけになかなか不確実なことや他クラブのことには口が堅く、特集を変更する羽目になったらしい。

しかしバイエルン対策ではないものの、3氏のインタビュー自体はとても読み応えのあるものとなっている。

ちょうどシーズン半ばに差し掛かり、バイエルンについて知りたい方や、好調クラブの監督の哲学が知りたいという方に持ってこいの一冊。



tags グアルディオラ, バイエルン, バルサ, バルセロナ, ペップ, 欧州サッカー批評


自主性を最大限に開放する創発型アプローチの提言。

育成年代の部活やクラブにおけるミッションとは何なのか。根本的な問いであるが、普段目の前のトレーニングや試合に没頭していると忘れがちになってしまう。ここがブレると目標設定などもブレてしまうので、しっかりと設定しておくべきである。

果たして、試合に勝つことや大会で優勝することがミッションなのだろうか。

もちろん、そういったミッションもありだろう。一方で、育成年代でサッカーをしている少年、青年の99%以上はプロ選手を目指すわけではない。育成年代におけるサッカーを社会に出て一人の社会人として活躍していくための教育の一環と捉えるのであれば、必ずしも勝つことだけがミッションというわけではなくなってくるだろう。

社会に出て求められる能力とは、いわば自ら問題解決をする能力である。
そのために、

  • 問題を発見し
  • (原因分析から)有効な打ち手を考え
  • 粘り強く打ち手を実行し
  • 必要に応じて周りを巻き込む

ことを「自ら」実施できる行動が求められる。

では、部活やクラブにおけるサッカーを通じてこれらの能力、特に「自ら」の部分を指す自主性を涵養することができるのか。

その問いに対する回答として「ボトムアップ理論」を紹介しているのが本書である。

ボトムアップ理論とは何か

ボトムアップ理論の説明については拙ブログを参照してほしい。
ボトムアップ理論はプレイヤーズ・ファーストを具現化する新しい指導の形

拙ブログから冒頭の説明を引用しておく。

ボトムアップ理論とは、畑喜美夫氏が提唱した、プレイヤーが主導してチーム運営を行う指導方法である。プレイヤーは練習メニューから公式戦に出場するメンバー、戦術、選手交代などをすべて自ら決定していく。指導者は必要に応じて問題提起などを対話を通じて行いながら、プレイヤーの可能性を引き出すファシリテーターとして機能する。

本書の著者である畑氏によるDVD教材も販売されている。2巻組で、1巻目が理論的背景などの紹介、2巻目が畑氏と他2名の座談会となっている。

なぜ今ボトムアップなのか

ボトムアップ理論は決してサッカー以外の能力を育成するためだけに導入するわけではない。畑氏は前任の広島観音高校サッカー部の監督として、ボトムアップ理論を用いて2006年に高校総体で優勝を成し遂げている。

ボトムアップ理論を推奨する理由として、畑氏はこのように語る。

近年、指導者の大半がテクニックや技術論、戦術論にばかり目がいって、チーム指導のベースとなる組織論についておざなりにされている方が多いと思います。インターネットで検索すれば、バルセロナやマンチェスター・ユナイテッドの技術指導の情報は、簡単に手に入れることができます。世界中の強豪チームの指導方法も知ることができます。

でも、その通りに指導したら、どこでもバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドのようなチームになれたら苦労はありません。全国の指導者はもう頭打ちの状況で、何か打開策はないか悩まれているんだと思います。

ですから、話題のテクニックや技術論、また戦術論に飛びつきがちですが、大切な指導目的や哲学、組織論について、いま一度、見直しが必要ではないかと思います。(P.130-131から引用)

サッカーは自主的に判断する場面の連続である。1回1回のプレーが途切れ、監督の指示が重要になる野球やアメリカンフットボールとは根本的に特性が異なっている。であれば、自主性を育むように環境面からサポートすることが大切になることは自明である。

一方、サッカーという競技として、指導はトップダウンがよいのか、またはボトムアップがよいのか考えてみると、まず、競技の特性として、選手が状況に応じて判断をする場面の連続ですよね。

しかも、瞬時の判断が要求されます。

ベンチの監督から「右に行け!」「逆サイドに廻せ」なんてコーチングの声が聞こえてから、動いていたら、相手の選手にインターセプトされたなんて、よくある光景です。どう考えても、ピッチの選手が判断する方が、スピーディにスムースに展開されてくると思います。(P.147から引用)

