2013年3月の記事一覧

W杯アジア最終予選のヨルダン戦を観戦するためにヨルダンへ3泊6日の旅へ行ってきた。仲間2人と合計3人でレンタカーを借りて観光プラス日本代表戦の現地観戦。ヨルダン代表VS日本代表の試合観戦記はヨルダン戦 20130326海外アウェー観戦記にまとめたのでそちらへ。こちらではヨルダンを旅行する方のためのTipsをまとめておく。調べ尽くしたわけではなく単なる一旅行者の体験なのであしからず。

通貨はディナールで1ディナールで大体140円くらい(ブログ執筆時)

日本ではあまり両替してくれるところがない。ヨルダンの空港で両替所があるので日本円と両替できる。街ではクレジットカードを使えないところもあるし、宿泊したホテルではクレジットカードなら10%のfeeがかかると言われたりしたので現金があった方が無難かもしれない。

アンマンでは市内にATMがたくさんあり、海外キャッシュカードが使える。僕は新生銀行のキャッシュカード(新生銀行はすべて国際キャッシュカード)を持っていたが、何の問題もなく使えた。海外キャッシュカードは口座から即時引き落としで現地通貨が引き落とせるしATMで操作可能なので旅の途中で現金が足りなくなったらおろすという使い方ができる。

国内の移動はタクシーが便利

タクシーの台数がとてつもなく多いのでタクシー移動が基本となる。アンマン市内の流しのタクシーはメーター制で、市内の移動なら高くても5ディナールくらいにはおさまる。ただし、乗ったときにメーターで支払う旨の確認をしておかないとボラれる可能性もある。

空港にいるタクシーは主な観光地には概ね定額制になっている。アンマンまでなら約20ディナール、ペトラまでなら70ディナールくらい。空港内に運賃料の看板があるので確認しておけばボラれる心配はない。

アンマン市内で泊まったホテルから代表戦があったキングアブドラスタジアムまで車で30分くらいの距離。行きはホテルの人にお願いしたので交渉で10ディナールとなった。帰りは流しを停めて、市内の繁華街まで(ホテルよりは近い)4ディナール程度。

レンタカーには国際免許証と度胸とテクニックが必要

僕らは今回の旅ではレンタカーを借りて自分たちの運転で移動した。空港で借りるまでは予約しておけば問題はないが、ナビはないと言われた。借りたときにはガソリンがEmptyで、5分くらいいけばスタンドあるから大丈夫、という適当な感じで貸し出された。その割に、返したときには傷を入念にチェックしていたのでその辺りは抜かりなさそうだ。

アンマン市内の運転はとにかく荒いドライバーが多い。3車線で横に5台並ぶ、横入り、ウインカー出さない、クラクションなどは日常。交差点はラウンドアバウトが多いが、躊躇しているとまったく入れてくれない。強引に入るしかない。ある程度運転に慣れた人でなければ運転は避けたほうが無難かもしれない。

また、アンマンから離れれば悪路も多い。実際に僕らは山道で一度パンクし、通りすがりのヨルダン人に助けられた。タイヤ交換は慣れた手つきだったのでよくパンクするということなのかもしれない。

ガソリン代は日本とあまり変わらず。ガソリンスタンドはアンマンのダウンタウンにはあまり見かけないが、ハイウェイ(無料)には頻繁にある。作業員がいて満タンや入れる量などを伝えれば彼らがやってくれる。ただしクレジットカードは使えないところが多い。

死海はホントにびっくりするくらい浮く

空港から車で1時間かからない程度のところに死海がある。

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死海で遊べるところは北端エリア。岩場で無料で入れるところもあるが、オススメは16ディナール払って安全に遊べるアンマンビーチと呼ばれるエリア。死海沿いの通りを南に進んでいけばすぐに見えてくる。砂浜のビーチがあり、プール、カフェ、シャワー、更衣室が併設されている。

死海はびっくりするくらい浮く。特に何もしなくても浮く。定番の新聞ポーズを取るなら若干腹筋に力を入れれば大丈夫。向こう岸にはイスラエルが見える。

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2013年3月24日 死海にて筆者友人撮影

傷口があると染みるので要注意。目に入ったらこすらずに大量の真水で流さないと痛すぎる(らしい)。イスラエル側でシルベスタ・スタローンが撮影の合間に死海で泳いで目を空けたため、1週間撮影が不能になったという逸話もある。

世界遺産のペトラ遺跡は壮大過ぎて言葉が出ない

ペトラは死海から南に200キロくらい行ったところにある世界遺産。仮に死海から移動することになった場合には、そのまま南下するととんでもない山道を通ることになる。遠回りだが北上して空港の近くを通って南下すればハイウェイ(無料)なので結局その方が早い。これは逆も同じで、ペトラから死海に行くときは向かって右側のハイウェイを通った方がよい。

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ハイウェイは制限時速100キロか110キロだがそれ以上で飛ばしている車もたくさんいる。左ハンドルで右側通行なので追い越すときは左側からが基本。遅いとパッシングしてくる車もたくさんいる。レンタカーの場合慎重に。警察もよく見張っており、フライパンみたいなSTOP印を掲げられたら止まらなくてはならない。こちらも慎重に見ていないと見逃す。僕は一度止められたが軽く会話したら通してくれたので彼らも暇なのかもしれない。

ペトラは前泊で次の日の朝一で向かうのが良い。当日入りだと早くてもペトラ到着は昼過ぎになり、すごく混雑するし見まわるのに半日では足りない。

入場料は50ディナール(高い!)。現金のみの受付だが、となりに両替所もある。7:00から入場可能で、17:00か18:00くらいまで。

エル・ハズネまでは割りと近い。シークと呼ばれる細い道を抜けると突如現れ、その大きさにド肝を抜かれる。インディ・ジョーンズ最後の聖戦にて聖杯が隠されていたという設定の撮影地である。僕も聖杯を見つけた(ウソ)。

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2013年3月25日 ペトラにて筆者撮影(左がエル・ハズネ)

その先にも遺跡の数々を見ることができ、しばらくは平地が続く。凱旋門と呼ばれる門の遺跡のあたりからは山道を登るような悪路になる。その先には大物はエルディドしかないので、この辺りで先に進むかの判断をした方が良い。凱旋門からエルディドまでどんなに早足でも30分はかかる。

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2013年3月25日 ペトラにて筆者撮影(右が凱旋門)

