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[書評] プレーのどこを視るか ー サッカーがさらにおもしろくなる『ガゼッタ』式採点の裏側


ガゼッタ・デッロ・スポルトの採点の考え方が分かる。

まず気をつけなくてはならないのは、本書は「観戦術」や「試合で起こるプレーを評価」するための書籍ではない。タイトルにある「プレーのどこを視るか」は少し突っ込みすぎてミスリードしている。イタリアが誇るスポーツ新聞であるガゼッタ・デッロ・スポルトのパジェッラ(採点)はどのような考えで行われているのか、が語られているのが本書である。

科学的ではなく主観と言い切っているところがむしろ好ましい

パフォーマンスの測定はいつの時代でも議論になる、非常に悩ましいプロセスである。

会社にいれば1年ごとに上司に仕事ぶりを評価されるわけだが、果たして本当に正しくパフォーマンスを評価してくれているのか部下にとっては疑問を挟まざるを得ない状況もたびたび発生する。

人材の採用においては面接やその他の手法を用いて応募者の能力を測定するわけだが、これも果たして正しく評価できているのか怪しいものである。応募者にとって、人生の大きな岐路のひとつであるので真剣に評価してほしいと思うだろうが、実際の企業側の立場になればそれが悩ましく難しい課題であることが分かる。

これらの問題は、「評価は正しくされなければならない」という前提にあるし、評価者も被評価者もそれを望んでいる。

ところがガゼッタ・デッロ・スポルトの潔いところは、それをハナから放棄している点である。

『ガゼッタ・デッロ・スポルト』編集部、ダニエレ・ダイエッリ氏はこう言う。
「パジェッラは、"科学的な評価"ではない。基本的には、試合を観たジャーナリストの個人的見解。それだけに、そこには科学的分析とは違う"詩的な要素"が入ってくるんだよ」と。(P.26から引用)

例えば先日のコンフェデの日本対イタリアのガゼッタの本田に対する評価コメント。
「HONDAというHONDA(ONDAはイタリア語で波)が押し寄せ、イタリアは沈みかけた。名前にふさわしくバイクのように走り回った」
イタリアを苦しめた存在として"詩的"に評していることが分かる。

しかし一定の基準のようなものは存在している

とはいえ、完全にジャーナリストの個人的見解に頼りきっているわけではなく、いくつか暗黙の了解的に基準のようなものは存在している。

ひとりの選手が「可もなく不可もないゲーム」をすれば、6。その中でどれだけのプラス要素、あるいはマイナス要素があるか、それによってその日のパジェッラが決まっていく。その基本だけは変わらない。(P.32から引用)

その加点/減点要素としてどのようなものがあるかを、具体例とともにページを割いて説明している。例えば当然のことではあるが、得点や失点に直接絡めば加点/減点となる、という具合である。

あくまでもウンチクという使い方

ガゼッタの採点の裏側(加点や減点の要素の説明と具体例の紹介)の説明に約100ページほどを費やし、以降は
・日本代表の試合をガゼッタの記者が採点したら
・往年の名プレイヤーのガゼッタの採点
・セリエA日本人プレイヤーの採点記録
といった具合で構成されている。

この辺りは好みで好きな箇所を先に読むといった使い方もできる。

冒頭にも書いたように、本書を読んでも実際に自分が試合を観るときに「プレーのどこを視るか」ということのヒントは得られない。あくまで、日本でも有名になったイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルトの採点の裏側をウンチク的に知っておく、という使い方に留まるだろう。




tags ガゼッタ・デッロ・スポルト, セリエA, プレー評価

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プロフィール

profile_yohei22 yohei22です。背番号22番が好きです。日本代表でいえば中澤佑二から吉田麻也の系譜。僕自身も学生時代はCBでした。 サッカーやフットサルをプレーする傍ら、ゆるく現地観戦も。W杯はフランスから連続現地観戦。アーセナルファン。
サッカー書籍の紹介やコラム、海外現地観戦情報をお届けします。

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