ボトムアップ理論を導入することで、社会で必要とされる能力を涵養できるばかりでなく、試合に勝つために必要な能力も育成できるのである。

教えないことが良いことではない

ボトムアップ理論の上辺だけを取り上げると「指導しないことが良い」と捉えられかねない。それは間違いであるので注意が必要である。指導しないことが目的ではなく、プレイヤーが自主的に判断することを支援することが目的である。最初から自主的に判断することは難しいので、寄り添うようにファシリテーターとして機能することが求められる。

村松尚登氏はこの辺りの考え方について、小澤一郎氏との共著『日本はバルサを超えられるか』(筆者のレビュー)の中で次のように語っている。

まったく教えないというのは指導放棄になってしまいます。単に放置するだけでは基本の習得すらままならず、子どもの遊びの延長になってしまう危険性もある。そのためにも選手が自らトレーニングをオーガナイズできるためのノウハウの提供は必要で、もしかすると自分たちでトレーニングを組み立てる選手たちを対象とした「指導者選手講習会」の需要が出てくるかもしれません。

(中略)

私が今春まで指導していたバルサスクールでは、誤解を招くかもしれませんが「教えすぎている」と言っていい状態です。ただしそれは、ゲーム形式の練習を通じて、判断材料を与え、教育するという感じの詰め込みで、一般的なつめ込み指導とは異なると自負しています。(P.66-67から引用)

教えることと教えないことの均衡については拙ブログに考え方をまとめたので参考にしてほしい。
教えずに気づくのを待つのか、教えて気づきに足場をかけてあげるのか

もっと多くの人に知ってもらいたい

全ての部活やクラブでボトムアップ理論を、とは考えていない。トップダウンがダメとは僕は思っていないし、とても大切なアプローチだと思っている。

よくないのは、トップダウンや「やるべき」という外発的なアプローチが全てだと考えてしまうこと。選択肢を用意した上で、ミッションに照らしあわせてボトムダウンや「やりたい」という内発的なアプローチも考えていくことが重要である。

ただし、どちらのアプローチも中途半端な使い分けは難しく、どちらかを選択したら基本的にはその世界観で運用していくことで初めて効果を発揮する。しっかりと世界観を理解した上で適用できるように、プレイヤーよりも指導者がまず学びを自主的に実践することが重要であることにも気づかせてくれる一冊である。



tags ボトムアップ理論, 村松尚登, 畑喜美夫, 自主性


ペップとバルサの真のストーリーを紡ぎだす556ページの超大作。

在籍した4シーズンで14個のタイトルを獲得したペップ・グアルディオラ率いるバルセロナ。サッカー史上最強クラブとの呼び声も高く、また同時に「クラブ以上の存在」というクラブの理念は世界中から賞賛されている。

バルサが他のクラブと一線を画すのは、大別して2つの理由によるものだと考えられる。

1つ目は、内容と結果を両方追い求めるということをチャンピオンズリーグのような世界トップレベルの舞台においても体現したことである。

バルセロナのサッカーについては、本書においてビクトル・バルデスが的確な表現をしている。

まずは自分たちがボールを持たなければならない。そうすれば相手はダメージを受けるし、こちらはすべてをコントロールすることができる。次に大事なのは、中途半端なポジション取りをして、ボールを失わないようにすること。そういう展開になると、危険な状況が生まれるからね。それでもボールが奪われたとしたら、それは相手に力があるからであって、自分たちのミスじゃない。3つ目は敵陣でプレッシャーをかけること。僕たちは激しくボールに食らいつかなければならない。この方法はライカールトの時もやっていたけど、ペップはもっと重視した。(P.189から引用)

一般的にサッカーの得点は、カウンターによる数本のパスから生まれるもの、セットプレー、相手のミス、で8割くらいになると言われている。逆に言えば、キレイにパスをつないで結果生まれるのは2割程度しかない。バルセロナは2割しかない「キレイにつないで崩して得点する」サッカーを体現しながら脅威の勝率(4シーズン通算で7割以上)をマークした点で特異といえる。


2つ目は、価値観の共有という観点で究極までクラブに対するエンゲージメントを高めていることである。

拙ブログからの引用だが、エンゲージメントには「交換」と「統合」の2種類が存在する。

エンゲージメントは人材開発や組織開発においてもトレンドなのでこれからサッカー界でも重要視されるキーワードである。 サッカー選手も労働者である以上、働きたい場所の選択は本来自由のはずである。それをルールで阻止するのは間違っており、チームに留めたいのであれば違う方法を考えるしかない。このやり方には「交換」と「統合」の2種類しかないことが経営学的な通説となっている。「交換」とはチームへの忠誠(エンゲージメント)を金銭や福利厚生など何らかの報酬と交換する方法であり、「統合」とはチームとしての理念や方向性、哲学を労働者(選手)と文字通り統合し、ベクトルをあわせることで金銭を超えたエンゲージメントを共有する方法である。([書評] サッカー選手の正しい売り方から引用)