エルディドは大きさはすごいが、作りはエル・ハズネの方が凝っている。エルディドよりもむしろオススメは、エルディドの先のビューポイント。エルディドからさらに10分ほど進めば山の頂上のあたりに到達し、遺跡や反対側のグランドキャニオンのような眺めを一望できる。

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2013年3月25日 ペトラにて筆者撮影(左がエルディド)

ペトラから車で15分くらいのところにスモールペトラと呼ばれるミニ遺跡群もあり、こちらは無料で入れる。サンセットがキレイだと地元の人が教えてくれた。

また、曜日限定だが20:30からナイトペトラと呼ばれるイベントもある。ペトラの中のろうそくで灯した道を進み、エル・ハズネの前で歌などを披露してくれる。入場料は12ディナールで22:00くらいに終わる。

現地の人は優しく親切だが英語を話せない人も多い

基本的に現地の方はものすごく優しい。パンクしたレンタカーのタイヤ交換を主導してくれたり、道を教えてくれたり、お茶を御馳走してくれたり。試合後に興奮気味の一部の方が日本人に侮辱的な行為をしたそうだが、それがヨルダン人の資質を表しているものでは決してない。単に子供じみているだけである。英語は話せない人も多いが、こちらが分かっていなくても現地の言葉でずーっと話しかけてきたりする。

油断してはいけないが、夜も出歩ける雰囲気(1人は危ないかも)。

料理は全般的においしく、お酒を提供しているところは限定的

料理はひよこ豆をつぶしてペースト状にしたものをパンに塗って食べるのが定番。ラムやチキンは香ばしい味付けがおいしい。ヨーグルトのようなスープにライスやラム肉をつけて食べる料理もよく出てくる。ただし値段は安くない。

お酒は提供しているところを調べたりホテルで聞いたりしてから行かないと普通のレストランでは提供していない。ビールはアムステルというものが第一銘柄で、ハイネケンも見かけた。

水タバコ(シーシャ)を吸えるところが多く、4ディナール程度で1人分のセットを貸してもらえる。味もアップルやミント、ピーチなど豊富。カフェに行ったらカップルで向かい合ってシーシャを吸っていたりするので見慣れないとちょっと異様ではある。


中東は初めてであったが、ヨルダンとてもよいところ。旅の候補にぜひ検討してみてくださいな。



tags アンマン, エル・ハズネ, ディナール, ペトラ, ヨルダン, 死海

ワールドカップアジア最終予選のヨルダンVS日本を観戦するためにヨルダンのキングアブドラスタジアムへ。僕自身初めての中東。勝ってW杯出場決定をこの目に焼き付けたかったのだが。

現地時間17:00キックオフで16:00過ぎにスタジアム到着。スタジアムの外はチケットを持っていない人で溢れかえる。日本人のみが入れるエリアに突入しようとする警備員に静止されるヨルダン人を横目に日本人エリアへ。門の前では何やらもさもさしている一平くんも・・。見なかったことにしよう。

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2013年3月26日 キングアブドラスタジアムにて筆者撮影

これまでの中東アウェー決戦をテレビ観戦した様子ではギリギリまでスタジアムに来ないのが現地の方の特徴だと思っていたが、キックオフ1時間前でスタジアムは超満員。スタジアムには、深く腹の底に響くような重低音がこだましている。イスラムの知識は遠征直前に付け焼刃で読んだ池上彰氏の『大人も子どももわかるイスラム世界の「大疑問」 (講談社プラスアルファ新書)』しかないが、おそらくヨルダン側には女性がスタジアムにいなかったので黄色い声は一切なし。これが異様な雰囲気を助長している。

結果はご存知の通り、ヨルダン2-1日本で敗戦。W杯への切符はお預けとなった。もはや試合から3日経ち多くの方が試合について分析したり評論したりしており後出し感満載となるが、現地観戦した僕の感じたわだかまりについて2点記しておく。

シュート意識が低いことがわだかまりの要因

シュートを撃てばいいというものではない。巷の評論でなぜ試合終盤に2トップにしないのかというものも読んだが、2トップにすればそれだけ崩しにかける人数が減るわけで、シュートを決める確率が高そうなシチュエーションを創りだすことに人数をかけるのか、前でシュートを撃てそうなポジションに配置する人数を増やすのか、どちらが良いのかは一概に述べることはできない。香川のミドルレンジからのシュートは期待できず、先日のマンUでのハットトリックの2点目のように崩しきってゴールに流しこむことを狙っていることも分かる。そんなことは分かっている。それでも言いたい。

もっとシュートを撃て、と。

後半の終わり際、長谷部がペナルティエリアに少し侵入したあたりで右にボールをずらし抜き切らないうちに撃ったシュート、あれだけが唯一「そうそうそのタイミングで撃っていこう!」というタイミングでのシュートだった(GKの正面に飛んだためゴールならず)。

シュートを撃たなくては始まらない。積極性などという陳腐な言葉で片付けられるものでもないかもしれないが、「何が何でも」というプレーが足りないように感じた。

どちらかといえば僕自身は全体論信者というか、ある1つの策を盲信するようなタイプではない。急いては事を仕損じる。前半の前田のヘディングシュートが入って、結果も勝利してW杯出場を決めていれば、シュート数が少ない試合だったとしても何も言わない可能性が高い。公式戦での勝利より大事なことはない。だから自分が滅茶苦茶で筋が通っていないことを言っていることは承知のうえだ。

現地観戦すると視界がボヤケる。

長友と本田不在によるメンタル的な「前を向こう」感の欠如がわだかまりの要因

長友と本田不在の影響は試合前から取り沙汰されていた。しかし、我々には香川がいる。清武もいる。憲剛だっている。ダブル酒井に駒野だって控えている。大丈夫だ。ホームで6-0で退けた相手に戦闘力でアジアトップクラスで層の厚い我々が負けるはずがないだろう。例え長友と本田の2人がいなくても。これが戦前の大衆の空気であったと思う。

機械的な戦闘力という意味では2人がいなくてもさして変わらなかったと思う。ミドルシュートが得意の本田がいればもしかしたら、左サイドに長友がいれば2失点目はなかったかも、という妄想はできるが、それはやめておこう。なぜならそんなことよりも影響が大きい要因があったからだ。

それは既に多くの人が指摘しているように、メンタル面の影響である。

先制されるということは可能性としてはありえる。もしかしたら10試合に1試合かもしれないが、それがこの試合になる可能性はある。もちろん失点を前提としてはいけないが、先制されたらどのような状況になるかシミュレーションしておくことはとても重要だ。オシム元日本代表監督は「負けることもある」とメディアの前で発言し、勝ち負けに一喜一憂する国民に釘を刺していた。

