2011-2012シーズンのアスレティック・ビルバオにおけるビエルサの言動と活躍を通時的に追う"情熱大陸"的ドキュメンタリー。
本書は戦術マニアであり「ロコ」(クレイジー)のニックネームがついたマルセロ・ビエルサの素顔や哲学に迫るドキュメンタリーである。残念ながら、多くのサッカーファンが望むビエルサの戦術紹介本ではない。
ビエルサはポゼッションを中心とした攻撃、それもひらめきにまかせるというよりはシステマティックに崩すことに執念を燃やしている。アスレティック・ビルバオの就任会見におけるメッセージがその志向を端的に表している。
「勝つためには監督の考えが絶対に必要だと感じてもらわなければならない。そのために、監督は負けることなどあり得ない、と思えるぐらいの理由を持っていなければならない」(P.29から引用)
ビエルサの攻撃志向と変質さは『名将への挑戦状 ~世界のサッカー監督論~』における著者のヘスス・スアレスの表現からも推し量ることができる。
筆者が見てきた数多くの監督の中でも、マルセロ・ビエルサはもっとも攻撃フットボールに対する強迫観念が強い。スペイン語で"LOCO(クレイジーの意)"とあだ名されるほど、ビエルサはピッチにおける攻撃を、システム化することに人生を賭けている。そのためには、一切の妥協を許さない。完璧主義の男である。(P.104から引用)
ビエルサは決して特定の選手を特別扱いしない。ファイトしない選手やビエルサの戦術を理解しない選手は試合に出ることはおろか、ベンチに入ることすらできない。ビエルサの妥協を許さない姿勢はこのコメントからも読み取れる。
例えばトレーニングで220本のクロスを上げる。そこで選手はボールと交わるポイントをめがけて走りこむ。セットプレーで点が生まれるのはそれしかない。ヘディングが上手いか下手かは重要ではないのだ。確率的にいえば、220本のうち実際に得点になるのは5本かもしれない。ただ、私が選手たちに言うのはその220本全てに飛び込めということだ。それがその5本となる可能性を信じなければならない。これが集中力というものだ。全てにおいてこれが唯一のチャンスだとどれだけ意識できるかで、それがゴールになる確率は変わってくる。(P.39から引用)
岡田武史前日本代表監督も似たようなことを言っている。勝負を分けるのはそのようなディテールであり、30センチの世界で脚が前に出るか、一歩を踏み出せるかである、と。口で言うのは簡単だがそれを実践させることは難しい。岡田監督は選手に口酸っぱくディテールの重要性について語っていたそうだ。要は、試合でいきなりディテールの勝負ができるはずがなく、練習からそれを体現して初めて試合でも同じパフォーマンスが出せるということである。両監督ともに試合に負けた場合は全ての責任は自分にあると公言したりするあたり、勝負師として似たもの同士なのかもしれない。
2011-12シーズンのアスレティック・ビルバオといえば、無敵を誇っていたバルサをポゼッションサッカーで最後まで追い詰めたり、ヨーロッパリーグとコパ・デル・レイの2つの主要大会で準優勝を飾ったりと、栄冠にこそ手が届かなかったがビエルサのサッカーによってヨーロッパ中に旋風を巻き起こしたことで記憶に新しい。その一連の快進撃をビエルサの記者会見のインタビューや裏で起こっていた選手との確執などとともに追いかけることができる。ビエルサは単独インタビューには一切応じないため目新しい情報は多くないが、ビエルサという稀代の戦術マニアについてひと通りのことを知るにはもってこいである。
tags アスレティック・ビルバオ, ビエルサの狂気, ロコ・ビエルサ
コメントする
※ コメントは認証されるまで公開されません。ご了承くださいませ。