バルセロナは先にも述べたプレーモデルで世界観を作り出し、カンテラからの生え抜き選手を筆頭にその哲学に共感できる選手で構成されているクラブである。これを実現できているクラブは少なく、ここでも稀有な存在であるといえる。


以上2点の特異性は、ペップという1人の名将に属するものではなく、バルサというクラブが包含しているものである。クライフが青写真が持ち込み、ファン・ハールがメソッドとシステムを進化させたものとも言える。

ではペップはバルサというクラブに何をもたらしたのか。

ペップがもたらしたもの、それはバルサの哲学の完成形を示したことである。

内容の充実と結果を同時に実現し、選手やソシオはもちろん、世界中の人々から賞賛されるクラブ。誰もが憧れるユートピアに限りなく近づいたといって差し支えないだろう。


ペップはいかにしてバルサというクラブを完成形に近づけたのか。そして誰もが気になっている退任の理由とは何か。幼少期から選手時代を経てバルサの監督に、そして退任からバイエルンとの邂逅。それらの一連のストーリーについて、ペップという1人の人間の実像を捉えながら余すところなく語り尽くしているのが本書である。

以下に、いくつか印象に残ったストーリーを紹介する。

バルセロナBの監督就任から始まった成功への下準備

ペップが監督に就任した際に、それまでスター扱いされていたロナウジーニョとデコを放出したことは有名な話である。クラブの方針に従わない選手はスターであれ例外措置は取らないという強烈なメッセージであると同時に、ペップの考え方を周囲に示すのに有効な一手であった。

実はこの放出には伏線がある。

ペップはバルサの監督就任の前年、バルセロナBの監督に就任している。そこで、自身のセオリーの正しさを1年かけて現場で確認しているのである。

グアルディオラは、自分自身と自分の考えを下のカテゴリーで試してみたいという気持ちを持っていた。目的の一つは、自分のセオリーの正しさを確認すること。
(中略)
トップチームを率いることになった場合に直面するであろう問題の解決方法を、試行錯誤して見つけていく。ペップにとってBチームは、そのための格好の機会を提供していた。しかも、スポットライトやメディアの注目を浴びずに様々な方法論を試すことができた。(P.143から引用)

その中でも特に重要であった経験は、リーダー的な存在である問題児の取り扱いについてクライフからのアドバイスをもとに「切った」ことである。

「チームの中に2人、僕がコントロールできる自信のない選手がいるんです。僕の言うことを聞かないし、そのせいで他の選手も同じような態度を取るようになってしまう。問題は、この2人がリーダー的な存在であり、実力的にもトップクラスだということです。彼らがいなければ、きっと試合には負けてしまいます」
クライフの返事は簡潔だった。「2人を外せば良い。1試合か2試合は負けるかもしれないが、いずれチームは勝ち始める。その頃には、2人のろくでなしをチームから追い出せるさ」
ペップはクライフの指示に従って2人を外し、選手たちに監督としての威厳を見せつけた。この決断は他の選手たちへの警鐘でもあった。事実、チームの動きはよくなり、やがて試合でも勝ち始めるようになった。(P.145から引用)

この考え方はペップの基準となり、ロナウジーニョやデコだけでなく、エトー、イブラヒモビッチらの放出にも大きな影響を与えることとなる。

ペップに切り離された選手たち

エトーはペップが監督に就任した際、ロナウジーニョらとともに放出の候補であった。しかしエトーが改心したような素振りを見せたため、一転残留することとなる。シーズン当初はペップのやり方に従おうとしていたが、エトーはやはりセンターフォワードではなくワイドなポジションで使用されることに我慢がならなかった。この点に関してペップは自分のやり方を貫き通している。

グアルディオラの中にはオンとオフのスイッチがある。自分と同じ波長を持つ選手はとことん大事にするが、相手が心のスイッチをオフにし、人間関係の魔法が消えた時には、非常に冷徹な人間としての一面が顔を出す。自分の意見に賛成できないのなら、君はここにいるべきではないとも告げる。エトオに対するペップの気持ちは切れた。同じことは、やがて他の何人かの選手に起きることになる。(P.320から引用)

この「他の何人かの選手」の筆頭がズラタン・イブラヒモビッチである。イブラヒモビッチはエトーとの交換トレードの形でバルサに加入した。しかし、ロナウジーニョやエトーがバルサに合わないのであれば、どう考えてもイブラヒモビッチはバルサという枠に収まる選手ではないだろう。