そのシミュレーションを果たしてピッチ上の11人ができていたか。ただでさえ油断ならない中東アウェー。先制されたらスタジアムを巻き込んで「ザ・アウェー」になることは目に見えている。そんなときにどうやってその見えざる壁を跳ね返すのか。

悪鬼が襲いかかってくるような雰囲気を持ち前のメンタリティで一蹴し、正のオーラを周囲に伝播することができている選手。それが長友と本田だったということがよく分かった試合でもあった。


しかし悲観すべき状況ではない。確かに6月の2試合を練習に使えなくなったことは痛い。ただ、これまでができすぎていたのだ。5試合で勝ち点13、2位が勝ち点5などという状況は金輪際訪れないだろう。普通の状況に戻っただけだ。次戦でオーストラリアをしっかりと叩き、日本で、ホームでW杯出場を決めようではないか。



tags ヨルダン, 日本代表, 海外アウェー現地観戦


移籍ビジネスの現状を知るための最高の教科書。

0円移籍という言葉がメディアに登場するようになって久しい。0円という響きがマキャベリズムを感じさせることもあり、0円移籍は善か悪かという対立的構図で表面的に扱われていることも少なくない。本質的な議論をするためには、そもそも0円移籍とは何なのかを知らなければお互い上滑りとなってしまう。

0円移籍の是非について論じる土俵に立つために、基本的なルールからケーススタディまでひと通りの知識がインプットできるのが本書である。特筆すべきは精力的な取材で、「岡崎問題」の当事者である清水エスパルスの会長の早川氏、長友の移籍を成功させたFC東京の強化部長立石氏、日本人初の欧州GMとなった祖母井氏をはじめとする関係各所に自らの脚でインタビューを実施している。そのため、事実関係に加えて当事者しか知り得ない想いや哲学も垣間見ることができ、移籍ビジネスの根の深さを感じ取ることができる。

著者はどちらかといえばFIFAルール適応派

著者本人はFIFAルール(契約満了選手は移籍金0円で移籍できる)への「適応」を推奨している立場だと本書を通じて読み取れる。自らのスタンスを以下のようにあとがきに記している。

欧州や南米の移籍事例で見えるサッカー選手を物や土地のように「売り飛ばす」感覚までも模倣する必要はない。微妙なニュアンスかもしれないが、選手を商品として見る、扱う姿勢はこれからのJクラブに必要だが、日本的なウェットな情の部分も大切なことであり、それを日本独自のオリジナリティに高めていけばいい。その意味でタイトルに「売り方」とは書いているが、行きつくところ、FC東京と長友佑都との関係にあった「向き合い方」が何より大切なテーマではないかと思う。(P.268から引用)

FIFAルールはリーグ、チーム、選手、代理人らステークホルダーにとって必ずしも良いルールではない(*)。しかし、現状それがルールである以上、それに背くようなルールを独自で適用する場合は完全鎖国リーグとして運営する以外にはあり得ない。もちろん国内リーグの隆盛を考えて経営的なルールや移籍についてある程度の「ゆらぎ」を含む余地はあってしかるべきだが、FIFAルールに「国内移籍では」「海外移籍では」といった枕詞は存在しないため、ルールの二重適用はいずれ破綻を招く。グローバル化されている市場において独自ルールを残すことは既得権益をますます蔓延させ、そして長期的な国際競争力を阻害することにつながる。

(*)FIFAルールでは裕福なクラブがますます強くなっていくため批判を受けていたが、UEFAではファインシャル・フェアプレーの導入によって移籍ルールを変更せずに金満クラブ有利との批判を回避しようとしている。
参考)ファインシャル・フェアプレーを理解する4つのポイントと欧州サッカーの今後

ではJクラブはどのような道を模索すべきか

つまるところ、今後Jリーグのクラブが長期的に生き残っていく道は「育成」「地域密着」「チーム理念(哲学)とのエンゲージメント」の3点しかないと思っている。

本人が移籍を希望する場合、基本的にそれを阻害することはできないはずである。それがリーグの隆盛に関わるという大局的な問題は選手個人が抱えるレベルの話ではない。であれば、リーグやクラブとしてできることは育成を促進することである。次なるスターを生み出す環境的な支援。現状のJリーグの新人契約の年俸上限はグローバルに捉えれば明らかに自国リーグでの育成を支援しているとは言えない。いずれルールの変更が必要になるだろう。クラブとしても下部組織を充実させてチームに愛着のある選手を育てることは強化以外の観点でも重要であろう。

強化は常に目指すべきだが、常勝軍団を作り上げることは実質的には難しい。スポーツは盛者必衰の世界である。では仮に相対的に弱体化したときでもクラブを成り立たせる要素は何か。それは、チーム事業としての理念の実現である。
多くのクラブは地域密着を理念として掲げており、地域に根ざしていればJ2に落ちようが勝てない時期が続こうが、サポーターは見捨てたりしない。地域密着については『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ 』が詳しい。

エンゲージメントは人材開発や組織開発においてもトレンドなのでこれからサッカー界でも重要視されるキーワードである。 サッカー選手も労働者である以上、働きたい場所の選択は本来自由のはずである。それをルールで阻止するのは間違っており、チームに留めたいのであれば違う方法を考えるしかない。このやり方には「交換」と「統合」の2種類しかないことが経営学的な通説となっている。「交換」とはチームへの忠誠(エンゲージメント)を金銭や福利厚生など何らかの報酬と交換する方法であり、「統合」とはチームとしての理念や方向性、哲学を労働者(選手)と文字通り統合し、ベクトルをあわせることで金銭を超えたエンゲージメントを共有する方法である。

「統合」というやり方はキレイ事と揶揄されることもしばしばあり、またサッカーの世界においても「選手寿命が短いサッカー選手は金銭を優先して当たり前」「金銭こそが選手を評価する唯一の指標」との主張が聞かれる。その意見を完全に否定するわけではないが、結局のところ優秀な選手に「チームに残りたい」もしくは「移籍するにしても移籍金を残したい」と感じさせるためには「統合」の観点を戦略的に醸成するしかない。上述の著者の引用の中の「向き合い方」というのは「統合」の観点に他ならないのである。


また、本書の中では「向き合い方」の改善以外にも代理人、契約期間、アジア展開などのより良いクラブ経営への案を多数示している。現状の問題提起だけではなく解決策を示しているという点で著者の誠実なジャーナリズムが詰まった良書である。



tags 0円移籍, エンゲージメント, サッカー選手の正しい売り方, 小澤一郎


就任1年目でJ1優勝した森保一監督の流儀。

本書は、J1の2012シーズンで優勝を飾ったサンフレッチェ広島の森保一監督による「大切にしていること」集である。ヴァンフォーレ甲府の城福浩監督が2012年6月に『Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法』を上梓した際には「日本人監督で現場に立ちながらサッカー本を出した人はいない」と言っていたが、その後に川崎フロンターレの風間八宏監督、そして意外(と言ったら失礼か)にも森保一監督も出版することとなった。今後もこの流れは続きそうである。

城福監督も森保監督も戦術面の際どいところには触れずに、自身が監督を続けていく上で大切にしていることを綴っている点で著書の系統は似ている。しかし、その構成は両名の思考スタイルの違いもあってか、かなり異なるものとなっている。

城福監督は熱い情熱の持ち主である一方でロジカルな思考の持ち主である。何か発言するときはその拠り所を明確にするし、主張には根拠を必ず添える。城福監督のことを誠実である、と表現するときはどちらかというとアカウンタビリティ(説明責任)のようなものを大切にしているところや責任感が人百倍強いといったイメージが先行している。

森保監督はもちろんロジカルに考える御仁ではあろうが、どちらかというと帰納的なアプローチで発言することを厭わないタイプである。日本代表や所属クラブでキャプテンを務めたことなどの経験から自分が正しいと思っていることを素直に発言している。森保監督の誠実さは、正直で素直で真面目というニュアンスが含まれる。

このタイプの相違は、著書の目次構成から推し量ることができる。

城福監督の『Jリーグサッカー監督 プロフェッショナルの思考法』の目次

  1. チーム編成論
  2. マネジメント論
  3. 采配論
  4. 戦術論
  5. 育成論


森保監督の『一流(はじめりゅう)』の目次

  1. 選手全員の力を伸ばしてあげたい
  2. 始動
  3. 新人監督としてのテーマ
  4. 継承と融合
  5. いい続けたこと
  6. 自然体
  7. 安定感
  8. 捨てる勇気
  9. カメのごとき歩み
  10. 回想


もちろん、前者は城福監督が自身の思考スタイルを整理して体系的に示すことを目的としたもの、後者が時系列の歩みも含めながら順を追って説明したものであるというそもそもの目的の違いもある。編集の好みもあるだろう。それにしても、この相違は両監督のタイプを如実に表していると言って差し支えないはずだ。

森保監督の素直な側面は本書内でも随所に登場する。

まずは、誰を先発メンバーで使うか。チームがうまく機能している場合には、あまりメンバーをいじらないのが鉄則とされる。ただし、調子がいいとしても、悩むときは悩む。
控えメンバーにすら入れてやれない選手たちのことを思うと、正直つらくなってくる。この作業って、オレの性に合わない、オレって監督に向いてないのかもしれないなどと考えてしまうこともある。(P.90-91より引用)
ボクは、試合が始まるとついつい叫びまくって指示を与えてしまう。選手たちと一緒になって戦っている気持ちになるからだ。でも、それがプレーを判断する選手たちの目をくもらせてはまずい。
あるとき、「大丈夫?オレ、うるさくない?うるさかったら、そういってくれよ。(指示出しを)やめるから」と選手たちに聞いたことがあった。
「いや、大丈夫ですよ。一緒に戦いましょう」
なんて監督思いの選手たちなんだ!(P.107より引用)

それでも森保監督がチームを牽引しているのは高いレベルでの自己認知を伴っていたからだ。自身が優柔不断で元来決断が遅れがちなタイプであるからこそ仕事としての決断ははっきりしていると言及しているし、以下のような発言もある。

そもそも話すのを得意とするわけではないボクにとって、伝えることの難しさはたぶん永遠の課題といえるだろう。変にうまく話そうとするよりも、とにかく素直な感情で、真摯にストレートに伝えることを心がけている。(P.113より引用)

新人監督としてJ1を制覇した手腕は見事であり、その哲学や優先順位に耳を傾けることは監督という立場を超えて社会人として参考になることも多い。

なお、著者の印税は東北地方におけるサッカー復興のために活動する団体東北人魂に全額寄付されることになっている。



tags Jリーグ監督, サンフレッチェ広島, 一流(はじめりゅう), 城福浩, 森保一


サッカーを知り尽くしたイタリア人監督5名による岡田ジャパンへの的確な指摘。

岡田ジャパンは結果的に南アフリカW杯でベスト16に入った。岡田監督は日本で初めてアウェーのW杯で勝利と決勝トーナメント進出の歓喜をもたらした監督となり、名将と崇められている。しかしW杯が始まる前、特に日本での親善試合のセルビア、韓国に連敗した時期はメディアから総バッシングを受けていた。サポーターも口々に「日本はダメだ」とつぶやき、主たるサッカー解説者はこぞって日本の予選リーグ敗退を予想していた。

では、その時期の岡田ジャパンのサッカーのどこがダメで、どのように改善すればよくなったのだろうか。もちろん当時も様々なメディアが問題の指摘をしていた。無駄な走りが多い、後半にバテてしまう、得点のパターンが見えない、などなど。メディアという特性上そこには「分かりやすさ」が必要で、その最たる例が切り札論である。香川を使え、小笠原を呼べ、宮市はどうだ、と紹介された「日本代表候補」は枚挙にいとまがない。しかしサッカーはそう単純なものではない。人を変えればうまくいくのであれば誰もがやっている。交代を早めればうまくいくなら誰もがやっている。サッカーは複雑系だから、局所的な見地では当て感と相違ない。大局的なアプローチが必要である。

そこに真摯に解答を示してくれているのが本書である。イタリア人監督5名が日本代表の試合の映像を見て、特に守備面について多くの指摘を与えてくれている。分析対象の試合はワールドカップ予選のウズベキスタン戦、オーストラリア戦、カタール戦、キリンカップのベルギー戦、ヨーロッパ遠征のオランダ戦、ガーナ戦である。

本書の優れているところは、何より図を多用して解説してくれているところである。抽象的な戦術論ではなく、試合の中で実際に発生したシチュエーションをもとに具体的な解説をしてくれている。パスコースが限定されていることや、サイドバックのポジショニング、プレッシャーの掛け方が中途半端で逆に相手の攻撃を加速させていることなど問題ケースは枚挙にいとまがない。解説の中には「ん?それはこういう意図があったからだろう」と指摘したくなることもあるが、具体的で実際に発生したプレーに対する指摘なのでこちらの意見との相違が明確になり自分の中に落としこみやすい。意図が明確なプレー解説は自分のプレーに対する考え方の体系的な整理にも役立つ。