イブラヒモビッチに関するエピソードは、『I AM ZLATAN』(筆者のレビュー)と併せて読むと非常に興味深い。

イブラヒモビッチは自伝の中で「意見は聞くが、俺流も貫き通す」という哲学を披露しており、この哲学はとてもではないがバルサやペップと相容れるものではない。イブラヒモビッチが悪でペップが善というわけではないが、両者は完全に対照的な存在であり、1シーズンでバルサを離れたのはむしろ賢明であったといえる。


ペップはこのような自身の哲学による世界観の中でバルサという怪物チームを率いていく。

そしてこの哲学こそがバルサ最強の秘密であると同時に、ペップがバルサを去っていく要因にもなっていくのである。

エントロピーの増大がもたらした精神の限界

世界観の構築はバルサの強力な生態系の構築でもある。生態系は世界が閉じているからこそ成り立つものであり、何らかの理由で世界が閉じられなくなったとき、崩壊が始まる。

ペップがバルセロナに就任した当初、その後に中心選手となって活躍していくカンテラ出身の選手たちはまだ「前途有望な若手」という位置づけであった。しかし4シーズンに渡り無類の強さで多くのタイトルを獲得したことで、かつての若手は世界トップレベルの選手として崇められる存在になっていく。

トップレベルになれば、何もかもチームの方針に従うことに無理が生じ始める。そうして、秩序だっていた世界観は、やがて無秩序の度合いが増していくこととなる。

これは物理の世界における法則でもあり、閉じた系においてはエントロピー(無秩序の度合い)は必ず増大するのである。

特に諸刃の剣であったのがメッシである。バルサの攻撃の象徴であり、偽の9番の成功のキーマンである唯一無二の存在。メッシの発言は日に日にクラブにおける重要な位置づけを占めるようになり、やがてクラブはネイマールの獲得においてもメッシにお伺いを立てたほどになっていく。

閉じた系では押さえ込めるエネルギー量に限界があり、ペップはここに頭を悩ませていた。辞任会見で述べた「監督を続けていたら互いに傷つけ合ってしまうことになる」という発言は、メッシを指していると著者のグイレム氏は言う。

こうして、クラブの哲学を徹底的に追求することで実現したペップのストーリーは、哲学の完璧さ故にエントロピーを放出できず、ストーリーの終わりを迎えることとなる。

他にも注目のエピソードが満載

ペップの世界観を外部から破壊しようとしたのがモウリーニョである。モウリーニョとの戦いは多くのページを割かれ描かれている。

モウリーニョは、傑出した選手が独自のサッカー観を体現するバルセロナを打ち破るべく、秘策をすでに練っていた。目標は相手を根幹から揺るがし、特権的な立場から引きずり下ろすこと。(P.384から引用)

また、バルサがペップではなくモウリーニョを監督に据えようとしていたエピソードも興味深い。結果的にペップを監督にしてバルサは成功したが、あそこでモウリーニョが監督になっていたら時代はどうなっていたか。2人の名将のストーリーは現在もバイエルンとチェルシーの監督として続いていて、今後も見逃せない。

他にもカンテラ出身選手との師弟関係、ファーガソンとのやり取り、充電期間を経てバイエルンへの監督就任の流れなど、読者が知りたいと思っている一連のエピソードがすべて盛り込まれている。そして、やがてペップはバルセロナの要職についていくだろうという匂いも感じ取れて、それだけでまたワクワクするではないか。


ここまで内容が濃密な伝記も珍しい。556ページと非常に分厚いが、冗長と感じられる箇所はなく、惹きこまれるように読める。バルサファンならずとも、ぜひとも手に取ってほしい一冊。



tags イブラヒモビッチ, エンゲージメント, エントロピー, カンテラ, クライフ, グアルディオラ, バルサ, バルセロナ, ペップ, メッシ, モウリーニョ, ロナウジーニョ


攻撃の3大テーマをもとに104のトレーニングメニューを図解入りで紹介。

サッカーのプレーが「認知」「判断」「実行」という連続性を持った3つの局面で構成されていることは共通の認識として差し支えないだろう。そしてプレーを支える「フィジカル」「メンタル」を加えた5つがトレーニング領域として存在する。

クラブやチームとしてサッカーをする場合には、「判断」の部分にチームフィロソフィやプレーモデルを導入することが重要視されている。簡単に言えばチームの決まり事のようなものであり、戦術と言い換えることもできる。フィロソフィやプレーモデルがなければ判断の基準がないので、チームの良さを最大限発揮することは難しい。

一方で、それを理解した上でもっと大局的にサッカーを捉えた場合、攻撃シーンはフィロソフィやプレーモデルに関係なく自ずと2つに大別される。カウンター攻撃を仕掛けるか、ポジション攻撃を仕掛けるか、である。