映像を見ながら問題のシーンを切り取って具体的な指摘をすることはそう簡単にできることではない。本書の中でも5人の監督の貢献を次のように表現している。

5人いずれもが、異口同音に「日本代表監督とそのスタッフ、全選手に対して最大の敬意を払って分析を行いたい」と繰り返し述べていたことを改めてここに記しておきたい。(P.8から引用)

結果として岡田ジャパンは中村俊輔を中心としたパスサッカーおよび前線からのプレスから戦術変更をしてワールドカップに臨んだため、5人のイタリア人監督が見た日本代表とはずいぶんと趣の異なるサッカーでW杯ベスト16入りを果たすこととなった。いつかまた主導権を握るサッカーでW杯上位進出を目指すとき、本書の内容が参考になるときがくるだろう。

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2010年6月14日の南アフリカW杯日本対カメルーンの試合にて筆者撮影。日本は1-0でカメルーンを退け自国開催以外のW杯で初勝利をあげた。



tags 世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス, 中村俊輔, 南アフリカW杯, 岡田武史


フロンターレ物語を通じて創造性とは何たるかを教えてくれるビジネス書。

フロンターレの選手が登場する算数ドリルの配布、月間MVPの選手にDoleのバナナを進呈する「バロンDole」、スタジアム内に本物の動物を連れてくるフロンターレ牧場やフロンターレ動物園、相撲部屋の春日山部屋と協力して提供する塩ちゃんことイッツァ・スモウ・ワールド。全て川崎フロンターレとして公式に提供している企画である。しかもこれはほんの一部。仕掛け人は著者の天野春果氏である。

天野氏が考えるクラブに必要な車輪は2つ。前輪はチーム強化。後輪はクラブ事業。氏が手がけるのは後者である。チーム強化は間違いなく必要なもの。勝つことで話題になり注目度が高まる。しかし、常に勝ち続けることはできない。実際に川崎フロンターレはJ2に降格したことがあり、J2ではJ1に比べてメディアの注目度が極端に低いことも経験済みである。

そんな浮き沈みが前提となる業界であるからこそ、クラブ事業としてホームタウン活動や事業活動に積極的に参加して後輪を大きくし、安定した推進力を生み出すことを重視している。

本書を読んで感じたことは、天野氏の活動は企業こそ参考にすべき創造性の固まりであるということである。

創造性とは何か。この研究は現在も結論が出ていないが、一つの解として支持を得ているのが「論理性+推進力」であるという考え方だ。スティーブ・ジョブズも言うように、創造とはゼロから何かを生み出すことではなく、既存の何かを組み合わせて新しく見える仕組みや物事を考えだすことである。そして事業として軌道に乗せるためには思いつくだけではダメで、周囲の関係者や行政を巻き込んで前に進める推進力が必要となる。天野氏はこの両方を体現している稀有な存在であると言える。

企画を思いつくために天野氏は様々なところからヒントを得ている。例えば、タイトルにもなっている算数ドリルは2008年にアーセナルを訪れたときにセスク・ファブレガスがスペイン語の教科書に載っていることを発見したことがきっかけである。天野氏自身も次のように語っている。

僕は常に何かをくっつけたり、結びつけて企画を考えるクセがついてしまっている。テレビ、新聞、通勤途中の風景でもクラブのプロモーションに結びつくんじゃないかと思いながら見ている。
だから、何を見ても脳がグルグル回転を始め、休まる暇がない。(P.14-15から引用)

そして実際に推進するための行動力はさらにすごいの一言。相手が行政だろうが相撲部屋だろうがとにかくひるまない。巻き込んで、主体的に参加するように仕向ける。口で言うのは簡単だが、思いつくよりも行動の方が何倍も難易度が高い。もちろん天野氏も推進力については自身の武器とも感じているようで、次のような記述もある。

アイデアはどんな人でも思い浮かぶものである。ただ、それを企画として立ち上げて実行に移すのは簡単ではない。たとえば、フロンターレの算数ドリル。プレミアリーグのアーセナルFCの選手が登場するスペイン語教材を見たのは僕だけではない。欧州視察に一緒に参加した他のJリーグクラブのスタッフはもちろん、インターネットで目にした人もいたはずだ。
しかし、それを参考に日本で教材を配布したクラブはない。(P.154から引用)

フロンターレはホーム開催の試合開始前に自由席の「席つめ」を実施している数少ないクラブでもある。僕はサポーター論云々よりも1席の席つめの方がよほど大事だと思っているが、実際には個人の力やサポーターの協力で実現することは難しい。そこでフロンターレはクラブとして「席つめ隊」を結成し、雰囲気を壊さないように席つめを実施してくれている。本書を読めば、席つめという企画一つとっても天野氏が大切にしているクラブ事業あればこそということが伝わってくる。

121126-p10-04.jpg本書は2011年6月発行で、タイミング的にフロンターレの「お風呂」企画は「いっしょにおフロんた~れ」でサポーターといっしょに銭湯に入るところまでしか紹介されていない。その後にテルマエ・ロマエとコラボしたり、その一環で出演者の宍戸開氏がサッカー始球式を務めるというイベントも実施された。僕はこの始球式が行われた2012年5月3日の川崎フロンターレ対ジュビロ磐田を現地観戦していたが、宍戸開氏が「わたくし、中学・高校と南武線を利用しておりました!」とあいさつすると会場が拍手喝采。仕掛けが大成功した瞬間に立ち会えて身震いした。

さらに2012年末にはNHK Eテレの「みいつけた!」のオフロスキーという若干シュールなコーナーとコラボし、中村憲剛がオフロンスキーとして登場するという大サービス企画も提供している。このことに関しては中村憲剛自身も著書の『幸せな挑戦 今日の一歩、明日の「世界」』において次のように語っている。

グラウンドで試合を応援するだけの関係でいるのと、イベントなどで直接、話をしたりゲームをしたりするのとでは、親近感や思い入れなどの面で大きな違いが出てくるのは当然だ。
そういう部分に力を入れているフロンターレというチームにいられることが、僕は嬉しい。サポーターと交流できるイベントがあればどんどん出たいし、そういう機会をつくってもらえることにも感謝している。(P.193から引用)

もちろん、チームが勝つことが第一であるという考えもあるし、クラブは事業よりも強化に努めてほしいという考えもある。僕個人は、本書を読んで純粋に川崎フロンターレというクラブが好きになったし、川崎市民がうらやましくなった。こうして川崎という街のプロモーションにもつながっていくことが街クラブとしての存在意義であろうから、天野氏の仕掛けはすでに成功していると十分言えるものである。そして、これからもあっと言わせるような企画を楽しみにしている。

※本書の著者印税は、スポーツを通じた被災地支援活動のため、全額寄付されている

(2013年3月19日追記)
川崎フロンターレ/中村憲剛は全国銭湯文化功労賞を受賞。おめでとうございます。



tags いっしょにおフロんた~れ, 中村憲剛, 僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ, 川崎フロンターレ

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欧州サッカーの勢力図を根本から塗り替える可能性を秘めたファイナンシャル・フェアプレー(FFP)。すでに審査対象期間が始まって2シーズン目ということもあり、最近はメディアのニュースでもファイナンシャル・フェアプレーという言葉を目にすることが多くなってきた。そこでファイナンシャル・フェアプレーを理解するための4つのポイントについて整理しておく。

1.基準を満たさないクラブはUEFA CLやELへの出場資格が剥奪される

クラブの収支を少なくともイーブンにしなくては、そのクラブにはUEFAクラブライセンスが発行されない。つまり、UEFA主催のCLやELへ出場することができない。

2.審査期間は過去3シーズンの合計収支で、当初は段階的に適用される

審査は、過去3シーズンの合計収支で判断される。ただし、初回の審査である2013-14シーズンだけは過去2シーズンの合計収支となる(審査対象シーズンは2011-12および2012-13、つまり審査はすでに始まっている!)。
また、段階的な適用として2014-15シーズンの審査(審査対象は2011-12、12-13、13-14の3シーズン)までは累積赤字を4500万ユーロまでは認め、2017-18シーズンの審査までは累積赤字を3000万ユーロまでは認める。

3.オーナーによるポケットマネーは認められない

オーナーによるポケットマネーは収入として認められないため、移籍選手の獲得などのために使用することができなくなる。また、借入金による赤字の穴埋めは一切認められず、寄付や増資による穴埋めも17-18シーズンの審査まで。それ以降は純粋な収入が支出を上回らなければならない。

4.育成と施設への投資は支出としてカウントされない

長期的な投資である育成や施設(スタジアムなど)への支出はファイナンシャル・フェアプレーとしての支出にはカウントされず別会計となる。


ビッグクラブの中でも、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシー、リヴァプール、ミラン、インテル、パリ・サンジェルマンなどは基準を満たしていないと見られている。優良なのはレアル・マドリー、アーセナル、バイエルンを始めとするドイツの各クラブである。

クラブの主な収入源は入場料収入、放映権収入、グッズ・スポンサー収入の三本柱。一方で支出は補強費と人件費の割合が高い。これらのことから、ファイナンシャル・フェアプレーの適用に伴い以下のような事象が発生していくものと思われる。


A 移籍マーケットの縮小

短期的な強化のために多額の資金を投じてビッグネームを獲得するような移籍は数限りあるものになっていく。日本円にして何十億円もの資金を移籍に使うことは徐々に少なくなっていくだろう。
一方で、CL出場のボーダーラインにいるクラブ(各リーグの3位や4位のクラブ)の中には、「移籍したいが移籍金がネックで移籍できていないビッグネーム」を獲得する動きが出てくる可能性が高い。UEFA CLの放映権収入はバカにできない金額であり、CL出場のための投資としてビッグネームを獲得するクラブがあってもおかしくない。

B オフの期間の海外遠征の増加

現在でもバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドなどのビッグクラブは7月や8月のオフの期間にアジアツアーを実施しているが、これがさらに増えていく傾向になる。アジアやアメリカへのツアーはヨーロッパ以外の大陸におけるファンを増やし、グッズ収入を大きく増加させる可能性を秘めている。

C コマーシャル要員としての選手確保の復活

一時期日本人選手の獲得もビジネスの要因が大きいと言われていたが、本田圭佑や香川真司、長友佑都の活躍により実力も伴った移籍と見られるようになってきた。しかし、資金が黒字かどうかが大きな意味を持つようになればコマーシャル目的での移籍も若干であるが復活する可能性がある。

D 育成への投資と海外クラブスクールの増加

育成への投資は別会計であるので、バルセロナのように育成を通じた選手の確保や選手の売却資金は有効な手立てであり、さらにこの流れが加速していく。また、日本でもバルセロナやチェルシー、ミランなどが子供向けのサッカースクールを展開しているが、このような動きもコマーシャルとクラブのブランド強化のために広がっていくと予想される。

E 若年選手の確保の加熱レース化

20歳以下程度の選手の獲得競争が過熱化する。特に資金に乏しく、戦力補強を考えているクラブは若手に目を向ける傾向が今以上に強くなるだろう。また、18歳未満の選手であっても家族ごと近くに引っ越せば引きぬくことができるので、久保建英くんのように10歳程度で海外クラブへの移籍が増えていくことも考えられる。

F オーナーによるポケットマネー使用の裏ワザの蔓延

17-18シーズンまでは寄付による赤字の穴埋めが認められているので、何らかの手段を用いてポケットマネーをロンダリングして穴埋めに使用するクラブが出てくることは考えられる。むしろ、17-18シーズン審査以降でも弁護士や金融機関や闇取引を通じて会計上明瞭にした形で穴埋めをしようとするクラブが出てくるだろう。
そういった抜け道を模索することよりも深刻になる可能性があるのは、クラブが徒党を組んで「だったら我々はCLに出ない。そうなると困るのはUEFAの方だろう。」と脅しをかけてくることだ。すでにG14(14のビッグクラブによる非公式の連盟)は解散し、対FIFA、UEFAの訴訟はすべて取下げられ、クラブと協会は協調の時代に入っているが、それでも審査に落ちるクラブが出そうになると予断を許さない状況になることも考えられる。

G 実際にUEFAのコンペティションから締め出されるクラブの登場

審査が始まればUEFA会長のプラティニは例外は許さないと思われる。一度例外を作ればルールを作った意味がなくなる。かつてマジョルカが経営破綻から財務が悪化しELへの出場資格を剥奪されたことがあった。同様のことが他のクラブにも発生する可能性は高い。
一時的に混乱が発生することも考えられるが、長期的に見れば過度なビジネス要素をフットボール界から排除するという目的は達成されるだろう。