そこで、大別した2つの攻撃手法であるカウンター攻撃、ポジション攻撃に加え、フィニッシュとして大切なシュートを3大テーマとして、それぞれのトレーニングメニューを図解入りで紹介しているのが本書である。どのようなプレーモデルを選択したとしてもカウンター攻撃かポジション攻撃を仕掛けることになるので、本書のトレーニングメニューによってサッカーをするのに一般的に必要な動きを体得できる。

フィロソフィに縛り付けない指導の重要性

本書の日本版監修者であるゲルト・エンゲルス氏は「私見ですが」と断った上で、育成年代ではフィロソフィに縛り付けない指導を心がけることが重要であると説いている。

16歳までは選手を指導者のフィロソフィー(哲学)にしばりつけるのは避けるべきで、まずは選手が多くのオプションを持てるように指導し、そしてそのオプションを試合中にフレキシブルに応用できるように育てるべきです。選手が学んだオプションを試合で有効に使うためには、一瞬の状況判断のスピードをあげられるような実戦的なトレーニングが必要です。選手たちが状況に応じてフレキシブルに対応し、選手自らが応用できるようになることが重要なのです。(P.7から引用)

このように考えるのは、ユース年代の「ポゼッション志向」にある種の危険を感じているからとエンゲルス氏はいう。

日本のとくにユース年代のサッカーを見ていると、プレーレベルが高いチームほどポゼッションを重視する傾向が見て取れます。しかしボールキープのスキルだけを磨いていると、自身よりもハイレベルな相手と対峙してボールキープできなかったとき、困難に直面してしまうのです。その際、ユース年代からカウンター攻撃などの戦術を身に付けておけば柔軟に対応できます。またカウンターに限らず、手数をかけずにゴールへ向かう思想が根底にあれば、物事をシンプルに考えることもできるのです。(P.6-7から引用)

これはまさに日本代表が直面している問題でもある。アジアでは圧倒的なポゼッションでゲームを支配できるが、世界では必ずしも日本がゲームを支配できるわけではない。そうした場合にどのように対処していくのかは未だに日本として意識が定まっていないと感じられる大きな岐路である。2006ドイツW杯では対アジアと同じ戦い方を指向して1次リーグ敗退、2010南アW杯では直前に守備的な戦い方を指向してベスト16。2014ブラジルW杯はこのままいけば対アジアと同じ戦い方を指向していくだろうが、結果は果たして、である。

ちなみに本書では「ポジション攻撃」と「ポゼッション攻撃」は明確に定義を分けて使われている。

ポジション攻撃とは、チーム全体としてのポジションは守りつつ、局所ではポジションチェンジを繰り返しながら相手のポジションに穴を作り出し、そこを突いていくことを意味している。

一方でポゼッション攻撃とは、一般的にボールキープに主眼を置いた手法で、どちらかというとフィロソフィに関連したものである。

『バルセロナの哲学はフットボールの真理である』(筆者のレビュー)でもポジションという言葉を意図して使用している。監修者の村松尚登氏はまえがきでこのように語っている。

タイトルを直訳すると「FCバルセロナのポジションプレー」となります。「posicion」は日本語でいうところの「ポジション」を意味しますが、「El juego de posicion」は本書内でも頻出する言葉で、バルセロナのサッカーの根幹でもあります。相当する日本語は、今の日本サッカーには存在しないですし、「ポジションプレー」とそのまま訳してはオスカル氏が意図するニュアンスは伝わらないでしょう。
(中略)
これで、「El juego de posición」が、ボールをキープ(ポゼッション)するためにパスコースを複数作り続ける際に、一人ひとりのポジション取りがある程度決まっており、その中でお互いのプレーゾーンを尊重し合いながら動く、というニュアンスが伝わってくるかと思います。(P.9-10から引用)

トレーニングメニューの構成

カウンター攻撃もポジション攻撃も、まずは簡単なものから実施して徐々に難しくなっていくように構成されている。

カウンター攻撃では、まずは1対0(相手はGKのみ)から始まり、徐々に2対1+1(守備者が1人後ろから追いかけてくるのでもたもたしているとカウンターが成り立たない)、2+1対1+1といったようにゲームに近づく構成にし、最後の方は6対6といった流れの中からのカウンター攻撃を意識させるようにできている。守備で数的有意を作り出して相手からボール奪取し、即座に逆サイドに展開して仕掛ける攻撃などもあり、実際のゲームでも十分通用する内容である。