ファイナンシャル・フェアプレーが導入された背景には、CLの度重なるフォーマット変更やクラブ対協会の対立構図などの長い歴史がある。『チャンピオンズリーグの20年 ---サッカー最高峰の舞台はいかに進化してきたか』(筆者のレビュー)を読めばそのあたりの歴史については一通り学ぶことができる。



tags FFP, チャンピオンズリーグ, ファイナンシャル・フェアプレー

[書評] 幸せな挑戦


中村憲剛のサッカー人生メモワール。

ハーフウェイラインより少し高め。右サイドの味方がボールを持つ。中村憲剛がボールをもらいに右サイドにスプリントする。グラウンダーのパスを左足でトラップした中村憲剛は、ワンステップで右足インサイドでパスができる位置にボールをコントロールする。前線へスルーパスを出そうとするが、そのスルーパスは成功しないと判断し、すぐさまプレーを切り替える。右足アウトサイドで足元のボールを相手にさらさない位置にコントロールし、自身も時計回りに270度旋回。自身の左側のスペースにポジションをあげた味方ボランチに右足アウトサイドでグラウンダーのパス。そのパスを出した脚で即座にスプリントをはじめ、受け手の味方に近寄っていく。

こんな中村憲剛のプレーが僕は大好きである。特に最後の部分、パス&ゴーは中村憲剛の醍醐味であるといってもよい。パス&ゴーを忠実に、速く、確実に実践しており、その姿は機能美すら漂っている。

相手にボールをさらさないように逆を向く技術も素晴らしく高い。その技術は本書によれば、小さな頃に体格で劣っていた中村憲剛が相手に寄せられずにボールをコントロールする術を考えぬいた結果身につけたものであるようだ。そういえば同様のプレーを得意としているバルセロナのシャビも体格面のハンデを克服するために身につけたプレーだと聞いたことがある。

特別な能力もなく、フィジカルにも恵まれていない自分がプロのサッカー選手となり、日本代表までなれたことは自分自身が一番驚いているとのこと。そんな中村憲剛という人間、中村憲剛というサッカー選手はいかにして出来上がったのかを通時的に本人の口から語られているのが本書である。

小学校から大学までのサッカー人生も細かく語られており、まさに中村憲剛のライフログでもある。

これまでの人生で2回サッカーを投げ捨てたことがあり、その経緯やどのように戻ったか、そしてその経験をその後のサッカー人生にどのように活かしているか、といった記述もあり、正直であると同時に人間臭く親しみが持てる。

本書を通じて感じたのは、中村憲剛の卓越な意志の力である。あきらめないこと、努力を続けること。

意志の力を中村憲剛本人は以下のように綴っている。

サッカーでいえば、目の前に転がってきたボールに足を当てただけで得点を入れられたようなときには「ごっつぁんゴール」と呼ばれる。
それができるのが、「持っている」からなのかといえば、そうではないはずだ。
その選手がボールボールがこぼれてくる場所にいなければゴールは生まれない。
そして、どうしてその場所にいられたのかといえば、運だけでなく、「意志」があったからということに違いない。(P.35から引用)
たとえばフロンターレで二年目のシーズンを迎えたときに、関塚監督からボランチへのコンバートを持ちかけられたことは、僕の可能性を大きく広げてくれた。
そういう監督との出会いがあり、そうした転機が迎えられたことが幸運だったのは間違いない。
だけどその提案は、関塚監督の考えにもとづくものであり、その提案を拒まずに受け入れたのは僕の「選択」だった。そこにあったのは運だけではない。関塚監督の意志があり、僕の意志の力が働いていたわけだ。(P.168-169から引用)

僕は大学生向けに講義をしたりすることがあるが、感じることは「他責」が含意された発言の多さである。誰かに言われたからやっている、という言い方をするときは責任の所在を曖昧にしたいという逃げの気持ちの表れである。誰かに言われたとしても、それを「選択」したのは自分であるので、責任は自分にあるはずだ。その意志の力がキャリアを切り開いていく。

中村憲剛はこうも語っている。

それまでにたどってきた道の責任は自分がとるしかないし、変えたいことがあったとしたなら、自分で変える努力をするしかない。不満を口にしていても何も変わらないし、こうしたいと思うことがあるときに、行動に移せるかは自分次第だ。(P.171から引用)


また、フロンターレのプロモーション部の仕掛けを好意的に捉えているようでこれはサポーターとしてもうれしい発言だろう。『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』にも記載のある「いっしょにおフロんた~れ」も積極的に実施したようだ。

グラウンドで試合を応援するだけの関係でいるのと、イベントなどで直接、話をしたりゲームをしたりするのとでは、親近感や思い入れなどの面で大きな違いが出てくるのは当然だ。
そういう部分に力を入れているフロンターレというチームにいられることが、僕は嬉しい。サポーターと交流できるイベントがあればどんどん出たいし、そういう機会をつくってもらえることにも感謝している。(P.193から引用)

本書が発売したのは、2014年に向けたW杯アジア最終予選のヨルダン戦を2週間後に控えたタイミングである。発売後に発表された代表メンバーに、もちろん中村憲剛も選ばれている。勝てば世界最速でW杯出場が決まる大事なアウェーの試合。本田圭佑がコンディションの理由で選出されなかったこともあり、中村憲剛の出番が回ってくる可能性は高い。中村憲剛の幸せな挑戦は続く。



tags 中村憲剛, 川崎フロンターレ, 幸せな挑戦


湧いては鎮まり、そしてまた湧くサポーター論。

良くも悪くも日本で注目されるサッカーは日本代表のサッカー。ザッケローニの監督指揮のもと、史上最強と言っても過言ではない快進撃を続けているので日本代表人気も右肩上がりな今日このごろである。さいたまスタジアムで行われるW杯アジア最終予選はチケット争奪戦となり、ヤフオクでチケットが10倍以上の値段で取引されたりしている。

そうなるとサッカー好きな人以外にもメディアを通じて活躍が伝わり、「私も試合観に行ってみようかしら」「ウッチーかっこいい!」といった「サッカー(や選手など)を新しく好きになった人」が出現する。新規のお客様というわけである。

いつの時代も古残のコアメンバーは新規との温度差や文化の違いに戸惑い、ときに反発するもの。反発は反発しか生み出さないので不毛な議論が生まれる。新規のお客様はとても大切なはずなのに、大切に扱えていない雰囲気があるのも事実。