ポジション攻撃では、まずはポジションを守る(ポジションチェンジしても良いが誰かは必ず適正なポジションにつく)ことを意識させるメニューが多い。各自が移動できるゾーンが決まっていたり、深く広いポジションを取ることが求められたりする。その上で相手のポジションに穴を作り出すことが意識できる内容となっている。

ただし、すべて動きが決まっているトレーニングというよりはプレイヤーの「判断」を重要視するメニューになっており、型にはめるというものではない。型ではなく、自主性を育むために必要なヒントが各メニューに用意されているので、それを参考にすることができる。

判断ができるプレイヤーに成長するために

エンゲルス氏はテクニック(実行)の使い方についてこのように語っている。

日本とドイツの両国でサッカーの指導経験がある私の主観としては、日本とドイツはサッカーの指導方法が似ていると感じます。しかし現状では「テクニックの使い方」は日本よりもドイツの選手のほうが優れているように思います。この場面では素早くトラップして次の動作に移行するとか、この場面ではボールをキープするのではなく潔くクリアすべきであるという選択、またはゴール前で躊躇なくシュートを放つなどの判断力です。(P.8から引用)

本書が刊行されたのは2009年だが、2014年になってもまだ同じことが言われ続けている。タイトルがまさにこの事実を表現している『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人』(筆者のレビュー)にはこのような記述がある。

「サッカーの基本とは?」ということを考えた場合、サッカーの基本は決してテクニックではなく"駆け引き"や"賢さ"だという価値観がスペインには存在します。小学校低学年の試合でも、選手もコーチも保護者も全員が選手たちに"駆け引き"や"賢さ"を要求します。ここでいう"賢さ"とは、刻一刻と変化する試合の中で的確にかつ迅速に状況判断を下し続ける"知的能力"のことを指しています。(P.74から引用)

選手が変わるにはまずは指導者から。実行(テクニック)部分ももちろんだが、認知や判断の部分のトレーニングが早期から提供されるような土壌になっていくように、本書のような書籍が少しでも広まってくれたらと思う。



tags カウンター攻撃, トレーニングメニュー, ドイツ流攻撃サッカーで点を取る方法, ポジション攻撃, 認知、判断、実行

さて、アニュアルな記事をアップデートしておく。

昨年の記事はこちらをどうぞ。
Jリーグにおけるシーズン途中の監督交代に効果はあるのか、過去20年間のデータ検証

ウンチクは昨年の記事に任せるとして、このアニュアルな記事でやりたいことは、シーズン途中に監督交代をして果たして勝ち点は積み上がるのだろうかという定量的な分析である。

2013シーズンにはジュビロ磐田、ロアッソ熊本、大宮アルディージャ、ガイナーレ鳥取、FC岐阜、栃木SCでシーズン途中の監督交代があった(漏れていたら教えてください)。これで1993年からの20年間で統計に使えるデータは40件。この40件を使って単純平均の比較と単回帰分析を実施した結果は以下のとおり。

シーズン途中の監督交代の効果はあるのか [単純平均の比較]

解任前の5試合と10試合、新監督就任後の5試合、10試合、15試合経過後の平均獲得勝ち点を計算したのが以下の表である。

2014point_before_after.jpg

単純平均としては、監督交代後に勝ち点は多く積み上がる結果となっている。安定して残留できるラインを勝ち点40とすれば、1試合あたり1.18ポイントは獲得しなくてはならない。1.18ポイントをひとつのラインとして考えれば、監督交代前は1試合あたり約1ポイントであるのに対し交代後は1.3〜1.4ポイントなので、昨年に引き続き監督交代の効果があると見てよいだろう。

シーズン途中の監督交代の効果はあるのか [単回帰分析]

さて、次に解任前10試合(past10)と新監督就任後の10試合(after10)の勝ち点で単回帰分析を実施してみる。

結論からいえば、昨年のデータと同様に有意水準5%で「監督交代に効果がある」という結果が得られた。

2014jdata10_10abline.jpg

回帰式によれば、新監督就任後10試合の勝ち点は以下のように求めることができる。

新監督就任後10試合の勝ち点 = 0.5731 × 解任前10試合の勝ち点 + 6.4161

この回帰式に当てはめれば、監督解任前10試合で勝ち点10だったクラブは、新監督就任後は12.1を積み上げることができることを示している。つまり1試合あたり1ポイントという残留ラインを下回るペースであったクラブが、交代後は1試合あたり1.21ポイント(34試合で41ポイントの計算)となり、残留ラインは超える計算になる。

勝ち点が増す理由は様々あるだろうが、監督交代をしているクラブはたいてい過去10試合の勝ち点が10程度とかなりの低迷に陥っており、戦術面もさることながら、特に信頼面、自信の面で問題が発生していると考えられる。監督交代という劇薬により気持ちの面でもリフレッシュでき、せめて10試合で13、つまり3勝4分け3敗(これでも低いが・・)くらいには到達できるということなのだろう。そのシーズンを乗り切るという意味においては効果があると言ってよさそうである。

2013データの特徴

大宮と鳥取と栃木の結果が顕著である。

大宮は解任前10試合で勝ち点10だったのに比べ、新監督就任後はなんと勝ち点たったの3である。ベルデニックを解任したのは未だに解せない・・。

鳥取は、小村監督のときも勝ち点は低く10試合で7ポイントだったが、漢・前田浩二監督になってから10試合で3ポイント。大宮と並ぶ低勝ち点である。ちなみに前田浩二監督はアビスパ福岡、ガイナーレ鳥取での監督を通じて26試合連続未勝利中、そして2014シーズンはなでしこリーグで無類の強さを誇っているINAC神戸の監督に就任である。

栃木の松本育夫監督の躍進は予想外だった(失礼!)。ゾーンディフェンスに定評がある松田浩監督が解任前10試合で勝ち点6と低迷したのに対し、松本育夫監督は10試合で23である。松田浩監督は戦術家でシンパも多いが、良いサッカーが必ずしも勝ち点につながるわけではない(パウリーニョの負傷という不運もあった)あたりがサッカーの奥深いところからもしれない。

勝ち点以外にも大事なことはある

クラブのアイデンティティやそこから落とし込まれたプレーモデルを育むことなしに目の前の試合だけを見て監督をコロコロ変えていては、根強いファン獲得のためにはマイナスだろう。名を棄てて実を取るのか。監督に対する考え方はクラブの姿勢が問われているともいえる。

というわけで、来年もこの時期にまた更新する予定。



tags Jリーグ, シーズン途中, 監督交代


ヴェンゲルがアーセナルにもたらしたコード(法典)の真髄に迫る。

ヴェンゲル体制18年目で臨んだ2013-14シーズンでは目下好調のアーセナル。14シーズン連続でUCLベスト16入りも果たすなど一定の勝負強さを披露する一方で、無冠は8シーズン連続にまで及んでいる。

その間、チェルシーやマンチェスター・シティなどいわゆる「金満クラブ」がタイトルを獲得している。この事実は、商業とクラブの成績が正比例の関係にあることを我々に改めて突きつけている。

これらのクラブに対し、アーセナルはどのような哲学で立ち向かっていくのか。

本書の原題にあるタイトルキャッチは"Will it survive the age of the oligarch?"である。oligarchとは寡頭制のことであり、チェルシーやマンチェスター・シティなどの金満オーナーを指している。

これらの金満クラブへのアンチテーゼとしてのヴェンゲルの哲学「ヴェンゲル・コード」について堪能できるのが本書である。

ひとつ、断っておかなければならないのは、本書は生粋のアーセナルファンであるジャーナリストによって書かれているということ。真実に基づいて書いたと著者は言うが、アーセナル贔屓の感は否めない。アーセナルファン、あるいはヴェンゲルファンのための一冊といった位置づけで捉えるのが好ましい(僕もアーセナルのファンです)。

ヴェンゲルの能力とは何か

一言でいえば「カネを遣う能力と価値を引き出す才能」(P.192から引用)に尽きる。

多くのクラブの経営陣はフィナンシャルフェアプレーをにらみ、人件費に多くの費用を割くことができないのが現状である。そんな中で経営陣が監督に求めることは、

  • 少ない予算であっても魅力的なフットボールを展開してスタジアムを満員にできる
  • 少ない予算であっても結果を出してCLに出場することで放映権料を稼ぎ出せる
  • 少ない予算で買った選手を成長させて高く売ることができる

といった無茶な要求である。そんな監督は普通はいないと考えるのが妥当な気がする。

しかし、これに応えられるのがヴェンゲルという稀有な監督なのである。

アーセナルの理事会はエミレイツ建設費用の重荷をずっしりと背負っている(ハイバリーの土地はマンション再開発用に売却された)。だからこそまた、監督を代えることもまず考えられない。この事態にとても対処しきれないだろう。その点、ヴェンゲルは単に買い物を安く抑えることができるだけではなく、天性のタレント発掘養成能力を駆使して、売買取引で利益を得る熟練の達人なのだ。あらゆる観点から、それはヴェンゲル・コードの最も顕著な要素である。(P.142から引用)

実際に売買で利益を得た例をアネルカやプティ、ディアラ、ナスリなどを引き合いに出して示している。なんとバルセロナがアーセナルに支払ってきた総額は1億ポンドを超えるとのこと。

しかしやはりファンはタイトルが欲しいというもの。いくら金満と批判されようと、タイトルを取ればその分の見返りはある。アーセナルの哲学は理解したが、かといってタイトル獲得に死に物狂いで挑戦しなくて良いのか。

これに関しては、アーセナル贔屓の著者からおもしろい(他クラブのファンからは総スカンをくらいそうな)指摘がある。

実はアーセナルは優勝していた!?