といった流れが一定サイクルで現れ、今がまたその高潮といったところである。

この議論でもっとも不毛だと僕が思うのは、「サポーター」を定義したがる人とそれに反発する人によるやり取りである。

そもそも「言葉の定義」に対しては2種類の考え方がある。社会構成主義的な側面を重視している人と、広辞苑的な硬直的な定義を重視している人である。

社会構成主義とはざっくり言えば、現実世界を人々の認知から生まれてくるものと捉え、唯一の定義など存在せず、文脈によって意味や定義が変わるのが当たり前といった考え方だ。なので、社会構成主義派に言わせれば「定義?あなたの思ったことが定義なんじゃないの?」ということになる。

一方で明確な文章として誰もが共通認識できる形での定義を重視している人たちもいる。そういう人たちにとっては定義は文章で表現でき、それを皆が共通の認識とともに受け取るべき、と考える。

どちらが良い/悪いではなく、哲学的な領域である。

この両者では「定義」という言葉の定義すら捉え方が違う。なので、「サポーターとは」と問いかけられても回答が異なるのは当たり前である。そして、回答が違うことが当たり前、ということに居心地の悪さを感じる人もまたいるわけで、ソーシャルメディアでの揚げ足取りや罵詈雑言を含めた意見が飛び交うという構図になる。

僕自身は社会構成主義的な側面が強い人間なので、定義に固執していない。そして、定義がないからこそ「自分はこう思う。なぜなら・・」という意見を持つことが重要だと考えている。

本誌の中で植田朝日氏も識者の座談会において次のように語っている。

みんな流されるからね。セルジオ越後化していて、否定できるファンの方が詳しいと思っているんだよ。書かれた論調を見て「この人サッカーを知っているな」と思うときは、その人自身の意見を言っているときだよね。(P.45から引用)

僕が具体的にサポーターに求めたいのは、スタジアムの自由席での席詰め。論なんてどうでもいいから、席を詰めてほしい。席が狭いのは分かるが、2人で3つの席を確保するのが当たり前になっている。仕事の都合で会場到着がギリギリになる人もいるし、応援仲間がいなかったり先に到着できなかったりする人もいる。もちろん、早く到着した人がいい席を確保するのは良い。余計に確保しないでほしい、というお願い。

この手のサポーター周りの話は、ちょうどフット×ブレインでも2013年1月19日の放送でサッカーの応援スタイル教えます!という特集を組んだ(植田朝日氏もゲスト出演)こともあり、何かと話題になっている。うまいタイミングでの本誌の発売だと感じた。

最後に、サッカー批評というムック本について私見を。
毎号イシューを組んでその内容にあわせてジャーナリストに寄稿してもらったり企画を組んだりしているわけなのだが、イシューをぶち上げるのであればサッカー批評というムック本としての人格をもった意見をまとめた方がよいと感じる。

僕が普段目にしているサッカー以外の雑誌は仕事柄もあってハーバード・ビジネス・レビュー、人材教育、WORKSなどの経営・人文科学・人事系が多いが、これらの雑誌はすべて組んだ特集について編集部としての私見を載せている。こういった私見が人格(誌格?)を生み出し、単なるオムニバス以上の価値が生まれ、それが読者を獲得していく。ジャーナリストの寄稿だけであれば、「じゃあサッカー批評というムック本の価値はどこにあるのか」という立ち位置がわかりにくくなる。これはサッカー小僧などの他の雑誌系も同じなのだけど。

最近サッカー雑誌が増えてきたので、期待も込めて。



tags サッカー批評, サポーター論, 社会構成主義


テレビ東京系列の考えるサッカー番組「FOOT×BRAIN」が待望の書籍化。

本書はサブタイトル「日本のサッカーを強くする25の視点」にもある通り、多角的なアプローチからサッカーに迫ろうとする挑戦的なコンセプトが土台になっている。ときにサッカーとは関係のないその道のプロフェッショナルにフォーカスし、そこからサッカーに役立つ何かを吸収しようという貪欲さは尊敬できる姿勢だと評価できる。

テレビ東京系列で毎週土曜日の23:05に放送されているFOOT×BRAINの放送内容の中から特徴的な25回を選び、エッセンスを抽出した上で解説を加えて構成されている。

25の視点は、大きく以下の4つの視点に分けられている。

  1. 戦う人 香川真司、内田篤人など主にサッカー選手本人の視点
  2. 支える人 レフェリー、スカウト、通訳、選手の妻など、プレイヤーではないが直接的にプレイヤーや試合そのものに関わる人たちの視点
  3. 育てる人 選手の親、プロ監督、大学サッカー部監督、クラブ社長など選手やサッカー界を育む立場からの視点
  4. 見守る人 プロ野球選手、ラグビー選手、統計学者などサッカーとは直接関係ない立場からの視点

個人的に興味深い内容は、第4章の見守る人に登場するアンドリュー・マコーミック氏(元ラグビー日本代表)や鳥越規央氏(東海大学理学部情報数理学科准教授)などからの言葉だ。異なる業界からの意見は参考になることが多い。

マコーミック氏はラグビーにおいても日本人の敏捷性(アジリティ)は一日の長があると評価している。体格では敵わない日本が強豪諸国と戦う際に押し出す長所はラグビーでも変わらない。

鳥越氏は統計の専門家として、サッカーのデータ化に挑戦している。野球のようにひとつひとつのプレーが途切れないため数値化が難しいスポーツであるが、膨大なデータから拾うことができる解析の結果は今後さらに詳細なものとなっていくことは間違いない。このエントリーでも書いたように、サッカー版セイバーメトリクス(野球においてデータを統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略を考える分析手法)は夢物語ではないはずだ。

2013年3月16日の放送でついに100回目を迎える。テレビ東京、それも王道の仕掛けではなくマイナーな角度からの仕掛けで100回続いたことがそもそも素晴らしい。番組専用のスマホアプリもリリースされ、番組視聴中にアプリを起動すると音声をキャッチして視聴マイルが貯まる画期的な仕組みとなっている。マイルを貯めるとプレゼントがもらえるそうだ。ビデオ録画による視聴でもマイルが貯まるという大盤振る舞い。さすがテレビ東京。

どうしても海外の人気サッカー選手にスポットライトが当たりがちであるが、FOOT×BRAINのような「異端」の存在が日本サッカーの底上げには欠かせないと僕は信じている。



tags footbrain, foot×brain, フット×ブレインの思考法

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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