アーセナルファンであれば決して忘れることのできない、2010-11シーズンの対ニューカッスル戦で、前半で4-0とリードしながら4-4に追いつかれた試合。

この試合は著者に言わせれば、PKを含むいくつかの大きなレフェリーのミスがあったという。そしてこの試合を筆頭に、アーセナルは実に多くの「判定間違い」の憂き目にあっている、と。

フリージャーナリストのロング氏による分析では、2010-11シーズンのプレミアシップ全試合におけるレフェリーのおかしな判定は、713件。そしてこれらのエラーが根こそぎなかったとしたら、上位4チームについて以下のポイント修正が行われたとのこと。

マンチェスター・ユナイテッド -9
アーセナル +3
チェルシー -5
マンチェスター・シティ -7
(P.62から引用)

ああ、かわいそうなアーセナル(色眼鏡つき)。


また、故障の多さ。アーセナルは最先端の科学的なフィジカルな施設を有しているのにもかかわらず、故障が多い。

例えば、アーセナルが被ってきた故障者の数を物語る図表やカルテの類を他のビッグクラブと比べてみたとき、"柔組織(骨以外の組織)リーグ"では平均値を示している。ところが、こと骨折に限定すると、残念ながらアーセナルはリーグ首位に躍り出てしまう。昨シーズン(筆者注:2011-12シーズン)、平均で一回か二回のところを、アーセナルときたら七回も骨折を経験しているのだから。(P.246から引用)
2011年に発行されたUEFAの調査報告書には、ヨーロッパ・トップ50チームの故障データがアップされている。それによると、それぞれのファーストチーム・メンバーの一人ひとりについて、一シーズン中に二度、何等かの故障を負ったという。言い換えれば、二十五名のチームは平均で50回、災禍を被る計算になる。2002年から2011年の間、アーセナルの平均はシーズン当たり66.2回だった。(P.251-252から引用)

ここでもかわいそうなアーセナル。しかしこれはエデュアルドの件などひどいケースを除けば他責ではないので、だからアーセナルは不利だということにはならない。


最後にPKの数。アーセナルは、PKをもらった数が少ないという。

ガナーズはこのシーズン(筆者注:2011-12シーズン)、一度としてホームでペナルティーを与えられたことがなかった。現に、終わってみれば"ペナルティー・リーグ"全体で最下位近くにランクされていた。つまり、3回のみ。アーセナルより少なかったのは、それぞれ3回のサンダランド、ノリッチ・シティー、QPRだけだった。
レフェリーに最も頻繁にスポットを指さしてもらえたチームはどこか。当てても賞金はもらえない(答えは簡単だ)。マンチェスター・ユナイテッド!11回!(P.300から引用)

映像を見ていないのでなんとも言えないが、まあ確かに少ないといえばその通りか。上述のレフェリーの判定や怪我に比べてPKは直接的に勝敗に影響するだろうから、ファンからすれば何か言いたくなるのも理解できる。特に、マンチェスター・ユナイテッドの多さは・・。ファーガソンがいなくなって少しは平均的になるかもしれない、と言ったら言い過ぎ!?


と、よくもまあこれだけ調べてきたものだと感心する。他のクラブの視点で調べればまた違ったデータも出てきそうだが・・。

それこそがアーセナルの愛らしさでもある

しかし、こういった憂き目にあう悲劇のヒーローであり、金を使い放題のクラブに健気に立ち向かっていく姿こそが愛らしさの要因なのかもしれない。アーセナルやヴェンゲルにシンパを感じている人は、皆「収支を超えた範囲で金を使いまくってタイトルを手に入れるよりも、身の丈にあった経営の中でどれだけ戦えるか」ということにコミットしている人たちである。

さて、そして2013-14。優良経営で余ったマネーを使用して約65億円という大枚をはたいてエジルを獲得。この記事を書いている2014年2月上旬時点では好調をキープしているが、ファン待望のタイトル獲得はなるか。個人的には、非常に期待しているのだけど。

PB250022.JPGのサムネイル画像
2003年11月25日サンシーロにて筆者撮影(CLグループステージ インテル1-5アーセナル)



tags アーセナル, アーセン・ヴェンゲル, フィナンシャルフェアプレー, ヴェンゲル・コード

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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